額の上なら友情のキス青い空。暖かな陽光。穏やかな日々を善良さでもって過ごす人々。
絵に描いたような平和に心動かされ弦を爪弾いた浪巫謠は、聆牙が思っていた以上にご機嫌であった。のどかな風景に似合いの曲を奏で吟じられたのが余程嬉しかったのか華やぐ心そのままに、聆牙の人面を模した琴頭、額の辺りに唇を寄せた。
綺麗な音を、望む音を、この景色にふさわしい音をくれてありがとう、言葉無くとも伝わる友への感謝が、触れた唇のやわらかさに丁寧に詰め込まれていた。
花咲くことを忘れたかのような浪にしては珍しい振る舞いに、聆牙の裡も自然とぬくくなっていく。相棒の心に影を差さぬ、だが適度にふざけた冗談を言おうとして――その口はかたりと音を立てて硬直した。
刺さっている。
聆牙の人間でいう顔に当たる部分に、物凄く刺さっているのだ。『は?』の一音の鏃に『羨ましいぞこら』の恨み言を弓弦にして、渾身の力を込めて聆牙の額めがけて睥睨が矢となって放たれている。
これって何だっけ。あ、アレだ。
「なに、不患ちゃん。妬いてんの?」
「燃すぞ」
殤不患の間髪入れぬ一言に、やだもーこの人本気じゃねーかと聆牙は空を仰いだ。ああ、おそら青くてきれい。人間がたまに上を向いている理由、なんとなくだが分かった。物理的に上を向いていかないと、漏れそうだ。なんか、こう、なんかだ。
一方の浪は、一人と一面のやり取りに小首を傾げている。どうせ、何をじゃれているのだろうとか思っているのだろう。原因はお前だ相棒。
「なあ浪、殤にもやってやれよ。おでこにちゅー」
だんだん投げやりな気持ちになってきた聆牙は、ここはひとつ平等の精神でいってくれやと願いを込めて言う。情操面が色々と未熟な相棒のことだ、きっと生真面目に頷いて殤の額にも口づけを落とすものだと思っていた。だが。
「……殤は、駄目だ」
その言葉だけだったら、殤の睥睨は矢から断頭用の鉈に変わっていたことであろう。だがそこに頬を甘く色づきはじめた苹果のように赤らめ、未踏の泉めいた瞳に恥じらいを沈めながら伏せるという仕草を加えれば、俄然意味が変わってくる。
そして殤不患という男は、情というものを理解する男だ。相棒の分かりづらい機微もつぶさに解し、そして余さず受け止めた。
「あー……駄目ならしょうがねえな」
それだけ言って浪の背を軽く叩く殤の相貌は、聆牙に手があったら間違いなくぶん殴っているほどの清々しい笑顔であった。
聆牙は思った。これって確か当て馬とかいうやつではなかろうか、と。だが自分は琵琶だ。ならば当て琵琶がふさわしい表現だろうか。ちくしょうふざけんな。
ああ、青い空が心底むかつく。
終