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    「説明できない」27.逃避行・上
    赤クロ青ロレの話です。

    27.逃避行・上
     五年前と同じ光景がクロードの目の前で繰り広げられていた。リーガン家に入った時に適当に読んだだけの聖典に白きものが登場する。その白きもの、がどこからともなく現れ火を吹いて帝国の兵士たちを黒焦げにして建物を倒壊させていた。あれは断じて飛竜などではない。白きもの、としか言いようがない。

     槍を振るっていたディミトリも呆然として見ていたからフォドラの者にとっても見たことがないものなのだろう。白きものは魔獣に集られながらも必死で帝国軍と修道院の間に立ちはだかっている。あれが足止めしてくれている間にクロードたちは集合地点へ行かねばならない。

    「ディミトリ!投げてくれ!!」

     クロードが投げてよこした筒をディミトリは取り落とさず受け取った。事前の打ち合わせ通り靴の裏で思いっきり擦って点火する。ディミトリが紋章由来の怪力に任せて遠投するとクロードが作った彩光弾が空中で爆発し緑色の煙が空に広がった。

     空に広がる緑の煙を目視した学生たちは一斉に戦闘を放棄し二手に分かれた。片方はアミッド大河を目指して山を駆け降り片方は雪深い山中にある林に向けて駆け上がっていく。デアドラやアンヴァルはそろそろ春を迎えようかという時期だが標高の高いガルグ=マクはまだ寒い。そこから着の身着のまま更に雪深い山へ入っていくのだから追撃する帝国軍からしてみれば正気の沙汰ではないだろう。

     だがクロードたちは山中に点在する狩猟小屋や炭焼き小屋近辺に物資を隠してある。人工物が何一つない自然の中で人間が過ごすには衣食住にまつわるものを全て持ち込まねばならない。クロードの立てた計画通りに数十人分の防寒具、食料そして医薬品や天幕を荷橇に積んで密かに何往復もして運んでくれたのは怪力の持ち主であるディミトリと彼の従者ドゥドゥそれにラファエルだった。食にあまり興味がないディミトリや我慢強いドゥドゥはともかくラファエルには道中たくさん食べさせてやらねばならないだろう。

     柔らかい雪の上を命からがら駆け上って行ったので足跡から追跡するのは容易な筈だが雪山に慣れていない帝国軍の兵士たちは一度引き上げていった。追跡するにしても装備を整えるべきと判断したのだろう。ここからは天候と追いかけてくる帝国軍と三つ巴の駆け引きになる。クロードは集合地点で干し肉を齧りながら回復魔法の順番待ちをしていた。

    「犬に血の匂いを辿られたら大変だわ〜」

     エーデルガルトが戦場に犬を連れてきているかどうかは分からないが警戒するに越したことはない。メルセデスとマリアンヌが先程の戦闘で負傷した学生たちに回復魔法をかけて回っている。激しい戦闘だったがこの時点で誰も戦死していないのは喜ばしいことだ。

    「だが熊は歓迎だな」

     ディミトリがぽつりと呟くとイングリットの顔が輝いた。何故か嬉しそうに槍を抱き締めている。

    「イングリット、それは猪にやらせろ」

     フェリクスがため息をついたあとで呆れたように呟いた。珍しく舌打ちではない。クロードは食べなかったが士官学校の食堂にもダスカーベアの料理があった。熊自体はファーガスの者にとって親しみのある食材なのだろう。熊の肝ならばクロードにも親しみがあるものだ。薬の材料としてパルミラにも入ってくる。

    「なあ、フェリクス。話が見えないんだが」
    「熊は魔法で仕留めると味が落ちるし毛皮が傷む。皮が硬いから弓矢は弾いてしまうし手槍の投擲でもとどめが刺せない。痛がって暴れるだけだ。剣は長さが足りない。つまり槍で仕留めるしかない」

     嫌な予感がする。クロードは息を止めながらフェリクスの言葉に耳を傾けた。

    「誘き寄せて勢いよく覆い被さってきたところに槍を構えて熊の自重で突き刺すんだ」
    「罠使わないのか?!」
    「罠を壊しちゃうのよね〜イングリットだと潰されちゃいそうで心配だわ〜」

     フェリクスの言葉に相槌を打ちながらメルセデスがクロードに回復魔法をかける。クロードの故郷であるパルミラの首都近辺に熊はいない。いるのは獅子や豹だ。あれらも人を食うが罠にかけることが可能だし大きな弩があれば仕留められる。

    「だがあの猪なら手槍で仕留められる。イングリットが危険な目に遭う必要がない」

     クロードはフェリクスの解説に礼を言うと干し肉を飲み込んだ。確かに熊には是非とも出没してほしい。熊の肝や脂は薬や防寒に役立つ。アッシュやアネットなど街中出身の者たちですらレスター出身者より遥かに寒さに強いが冬の山に慣れているのはシルヴァン、フェリクス、イングリットだ。シルヴァンとイングリットが天幕を立てている。ここは単なる集合場所で更に上った所で野営する筈なのだが何をしているのだろうかとレスター出身者たちが不思議に思っているとメルセデスが手を叩いた。

    「女子のみんな〜天幕の中に入って一度全身の汗をきちんと拭き取ってちょうだい。この先もっと高いところに登ると服に染み込んだ汗が凍ってしまうのよ〜」

     怠ると凍死してしまうわ〜、と間延びしたメルセデスの声が響く。シルヴァンが男どもは今この場で脱いで拭け、と告げた。クロードたちはその場で服や靴を脱いで汗を拭くことになった。レスター出身者の男子学生たちが冬山の過酷さに慄いている。ローレンツはどうだろうかとクロードは視線を向けた。常々抱いている印象通り彼は躊躇せずに上着や肌着を脱いで汗を拭っている。寒いせいか先日同衾した際に声が抑えられないほどクロードがしつこく触った場所が目立つ。薄く色づいた箇所が肌着で擦れた時に快感を拾うことはないのだろうか、とクロードが場違いなことを考えているとディミトリが肩を叩いた。どうやら手が止まっていたらしい。クロードも皆に倣って慌てて服を脱ぎ褐色の背中を伝う汗を拭った。寒さのあまり鳥肌がたってしまうが身につけている服が凍るのは避けたい。

    「山の寒さが山登りの暑さで相殺されるように服を重ねて着て山を登るのが望ましい」

     ディミトリの説明を聞いたものの暑さには強いが寒さには弱いクロードは肌着を減らさなかった。シルヴァンたちは靴を脱いで足の指の汗をしっかり拭っている。指の数を減らしたくなければ真似をした方が良さそうだった。

     クロードが靴を履いていると天幕の中から女子たちが出てきた。マリアンヌの帽子の被り方がまずかったらしく早速アネットに直されている。全員の支度が整ったのを確認したディミトリがレオニーやフェリクスとこの先の狩猟小屋、炭焼き小屋の確認をしていた。狩猟番の娘で山に慣れているレオニーこそ最後の最後までクロードたちに付いてきて欲しいのだが彼女の故郷であるサウィン村がガルグ=マクから最も近い目的地だ。サウィン村の村人が使う山中の狩猟小屋か炭焼き小屋から彼女はもう下山が出来る。

    「白樺に赤い布が巻いてあるんだ」
    「頂上から下山する道にも巻いてあるか?」

     レオニーは眉間に皺を寄せて考え込んだ。小屋に向けて山を上る道すがらには確実に目印の布が巻いてあるが更に高いところから狩猟小屋、炭焼き小屋に向けて下りてくる場合のことをディミトリたちから問われている。

    「元々道に迷ったときの目印だから小屋を中心にぐるっと巻いてあるよ。雪に埋もれてないといいな」

     そこから先は狩人たちの作った道を方角を見ながら稜線に向けて進んでいくしかない。稜線に到着すればあとはひたすら北上しレスターの者たちはダフネル領に入ったら東を向いて下山、ファーガスの者たちはもう少し北上しガラテア領に入ったら西を向いて下山するという手筈になっていた。

    「追いつかれる前に行くぞ。皆、靴に橇(かんじき)を付けろ。ドゥドゥ、シルヴァン、フェリクス、俺も確認するからお前たちも皆の足元を見てくれ」

     士官学校は野営の訓練をするがそもそも雪の季節に戦争などしない。物資は運べずただ外に立っているだけで消耗する時期に行軍するなど狂気の沙汰だ。戦史を紐解けば三日月戦争の際に山を越えた例はあるらしいが三国の均衡が保たれていた直近の五十年では例がない。故に雪山に慣れていないレスターの者たちは橇を靴につけた経験がない。ディミトリが率先して地面に膝をつき皆の足元を確認した。橇は木の枝を輪になるように曲げてそこに滑り止めの木の爪がつけてあるものだ。木の爪の向きにも意味があり逆さに装着しては意味がない。

    「王子様、すまないな」

     恐縮する金鹿の学級の者たちを雰囲気を和やかにするためわざとクロードはディミトリを揶揄った。

    「自然の前に身分の高い低いは関係ないさ」

     膝の上にクロードの足を乗せ橇の紐を結び直すディミトリの口から出た言葉は本心のようだった。祖父のオズワルド以外は誰も知らぬことだがクロードも故郷に帰れば王子と呼ばれる身の上だ。クロード、いやカリードの異母兄弟たちは砂漠に慣れない者たちのため地面に膝をつけるだろうか。五年前の自分がディミトリのこういう面を知っていたらどう行動しただろうか。皆の支度が整った、とシルヴァンが報告するとディミトリは静かに行こうか、とだけ言った。

     山の道は狭いので隊列がどうしても縦に伸びていく。先頭を歩き方角を決めるディミトリ、フェリクス、レオニーのすぐ後ろに天幕などの資材を積んだ荷橇を引くドゥドゥとラファエルが続き後衛はシルヴァン、クロード、ローレンツが務めることになった。帝国軍の追手がやってきたら弓か魔法で足止めする役目なので先行するディミトリたちに置いて行かれないように歩く速度を調整するためシルヴァンも後衛を務めている。

     皆、無言で帝国軍との距離を稼ぎ始めた。アンナが手に入れてくれた橇はよく出来ていて木の枠があるお陰で足が雪に沈み込まない。クロードは自分が水面に浮いて動く虫になったような気がした。少し歩き慣れてきたクロードが後ろを振り向くと雪の白と木々の黒に近い緑と空の青以外の色が視界から消える。林を抜け更に標高が高いところへ行けば空と雪しか目に入らなくなるだろう。

     人工物から隔絶され先行する仲間が雪を踏む音と彼らの息遣いのみが響く静かな雪山の中でクロードは己が異物であると強く感じた。鼻と口から入り込む空気は冷たく身体のうちに取り込んでもまだ自己主張をしてくる。耳を凍傷から守るため毛皮の帽子をかぶっていたが襟巻きを引き上げ鼻から下を覆って守ることにした。先行するディミトリたちから千切れないように歩くことだけを意識していたせいか間隔がどんどん詰まっていく。

    「おかしいな、前の方で何かあったのかもしれない」

     ついに列が詰まりきってしまったのでシルヴァンが確かめに行こうとした時、前方から鹿だ、という声が聞こえてきた。

    「シルヴァン、僕からはよく見えないがイグナーツくんかアッシュくんが仕留めたのだろうか?」
    「いや、鹿からすればこれは異常事態だから俺たちに近寄るはずがない。足跡が見つかったんだろう」

     付近の木の皮は丁度鹿の頭の辺りの高さから下が食べられている。一頭でこれほど食べるとは思えないのでこの林の中には何頭かの鹿が群れをなして住んでいる可能性が高い。

    「どの方角に逃げたんだろう?北ならいいんだが」

     クロードがそう言うとシルヴァンもローレンツも笑った。これから更に北上するので新鮮な食材が帯同してくれるとありがたい。冗談が言えるくらいこの地点で休んでしまうのはまずいと気づいたシルヴァンが首を伸ばし前方の様子を伺った。

    「早く進まないとこの話し声を聞きつけられちまう」
    「そんなにすぐ支度が整うもんなのか??」
    「アドラステアにも山岳地帯はある。慣れた者を連れてきているはずだ」

     ローレンツの言葉を聞いたクロードは脳裏にフォドラの地図を浮かべため息をついた。ローレンツの言う通りだった。手練の者が考えることを自分が予想できるだろうか?力任せに襲おうとしても林の中では槍が振るえない。剣を片手に駆け寄ろうとしてもすぐに感づかれてしまうので遠くから狙える弓矢か魔法で攻撃してくるだろう。火矢を射掛けて背囊を燃やすかもしれない。物資がなければ縦走など出来ないからだ。はぐれて死ぬのもはぐれて捕まるのも避けねばならない。

     矢羽が空を切る音がしてクロードは自分の予想が当たったことを知った。木に刺さった矢が燃えている。油を含ませてあるのか飛んできた勢いをもってしても火は消えなかった。

    「シルヴァン!前方に連絡してイグナーツとアネットを連れてきてくれ!」

     クロードを守るために残ったローレンツが腕を伸ばし木に刺さった矢を引き抜いて雪に刺し火を消した。ジュッと短く鈍い音を立ててすんなり消えたところをみると呪術や魔法の類で強化されていないらしい。

     木陰から射手のいるであろう方角を駆けつけてくれたアネットたちと探ってみたが騒ぎのついでに移動したようだ。

    「困ったなあ、これ二射目がないとどうしようもないかも」

     シルヴァンに連れてこられたアネットはさりげなく物騒なことを呟いた。

    「仕方ない。俺が囮になる」

     クロードの言葉を聞いたローレンツの眉間に皺が寄る。

    「クロード、馬鹿なことを言うな!ディミトリくんと君を無事に帰すために縦走していると言っても過言ではないのだぞ?」
    「お前らなら俺に刺さる前に矢を燃やせるだろ?で、方角を見定めたら俺かイグナーツのどっちかが射てばいい」

     えー私自信ないよ、とアネットがぼやいた。確かに彼女は魔法を発動させるのがほんの少しだけ遅い。イグナーツもローレンツと同じく危険だと言ったが最終的には折れクロードと共に遮るもののない場所に出てくれた。死角が生じないように背中を合わせて弓を構えている。再び矢羽が空を切る音がした。発射元に向かってローレンツがライナロックをアネットがエクスカリバーを放つと焦げた太い枝が何本も音を立てて雪の上に落ちた。

    「あれ?木の上から射られたと思ったのに違ったかな?」
    「僕もそう思ったのだが……。それとまた一方向からだけか」
    「斥候だけなのかもしれません」

     木陰に隠れているローレンツたちにイグナーツが話しかけた。確かに本気で全員殺すか捕まえる気でいるならば大人数で山狩りをする筈だ。火矢も二方向と言わず何方向からも射つだろう。イグナーツの指摘は正しい。エーデルガルトは後顧の憂いを断つ為に初回の野営訓練でクロードたちのことを本気で殺しにかかってきた。あの時、殺し損ねたことを後悔しているが並行して進めている作戦の方が遥かに大切なので兵を割くことが出来ない。

    「俺もそう思うよ。気の毒だが本陣に帰すわけにはいかないな!」
     
     クロードはそう叫ぶと火矢が飛んできた方向に向かって駆け出しローレンツたちのいる場所からはてんで見当違いに見える方角に向けて弓を構えた。その背中にリーガンの紋章が浮かんでいる。クロードの放った矢が飛んでいった先でどさりと何かが落ちる音がした。

     致命傷を与えられたかどうか確認する為そのまま走っていったクロードをイグナーツが必死で追いかけていく。手負いの敵に迂闊に近寄って反撃でもされたら厄介なことになる。クロードに追いついて検分を手伝ったイグナーツが両腕で大きな輪を作った。これで安心して北上が続けられる。

    「胡散臭い男だが本当に弓の腕は素晴らしい。そしてイグナーツくんは本当に気が利く」

     イグナーツの合図を見たシルヴァンも前方で待機しているディミトリたちに向かって腕で大きな輪を作った。大声を出すと雪崩が起きるかもしれないので身振り手振りで情報を伝えていく。安全を確認できたディミトリたちは容赦なく野営予定地に向かって歩みを進め始めた。

     クロードたちが目的地に到着した頃には既に先行していたものたちが天幕の設営をほとんど終えていた。イングリットとフェリクスが雪の塊を切り出して天幕の周りに積み木のように積み上げている。イングリットがクロードが不思議そうに眺めていることに気付いてくれた。

    「これは風除けです。クロードも覚えておくといいですよ」
    「なるほど確かにその辺にあるものを使うのが利口だな」

     イングリットは初日だから肩代わりしてくれただけで翌日は設営の頭数に入れるぞという圧力をクロードにかけている。天幕の入り口には靴を置いておく穴も掘ってあり至れり尽せりだった。

    「食事はあちらの大きな天幕でどうぞ」

     イングリットたちは先に食べたらしい。礼を言い中に入ると天幕の真ん中でドゥドゥとアッシュがファイアーの魔法を使って雪を溶かし麺を茹でている。その湯気が当たる位置に陣取るディミトリにクロードは手招きされた。真っ白な顔が雪で灼けて少し赤くなっている。ディミトリが持つ皿には刻んだ干し肉が振りかけられた麺が盛り付けられていた。

    「クロード、斥候は一人しかいなかったそうだな」
    「お陰で手間取らずに始末できたよ」

     エーデルガルトが自由に動かせる兵士の数が多いか少ないかについて議論しているとローレンツがクロードの分の食事を持ってきてくれた。

    「君が先に食べたまえ」
    「おう、ありがとな。あれお前それ……」
    「言っておくが美味しいものではないぞ」

     ローレンツは片手に木で出来た洋杯を持っている。その中には蒸留酒のお湯割りが入っているのだが油膜が張っていた。茹で汁で割ったのだろう。

     確かに野営の際は痕跡を残さないように、と習っている。残飯の様子でこちらの内情が敵に知られてしまうこともあるが士官学校の訓練や奉仕活動での出撃の際は調理に使ったお湯は辺りに捨てていた。だが斥候と遭遇したことにより皆、原則を守ろうと考えたらしい。クロードが周りを見回してみると他にも茹で汁に塩を足してスープにして飲んでいる者がいた。

    「でも身体が温まりそうだ。真似させてもらう」

     保証できるのは熱さだけだな、と言ってローレンツは自分の食事を取りに行った。

     食事を終え天幕の外に出てみれば信じられないほど美しい星空がクロードの頭上に広がっていた。早く寝泊まり用の天幕に入らねばならないのだが時を忘れて見入ってしまう。蒸留酒の茹で汁割りを飲んだ意味がなくなるまで星空を眺めたクロードはようやく割り当てられた天幕の中に入った。当たり前だが男女に分かれている。人に挟まれる真ん中が暖かいので先に場所を取られていたが何故か一番奥の隣だけ隙間が出来ていた。外気の影響を受けやすく寒い一番奥ではローレンツが袋状に釦で留めた毛布に包まっている。内側をクロードの為に取っておいてくれたのだろう。クロードも同じように細工してある毛布に包まってローレンツの隣に寝転がった。天幕の中の者たちは慣れない寒さの中を歩いてきて疲れたのかよく眠っているが疲れより寒さの方を強く感じているクロードは目を閉じてみるもののなかなか眠りにつくことができない。ごろごろと寝返りを打っているとローレンツにぶつかってしまった。白い瞼が薄く開く。

    「ん……?眠れないのか?」

     覚醒しきっていない時特有の柔らかい声でローレンツから話しかけられた。同衾している時の甘い声と同じくらい好きかもしれない。

    「寒くてな」

     クロードがそうこぼすと白い手が釦を外し始めたがそれが限界だったのか中途半端なところで動きが止まった。毛布の中に迎え入れてくれるつもりだったのだろうか。このままでは眠り続けるローレンツの身体が冷えてしまう、と思ったクロードは釦を留め直してやる為に彼ににじり寄った。真っ白な肌はディミトリと同じく雪で灼けて少し赤くなっている。何か塗っておかないと痛みを感じるかもしれない。

     クロードは上着の隠しから軟膏の容れ物を取り出した。薔薇が彼の好みなのは知っているが効能を第一にしたのでラヴァンドラで作ってある。手のひらに乗せて温めて溶かそうとしたが手が冷え切っているので軟膏をそのまま彼の頬の上に指の腹で伸ばした。筋肉の流れに沿って塗り込んでいくうちに痛いほど冷たかった褐色の指先が熱を取り戻していく。中途半端に残しておいても冷えて固まってしまうだけなので寒さで乾燥している唇にも塗ってやると指を迎え入れるかのように微かに開いた。

     ローレンツの正体を疑った晩の感覚が蘇って一気に身体全体が熱を持つ。この天幕の中には他にも男子学生がぎゅうぎゅうに詰まっている。そんな中でこれ以上あの時のことを思い出してはならない。我に返ったクロードは慌ててローレンツの毛布を直してやると自分も再び毛布に包まって必死に素数を数えて眠りについた。
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