家出息子たちの帰還.9───鉄鍛治職人の道具に生贄の雄山羊を捧げる儀式を執り行うのは精霊や神と交流する力を持つ巫者だ。金槌や大槌などの鉄鍛治道具はそれぞれに神が宿っている。巫者はそれらの神々の名前を巧みに取り入れた祈祷歌を歌いながら順番に祈りを捧げていく。(中略)ダスカーの悲劇の後、ファーガス本土からの入植者たちはダスカー人の鉄鍛治小屋の建造を制限した。生活必需品である農機具の数を管理することによって支配力を強化し───
疫病、と聞いてシルヴァンの胸は再びざわついた。疫病が蔓延していなかったらシルヴァンはこの世に生まれていない。疫病が蔓延したからシルヴァンの父は身重であった前妻を北方に避難させた。そこで彼女が命を落としたからシルヴァンの母はゴーティエ家に後添えとして入っている。
だが漏れ聞こえてくる話が刻一刻と変わっていく。そのうち呪いではないか、という意見が優勢となった。荒事なら何の心配もないが疫病も呪いも殴ることはできない。たが青獅子の学級には今節もセイロス騎士団の補助をせよ、という課題と護符が与えられた。
通常なら目的地に到着する前に装備の確認をする。だがルミール村が近づくにつれて煙の匂いや騒ぎ声が増してきた。シルヴァンと馬首を並べているローレンツが手綱を短く持ち、馬を慰めるように首をそっと撫でている。一刻も早く村に入って現状を確認せねばならない。
村の中は想像よりはるかにひどい有様で暴れる村人を無力化するだけでも一苦労だった。可能な限り村人を助けたつもりだが、それでも無力感はこちらを打ちのめしてくる。中央教会の内部におかしな術を使う輩が入り込んでいることも判明して気が休まらない。それに加えてシルヴァンはフェリクスが何故ディミトリに対してああいう態度を取るのか理解してしまった。身に秘めた激情が苛烈すぎる。
「シルヴァン、先ほどからため息ばかりだな。気持ちはわかるが」
「流石の俺でも言葉が出てこない」
馬首を並べているローレンツの声にもいつものような張りがない。空元気を出しそびれているようだった。
「……無理にでも話さなくては駄目だ」
「言えるようなことは何もないさ」
「ため息しかつかなくなった僕のねえやはその後、程なくして自ら命を絶った」
口を閉ざす理由はいくらでも思いつく。だがそれらは助言をはねつける理由にならない。
「それは……残念だったな」
「それで済まされたくないなら誰かと話すべきだ。皆シルヴァンの話を聞きたいはずだ」
そう言うとローレンツは馬首を翻し、少し遅れて青獅子の学級に入ってきたラファエルがいる後方に向かってしまった。きっと彼の話を聞くのだろう。
ガルグ=マクに戻ったローレンツは出迎えてくれたクロードの表情を見て、今の自分がどんな顔をしているのか察した。誤魔化すように挨拶しながら手櫛で髪を整えてみたが効果はたかが知れている。コナン塔の時は寄る辺のない不安と恐怖のせいで息が苦しかった。今は無力感と疑念で腹の内がかき混ぜられたような気分になっている。
「疲れてるところ悪いがちょっと来てくれるか?」
そっと耳打ちした声が穏やかだったことが今のローレンツにはありがたかった。リーガン家の嫡子であるクロードは近い将来、レスター諸侯同盟の盟主になる。だから彼はルミール村を襲った悲劇、そしてゴドフロア卿一家とラファエルの両親を襲った悲劇の詳細を知らねばならない。
入浴を済ませて訪れたクロードの部屋は手伝いなしにしては、という但し書きつきだがそれでも片付けてあった。寝台の脇にはいつものように椅子と小さな卓が用意してある。ローレンツが促されるままに寝台に座るとクロードは椅子に座って足を組んだ。緑色の瞳に爪先からてっぺんまで観察される。
「何か話すにしても一杯やってからの方が良さそうだ」
「残念だが素面のうちに伝えねばならないことがある。茶化さずに聞きたまえ」
トマシュの件を酒や見間違いのせいにするわけにいかない。ローレンツは人の外見や声を盗んだ輩について見た通りに語った。クロードはトマシュに懐いていたので衝撃だったのだろう。言葉を失っていた。
「グロスタール家の家臣が一人行方不明になっている。彼は姿を消す前に傭兵団を雇ってグロスタール領とリーガン領を行き来する商人を襲うように命令した」
「だから俺が嫡子に……」
リーガン公がクロードを引っ張り出すきっかけとなった事件にグロスタール家が利用されている。ローレンツはそのことがひどく腹立たしい。
「当然、父はそのような命令など出していない。その家臣は行方不明になる前、ある時から人が変わったような言動が目立った」
そして恋人の変化に絶望したねえやは自ら命を絶った。最悪に最悪が重なったのだろう。ローレンツはこの後、村人がどんな目にあったのかも伝えねばらない。