有情たちの夜.8「枠の中6_7」 ヒューベルトは主君であるエーデルガルトの身の安全が脅かされること以外怖いものはない。中央教会も闇に蠢くものたちも強大な敵だが対処できる。いや、対処できるように手を打ってきた。
頭は心にそのように感じよという命令を出すが、心は理屈通りにいかない。無理やりねじ伏せた心は次第に何も感じなくなっていったが、近頃はその心に肉迫する者たちがいる。
工作のため主君に付き従って入学した士官学校時代の知己たちは皆、個性的で誰一人として重なるところがない。名前と姿を奪われたアランデル公やモニカのことを思えば、良くないことだとわかっていてもこの五年間ですっかり級友たちに情が湧いてしまった。一度緩んだ蓋はすぐ開いてしまう。だが、諦めにも似た予測を、予測より遥かに上をいくことで驚かされるのは嬉しいのだ。尋問の前にわざわざ時間を作ってヒューベルトを訪ねてくれたフェルディナントの言葉が脳裏に浮かぶ。彼の言う通りクロードのような人間を打ち解けさせる鍵は素直さや誠実さかもしれない。
「意外でした。その手のことは一括して否定にかかるたちかと」
「否定するにしても信仰するにしても全ては知ることから始まるもんだろ」
そう言ったあとクロードは失念していたことでも思い出したのか───あ、と一言だけ声を発すると黙ってしまった。彼は闇に蠢くものたちの行いが人の営為の範疇に収まるという。ルミール村や宮城で連中が何をしたのか知らないからそんな解釈が出来るのだ。
「敵を知らねばならないのは私とて承知しておりますよ」
苛立ちを隠さずそう伝えた。ヒューベルトは、いやヒューベルトたちは目を閉じて見ないふりが出来るような環境にいたことがない。誰かが痛めつけられているうちに必死で安全を確保せねばならなかった。それにそんなことをすれば処断した父と同じになってしまう。
「こっちは知識の扱い方がおかしいんだ。せっかく中央教会に宣戦布告したんだから固執してくれるなよ?」
ヒューベルトに共鳴したかのように緑の瞳にも苛立ちが浮かんだ。クロードはもう笑顔で感情を覆い隠していない。
人生には夜空と宝石が必要、とクロードが悟ったのは前髪が伸びて三つ編みを作れるようになった頃のこと、このままパルミラにいても宝石が手に入らないと悟ったのは初めて毒を盛られた時のことだった。
「何を仰りたいのやら……測りかねますな」
フォドラに住む者たちはセイロス教によって作り上げられた柔らかで強靱な繭に包まれてこの千年を過ごしている。そこにはどこまでも広がる夜空のような思索の広がりが存在しない。
「俺たちは中央教会を知っているが信じていない。だが〝知る〟と〝信じる〟の違いは何だ?」
「経験で信じない、と判断しました」
ヒューベルトの理性的な答えを聞き、クロードは眉を顰めた。やはり自由の何たるかを知らずに生きてきたエーデルガルトとヒューベルトには限界がある。
「その経験を以って誰よりも自分たちの方が上手くやれると〝信じた〟わけだ」
今度はヒューベルトが眉を顰める番だった。
「我々は現実逃避をしません」
ディミトリであればクロードの言葉に引っかからず、そのまま流すだろう。迷いのないヒューベルトの言葉を聞いたクロードはエーデルガルトかディミトリどちらかが死ぬまでこの戦争は終わらない、と悟った。
「中央教会は女神の不在が証明されることを許さなかったから学術に制限をかけたんだ。ヒューベルト、エーデルガルトはどこまでなら許容するんだ?」
例えば、レンズを縦に二枚並べて肉眼では見えない遠くを───夜空を眺めることを中央教会は禁忌としている。この手法を禁じられては肉眼では見えない小さな物体を観察することが出来ない。きっと女神が実存するか否かに関係がある分野なのだ。
「エーデルガルト様は人の世を取り戻すために立ち上がられたのです」
「答えになってないぜ」
この質問が敗軍の将であるクロードからレスターの民にあてた最後の贈り物になるかどうかはヒューベルトにかかっている。