タツリュウ①どうしようもなくソワソワしてしまい、俺は茶碗にごはんをよそう。これは夕食ではない。間食だ。お菓子を食べるよりはマシだと、ごはんにふりかけをかけて食べている。食べれば気が散るだろうという見立ては当たっていたが、食べ終わればすぐにあのことが気になり出してしまう。そして、また炊飯器の蓋を開ける。それをもう三回も繰り返していた。
なぜ俺がこんなにもソワソワしてしまうのかというと、今日は兄貴の進路に関する三者面談の日だから。兄貴は志望校をまだ決めていないと言っていた。名古屋の大学を受けるのか、それとも県外の大学を受けるのか。それは俺にとってとても重要なことだった。運悪く部活が休みだった俺は、家で一人ソワソワしながら待つ羽目になったのだ。
「ただいま」
やっと兄貴たちが帰ってきた。食べていたごはんをかきこんでいると、ダイニングに兄貴たちが入ってくる。
「あら?ごはん食べてたの?」
「これ、おやつ。なんか腹減っちゃって」
俺がそう答えると、相変わらずねと母さんは呆れながら言う。退院してすぐは俺の食欲にびっくりしていたが、母さんも慣れてきたようで、今では大盛りでごはんをよそってくれる。おかずもたくさん作ってくれる。それを家族四人で、たわいのないことを話しながら食べるのだ。俺はそんな日常が好きだった。
「それで、兄貴はどこ受けるか決まったの」
空になった茶碗を置き、俺は兄貴に訊ねる。
「名古屋の大学だ」
そう漠然と答える兄貴に、リュウジの成績ならもっと上を狙えるって先生が言ってたじゃないと母さんがすぐに割り込んできた。
「ほら、パンフレットたくさんもらってきたのよ」
なぜか俺の前でパンフレットを広げる母さんの後ろで、いらないって言ったのにと兄貴はぼやいていた。机に並ぶパンフレットはどこも聞いたことがある各地の有名大学ばかりで、兄貴の優秀さをあらためて実感した。おそらく俺には縁のない大学だろう。
「あら、ここお父さんの母校じゃない」
そう言いながら母さんが手に取ったのは、A大学のパンフレット。確か、京都にあるかなり偏差値の高い大学だ。
「親父の?」
兄貴も父さんの母校には興味があるようで、こちらに寄ってくる。
「確か理工学部だったかしら」
母さんからA大学のパンフレットを渡されると、兄貴はペラペラとめくり始めた。そして、理工学部の紹介ページで手が止まる。
兄貴は超進化研究所への入所を目指している。シンカリオンに関わる仕事に付きたいのだから、理系の学部を受験するのだろうとはなんとなく思っていた。
「気になる?」
「え?」
パンフレットをかじりつくように見ている兄貴に、母さんが問いかける。すると兄貴は罰が悪そうな顔をして、パンフレットを勢いよく閉じてしまった。
「理工学部なら名古屋にもあるだろ」
兄貴はパンフレットを机に置くと、逃げるように自室へと消えていった。
ここのところ兄貴はそうなのだ。志望校の話をあまりしたがらない。はっきりしたことも言わない。この感じ、母さんが入院して、空手を辞めたときと少し似ているような気がする。そんな兄貴に俺が眉間に皺を寄せる一方で、母さんは笑っていた。
「母さん、あれわざとだよね?」
そんな母さんにそう投げかければ、なんのことかしらととぼけたことを言う。
「わざと兄貴の前で父さんの母校のパンフレット出したんだろ?」
さらに追求しても、どうかしらねとはぐらかさられる。
俺が兄貴の歯切れの悪さの理由を察しているように、母さんもまたその理由をわかっているに違いない。
「母さんは兄貴が家を出てもいいの?」
パンフレットを片付ける母さんに向かって、続けざまに問いかける。
口では名古屋の大学を受けると言っていたが、おそらく兄貴は志望校を決めかねている。その選択肢に県外の大学もまだ候補に入っているのだろう。家を出る決断に踏み切れないのは、俺たちや母さんが心配だから。きっとそんなところだろう。俺はそれでいいと思っている。兄貴はずっと家にいればいい。俺の隣にいてほしい。それなのに、母さんはわざわざ京都の大学のパンフレットを兄貴に見せつけるように出してきた。それも父さんの母校だ。あの兄貴が父さんの母校に興味を持たないわけがない。
「むしろリュウジは家を出るべきだと思ってるわよ」
思わぬ母さんの答えに、俺は面食らう。
「母さんは兄貴を追い出したいってことかよ!」
つい声を荒げながら出た言葉を、そういうわけじゃないわよと母さんが優しい声で否定する。
「リュウジはね、責任感が強いから、私たちのそばにいると自分よりも家族を優先しちゃうの。だから、いっそ物理的に距離をとったほうがいいのよ」
母さんが倒れたとき、大好きな空手を辞めて俺たちの面倒を見てくれた。シンカリオンの運転士になってからも、どんなに忙しくても母さんのお見舞いを欠かさなかった。兄貴は確かに自分自身に頓着がないところがある。
「もうリュウジを家のことで縛りたくないの。リュウジのしたいこと、存分にやらせてあげたい。それに、リュウジがそばにいると、私もついついリュウジに甘えちゃうしね」
母さんにそう言われると、俺に返す言葉はなかった。