家出息子たちの帰還.66.
───病に苦しむだけではない。霊魂が抜けだし、空になった肉体は日頃の本人とかけ離れた行動をする。行動を律していた霊魂が抜け出すと病は治る兆しを見せず生気が抜け、無気力になることが多い。そこに悪霊が取り憑くと本人だけでなく、周りに死や不幸をもたらす存在になってしまうのだと言う。その場合、巫者は悪霊を祓い、見つけた魂を本人の身体に戻さねばならない───
出席が義務付けられている礼拝が終わり、学生たちはそれぞれに次の教室へ向かおうとしている。そんな大聖堂の中にクロードのくしゃみの音が響いた。顔を咄嗟に肘の内側に当てていたがそれでも完全に音を殺すのは難しい。《寒がり、寒がり、襟巻きで首を絞められるのが怖いのさ》ディミトリの頭に響く声がクロードを小馬鹿にする。夜な夜な修道院の敷地内を彷徨くクロードはディミトリが部屋にいないことを知っているが、沈黙を守っていた。
「行儀が悪い。今が礼拝中でなくて良かったな」
ローレンツがそっと囁き、左肩の上へ伸ばされたクロードの手に手巾を渡す。彼が実は親切なことを知る学生は割と多い。
「すまんな」
クロードが渡された手巾で鼻と口を押さえながら謝罪した。ドゥドゥーが興味深そうに彼らのやり取りを見ている。レスター諸侯同盟は君主を戴かない国だ。だからクロードは従者なしで士官学校に入学している。隣席に座るローレンツは単なる学友であって家臣や部下ではない。
「やはり山の夜は寒いか?」
「正直言って甘く見てたな」
「クロード、体調不良なところ申し訳ないが少し時間をくれ」
「内密な話がしたいのであれば失礼する」
ディミトリの言葉を聞いたローレンツが足早に去ろうとした。
「いや、そんな仰々しい話ではない。先生から課題協力の話はあったか?」
クロードは英雄の遺産に対する興味を隠さない。政治に疎いベレトは単純にそれなら肉眼で見られる機会を与えたい、と思っているようだ。しかしディミトリとしてはこれ以上ゴーティエ家のものを好奇の目に晒したくない。
「断った。だが、本音を言えば……」
言葉を続けようとしたところでローレンツの大きな手がクロードの口を塞ぐ。
「クロードは今節、円卓会議に出席するのだ。だから安心してくれたまえ」
「俺だってシルヴァンに同情してるのに……」
掌越しに聞こえてくる言葉は順当なものに変換されていた。こんな風に互いが補完しあうことを期待して、彼らは同学年にされたのかもしれない。ディミトリはまともな大人が国の舵取りをしている同盟が少し羨ましかった。
ローレンツは帝国と接するグロスタール家の嫡子だがシルヴァンとも親しい。女子学生からの評判は散々だったが、ローレンツは社交的でフェルディナントとも親しい。散々揶揄っているがクロードも彼の真っすぐさを好ましく思う。
結局、課題協力はローレンツがすることとなり、クロードもそれが正しい人選だと思ってガルグ=マクを発った。自重できた、と見做されているが兄弟の殺し合いに何を思うのか自分でも予想できないから、という方が正しい。
円卓会議で散々大人たちにやり込められたクロードがガルグ=マクに戻るといつも溌剌としているローレンツがひどく塞ぎ込んでいた。隠そうとしているがふとした拍子に浮かべる表情がどこか暗い。
揶揄する気になれなかったクロードは彼を招くため寝台の上から机と椅子の上に物を移動させ、座る空間と卓を置く空間を確保した。杯とデアドラで買った酒を寝台脇の卓に置く。長い夜になるかもしれないと思って洋燈に灯り油も足してある。
寝台で隣に腰掛ける寝巻き姿の彼は杯に口を付けるなり、恐ろしい───と呟いた。マイクランの件に関しては箝口令が敷かれている。だが人の口に戸は立てられない。
「一体、何があったんだ?」
ローレンツは言葉を選びながら黒風の塔で何があったのか、教会がどんな沙汰を下したのか、を説明してくれた。
「グロスタール家に、教会からそんな説明を受けた記録は存在しない」
勿論リーガン家にも伝わっていない。だが、セイロス教徒にとって無謬である中央教会の迅速な反応から察するに───危険性について、かなり昔から把握している。
「ローレンツ、俺がお前の代わりに言うから」
クロードは思わず白い手を取ってしまった。ガルグ=マクに戻っても緊張が解けていないのだろう。彼の指先は冷え切っていて唇は震えている。千年近い信頼を蔑ろにされたのだ。我がことではないというのに何だか無性に腹が立つ。
「僕から言葉を取り上げないでくれたまえ」
「いいや、俺が言う。武器だぞ?!命の奪い合いの時に使うんだぜ?中央教会は不誠実だ」
切れ長な目の縁に涙が溜まっているが本人は絶対に認めないだろう。言わせてしまったという後悔の涙なのか同意を得られた安堵の涙なのか、を確かめるには味をみるしかない。