家出息子たちの帰還.21───ダスカーでは布で死者の人形を作る。誰もが皆死後に人形を作ってもらえるわけではない。誰の人形を作るべきか、は巫者が決める。人形の目は鉛か硝子玉で作られることが多い。これらの人形は晴れ着を着せられ供物を供えられる。(中略)有害な死者は夜に外を徘徊する。供物は供えられず、隻眼だという。動物に変身しても片目のままだ。勘の良いものは悪臭や物音で気付くがその姿は巫者以外には見えない───
ギュスタヴとロドリグが深刻そうに話している。だがミルディン大橋が確保できたディミトリにとって瑣末なことだった。大軍がいてもディミトリがするべきことは変わらない。《そうだ、穴を穿て!》〔分かった、槍を突き刺してやる〕ディミトリにとって世界は単純だった。仇討ちに協力するものと妨害するものしか存在しない。くっきりと鮮やかな世界に死者の声が響き渡る。《他人の力など借りるな!》〔勿論、己の手でやり遂げるさ〕鼻の奥から血の匂いがした。ディミトリを守って、背中から切られたグレンが吐いた血の味を忘れてはならない。
クロードの元へ送り出した使者はディミトリの伯父であるリュファスと同じく無惨な姿で発見された。おそらく魔獣に甚振られたのだろう。帝国か公国の仕業であることは明白だった。だがそんなことを指摘しても意味がない。
「……同盟の助けなど、端から期待していなかった。立ち塞がる者は、まとめて轢き潰すまでだ」
斥候の報告通りクロードも帝国に向けて進軍しているならば彼らに追い付かれる前にエーデルガルトの首を捻じ切るしかない。他のものたちと違ってディミトリは霧の中でもどこへ向かえばいいのかはっきりと分かる。
グロンダーズ平原は怒号と悲鳴で覆い尽くされた。《目玉に指を突き刺せ!》《そんな暇があるならあの騎士の足を折ってやれ!》〔あの女はどこだ?〕土は血に染まり死者たちは興奮のあまり口論をしている。《丘の向こうだ!早くあの女の首を!さあ!》ここ数年、これほど軽やかにディミトリの足が動くことはなかった。ドゥドゥーが共にある今、後ろも左右も気にかける必要がない。
何も語らずともドゥドゥーが言いたいことは分かる。彼のためにもディミトリは本懐を遂げなくてはならない。血に染まれば染まるほどアラドヴァルも手に馴染んでいく。
「胸を抉るか、首を折るか、頭を潰すか……死に方は選ばせてやる……」
グレンの血の味を忘れてしまうことだけが残念だった。
ローレンツはグロスタール家の嫡子として立派に務めを果たした。グロスタール家が親帝国派筆頭といえども嫡子の身柄を王国軍に押さえられてしまっては帝国に従うことは出来ない。
「信頼とは双方が滞りなく義務を果たすことによって成立するのだ。倅はそれを理解している。盟主殿と違ってな」
フォドラは臆病者の国、レスター諸侯同盟は欲の皮が突っ張った貴族の集まり、と言われる。実際に飛び込んでみればとんでもなく見当違いな評価だった。彼らには自分の命より大切なものがある。
「とりあえずグロスタール家が賭けに勝ったことを讃えさせてくれ」
リーガン家とグロスタール家の和平の場で今後の方針が速やかに話し合われた。諸侯たちはディミトリの正気を疑っている。クロードは王国軍がミルディン大橋を素通りできるように取り計らってやったが何かの陽動ではなく本気だったらしい。
、確かに君主としてあるまじき行動だ。アネットたちが望んでいるとは思えない。ミルディン大橋から帝国へ進軍しようとしている王国軍にはこちらも帝国を侵攻する、と伝えたが真の目的は違う。
無謀な作戦で王国軍が敗れた場合、帝国軍はそのまま雪崩を打って同盟領を侵攻するだろう。もう二正面作戦にはならないからだ。
ディミトリは正気を失っていて全く会話が成立しない。大将首だけ取れば良い、というのは子供が考える屁理屈のはずだった。だが寡兵であるはずの王国軍は脇目も振らず、巨大な矢印のようにエーデルガルトへ向かって直進している。
そのおかげで今回の作戦を手伝ってくれた学友たちを死なせずに済んだがクロード自身は傷を負った。それでも敗軍の将として整然と自軍を撤退させねばならない。飛竜の手綱を少し引いただけで胸に激痛が走った。救いがあるとすればベレトと接触できたことだろうか。彼は三つ巴となってしまった乱戦の中、同盟軍とは戦う気がなく───無謀な突撃をしているディミトリを守るため追いかけていった。
彼の献身がディミトリに通じると良い。もし通じなかったら王国軍は近いうちに帝国という薬研の中ですり潰されてしまうだろう。
マリアンヌは明日には船団を率いてエドマンド領に戻らねばならない。その前にクロードやヒルダと話せたことは幸運だった。彼らが二人とも生き延びていることは本当に喜ばしい。
「私も行くべきだったのでしょうか?」
デアドラにあるゴネリル家の上屋敷で、ヒルダは笑って首を横に振った。三つ巴の戦いは辛うじて王国が勝利した、と言えるのかもしれない。だが王国軍の陣地では予想外の不幸があり、どの陣営も今は本国に兵を退いた。それでも近いうちに必ず帝国は同盟領へ軍を進めるだろう、とマリアンヌの義父エドマンド辺境伯は予想している。
「優しいマリアンヌちゃんには向いてないと思うよ。勿論、私にも向いてなかった」
ヒルダはそっと卓上に茶器を置いた。冗談めかしているが鬼神の如き強さだった、とクロードから聞いている。治癒魔法で強引に傷を治したせいかヒルダの顔はまだ少し青い。血が足りていないのだ。茶菓子よりラファエルのように肉を食べるべきかもしれない。
「一度……ゴネリルに戻られてはいかがでしょうか?」
誰か一人しか助けられないとしたらマリアンヌの答えは決まっていた。世間は広いのだから一人くらいそういう選択をするものがいてもいいだろう。そもそもマリアンヌにはこの件に関して権限がないので単なる戯れだ。
「マリアンヌちゃん、私より私のこと大切にしてくれてありがとう」
ローレンツと同じく、彼女も責務を果たすために命を賭けようとしている。今は王都に向かったというディミトリも最初から同じことができたはずだった。だが長年、死に魅入られていたマリアンヌには彼を責める資格はない。消えてしまえと言う声は今も甘く誘ってくる。だがそれは真の献身ではない。
「申し訳ありません。クロードさんに頼まれた物資は必ず、期限までにデアドラに届けますので」
「うん、頼りにしてるね!それとあんまり思い詰めないで欲しいな。上手く言えないけど私今、すごく楽しいの」
これから再び死地に赴く友人がこちらを気遣っている。その思いやりに応えるためマリアンヌは無理やり笑顔を作り、デアドラ港に戻った。まだ自分にはヒルダのためにできることがある。これが楽しい、と言うことなのかもしれない。