一一八五年にベレトが現れると知っているのはクロードとローレンツだけだ。だが二人の記憶や知識は食い違いも多い。クロードの記憶では行方不明にならなかった大司教レアの行方はローレンツが言う通り行方不明のままだ。レアはローレンツの知るベレトや今やクロードしかその存在を知らないベレスを儀式に参加させそこから事態は急展開を遂げている。絶対に何か秘密があるのだ。レアを見つけて洗いざらい全て話せと言いたいところだがクロード自身も秘密を抱えている。
「心を開かねば信頼関係など築けない」
クロードと説明できない仲であるローレンツはこう語った。彼の素朴な言葉は重い。ローレンツはクロードの秘密を察したが暴こうとしなかったし誤魔化そうともしなかった。先に心を開いて語るのを待ってくれた彼にクロードはまだ話していないことがある。
襟巻きを巻いて竜舎に行くとクロードのことは何でも把握しているつもりのナデルが表の柵にクロードの愛竜を繋げて待ち構えていた。ナデルはパルミラ王である父のお気に入りで彼は生かして帰せたが彼の部下を無駄死にさせてしまったこともありクロードは彼に引け目を感じてしまっている。大柄な彼はその体つきに似合わず繊細な作業も得意でクロードが乗る飛竜の爪を磨いていた。
「まあ適当にやっておいてくれ」
「あまり長居しないことだ」
フォドラだけにかまけるなというナデルの言葉は正しい。かつてのクロードはフォドラに入れ込みすぎて命を落とした。
「この程度のことが出来ないなら宿願は果たせないさ」
「俺にはどうにも本気を出しているように感じねえなあ」
手入れをされて心地よいのか飛竜が嬉しそうに小さく鳴いている。クロードも柵に乗って手を伸ばし目脂を拭いてやった。
「弓を引き絞るのは寸前でないとただ腕が疲れるだけだ。とは言えいつでも打てるように準備しておく必要はある。首飾りに兵を集めてくれ」
「素通りの算段がついたのか?」
ローレンツが言う通り心を開かねば信頼関係など出来ない。自分より隠しごとが一つ少ないナデルが適任だろう。
「まあ、な。首飾りのホルスト卿に書状をお前が直接届けてくれ。その場で読ませて欲しい」
「それが卓上の鬼神の策か?」
まぁね、と言うとクロードはナデルに胸元から取り出した書状を渡し飛竜に飛び乗った。鞍に跨り高度を上げていくと眼下にデアドラの街が広がる。港には船がたくさん停泊していた。前回、パルミラ軍を引き入れる時は海路を使っている。ホルスト卿を説得するのが面倒だったからだ。市民の犠牲者は最小限に抑えたが市街地が戦場となった為デアドラの水路は赤く染まりクロードは命を落としている。空中は風除けになるものが何一つないので体は冷えるものだが今、クロードが震えたのは寒いからではない。失った物の大きさを知っているからだ。
クロードの飛竜は陽気で騎乗しているとその性格に救われることが多い。それでも鞍上の主が落ち込んでいれば気がついて影響を受けてしまう。せっかく気持ちよさそうにオグマ山脈に向かって飛んでいるので飛竜の為にも落ち込むわけにはいかない。
何度か休憩を挟みローレンツと心を通わせなかった過去の無責任な単独行と同じ早さでクロードは夜明け前のガルグ=マクに到着した。密偵の報告通り放置されているのがクロードには信じられない。何故エーデルガルトはここを利用していないのだろうか。
ガルグ=マクには呆然としているベレトがいて状況を説明すると彼はレアの身を案じた。見た目だけで言うならベレトは若造に分類されるはずだがその態度はレアに対するものであるにもかかわらず年長者のように見える。食事に誘うと健啖家の彼は無言で頷きクロードが用意していた干し魚とエールそれに麵麭は殆どがベレトの胃袋に収まった。五年間の記憶がないと知っても食欲を失わないベレトの頑強さは褒められるべきだろう。そしてベレトはクロードが約束の日の筈なのにまだ他の者が来ていない件について冗談を言うと我々に人徳がないから、と返してきた。五年間も行方不明になっていたのでは、ということらしい。だがクロードはベレトが知る由もないかつての失策について言及されたような気がして肝を冷やした。
「あんたはそこそこ慕われてただろ。てことは、級長だった俺のせいか?」
ベレトは避けられるような心当たりがあるのかという顔でクロードをじっと見ている。生粋のフォドラ貴族であるローレンツの言葉に耳を傾けなければ思い当たるところだらけの選択をした筈だ。頭のどこかにセイロス教徒を愚かな臆病者たちと見下す部分があったから戦場の霧に気付かずかつてのクロードは足元を掬われている。居た堪れなくなったクロードはベレトの追及を躱すために盗賊退治を持ちかけた。
心に立ち込める霧が晴れることを期待していたわけではない。だがその後の展開はあまりに出来すぎていてまるで大掛かりな歌劇のようだった。闇が一番深いのは夜明け前だと言う。その闇の四方から集まるかつての級友たちが徐々に訪れる夜明けの光のように眩しく思えてクロードは皆に気づかれないように涙を拭った。