真昼の月と花冠.3 一年間クロードたちに与えられるはずだった猶予は数節で終わってしまった。エーデルガルトが何を考えていたのかクロードには全くわからない。クロードが打った手のせいで本宅のあるエドギアどころか、自領にすら戻れなくなったローレンツは不本意ながらクロードと行動を共にしている。
クロードは最初、帝国軍の通行を妨害するためミルディン大橋を完全に破壊するつもりだった。橋の再建はどうしても北上したい帝国にやらせれば良い。シャハドは雪辱の機会を狙っているだろう。二正面作戦を避けるためにも南側にアミッド大河という蓋が欲しい。
円卓会議でそう発言すると四人の諸侯たちは全員強く反対した。そんなことをされるくらいなら、と言うわけでグロスタール伯もコーデリア伯も偽りの臣従作戦に参加している。何も知らないのはローレンツだけだ。
だが教えてやりたくとも息子には何一つ知らせないまま事態を進めること、それが破られるならこの企みに乗ることは不可能だ、とグロスタール伯エルヴィンから言われている。彼が親帝国派として積んできた実績なしにこの作戦は成功しない。
ゴネリル公は国境から動けずグロスタール伯とコーデリア伯は帝国に恭順している。円卓会議を開きたくとも自由に動けるのはエドマンド辺境伯とクロードだけだ。多忙なエドマンド辺境伯があまりデアドラに顔を出さないため、軍議や書類仕事に追われていてもある面では気楽に過ごしている。
「そろそろご婦人方は戻った方がいい」
窓の外を見たローレンツが皆の注目を集めるため手を叩いて言った。彼は身体も声も態度も手を叩く音も大きい。
「ローレンツ、一応ここは俺の屋敷なんだが」
だがローレンツが言う通り独身の男女が遅くまで一つ屋根の下にいるわけにいかない。教員たちに管理されていたガルグ=マクとは違うのだ。
「あぁ、もう日が暮れて……なんだか空がシェズさんやローレンツさんの瞳のよう……」
榛色の瞳が窓の外を見つめている。薄暮の空は紫に染まっていた。つられたレオニーやイグナーツが夕暮れを眺めている中、ローレンツはマリアンヌをじっと見つめている。
マリアンヌがローレンツを避けなくなったのはガルグ=マクにいた頃と違って彼が自重しているからだろう。学生の頃なら僕の名を最初に挙げてほしい、と嘆いたはずだ。
「私、デアドラでお買い物するのも好きだけど、ここの夕暮れも大好きなの」
ヒルダが指差す先には街の灯が広がっている。少し離れたところにあるのは灯台だろう。
「どこで見たって綺麗なもんだと思うが……」
「ローレンツくん、フェルディアもこんな感じ?」
「ああ、確かにフェルディアも街の灯と暮れる夕陽が引き立てあう」
王都育ちのクロードはガルグ=マクのように自然物が人の営為を圧倒する方が例外だと思っていた。
「なるほど、確かに街の灯が宝石をばら撒いたみたいだもんな」
だが皆の反応を見るに大都会こそが例外なのだ。この宝物を帝国に奪われるわけにはいかない。
ミルディン大橋を占拠した帝国軍はそのまま同盟領を北上していた。デアドラまで自由に移動できるようになったら海からダフネルやフラルダリウス領を攻め、挟み撃ちにする予定だったのだろう。沿岸部を抑えられた、となれば更に帝国になびく諸侯が増える。
戦わずに組み込むことのできる地域が増えればそれに越したことはない。だがレスター諸侯同盟にはレスター諸侯同盟なりの思惑がある。
「あの時の父上はエドギアに居ながらにして魔道学院にいた僕よりフェルディアの情勢を把握していた」
デアドラ防衛の成功して初めて今回の仕掛けについて明かされたローレンツはクロードを殴り倒しそうなほど怒っていた。だが今は冷静さを取り戻している。グロスタール伯は物資が帝国本土からミルディン大橋を経由して運ばれていく様子を監視していたのだ。そうすればレスターに攻め込んだ部隊がどこまでなら進軍可能なのか計算できる。エルヴィンはそれに加えて大橋を再び占拠するための部隊が派遣されなくなる、その時を我慢強く待っていた。罠に蓋をし終えたクロードたちは彼らを南へと追い立てていく。
「思えばフェルディナントも気の毒だよな」
「お父上が蟄居中だ。汚名を雪ごうと思ったのだろう」
ローレンツが薪にファイアーで火をつけた。前哨基地の夜は風を遮るものがないので冷え込むのだ。皆と共にマリアンヌが火にあたりながら、クロードとローレンツの会話を聞いて神妙な顔で頷いている。二人が言う通りフェルディナントは物資が乏しくなっていく中、敵の設定した経路を辿って撤退せねばならない。絶望的な行軍となれば脱走兵も出るだろう。
「あの……あまり彼らを追い詰めると野盗になりかねないので……」
地縁がない土地で生きていくためにそこまで身を落とす者が出ても不思議ではない。
「マリアンヌさんは実に冷静だ!」
ローレンツは素早くマリアンヌの方を向いて彼女を讃えた。勢いが強く大袈裟な態度を見てヒルダは笑いを噛み殺している。
「全滅させることが目的ではないのだから見誤るなよ、クロード」
マリアンヌを褒め終わるとローレンツは正反対の表情と声音でクロードに釘をさした。グロスタール家の者たちは百年間隣人とうまくやってきたのに何故こんなことになってしまったのだろうか。クロードですらそう感じた。
「早々にお帰りいただくだけさ。ローレンツも明日には自領だな」
現在クロードたちは帝国軍を追い立て南下している最中で、明日にはグロスタール領の北西部に入る。
「ああ、エドギアの館に皆を招けないのが残念だ」
「ローレンツくん優しいね〜!クロードくんのこともお家に入れてあげるの?」
しばらくの間、本当に険悪だったクロードたちをなんとか和解させるため戯けてくれたヒルダこそが真に優しいのだ。
「当然だとも。入れてやらねばクロードが父上に頭を下げるところが見られないからね」
「反省文も付けておくよ」
だからクロードもローレンツもヒルダの意を汲んで戯けるのだ。