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    まほずし 展示作品
    寿司吐き病になるシノの話

    #ヒスシノ
    hissino
    ##ヒスシノ

    無謬の恋と寿司吐き病の顛末について 魔法舎の部屋の床に寝転がりながら、一体シノはどうしてここにいるのだろうと、フローリングの溝を見た。
     まっすぐ、まっすぐ。
     硬い板の上に寝転がることで生じるかすかな痛みから、自分の体がそこにあるという証拠が揃う。軋むような感触が関節を鈍らせるのに、油を挿そうなんて気には到底なれなかった。肉体は結晶化したように動かず、なのに肺は勝手に膨らむ。どうしてだろう、と思った。行動を起こす、ことの意味がまるで分からない。
     ふいに。
     普段は考えない、生命の意味を考える。
     机の下でくるくると回る埃を見て、それとはなんの因果もなく、鎖骨に爪を立てた。痒くもないのに強く掻く。起き上がって叫んで暴れて燃えたいのに、そうするだけの理由はない。二階の窓から魔法も使わず飛び降りて地面に叩きつけられたいのに、それをしたあとでどうしてそんなことしたのとヒースに尋ねられたら答えられるだけの言葉がシノの中にはない。
     衝動を内に抱えながらただ横たわって、嵐が去るのを待っていた。
     このような負の情動は、雲が流れるようにいずれ通り抜けていく荒天だと知っていた。驟雨のようなものだ。意味もなくザーザーと降りしきっては、濡れた地面だけを残して抜けていく。寝ればいいのだ、と分かっていた。簡単なことだ。肉体は、空腹や睡眠不足で脳がバグって心にも影響を及ぼす。ただの、脳のバグ。目を閉じる。どの程度までの自傷行為ならば、自分の魔法で治せるかと考えた。眠れない。床が硬い。
     ヒース。ヒースに、会いたい。会いたくない。弱ってる時に、一番会いたいし、一番会いたくない。会わないけど。ヒースクリフ。格好つけたい。頼られたい。……頼りたい。頼りたくない。
     ふいに。
     ケホッ、と、喉の奥で何かがひっかかるような気配がして、咳き込んだ。息が詰まる。なにかが迫り上がってきて、吐き出した。
     吐き出した、けど。
    「なんだこれ」
     思わず正気に戻って呟いた。コメというやつに乗っている、何か、つやつやした、赤いもの。ゼリーみたいな見た目だが、臭いを嗅ぐとなんか、……生っぽい?
    「え、何……?」
     シノは知らないけど、それは、紛れもなく、マグロの赤身だった。

     ▽

    「エッ寿司」
     賢者は驚嘆した。シノが謎の物質を吐き出したと聞いて、慌てて駆けつけると、そこは寿司屋もさながらの光景が広がっていたからだ。
     机の上に並べられた、中トロ、赤身、サーモン、サバ、多分アジ、イカ、カッパ巻き、しまいにはたまごまである。机に直置きさえされてなければ、なんというか、フツーに、美味しそうだった。え?
    「……これが、シノの口から出てきたんですか」
    「ああ。スシって言うのか?」
    「ええと、まあ、見た目は、多分……」
    「食べ物なのか?」
    「えっ、と……、少なくとも、寿司はそうですね」
     そう言ったところで、シノの隣に居たファウストが、君まさか、と止める暇もなく。シノはそれをひょいっぱくっ! と口に入れてしまった。「あ、コラ!」とヒースが叱るのもお構いなしに、もぐもぐと咀嚼。嚥下。そして一言。
    「うまい」
     口の中でとろけたぞ、と報告してくる。ヒースとファウストの溜息が大きい。シノが食べたのは、中トロだった。見た目は少なくとも。シノの口から出た、中トロ。
     ……なにこれ?

     ▽

     ファウストは嘆息した。一応、教え子……ということになっている魔法使いが、呪われたからだ。
     しかもその呪いがさっぱり分からない。
     自室で寝転がっていたら、不明な物体を吐き出した。しかも、それは賢者の世界の食べ物だと言う。魚を捌いて短冊形にして、『シャリ』と呼ばれる酢を混ぜたスタ米のようなものの上に乗せた食べ物らしい。……何故シノの口から出て来たのかは、分からないが。
    「味も、寿司なんだと思います。……多分」
     賢者が、自信なさげに言った。正体をわからないものを食べないように——と注意する前にシノは食べたが——、賢者は食べずに、シノに感想を詳しく聞いた結果の判断だ。
     呪いとして見た時にも、不可思議な魔法だ。
     単純な構造に見えるのに、紐解くことができない。意図が見えないのだ。力としての指向性が見えず、解呪の条件が不透明だ。端的に言えば、今すぐにどうにかする手立てがない。
     再度、大きな溜め息をついた。シノ――はまあなんか元気そうだからいい、というか勿論未知の呪いでなにが起きるか分からないから早く解いてやりたいが、それはそうとハチャメチャに元気なのでなんとかなりそうな気がしているが、このままだとヒースクリフの方が先に心労で倒れそうだった。どうにかできないものかと、仕方なく老人共を呼び出すかと腰を上げたところで、賢者がふと呟いた。
    「花吐き病ならともかく……」
     独り言のようだったか、聞き流せず尋ねる。
    「花吐き病とは?」
    「エッ。いや、あの、私の世界にある、その……、おとぎ話のなかの症状なんですけど」
    「それでもいい。聞かせてくれ」
    「ええと、詳細は覚えてないんですけど、確か、片想いでつらい思いをすると花を吐くようになる病気、で、両想いになることでのみ完治する、不治の病、だったような……」
    「…………」

    「寿司吐き病ってことか?」

     一瞬の沈黙を裂いて、シノが言う。視界の隅では、ネロが、笑えばいいのか深刻な顔をしたらいいのか迷って、得も言われぬ顔をしていた。やめろ、変顔をするな。
    「両想いになれば治るんだな?」
     至って真面目なシノが追撃する。賢者は困惑一辺倒に顔を染めながら辛うじて返答した。
    「え、ええと、可能性の一つとして、なくもないような……」
     それを聞いた途端、「《マッツァー・スディーパス》」と呪文を唱えると、途端にシノの両腕いっぱいの薔薇の花が現れ、流れるように跪くと、ヒースクリフの手をとって気障ったらしく言った。
    「大好きだ。愛している、ヒースクリフ・ブランシェット。おまえも、オレが好きか?」
     ヒースは、薔薇の赤い色と正反対に、青い顔色で、あったま痛い……みたいな顔で答えた。
    「……好きだよ…………」
    「ヒース……!」
     シノはパッと笑顔になると、ヒースの手に薔薇の花束を握らせて抱き着いた。頬は赤く染まり、並んだ二人の顔色は見事に対照的だった。ぎゅっと熱い抱擁を、一、二、三……七秒ほど経ったところで、ふいにシノが、けほ、ごほっ、と重く咳き込む。
     ヒースから離れて腰を折るシノの口元から、べちゃっと床に落ちる、マヨコーン軍艦。
    「治らないんだが」
     実にけろっとした顔でシノは言う。ヒースは、何度目かも分からない重い溜め息をついた。
     なんか……今のは一体、何を見せられたんだ?

     ▽

     寿司はうまい。ということを、シノは知った。
     自分の口から吐き出たモノなので、あんまり楽しい気分にはならないが、しかし別に変な臭いがするわけでもないし。ファウストには気をつけろと言われたけど、特になんの害も感じないので、大体は吐いたらそのまま食べちゃっていた。処理も楽だし。うまいし。
     賢者が気を利かせて、醤油(っぽいソース)というものを作ってくれたので、たまにつけて食べている。シノのお気に入りは最初に食べた中トロとサーモンで、ネタ(寿司の種類を指してこう言うらしい、賢者が言ってた)を狙って出せればいいのに、と思ったけど、どうにも法則性は掴めなかった。
     発症から一週間が経っていた。別に悪化していないし、回復の見込みも、とくにない。
     シノは、別に、このままでもいいんじゃないか? と思い始めたところだった。困ってないし。寿司はうまいし。まあ、戦闘中に吐き気を催したらちょっと困るかも……と考えながら、ウニをぱくっと一口で食べたとき。
     コンコン、と扉を叩くノックの音がした。相手が名乗る前に扉を開ける。そこにはやっぱり、ヒースが居た。一歩後ろに引いて、招き入れる。
    「どうしたヒース。まあ、入れよ」
    「……おじゃまします」
     入ってきたヒースが所在なさげに椅子に腰掛けるのを見ながら、シノはベッドに腰掛けた。窓からは春の陽気がさんさんと注いでいる。
    「で、何か用か」
     なんとなく気まずくて、こっそりと口を拭ってから問うと、ヒースはこちらをじっと見つめながら口を開いた。
    「……本当に、なんともないの」
    「しつこい。何度も言った。別に、本当になんともない」
    「でも、喉から吐いてるわけでしょ。えずいたら苦しくないの」
    「苦しくない。それに、ほら、言っただろ。寿司はうまい。ヒースにも食べさせてやりたいくらいだ」
     ヒースはその綺麗な顔を歪ませて眉を潜める。ヒースのことは本当に心の底から大好きだが、シノの自己申告を概ね信用しないところは、嫌い。ヒースに言う必要があれば勿論言うのだから、ヒースは何も心配せずどんと構えていればいいのに、そうはできないのだ。そういう優しいところも好きだが、好きじゃない。シノの健康状態にまで構わなくていいのに。
    「ふーん。じゃあ、そうさせてもらおうかな」
    「……え?」
     ヒースは薄く笑うと、おそろしく低い声で言った。あ、怒ってるな、とわかって、震えた。ヒースは睨んでいる時より笑ってる時の方が、まずい。
    「じゃあ、俺にも食べさせてよ。シノの寿司」
    「……は?」
    「だって、別に害はないし、美味しいんでしょ? じゃあ、俺も食べても、いいよね?」
    「え? は? いや、だめだが」
    「なんで?」
    「なんでって……汚いし」
    「汚くないよ」
    「は? やめろよ、吐瀉物だぞ」
    「でも、シノは食べてるじゃないか」
    「それは、オレから出たやつだし……なあ、この話やめないか? おまえちょっとおかしいぞ」
    「そうかもね。でもシノもおかしいよ」
    「は? どこが」
    「……本当は、図星なんじゃないの」
    「なにが」
    「シノは、片想いで苦しんでるの? シノの好きは、それは、恋なの?」
     喉元からなにか迫り上がってくるのを、無理矢理飲み込んだ。初めて、この症状が、憎たらしいとそう思った。
    「……違う。そんなわけない。恋じゃない。それは、違うだろ」
    「シノ、」
     ヒースの言葉を聞く前に、我慢が決壊して、シノは寿司を吐き出した。ぺちょっと膝の上に、間抜けな音を立てて落ちる。
    「うそつき」
     ヒースは言った。
    「苦しいんじゃないか。吐くとき」
    「ヒース、……」
     何も言えずシノは黙り込んだ。うつむいた先、膝の上では、アナゴが二つ、ちょこんと鎮座している。

     ▽

     森の真ん中、花冷えする春の夕暮れ。雲の切れ間から差し込む夕焼けに目を細めながら、ヒースクリフは大きく溜め息をついた。
     あんな、責め立てるように言うつもりじゃ、なかったのに……。
     先程のシノの部屋での話だ。疲れたから、昼寝する、と言われて、追い出されるままに出てきてしまったが。本当は、あんな風に、追求するんじゃなくて、心配で、気遣う言葉をかけたたかったのだ。
     それがどうして、こうなっちゃうんだろう。
     逆効果なのかもなあ、と思った。ヒースが聞き出そうとすればする程、シノは隠すから。だからヒースは、何にも気付かないフリをして、シノの不調を、見過ごした方が、シノは楽なのかも。
     そんなの。そんなの俺に、愚者になれって言うのか? シノを踏ん付けても、何も思わないような、そういう主君になれって、シノはそう言うわけ?
     違う。
     違う、違う違う違う。
     こんなことが言いたいんじゃない。
     ヒースは、シノを、大事にしたい。
     大事にしたい、だけなのに。
     風がさあっと吹いて、髪をさらった。肩のあたりが冷えて、薄着で出てきたことを、すこし後悔した。
     恋、という単語を出したときの、シノについて考えた。
     さっと顔色が変わって。焦り、みたいな。みんなの前で、あんなに大胆な、告白紛いなことを、したくせに。
     シノは、ヒースと、どうなりたいのだろう。花束なんか手渡して、シノは、一体、どういうつもりだったのだろうか。
     その場の思いつきで解決への最短ルートを最も格好いいと考える手段で爆走しただけなのでは……と思い至って、頭を抱えた。たぶん、正解に近いんじゃないだろうか。シノは、そんな、深いことなんも考えちゃいないのに。
     ヒースは、シノと、どうなりたいというのだろう。
     幼馴染みで、友達。……時々、従者。
     それ、以外にも? それだけじゃ、まだ、足りないというのだろうか。それで、シノはずっとヒースと一緒に居てくれるだろう。それで、いいじゃないか。
     そう思うのに。
     心が頭を裏切る。
     ヒースは、初めて、自分が欲深い魔法使いであると知った。それは、あまり歓迎したくない邂逅であった。
     一体、これ以上、なにが欲しいというのだろう?
     溜め息をついて、足を踏み出した。
     とにかく、一度、謝らないと。
     ひとけの無くなった森の中では、季節外れの虫が、きぃきぃ鳴いていた。たった、一匹きりで孵化した虫が。

     ▽

     恋とは何だろう。
     ベッドに突っ伏しながら、シノはひとり、考えていた。
     シノの知っている恋とは、破滅をもたらすもの。本人か、相手か、関係性そのものか。いずれかが、破綻するものだ。恋をしたことによる悲劇なんて世の中にはありふれているし、シノだって、男になにもかもを捧げて身を滅ぼしたおんなも、女に入れ込んで職を失ったおとこも、見たことがある。あちこちで雇われ労働していたから、そういう人間関係の煮こごりは見慣れている。恋なんて碌なもんじゃないって、シノははっきりと知っていた。
     恋とは、呪いだ。
     相手を縛りたくなるし、疑いたくなる。
     だから、ヒースへのシノの想いが、恋のわけがない。ないのに。
     げほ、う゛えぇと吐き出した。これ、なんだろう。なんか、変な味するな。
     これが、恋の味だっていうのか?
     これが、恋なのだとしたら。
     ますます、ヒースには食べさせられない。ヒースには素晴らしい恋をしてもらって、素敵なお嬢様と結婚してもらう予定がある。そして生まれた子どもを、シノはずっと守り続けていくのだ。
     それが、シノの願いだ。そうなりたい。そうなりたいと思っていたい。
     それなのに、次から次へと寿司を吐いた。
     身体が心を裏切る。
     シノは、こののどぐろを、恋の味にはしたくなかった。
     恋であって、ほしくない。
     ヒースに恋なんか、したくないのだ。
    「うっ、ッは、……」
     食いしばった口元からは、こみ上げるように、エンガワがまろびでた。
     これは、恋じゃない。

     ▽

     朝。食堂で朝食を食べていると、ヒースが目の前に座った。気まずいな、と思いながらも、逃げるわけにもいかずに、サラダをかっこんだ。
    「シノ」
     おもむろにヒースが口を開く。シノは、スープが冷めるぞ、と言おうとして、やめた。また怒らせるなとわかったので、賢明に黙った。ヒースはこちらの返事を待っていたようだけど、諦めたように続ける。
    「その……昨日は、ごめん」
     シノは思わず、顔を上げた。ヒースは、シノの想像とは違って、同じように、気まずいなあという顔をしていた。それに反するように、シノの気分は、すこし明るくなる。
    「なにが?」
    「なにがって……、その、責めるようなこと、言っちゃって」
    「別に? いつものことだろう、気にしてない」
    「いつものことって……なんかそれはそれで不本意なんだけど」
    「なんだ、我儘だな。謝りに来たんじゃないのか?」
    「~~ッそうだよ! 謝りに来たんだから、煽るのやめてくれる?!」
    「は? そんなつもりないが」
    「そ……だよね、シノってそういうやつだよね」
    「……おい。よくわからんが、オレを諦めるなよ」
    「諦めてないよ。譲ったの」
    「そう……か?」
    「うんそう」
    「ならいい」
    「うん」
     なにが良いのか、よく分かってなかったけど、場を収めるためにとりあえず頷いて、パンに齧り付いた。その丁度良い塩気が、心身に活力を与える。
    「それで、その呪いの解き方についてだけど、」
    「……ヒース、」
    「苦しくない、はなしだよ。シノ、俺はもう、怒りたくないからね」
    「……ああ」
     なにかが迫り上がってくる気配がして、アイスティーで押し込んだ。きっとなんでもない顔で、ヒースの話を聞く。
    「シノが、もし、両想いであるってことを、信じられないなら、信じて欲しくて」
     ヒースはシノの顔を見つめた。薔薇の花束なんてなくても、それだけでシノの世界はぐっと、華やぐ。あなたを彩るのに、花なんていらなかった。あなたが、持って生まれた、その魂のうつくしさだけで、どんな可憐な花よりもあたなは綺麗。それが。それだけで、シノを救うから。
    「ぐ、う、っ……」
     耐えきれず吐き出して皿に落ちた寿司に、ヒースが手を伸ばした。それを見て、仲直りしたいとか、ヒースがすきとか、考えていたことがすべて吹っ飛んで、思わずヒースの手を払いのけると、叫んでいた。
    「俺の寿司なんか、食うな……ッ!」
     そのまま口に寿司を放り込むと、とうとう逃げ出した。逃げたいわけじゃないのに、どうしたって足が動いた。どうしたよ、と声をかけるネロも振り切って、そのまま走り出す。
     走りながらも、最後に口に入れたねぎとろが、口の中で、とろけた。

     ▽

    「ヒース」
     事の次第を、見守ってしまっていたファウストは声をかけた。明らかに自分の不得意分野の話をしていたように思えてならないが、それでも、放っておくことはできなかった。それは、エゴかもしれないが。偽善でも、ないよりマシだろう。
    「先生……」
     ヒースは、ぼんやりと呟いた。はっきり言って、シノとヒースの二人は、相性があまりよくない。価値観の相違が大きすぎて、ことあるごとにお互い疲弊しているように見える。
    「俺、シノが何を考えてるのか、まったくわからなくて……、」
     喧嘩して、傷つけ合って、妥協し合って、を繰り返して、いつかは疲れ切ってしまうのかもしれない。もう、一緒にはいられないと、諦めてしまう日がくるのかもしれない。
     それでも。
     当人たちが、まだ、一緒に居ることを願うのなら。周りの大人が、勝手に諦めてしまうわけにはいかなかった。
     事なかれ主義、なんて、いつだってできるんだから。君たちにはまだ、傷つく勇気があるから。傷だらけでも、前へ進む、強い心があるから。
     それを大人が、勝手に、傷つかないよう誘導して、舗装された道を歩かせるようなことは、してはいけないと思っている。
    「わからなくても、語り続けるしか、ないよ」
     コーヒーを一口飲む。苦味と酸味が舌をびりびり響かせるような、濃いコーヒーだった。それを、旨いと思うのは。まだ先でいい。
    「傷付いても、傷付けても、やり直せる。大丈夫だ。……君たちなら、大丈夫」
    「そう、かな……。そう、ですよね」
     ヒースがぽつりと呟いた。その声はすこし頼りなさげだったけど、瞳の奥のたましいは、確かに青く、燃えていた。

     ▽

     廊下を走っていたシノは、咳き込んだ拍子に誰かとぶつかって転んだ。シノと一緒に、廊下にはころころとかんぴょう巻きが転がった。顔を上げる。
    「大丈夫か、シノ」
    「アーサー……、」
     そうして手を差し伸べてくるアーサーは逆光でまぶしく、ヒースほどではないが、きらきら輝いて見えた。あ、アーサーって王子様なんだな、と思い出した。たった今。
    「その呪い、まだ治っていないんだな……、ファウストやフィガロ様は、なんて?」
    「ああ……、無理に剥がそうとするとどうなるか分からないから、とりあえず今は様子を見るしかないって」
    「そうか。せっかく賢者様の世界の美味しい料理なんだ、楽しい思いができたらよかったのにな」
    「…………」
     シノが思わず黙り込むと、アーサーはさりげなく先導して、二人並んで歩き出した。魔法舎を出て、その周りを歩く。朝の日差しは斜めに鮮烈で、雲一つ無い快晴はなんの濁りもなかった。知らず知らず、視線が落ちる。
    「なにかあったのか?」
     すこし歩いたところで、アーサーが軽い調子で尋ねた。深刻にならないように、という気遣いが、シノにもわかった。アーサーは良い奴だし、同い年だ。朝露に濡れるハルジオンを見ながら、意を決して口を開く。
    「恋って何?」
    「…………コイ?」
     アーサーは目をぱちくりとさせ、素っ頓狂な声で復唱した。まさか、このタイミングで恋バナになるとは思ってなかったのだ。でも、アーサーも、フツーにお年頃の男の子なので、そういう話も、嫌いではなかった。むしろちょっと好きだ。
    「シノは、恋をしているのか?」
    「してない! ……してないと、思う」
    「……シノにとって、恋は、嫌なもの?」
    「だって、そうだろ。……大抵恋ってのは破滅の原因だ。恋をすれば、関係は終わる。だから、恋なんて、したくない」
    「永遠の恋だってあるかもしれないぞ?」
    「ない。あるわけない。あんた、意外とロマンチストなんだな」
    「ふふ、まあね。王子だからな」
    「関係あるか?」
    「あるんじゃないか? たぶん」
    「ふーん」
     ざくざくと、草を踏みしめて歩く。そのたびに、ブーツはかすかに濡れた。しかし、今日はよく晴れているから、すぐに乾くことだろう。風が吹く。どこか暖かい。春風だ。
    「いいじゃないか。シノも、ロマンチストになれば? リアリストの方が、人生を楽しめると言うならば止めないけど」
    「……でも、だって、叶ったって、うれしくない。別に、ヒースとどうこうなりたいわけじゃないし」
     ああ、やっぱりヒースのことなんだな、知ってたけど、とアーサーは思った。まあ、それならば、話は早いだろう。だって二人は、両想いなんだから。アーサーの長所のひとつに、物事を単純明快にポジティブに捉えることができる、という要素があった。東の国にはどうしたって無いポテンシャルだ。
    「どうなるのかは、どうにかなってから考えたら?」
    「……中央らしい物言いだな」
    「ああ。東の国は、先に頭で考えてから動くからね。中央は、まず動いてから考える。優劣はないが、たまには違うやり方も試してみたら?」
    「つまりおまえは猪突猛進をやめるってことだな」
    「うーん、考えておこう」
    「説得力に欠ける……」
    「あはは」
     魔法舎をぐるりと周り、半周がすぎて、裏門に出た。覗き見える中庭には、フローレス兄弟とリケが、揃って座ってなにかをしているのが見えた。そこに賢者が近付いてくる。それを見て思い出したようにアーサーが言った。
    「賢者様が言うには、」
    「ああ」
    「『寿司』という料理は、祝いの席で振る舞われるようなものらしい。節目節目のお祝いに、家族揃って寿司を食べる風習があるとか」
    「……へえ」
     家族というものと縁遠いシノには実感のわきにくい話だ。薄い返事をする。
    「シノ」
     アーサーが言った。アーサーもまた、家庭というものには馴染みがあまりないだろう。
     それでも。
     アーサーには、オズがいた。
     そして、シノには。
    「寿司というのは、呪いじゃなくて、祝いなんだって。祝福なんだって。まあ、呪いの寿司も、あるかもしれないけど。でもきっと、恋も同じだろう」
     シノはえずいた。息が詰まって、苦しい。喉の奥が、痛い。本当は、吐くのは結構、しんどかったけど。最初からそうだったけど、それが今、やっとわかった。
    「恋は呪いだが。でもきっと、楽しいよ、シノ」
     アーサーがやさしく笑うので、それはまさしく、祝福だった。あたたかい魔法の気配が、そっとシノの肩を包む。シノは軽く咳き込んで、赤くてつやつや光る、イクラを二粒だけ、吐いた。

     ▽

    「シノ!」
    「ヒース」
     アーサーと別れたシノは、ヒースを探しに行った。ヒースは、シノがよく居る魔法舎の隣の、森の中にいた。ヒースも、シノを探していたようだった。二人は同時に口を開く。
    「シノ、」
    「ヒース、」
     そして同時に黙る。また口を開こうとして、相手が喋りかけるのを見て、また同時に黙った。やっぱり息は全然合っていなかった。それがオレたちだ、とシノは思った。
    「シノ、」
     そして、先に声に出したのはヒースだった。それをなぜか、うれしく感じた。こころって、変だな、とシノは思った。
    「シノの今、考えてることを聞かせて」
     ふふ、とシノは笑った。先に口を開いておいて、言うことはそれなのか、と思ったからだ。でもきっと、それが、ヒースが言いたかったことなんだな、とわかった。確かな前進だった。
    「ヒース」
    「うん」
    「まぐろは、うまい」
    「そうなんだ。よかったね」
    「だから……、……食べる?」
    「……シノ、」
     そのまま、ヒースの手のひらが、肩を覆って、シノは動揺した。避けなければ、と、根拠のない忌避感が働いた。応えたい、と思っているというのに。
     心も心を裏切る。
     しかし、声がした。
     どうにかなってから、考えればいいんじゃない?
     まあ、そうだよな、と思った。
     シノだって、本当は、ポジティブは得意なのだ。
     瞳を閉じる。
     顔が近付いて、吐息がかかる。
     そうして二人は、まぐろの味のキスをした。奇しくも、シノが一番おいしいと思った、中トロだった。
     果たしてこの中トロは、あなたへの恋の証明なのか?
     わからない。
     わからないけど、キスをしてから考えるのでも、いいだろう。
    「あ、」
     唇が離れたあと、シノが呟いた。胸に手を当てる。
    「なに?」
    「治った、かも」
    「え、本当?」
     胸につかえていたような何かは無くなり、食道がこころなしかすっきりしているような気がする。うっすらとした呪いの気配もなくなり、シノはようやく、好調の自分を、思い出してきた。
    「なにか、賢者から聞いたのか?」
    「え? ……え? なにを?」
    「だって、治るって知ったからしてくれたんだろ? 今の」
    「…………」
    「? 違うのか?」
    「………………いいよ、それで」
    「なんだ? 含みがある言い方だな……、あ、じゃあファウストに言いに行かなきゃな」
    「えっ」
    「ほら、早く行くぞ、ヒース」
    「はァ…………」
    「置いてくぞー!」
    「今いくよ、バカ!」
    「誰がバカだ!」
     そうして二人はどたばだと森を後にすると、ファウストの部屋まで直行した。ノックもそこそこにドアを開けると、そこにはネロもいた。ちょうどいい。大きな声で報告する。
    「治った!」
    「、本当か」
    「おー、よかったじゃん」
     ファウストは真偽を確かめるようにシノのあれこれを検分した後、かすかに笑って頷いた。そして聞く。
    「どうやって解いたんだ?」
     シノが答えようと口を開くと、それを遮るようにヒースがやけくそ気味に叫んだ。

    「愛の力です!!!」

    「えっ……」
     シノがきょとんとしていると、どこからかともなく、きらきらしたものがちらちらと舞い散っては消えていく。はなびらのように彩りあざやかなそれは、春の陽にきらめく、ちらし寿司だった。
     恋は、祝福。と、心の内で唱えて、シノはひとり、赤面した。

     それらすべてを見ていたネロは、ふっと笑みを浮かべると、静かに部屋を出た。そのまま黙って、十メートルほど歩いたところで、周りに誰もいないことをよく確認すると呟いた。

    「なんだこれ」

     そのひっそりとした声を、ネロの肩に乗る桜エビだけが聞いていた。若葉きらめく春だった。


    おわる
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