前方注意 国広が住んでいる地域に比べると道路の広さと交通量が比例していない県道を、大倶利伽羅の愛車がすいすいと走る。今日は特に目的もなくのんびりとしたドライブデートなのだ。
「それは、何だ。田舎って言いたいのか」
言葉よりも柔らかな口調と表情で、伽羅が言う。
「そ。そんなことないぞ」
慌てて否定すると、伽羅はくくっと喉で笑った。
俺も地元では運転をするのだけれど、伽羅と出かけると助手席が指定席だ。助手席からこっそりと見る、前を向いたままの伽羅と話すのはなんだかいいなあ、と、初めて知った。たまに、「国広、見すぎ」と、伽羅に笑われるのはもう、ご愛敬だ。
「普段このあたりまで来ないから自信はないが……。この前、あんたが言っていたバウムクーヘン屋は近くなんじゃないか」
「えっ。本当か。行ってみたい」
「わかった」
厳密には、隣席の長義が「もし近くに寄ることがあるなら買ってきて。ついででいいから。半径三十キロ圏内に入ったらでいいから」と、ホームページを見ながら言っていたのだ。
「半径三十キロって、結構でかくないか」
「長義は都会っ子だからなあ……、えっ、伽羅、いま道端に何か落ちていなかったかっ」
「……長靴だったか?」
片側二車線の道路の、中央分離帯代わりの植木のそばに、白い何かが落ちていた。時速六十キロで通り過ぎたので一瞬だったけれど、伽羅は固有名詞まで特定した。
むむ、伽羅のほうが動体視力がいいのか。悔しい。
「妙なところで張り合わないでくれ。俺は運転しているんだから、前方斜め右はあんたより見ているだろう」
「そうかな。そうか」
「おそらく軽トラックの荷台から落ちたんだろうな。目的地に着いて、片方がなかったら、持ち主は困るだろうな」
「うわー……」
便利な世の中になったから、スタンダードな長靴ならどこかの店に行けば買えるだろうけれど……。
「さすがに長靴はコンビニには売っていないから、ちょっと苦労するかもしれないな」
「……。国広。このあたりの県道ならコンビニよりホームセンターのほうが多いから大丈夫だ」
「そうなのか」
「何ならコンビニに農作業グッズが置いていたりする」
「えっ。すごいな」
長義ほどではないが、このあたりでは俺も「都会っ子」の部類に入るのかもしれない。だってコンビニって、十分くらい歩けば一軒くらいあるんじゃないのか。
「国広って出身どこだった?」
「え?」
ちょうど前方の黄信号で減速した伽羅が、微妙な表情で訊ねてきた。そういう伽羅は、東北出身らしい。東北から就職した先が関西の一番東のS県で、雪深い土地に縁があるとか先日言っていた。
「それにしても車と靴って、懐かしいシチュエーションだな」
伽羅は、青信号にアクセルをゆっくりと踏み込む。車を運転しているときの伽羅は、いつもより饒舌な気がするし、いつもより話題があっちこっちに回転する。ハンドルみたいに。
「なんか、わかる気がする。車は土足禁止ってうるさい先輩いたよなー」
「そうそう。それで、脱いだ靴を忘れたまま車で走り去って、駐車場に靴だけ残されたりとか」
「あー……」
「いざ、降りようってしたら靴がなくて」
「……」
――む。なんか、伽羅、そのエピソードにみょうに実感がこもっていないか?
(もしかして、以前誰かとそんなふうに困ったことがある?)
黙り込んだのなんてほんの一瞬。なのに、伽羅は、すっと手を伸ばしてきて俺の太ももに触れた。
「わっ。何だ。伽羅」
「国広、何、考えてる」
「えっ。べ、べつに、なにもっ」
「さっきのは、光忠の話だ。あいつが大学時代に乗り回していた車が土禁で、俺も相当苦労させられた」
「……」
「国広、妬いただろ」
「――っ、べっ……べつに、」
妬いてなんか、
「そうなのか? 俺は、国広が妬いてくれて嬉しいなとか、舞い上がっているんだが」
「……」
ないことも、ないです……。
伽羅はずっと前を向いているから、俺の百面相はバレていない、と、思う……。ただ、への字口になっている俺とは真逆に、ほんのわずかだけ伽羅の口元が緩んでいる気はする。
伽羅の手のひらはいつまでも俺の太ももの上に乗ったままで、片手で器用にハンドルを操作する。とんとん、と、太ももの伽羅の手のひらがゆるく上下した。
国広と二人だけになれるところに行ってもいいか。
伽羅のそんな提案に、否やなどあるはずもないのだった。
end
(2022.03.16)