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    calabash_ic

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    #キラ門
    Kirawus/Kadokura

    結婚式の朝/キラ門「そろそろ出る時間だろ」
     門倉が洗面所を覗き込んできたので、キラウㇱは慌てて整髪料を纏った手で前髪を掻き上げた。電球のすぐ下でまじまじ見ると瞼の上の日焼けの境目が目立つ気がしたが、いつもの鉢巻を着けていくのは場にふさわしくないと諦めている。昨晩のうちに眉は整えた。髭の剃り残しもない。目付きが悪く見えるのは元々だ。どうだ、と門倉を振り返るとひとつ頷いてくれたので良しとする。
     スピーチが任されているわけでもないし、会費制なので財布への負担も少ない。新郎新婦を祝福し、料理を食べるだけの気軽なものだ。そもそもそういった席に呼んでもらえる事が嬉しいのだ。友人である新郎とは一時期疎遠になっていたが、店を構えてからは時々足を運んでくれるようになった。キラウㇱが忙しくしている日には門倉と言葉を交わしてる姿も見かけた事がある。理不尽だとわかっていながらも少し妬いたのだ。ちょうど門倉とキラウㇱが同居を始めたばかりの頃だったので、折に触れて思い出す。
     久々に袖を通したスリーピーススーツの、ネクタイは門倉に結んでもらった。結び方を知らないわけではないが得意でもない。それじゃ困るだろと言いながら手際良く絹地を滑らせていく仕草に見惚れて、つい「中学も高校も学ランだった」などとくだらない言い訳をすれば「何十年前の話をしてんだ」と小突かれた。この先ずっと門倉に結んでもらおうとこっそり決めている。そういう風に少し甘えて、仕方ないなという表情をさせているくらいが良いと、この数年で気が付いたのだ。いつか彼を送る時、自分はやはり歪にネクタイを結ぶのだろう。
     ジャケットを取りに居間へ戻ると、門倉が何やら手に持ち、壁の時計と手元とを交互に見比べていた。ハンカチに大事そうに包まれた、それは腕時計だった。門倉の普段使いのものではない。針を合わせ終わると、門倉は片手で軽く腕時計を振りながら、もう片方の手でキラウㇱを招いた。微かな、不快ではない金属音がする。自動巻きというやつだ。キラウㇱも知識としては知っている。
    「ほら、腕出せ」
     右腕を出そうとして「逆」と言われ、そうか腕時計なら左腕かと入れ替えた。いかにも重厚な銀色の輪が手首に通され、ばちんと勢いの良い音を立ててバックルが留められた。門倉が手を離す。想像していたより幾分か重い。つるりと浮かんだ表面のガラスの、縁に僅かな傷跡があった。
    「こんなの持ってたのか」
     腕時計が部屋中の光を鈍く反射している。
    「親父の形見だよ」
     ふっと周囲の音が止んだ。手首から視線を外し、目の前に立つ門倉を見る。門倉はまだ腕時計を見ていた。写真ですら見たことのないその人は、門倉がまだ学生の頃に亡くなったと聞いている。
    「そんな大切な物を借りられない」
     恐る恐るバックルに触れるが、外し方がわからなかった。一人焦るキラウㇱを宥めるように腕を撫で、門倉は静かに「外さないでちゃんと帰ってこいよ」と言った。このところの門倉はこういう物言いをする。当たり前だ。キラウㇱの帰る場所はここだと決めたから一緒に住んでいる。何を思うところがあるのか、キラウㇱにはさっぱりわからないままだ。
    「行くぞ」と門倉が車の鍵を鳴らした。駅まで送ってくれる約束だった。腕時計を引っ掛けないよう慎重にジャケットを着る。狭い玄関で慣れない革靴にふらつき、思わず扉に手を突いた。それを見た門倉の「その腕時計を誰かが着けてるの久々に見たな」という声が優しくて、何も言えないまま扉を開けた。結婚式に相応しい、美しい秋晴れの日だった。
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    calabash_ic

    MOURNING
    早く家に帰りたい/キラ門 昨年の言葉が耳に残ったまま新年を迎えた。葉の落ちた枝に雪が重く積もっている。長く真っ直ぐな道の両脇の林から時折エゾシカが顔を覗かせるので、その度に軽くブレーキを踏む。峠が吹雪いていなければ無事に帰り着けるだろう。自然と気が急くのを落ち着けようと冷めてしまった缶コーヒーを啜る。今夜帰ると伝えておいた。冷蔵庫の中身は減っただろうか。酒ばかり飲んでなければいいが。そんな事ばかり考えている。アパートから運んできた炬燵のある我が家。きっと今も門倉が背中を丸め、テレビを見るか、本を読むかしているのだろう。我が家、と心の中で思う時、キラウㇱは切ないような誇らしいような気持ちになる。
     初めて好きだと言われた。門倉は帰省に着いてこなかったからだ。その心苦しげな、まるで謝罪のような響きが頭から離れないでいる。申し訳ない、と直ぐにも言い出しそうに眉根に寄せて「キラウㇱくん、好きだよ」と言った。これから長距離の運転だとキラウㇱが玄関の扉を開けたところだった。振り返ると半纏を羽織った門倉が壁にもたれかかるようにして立っていた。まだ眠たげで、目の端が少し汚れていた。うん。俺も好きだ。澱みなく溢れるように返事をしながら、そうか、俺はすっかりこの人が好きになってしまったのか、と頭の端で考えた。キラウㇱから言葉にしたのもおそらくこれが初めてだった。それから、本当に一人でいいのかとここ数日で何度もした質問を繰り返そうとして、口を噤んだ。寂しさはキラウㇱのものだった。門倉を置いていくキラウㇱが寂しいのであって、けれどそれがこんな表情をさせてしまっているのなら、それこそ本意ではなかった。代わりに「そのうち一緒に行こう」と言って、膨らんだ鞄を肩に掛けた。結局いつまでもどこか寂しいのだ。一人でも生きていける人間が二人、一緒にいようとする事はきっとそうなのだろう。キラウㇱは別にそれで良かった。ただ、あの朝、わざわざ寝床から出て見送ってくれた人のいる我が家に、少しでも早く帰りたいだけだった。
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