まるで雪のような訪問者「この絵、とても懐かしいですね」
そんな声が、突然後ろから聞こえてきた。
まさか来客が、それもこんな時間に来るなんて思いもしなかった。
「この絵を知ってるんですか?」
そこにずっといた男が言った。
とある夜。
冷え切ったゴルトオール砂漠の、とある崖の影には、何年も放置されていたかのような、ボロボロのテントがあった。
そんな場所に、まるで風に流されてきたかのように訪れ、絵を描いていた男に声をかけてきたのは、雪のように髪と肌が白く、そしてこの砂漠の昼間ならどこか雪のように解けてしまいそうな、儚そうな少年だった。
「ふふ……知ってるんですよ。僕はちょっと前にある教会にいたんだけど……オクタルっていう人の絵がたくさん飾ってあったの」
「オクタル……!」
その名を聞いて、男は少し目を見開いた。
「うん、それってオクタルさんの描いた『魔女様』の絵なんでしょう? ちょっと懐かしい気分なの」
「……あの……」
男は期待感を持って、雪のような少年に言った。
「この魔女の絵の場所を、あなたは知っているのですか!?」
息を切らすことなく男は言う。
「僕は……私はまた見たいのです! 今私が描いてるこの絵は私の師匠……オクタル様が描いた絵の真似っ子にすぎないのです」
「ええと、お兄さんは、オクタルさんってお絵描きさんの弟子で、絵を真似して描いてるってこと」
「はい……どうしてもあの美しい『魔女』が見たくて……私もこの手で再現しようとずっとずっと思ってるのですができなくて。本当は、本物の『魔女』をもう一度見たいのです。でも、魔女の絵はどこかに隠されてしまいました……お師匠様が、もう見ちゃいけない、追っちゃいけないって……でも、私はどうしても、本物の魔女を見たいのです、一度だけでいいから……」
男はとても必死そうに懇願していた。
しかし少年はそんな彼に、優しそうな口調で言った。
「魔女の絵なら、もしかしたら僕がいた教会にあったかもしれません」
「え……? それは本当なのですか?」
「はい。でも、ごめんなさい。あなたをあの教会にあった絵へ案内するとなると……僕は力にはなれません」
「そう……なのですか」
男は非常に落ち込んだ。
本物の「魔女」の居場所を知れたかもしれないのに。
だけど、だからといってこの少年に当てつけるのは間違っている、とも分かっていた。
暗いテントの中で、話をし始めた少年はどこか、ほのかに明るいものを感じさせた。
「あの教会は……僕が死んでからまもなく、いろんなことが起きて、なくなってしまったようです。そしてあの絵も……アルテンという友達の描いた真似っ子の絵なら残っていたのですが、本物もなくなってました」
「……分かりました。あなたももう死んだのですか?」
「ええ、病気でね」
少年は目を閉じて言った。
「その……未練とかないのですか? あなたは子供に見えますけど」
「うん……本当はもっと生きたかったって気持ちはあるよ……だけど、これで良かったと思うの。優しい司教様にシスター、そしてたくさんの友達に会えてね……」
「……」
男は黙った。
どう声をかけていいのか分からなくなる、生前にあったそんな体験をしているような気分だった。
「そういえば、どうして僕がここに来たのか気になったのかな? 僕は、たぶんお兄さんみたいに幽霊みたいになってると思うの。だけど、好きに動くことはできない。気が付いたらここにいたんだ。これは何かの縁だと思うんだ」
「何かの縁……?」
少年は少し考えてから言った。
「お兄さんも会ったことない? あの三人の、信号機のような子供」
「三人の子供?」
「一人は、司教様……ヒポグリフ様みたいに綺麗な、緑色の羽が生えている男の子だったの! あとは、人魚の尻尾のような綺麗な青い髪の男の娘で、もう一人はとても優しそうで暖かい、角の生えた赤髪の男の子! よし、言えた! ……って合ってるよね?」
「分かります……その三人なら分かります。このテントに来ていましたから」
男はどこか希望がほんの少し満たされた気持ちで頷いた。
「あの三人のことを知ってるんですね? 実はあの子たちにもこの『魔女』の話をして、今探してくれるって言っていたのです!」
「なるほど。そうだったんだ……」
「はい……」
「じゃあ、大丈夫かな……」
少年は言った。
「もうすぐ、あの子たちは魔女を見つけてくれると思うよ」
「え? それは本当なのですか?」
「僕の勘なのかもしれないけどね……だけど、あの三人ならやってくれるのは間違いない。だからその日を待ってていいと思う……」
「そうですか……!」
「でも」
少年はどこか心配そうに男を見て言った。
「でも、もしかしたら、お兄さんも、なにかよくないことを思い出しちゃうかもしれないけど……」
「……いや」
一瞬、男は何か心のなかでよぎったが、それを打ち消すように首を振って言った。
「そ、そんなことはどうでもいいのです! もう今の私にはあの絵を見る以外にしたいことはないのです……だから誰か探して……もう一度この目で見て……それからお師匠様に……」
男はそれから何かを言おうとしたが、言葉が出てこなかった。
しかし少年は、そんな自分を優しく包み込むように、そっと目の前にちかづいて来た。
「……うん、そろそろ、僕もここにいられないみたい。だけど、お兄さんの願いはすぐにかなうと思うよ。その……お兄さんの名前を聞いてもいいかい?」
「え……ペンタ……です」
「ペンタさんね……僕はフユノっていうの。一回だけ祈らせて」
それから、男……ペンタの前に座り、目を閉じて手を組んだ。
「あなたにも、神様のご加護がありますように……」
そう言うと、少年は徐々に消えていった。
その様はまるで雪のように解けていくような様子だった。
「フユノ……さん?」
またテントの中で、ペンタは一人になり、目の前には自分がまだ描いてる途中の、偽物の『魔女』がキャンバスにあった。
「……」
まるですっかり、このテントに過ごし続けている時間が戻ってきたかのような気持ちだった。
だけど、どこか、あの少年がくれた、暖かいものが、血と黒に染まってそうな自分の心に染みわたり、もうすぐこの苦しみが終わるのだと、励ましてくれているような気がした。