有情たちの夜.9「枠の中7_7」 聖墓での誓いなど反故にしてやりたい。この距離で椅子に括り付けられたクロードにダークスパイクを直撃させてやったらどれだけ気分がいいだろうか。だがこれまでに嵩んだ戦費の件が絡んでいる。主君であるエーデルガルトがベレスの提案を受け入れたのはそういうことだ。ほぼ無傷の同盟領はともかく荒廃した王国を併合すれば復興費用がかかる。それをパルミラとの貿易で賄う算段がついて安堵できたことは否定できない。
ベレスが黒鷲遊撃軍に合流して以来───あと一押し何かあれば、一気に戦局を傾けられるのに───という主君エーデルガルトの口癖はすっかり鳴りを潜めていた。正直言ってヒューベルトにはベレスが何を考えいるのかさっぱり分からない。分からないがそれで構わないとも思っている。ヒューベルトにとってそんな存在は彼女しかいなかった。
水を取りに行った時のようにまた頭に袋を被せてやってもいいのだが、それもクロードの思惑通りのように感じてしまう。ヒューベルトは黒髪をかき上げると緑の瞳をまっすぐ見つめた。この瞳がベレスの行動以外の全てを見通しているとしても、帝国の勝利に変わりはない。
「今は戦時下ですので勝つために必要な制限はかけるでしょうな」
だが自分の返答は何とつまらないのだろう。中央教会を否定するなら終戦後すぐに可能な限り情報を公開し、技術にかけられた制限を取り払ってレアとの違いを打ち出す必要がある。覚悟はしているがやはりどうしても活版印刷が厄介だ。
ヒューベルトも元より情報戦に利用するつもりでいたが、闇に蠢くものたちが活版印刷を悪用しないわけがない。政策に関する的外れな意見はいざとなったら権力で押さえつけることは可能だが、それでは軋轢や遺恨が残る。
「英雄の遺産に関してはどうするんだ?何のために墓荒らしをしたんだ?」
クロードは追求の手を緩めない。戦闘終了後、武装解除をさせた時にクロードからはフェイルノートを、ヒルダからはフライクーゲルを取り上げているので気にかけて当然だった。
フォドラでは世界を作りたもうた女神の御業の詳細を知り、信仰を深めるために学問が存在する。セイロス教会がフォドラの知識を独占するための方便だ。情熱が都合の悪い真実に到達しそうになったら涜神行為だ、と言って阻止すれば良い。地理的な条件でセイロス教の教会は分裂しているが、この中央教会のやり方が激しい反発を呼んだのも分裂した理由の一つだろう。
「残念ながら中央教会の秘密保持は及第点だったようです」
ヒューベルトはもうクロードと話すつもりがないのか尋問を切り上げようとしている。しかしクロードは彼の常識に楔を打ち込めればそれで良かったので───馬鹿正直にパルミラの哲学者たちの間でも未だに〝知る〟と〝信じる〟はどちらが高度な状態であるか論争が続いていることを伝えていない。
「残念ながら、な。ヒューベルト、お前はこれまでも周囲を疑って来たんだろうが、今後の猜疑心はこれまでとは一味違うぜ」
ヒューベルトはこれまで己の全てが中央教会の者たちと異なると〝信じて〟いた。だが今後はその根拠を周囲に、何よりも己に知らしめねばならない。これがクロードが猜疑心の塊を自称する理由だ。
敵の逆張りをするだけなら敵と同じ輪に閉じ込められてしまう。〝知る〟ことは否定を伴うので己を蝕んでいく。そんな心苦しい毎日を送る者は自由な夜空と何があろうと砕けないほど硬く、色褪せずに輝きを放つ宝石のような何かを心に持たねばならない。
「受けて立ちましょう」
揺らぐ蝋燭の灯りに照らされるヒューベルトは心に宝石を持っているのだろうか。
幼い頃に願った、全てを帳消しにするような奇跡は結局、今に至るまでクロードの身には起きなかった。故に絶対という言葉や奇跡の実現をクロードが〝信じる〟ことはない。それでも人生にはそんな言葉を必要とする局面がある。
───クロード、君の追悼文はこの僕が書いてやる。だが、それは遠い未来の話なのだから絶対にまだ死んでくれるなよ───
だからクロードはあの時、どんなに見苦しくも出自を匂わせて命乞いすることが出来たのだ。