付き合ってないのに痴話喧嘩は犬も食わない リィンとクロウの不仲騒動から数時間。第五階層の最奥まで回って《円庭》に戻ってきた面々は二人を除いて疲れ切った表情をしていた。余りにも不毛な痴話喧嘩、それでいて付き合っていないというのだから手に負えない。瞬く間にそれは広がり、新旧Ⅶ組は総出で溜息をつき、他の面々も事情を察したように苦笑いをしていた。一部生温かい目で見る者もいたようだが。
「全く、本当にいいのかい?リィン君だって同じ気持ちを持っているのだろう?」
「……あいつには悪いが、応えられるほど真っ直ぐじゃねぇんだ」
テーブルを囲って、かつて試験班だった面々がクロウに詰め寄る。アンゼリカの言葉に彼は首を振った後、真剣に迫ってきたリィンの事を思い出す。構えば構う程、愛情と執着心そして独占欲が生まれ、その度にクロウは己を律してきた。果たしてそれは必要か、と。必要であるならばいくらでも利用できる。だと言うのに彼の場合はどうだ、根も真っ直ぐでたくさんの人から慕われている。そんな彼を利用するだなんて出来ないし、したくもなかった、これはフェイクでも何でもない本音であった。未だに《C》だったころの話も出してネタにするのは正直言ってやめて欲しいのだが。
「嘘偽りない事が、リィン君への誠意だと僕は思うけどなぁ」
「そうだよ、クロウ君はもっと素直になっていいんだよ」
ジョルジュとトワの言葉に、クロウは俯く。分かっているのだ、そうである事は。偽らざる思いを伝えていいのならば溶かし尽くす程に思い知らせてやりたいのだ。どれだけ彼がリィンを好いているのかを。だが同時に理解しているのだ、自分がどれだけ傷付けてしまったのかを。だから戒めとして決めたのだ、遠くから幸せになっているのを見ているだけでいいのだと。
「クロウ、君は案外生真面目だね」
「おいおいゼリカ、自分で言うのもなんだがこんなに不真面目な奴世の中いねえぜ?」
「アンちゃんの、言う通りだと思う」
アンゼリカの言葉に、トワは賛同した。彼の本質はさり気無いフォローと気遣いにある。これ以上傷付かない事、それがクロウの望みだろう。それは三人とも分かっている。雁字搦めにされるまでに追い込まれるほど、そうしなければという意識が強いのだ。これを生真面目以上になんというのだろう。
「まずはリィン君と話し合いなよ。君からの言葉を彼はずっと待っているんだろう?」
ジョルジュの言う事は正論だ、だが出来ていたらとっくにやっているとさえクロウは思った。だからこれを曲げる訳には彼も行かないのだ。
「今のままでいいんだよ。……最低な俺の事なんてそもそも忘れてりゃ良かったのに」
そういったクロウの鳩尾にゼロインパクトが撃ち込まれる。彼は言葉で抵抗する事すら敵わないまま意識を失った。
一方その頃、第六階層では。見兼ねた新旧Ⅶ組の女子たちがこぞって集まってパーティに入っては根掘り葉掘り聞く始末だ。リィンは隠すつもりなど毛頭なかった。自分の恋心を自覚していて、同じものをクロウが持っている。それだけで諦めない理由足りえるには十分だった。
「寧ろ、貴方達なんでくっついてないのよ?」
「クロウが頑ななのが悪い。寝てる間には告白できるくせに面と向かってはしてこないんだ。だからこちらから告白するなら起きている時にしろと言っただけだし」
リィンは太刀を一薙ぎして壺を壊す。落としたアイテムを回収しながらラウラとフィーが話を続けた。
「そなたら、もう学院にいた頃からべったりだったであろ」
「ん。正直鬱陶しかった」
言われてみれば、確かにそうかもしれない。Ⅶ組に入って来た後は特にクロウの行方を常に探していたような、そんな気さえする。だが第三者に指摘されるとそれはそれで気恥ずかしいものがリィンの中にはあった。
「多分、クロウは自分が誰かの幸せに繋がるなんて想像もしていないんだ。立場とか含めると仕方ないのかもしれないけど。でも、それは違うんだってちゃんと知ってほしい」
「あの、それならいっそクロウ先輩と距離を取ってみたらどうですか?」
ユウナの提案に一同は首を傾げる。そして女子だけ集まって内輪トークをし始めた。
「どうしてそう繋がるのですか?」
「だって、リィン教官ってクロウ先輩の有無で大分態度変わりますよね?」
それは確かに、と旧Ⅶの女子たちは思った。クロウが亡くなった後の彼がそれを証明している。五十ミラコイン一つで思い出して動揺してしまうような状態でクロウ無しに過ごせば自ずと態度へ出てしまうのは分かり切っているのだから。
「それでいざ接触した時にクロウさんがどう思うかを確かめるんですね?」
「なるほど。触れられない時間ほど二人の思いを焦がすものはないでしょうし」
楽しそうに語るミュゼにため息をついて、趣旨そのものは間違っていない為肯定する。そうしてリィンを見やって、このまま探索を続ける事となった。第六、第七階層と攻略して《円庭》へ戻って来たリィンは他の面々とまたダンジョンの方へと潜ってしまった。クロウに一切声を掛けることなく、だ。
「リィン君、クロウ君探しすらしなかったね」
「ああ、いつもなら探すくらいはするはずだ」
実際、件の男はベンチの上で蹲っているのだが。余程ゼロインパクトが効いたらしい。
「……ああ、なるほどそういう事か」
にやり、とアンゼリカは笑った。発案が誰かは分からないが、考えている事は分かった。そうともなればこのまま気絶させておく方がいいか、とリィンの探索班に加わったのだった。
「ったく、ゼリカの奴加減ってもんを知らねぇのかよ……」
「まあ、全面的にクロウが悪いんだから反省しなさい」
数時間後、何とか復活したクロウは元凶に悪態づいたものの通りがかったサラにそう言われた。どうやら探索から戻って来たらしく、左右見渡したもののどこにもリィンは見当たらなかった。
「あいつは?」
「さっきからずっとここと階層行き来してるわよ。今は特務支援課とブライト家が一緒に行ったみたいね」
「ったく、さっきからずっとだろ?いい加減休めばいいってのによ」
リィンを除いたメンバーは交代で、行ったり来たり。そこにクロウが呼び止められる事がないのは、彼自身も不思議に思っていた。何かしただろうかと思ったものの思い当たる節しかなく、どれなのかがはっきりとしなかった。
「あら、心配ならアンタがずっと一緒にいればいいじゃないの?」
「……それとこれとは話が別だろ」
確かに、片時も離れずにリィンといたい。それは本音だ。心配から来るものもあるが、一番は自分の中にある独占欲。例え同じ気持ちであろうと、リィンの持つものの方が純粋で綺麗なのだろう。クロウにはそれを穢す勇気は生憎持ち合わせていなかった。
「リィンなら、もうとっくに大人よ。アンタが思っている以上にリィンには覚悟も度胸も据わってる。……嫌って程思い知ったんじゃないの?」
ああ、そうだ。彼は心の中で肯定した。かつて、自分が《帝国解放戦線》のリーダーであった頃。いくら突き放しても追いかけてくる彼がどれほどの覚悟を持ち合わせたのか、《煌魔城》での戦いで嫌という程。そして未来を託そうとしても共に手を取る事を譲らなかった《第一相克》ではなおの事。
「正面からぶつかってみなさい。フラれた時にはアタシが奢ってあげるから」
「ったく、わーったよ!フラれたら絶対奢れよ!?」
「はいはい」
そう言って手を振ってるサラがなんと言ったか気付いていないのだ。――絶対あり得ないから安心なさい、と。
何度目かの探索の後、リィンはまた戻って来た。さて次は誰と、と考えているとふとクロウと目が合った。そのまま目を反らそうとした瞬間、物凄い勢いで迫ってくる。逃げようと身を翻したものの、出遅れた為にそのまま腕を掴まれてしまった。
「……どうしたんだ?クロウはカンストしてるから連れて行かないぞ?」
「そう言う事が言いたいわけじゃねぇよ。ちょっと付き合え」
そう言って腕を引くと、《円庭》の端の人気のないところまで来る。辺りを見回して、深呼吸するクロウに、リィンは首を傾げた。
「リィン、面と言えば返事をくれるって言ったな?」
「え?ああ。あの話か。もちろんそうだが」
「好きだ、学院にいた時からずっと。だから付き合ってくれ」
反らす事の許されない、意志の強い紅の瞳がリィンを射抜く。それに安堵して、花が咲くように微笑んだリィンは、ずっと待ってたという。
「俺も、好きなんだ。クロウ、だから……よろしくお願いします。それから一発殴らせてくれ」
余りにも遅すぎた告白に、リィンはとっくに限界だった。その後響いた打撃音は、痴話喧嘩として処理され後に『付き合ってもないのに犬も食わない事件』として語り継がれるのであった。
END