有情たちの夜.2「箱の中」 もしフォドラにクロード=フォン=リーガンが現れなかったらレスター諸侯同盟はどうなっていただろうか。オズワルド公亡き後はエルヴィン=フリッツ=グロスタール伯が盟主の座に就いたはずだ。親帝国派の彼をどのように遇するか、で意見が割れたかもしれない。闇に蠢く者たちが彼に成り代わった可能性もあった。
その場合、彼の嫡子ローレンツはヒューベルトたちと同じ地獄を見ただろう。彼はクロードのもたらした混沌に救われている。そんなローレンツは───クロードを見極めねばならない─── そう言ってベレスの勧誘に対し、首を頑として振らなかった。不規則な彼女の意志は混沌を呼び、世界は撹拌され不規則な救いをもたらす。
目の前で口角を上げている緑の瞳の男が、金継ぎしやすい形で皿を割れたのはグロスタール家の協力があってこそだが、その協力も或いは───という気持ちになる。腹立たしいのが帝国の国庫を当てにしてデアドラの軍港を派手に壊したことだ。これから直接、王国と戦うには海上における補給路を確保せねばならない。黒鷲遊撃軍の中では比較的港湾経営に明るいフェルディナントにこの件を任せる必要があった。
「貴殿が士官学校に入学したのは何故でしょうか」
パルミラ王家での彼の立場について問うても無意味だ。ベレスが彼の命を救ってしまった以上、パルミラを親帝国の国家に作り変えるため今後はクロード、いや、ヒューベルトの目の前にいる名無しの殿下を後押しする他ない。
「祖父さんの狙いは人脈作りだが俺の狙いは謎解きさ。目当ては英雄の遺産だったがいざ中で暮らしてみると不自然過ぎてな」
ヒューベルトは主君であるエーデルガルトと共に天帝の剣を入手し、中央教会とセイロス騎士団の内情を知るため士官学校の生徒となった。自分たちの学生生活の犠牲となったモニカへの罪悪感はいまだに消えない。だが正直言ってガルグ=マクで過ごした日々は案外楽しかったのだ。
黒衣の男には迷いがない。好奇心に負けるかと思ったが当ての外れたクロードは五年前、初めてガルグ=マクに足を踏み入れた時のことを思い出していた。隣室はローレンツで、彼の気直さに度肝を抜かれたことをまだ覚えている。
現在、クロードが捕えられているのはデアドラ近郊の砦だろう。砦を守るのは人だ、とローレンツから指摘されていたのにデアドラへ兵力を集中させるため放棄させてしまった。後日再会する機会を得られればきっととんでもない嫌味を言われるだろう。そのためにもこの尋問を早く終わらせる必要がある。
「何が貴殿に不信感を抱かせたのでしょう」
「全てだよ。敷地内では窓の数や柱の数が広さと合わないし、教会の配置もそうだ。軍の屯所を置きたいところに必ず教会がある」
隠し部屋だらけの王宮育ちであるクロードは真っ先に気がついた。アンヴァルにもフェルディアにも行ったことはないがディミトリも察していたのではないだろうか。その上で彼は別の調べ物をしていた。ディミトリが謎を解けたのかどうかクロードは知らない。
「それは騎士団を抱えているからではありませんか?」
ガルグ=マクを陥落させた側だと言うのにヒューベルトはしらを切った。網のように張り巡らされた教会の目を掻い潜り大軍を展開するのは相当骨が折れたに違いない。
「無謬気取りが気に食わないって理由で網を切り裂く側がそれを言うか?」
「貴殿こそ網ごと食らい尽くすおつもりだったのでは?」
クロードには自らの手でフォドラを統一するつもりがなかった。自分がフォドラ方面軍の将だったとしても鉱山があり豊かな南の土地は欲しいが寒くて貧しい北の土地は持て余してしまうだろう。商行為に制限を掛け、しばらく放置しておけば飢饉が起きて勝手に人口が減っていく。
それが分かっていても尚、エーデルガルトは軍を北に進めようとしている。彼女は一体、フォドラ北部に何を求めているのか。一方的に取り調べを受けるだけでは益がない。
「心外だな。こう見えても俺は美食家でね」
クロードは微笑みを浮かべた。手首を縛られ足首と腰が椅子に括り付けられていようと顔の筋肉だけは自分の思い通りに出来る。