上空450メートルにて 自分にとってのあの男について考える。
同じ隊で一つ年下の男。テンション高いわけではないけど、大阪出身らしくボケたらツッコんでくれる。過去の経験からか知略に富んでいて、あいつの策になんども助けられた。うちの隊に無くてはならない存在。色んなやつと組む機会はあったが、結局はあいつの策で動くのが一番動きやすかった。
大切な相手だ。それは間違いない。じゃあ、それは隠岐らとに対するそれと同じ『大切』か。
違う。皆とおるときに感じるわくわくそわそわと、あの男といる時に感じる安堵のようなそれは違うものだ。
あの男の傍でだけ泣き言を零すことが出来た。みっともないと思いつつも零した弱音を、大して興味も無さそうな顔で「イコさんも大変なんすね」なんて返すから。いやもっとかける言葉あるやろ、なんて言い募れば、「せやったら相談料で飯作ってくださいよ」と返ってきて、そのまま自室で飯を作ってやっている間に、何でそんなにしょうもないことに悩んでいたのか忘れるのである。つくづくあの男は俺という人間を理解していた。そういうところが好ましかった。
きっと、決定打がなかったのだと思う。
あの男に対する俺の甘え。あの男が俺にだけ見せた空虚。お互いが抱える、規定量を超えた思いを知っていながら、じゃあそれをどうするのかという次の動きは、どちらも取らなかった。
告白して恋人同士になる?俺とあいつが?おもろいけど、そうなりたいわけではないとはっきりと思う。手をつないだりとか、綺麗なイルミネーションを見に行ったりとか、こじゃれたカフェに行ったりとか。成人してから数年間、数名の女の子と付き合わせてもらったけど、ああいうことをあの男としたいとは思わなかった。
じゃあ、体の関係を持つ?これは、正直考えなかったわけではない。人のベッドに寝転んで文庫本を読みふけるあの男に、何も感じなかったかというと嘘になる。でも、流石に同じ隊の男とセフレはまずいんやないか?という社会通念が邪魔をした。あの男との関係以前に、隊の空気を壊したくは絶対になかった。
さて、何で俺が今更こんなことをだらだらと考えているかというと、ボーダーを離れることになったからだ。正確には離れることを検討している状態で、確定ではないけれど。
ただ、実家で祖父が倒れたことで、先について考えた。祖父に大事はなかったが、それでも年齢を考えると、道場の引継ぎも考えるべきだろう。その跡継ぎは、どう考えても自分しかいない。
だから、あの男に一番に話そうと思った。普段行くような居酒屋ではなく、マリオちゃんに教えてもらった小料理で、いかにも大事な話をしますという雰囲気を作って。
「イコさん、遅れてすんません」
「いや、俺もさっき来たとこ」
デートのテンプレートのようなやり取りを気にも留めないようで、男はコートを脱いで席に着いた。
「なんか頼みました?」
「いや、まだ全然」
「せやったら適当に頼みましょ。イコさんのチョイスに任せますわ」
「マジで?信頼されてんな俺」
「大げさやな」
はは、と男が楽し気に声を漏らして笑う。そんな顔をじっと見つめて、俺はどう切り出そうかと考える。しまった、こいつが来る前に考えとけばよかった。まあ、ええか。単刀直入で。そう考えて、呼びかける。向かいの男がじっとこちらを見つめ返した。
「実家戻るんやろ」
「は?何?エスパー?」
あっさりと言い当てられた俺は思わず動揺してしまう。え、何で?サイドエフェクトにでも目覚めたん?
「いや、サイドエフェクトには目覚めてませんけど」
「心読んでるやん!」
「イコさんわかりやすいねん。そもそも、この前お祖父さんが倒れた言うて帰省して、大事な話や言われたら大体察しつくでしょ」
「確かに」
この男のいう通りだった。相変わらず頭の良い男である。大学院まで行くような人間はやはり違う。適当に感心していれば、酒と料理が運ばれてきた。乾杯をして続々と運ばれてくるおいしい料理に舌鼓を打つ。
ふと、男の薬指に目が行った。当然、そこには何もない。この男は装飾品の類を好まないし、結婚を約束した女性がいないことも知っている。何ならこの前結構長く付き合っていた女の子と別れたと言っていたから今は完全にフリーである。フリーだから、何というわけではないけれど。
なんとなく、まったく理由がわからないが、その細い指を見て、下心が働いた。
「お前、俺がおらんでも生きてけるんか」
その言葉に男が少しだけ驚いたような顔をした。その一瞬の動揺に却ってこちらが驚いてしまう。まさか、そんな反応をされるとは思わなかった。どうせいつものように、当たり前やろ、とあきれた声が返ってくるのだと思っていた。予期せぬ形で見えた弱さに鼓動が早くなる。これは、まずい。
「め、飯とか、割と俺に頼りきりやったやん」
戦略的撤退やから。自分の日和った言動に頭の中で言い訳をする。今の男の一瞬を追求すれば、もう、逃げられないと悟った。出会ってから6年。その間お互いに誤魔化しつづけた感情に今更、名前をつけるのは遅すぎる。
「大丈夫に決まってるやん」
男もそう言って笑った。俺の言葉に対して説明を求めることをしなかった。これまで通り。これまでもこうやって、お互いの抱える何かを誤魔化し続けてきた。
「でも、流石にイコさんおらんくなったら寂しなるわ」
「それは俺もやで。マリオちゃんに泣かれたらどないしよって思うてるもん」
「いらん心配やろ」
そんな風に当たり障りのない言葉で、それでも楽しい時間を過ごした。杯も時間も良い頃合いだったため、そろそろ帰るかと問うと、酒でほんの少しだけ雰囲気の緩んだ男は、はいとえらく神妙に返事をした。
「どないしてん」
「さっきの話。…俺、イコさんがおらんでも生きていけるけど、多分誰かに『イコさん』って無意識で呼びかけてまうし、食う飯は適当になるし、ほかのやつの旋空見て短いなって思いますよ」
「は、」
その話は、いつも通り誤魔化して、あやふやにして終わったはずだ。そもそも、そういったコミュニケーションを好むのは断然この男のはずで、こんな風に素直に感情を差し出すような真似、滅多にしない。
「おらんくなっても生きてはいけるけど」
その後に言葉は続かない。うつむいた男に心臓を掴まれた心地だった。
俺は、素直に感情を見せるなんてことがない男の、その滅多にない行為が、俺にだけされるという事実がたまらなく感じていた。
先ほどこの男が言った通り、俺がいなくなった後のこの男なんて容易に想像できる。きっと一人で誰にも悟られないまま空虚を抱えるのだ。寂しいとか、本当は引き止めたかっただとか、でもしょうがないなんて自分を納得させて。
そんな男を抱きしめたくなった。一人になんてさせたくない。俺の傍にいればいい。そう考えて、嗚呼クソ、と低い声が漏れた。
置いてなんて、いけるはずがなかった。離れるなんて考えられなかった。
「お前、ほんま狡い男やな」
散々目つきが悪いと言われたその視線で、男を睨みつける。男は目を細めて、薄く口角をあげた。勝利を確信した際に男が見せる、表情だった。
つまり、俺はこの男の策略にまんまと嵌められたのだ。弱さを見せて、その弱さを放っておけない俺の心情を熟知して、この6年に終止符を打って見せた。
思わず机に突っ伏して両手を上げる。参りました。
「…さっきまでのボーダー辞めるうんぬんの話、全部エイプリルフールの噓やから」
「往生際わっる。エイプリルフール今日ちゃいますよ」
「知っとるわ」
せやって、やってられへん。これまでの6年なんやってん。
嘆いた俺に、「それはほんまにそうですね」と苦笑いが降ってくる。
「……なあ、やり直してもええか?」
「ほな、夜景の綺麗な展望台にでも行きますか」
茶化すような声が返ってくる。この男の機嫌が良いことは嬉しい。だが、してやられた手前その軽口は気に入らなかった。
「分かった。スカイツリー行こか」
「え、は、正気です?」
「お前が夜景の綺麗なとこで告白されたい言うたんやろ」
「いやいやいやいや」
喚く男の手首を掴み立ち上がらせる。勘定を済ませて、抵抗を示す男を引きずり歩く。残念やったな。俺のほうが力はあんねん。
とまあそんな感じで。ロマンチストなあの男のために俺がスカイツリーで告白してな、OKもろてん。せやから付き合うことになりました。馴れ初めとか照れるわ。そう言って鼻の下を擦れば、おもっきし頭をはたかれたのだった。ナイスツッコミ。