Das bezaubernde Rouge ist seins. 髪のセットよし、ドレスよし。淑女の立ち振舞いは一通り義妹と生徒に叩き込まれたのでよし。それと何処から手に入れたのか分からない声を変える秘薬でのボイステストもよし。地獄と化したオーレリアからの依頼は、ある夜会への潜入だった。曰く、主催者である貴族の男が女を品定めしては売っているとの噂が流れているという。実際それの参加者で行方不明者というのは不自然にならない程度で出ているというのだ。見目麗しい女性を品定めしては囲うとも言われており、最初は特務活動の一環としての依頼だったのだが。それに待ったをかけた男がいた。生徒バカ、もといリィン・シュバルツァーである。かの女学院の依頼の時は屋外という、開けて人の目に付きやすい場所であったから手を出せたが夜会となれば話は変わってくる。密室、とまではいかないが外部からの応援はほぼ見込みゼロと言っても過言ではないのだ。そんな場所に放り込むのは断じて反対だった。過保護が過ぎるのも困り者だ、そして考えた末にオーレリアはこう言い放ったのだ。
「ならばそなたが女装して潜入すればよかろう?」
生徒に何かあるよりも数段マシか、リィンはその提案に羞恥心を全て飲み込んで乗ったのである。作戦日は一週間後、それまでにどこでスイッチが入ってしまったのか分からないミュゼを筆頭に、女性陣によるコーディネート論争が始まり。気付けば何処から聞き付けたのかエリゼ達も加わり、果ては淑女たるに相応しい立ち振舞いの徹底指導が入り。クルトは在りし日の出来事を思い出して身震いし、アッシュは完全に蚊帳の外だったが状況を楽しんでいるように見えた。作戦も固まり、残すはあとは当日だけとなったのだが。
「でもいいのかしら、リィンさん一人で放り込んでも」
「ええ、武器を仕込むといってもナイフとアークスが精一杯でしょうし……」
エリゼ達はそんな話をしながらアフタヌーンティーを嗜む。リィンが非力であるわけではない、ただナイフといっても使いなれている訳ではないしアークスによる導力魔法も他に卓越している面々がいる。無手の型があるとは言え、いつもよりは動きづらい事も予想されるのだからその心配はもっともだった。そして何より、人を惹き付けやすいのだ。外面的にも、内面的にも。もし、万が一の事があれば。新旧Ⅶ組、果ては皇女たるアルフィンまでもが黙ってはいないのだろう。
「そうですね……。少し保険をかけましょうか」
ミュゼはアークスを開いてある人物と連絡を取り始めたのだった。
そして、当日。会場へと向かっていったリィンを新Ⅶ組は遠目に見る。作戦は凡そ最初立てたもので間違いはないが、彼には伝えていない変更がある。ミュゼはとてもいい笑顔でクルトを見るとそっと目を逸らされる。
「さあ、あの方もそろそろ合流なさいますしクルトさんも用意しましょうか」
決して合わせない目、しかし言外にある確かな圧を感じ取っていたのだった。
「やはり無理があったか……?」
会場に着いて、すぐに隅へと移動したリィンはため息をついた。どうも注目を集めてしまっているらしく、時間が経つにつれてその視線は強くなる。女性としてはギリギリごまかしの効く背丈ではあるし、体格は隠せるように生徒達は尽力してくれた。それでも見られるのは、どうも落ち着かない。依頼だからと心を無にし、愛想笑いするしか術がない。
「おや、お嬢さん見かけない顔ですな」
「ええ。今日が初めてですので……以後お見知りおきを」
あくまで淑女らしくを心掛ける。優雅に一礼するとそれだけで声をかけてきた男からは好奇の目を向けられ、肌が泡立つのを感じた。会場にいる客の六割が男性で、女性達をまるで品定めをするかのように見ている。ここは余りにも欲に濡れすぎていた。
「お一人であるならエスコートいたしましょうか?さぞかし不安でしょう?」
「お気持ちはありがたいですが、私は平気ですから」
次から次へと、ナンパのように声をかけられてはあしらい続ける。とうとう疲弊したリィンは場所を移動して別の隅へと移動する。ふと目線を上げれば、主催者が姿を表したらしく入り口から程ないところで人集りが出来ていた。間から見えた女性を値踏みするような目。それに耐えきれそうになく、一度人気のないバルコニーで休憩をするのだった。
「お疲れ様です、カーシャさん」
「ああ、アルティナこそ。周囲はどうだ?」
《クラウ=ソラス》のステルスモードで周囲を警戒していたアルティナは、バルコニーに出たリィンを見つけると周囲の状況を報告した。彼女曰く、まるでこの夜会は敵が入ってこないことを確信しているかのようだという。護衛は最低人数、彼女がステルスモードとはいえ紛れ込んでも警戒されないのだから確かに杜撰過ぎる。
「こちらは大分黒だな、招待客の男女比は恐らくだが六対四。目線が全て女性を品定めするものだ、まだ確証はないんだが……。でもアルティナやミュゼ、ユウナじゃなくて良かったと思うよ」
「そうですか。……万が一、危なくなったらティータさんが取り付けてくれたアラートを鳴らしてください。絶対、駆け付けますから」
「ああ、ありがとう。引き続き、警戒してくれ」
その言葉を最後に二人は別れる。もう少しの辛抱だ、そう思いながらリィンは会場へと戻るのだった。
「おや、お嬢さんとはまだご挨拶していませんでしたなぁ」
「いえ、本来はこちらから伺うべきでしたのに。申し訳ありません」
リィンが戻ってくると、挨拶回りを一通り終えたかの男が近付いてきた。舐め回すような視線を我慢しつつ不自然にならないように言葉を返す。
「カーシャと申します。本日はルグィン伯の勧めで参りました。何分引きこもりですので、いい加減社交界に出てはどうかと仰られたので」
「なるほど、お困りの事があれば使用人にお申し付けください。良き勲等になることを願っていますよ」
去っていった姿に、リィンはホッと息をついた。母の名前をこんなところで使ってしまうのはとても苦しいのだが、背に腹は代えられない。それにしても、と改めて状況を整理してみる。のらりくらりとかわしながらも女性客にも話を聞くことが出来たものの、暗黙のルールがあるらしい。一つ、主催者が最初に選んだダンスのパートナーが本日のお気に入りである。如何なる理由があれど邪魔をしてはいけない。二つ、女性には勝手に手出しして良い。尚それはパートナーの有無と合意か否かは問わない。そしてそれはいま給仕をしているメイド達も例外ではない。三つ、夜会の中頃に主催者は自室へお気に入りを連れ込んで調教し終わる頃には競売にかけられる。どれだけ反論や法へ訴えようとしても取り下げられてしまうのはそういった私腹で相手を黙らせているからに過ぎないのだとか。この話を聞かせてくれた女性はここで出来るコネクションを家が最大に利用したいのだとかでもう三度目だいう。だから言われたのだ、ダンスにだけは気を付けるようにと。
「お飲み物はいかがですか?」
「いえ、私は大丈夫で……え?」
差し出したトレーにあるのは、レッドホットソーダ。それはいい、さして珍しいカクテルでもないのだから。だが問題は、それを持ってきた彼女にある。銀がかったアイスブルーの髪が特徴的の綺麗な女性。それに見覚えどころか見慣れてさえいるリィンはため息をついた。これは帰ったら全員纏めてお小言が必要か、だなんて思いながら。
「どうしてクルシアが……?」
「他の誰かを入れる訳には行きませんから。これは私の手作りですし飲んでも大丈夫ですよ」
クルシアは困ったように笑う。女学院の《古代遺物》事件はリィンも話には聞いていたし、彼がどんな目にあったかも聞いたので恐らく目の前にいるのは恥を忍んでということは用意に想像がつく。敢えてこれを持ってきた理由も何となく分かってしまった為、一杯受け取った。
「ありがとう。引き続きよろしく頼むよ。あと帰ったらお小言があると思ってくれ」
一瞬苦い顔をしたのち、同罪だと腹を括ったのか嫌な顔一つせずに頷いた。そして何か思い出したように、彼も口を開いた。
「屋敷の状況はこちらで調べて彼に伝えています。恐らくそちらもお小言を貰うと思いますが甘んじて受け取ってください」
不可解な言葉を残した彼を遠目に、受け取ったレッドホットソーダを口にした。錯覚なのか、それからは懐かしい味がする。リィンが知る中でたった一人にしか作り出すことの出来ない物だ。目線だけで辺りを見渡すと、見慣れた紅と目があった。いかにも不機嫌そうな色をしたそれがバルコニーへ向けられると、リィンもそちらへと向かった。
「いい訳はあるか?」
開口一番、誘導してきた本人――クロウはそう詰め寄った。正装でも様になってかっこいいな、というリィンの感想は心の中へと仕舞う。ここにいる理由はただ一つ、依頼を達成するためだ。
「生徒を危険に晒すよりは数百倍マシだと思っただけだ」
「ったく、お前が危険なんじゃねぇかってこっちは呼び出されたんだが?」
ジト目で見てくるクロウの視線を逸らす。クルシアもとい、クルトの言った事はこういう事なのだろうと甘んじて受け止めた。彼らにもまた心配をかけてしまっているのが申し訳無い。
「それで、情報は?」
「タイムスケジュール的にはそろそろダンスが始まる頃だな。今日のお気に入りは誰なのかねぇ。まあ、あんま当たって欲しかねぇがな」
話や事情を聞いて、凡そのスケジュールを把握したクロウは苦虫を噛み潰したような顔をして言う。理由が分からないリィンが首を傾げると、深々とため息をついた後に心底嫌そうな顔でこう言った。
「聞き込みをしながらな、今日はどいつが好みなんだ?って聞いたんだよ。そうしたら、カーシャ嬢だっていう声が多くてな」
心底嫌そうな顔だった。暗黙のルールも考えてしまえば同性であれ恋人がそういった目に遭う可能性というのは気持ちのいいものではないのだろう。だが、今リィンが優先すべき事は別にある。
「あまり喜びたくはないが……チャンスではあるのか」
「頼むからやめてくれ。殺しちまいそうだ」
大丈夫だ、と笑ってバルコニーから戻ろうとすれば、腕を引かれてそのままクロウの腕の中に納まった。
「Shall we dance」
引かれた手の甲に口づけられると、リィンは困ったように笑う。あくまで邪魔してはならないのは主人からの誘いだ。人目のつかない場所でならば関係ない。どうあっても最初の相手をクロウは譲るつもりがないのはリィンにも理解できたので、喜んでと答えるのだった。
「カーシャ嬢、私と踊っていただけませんかな?」
クロウの言った通り、会場に戻って程なくダンスが始まった。主催者の男が最初に指名した者が今日のお気に入り。暗黙で馬鹿馬鹿しいそのルールに逆らう事は得策ではなく。離れた所にいた彼に、リィンは目配せすると仕方ないとばかりに頷かれたので淑女らしい優雅な笑みと共に差し出された手を取った。
「こちら《C》、例の時間が始まった。《黒兎》には所定の位置について貰うが構わねぇか?」
リィンがその手を取ったことに胸糞の悪さを覚えながらも自分の仕事をクロウが忘れる事はなかった。アルティナへ迅速へ連絡し、計画は最終段階へと移行する。
『こちら《黒兎》、了解しました。近くにアッシュさんを待機させても?』
「ああ、構わねぇよ。ユウナとミュゼは?」
『わたしはともかく、お二人は何かあってはいけないので連絡役として残っていただいています』
以前から比べれば、成長したのだろう。今優先すべき事への判断力は変わらずとも、周囲にある情報と因子、そして感情も判断材料として加えられるようになった。それは彼も喜ばしいのだろうが、一つだけ抜けているとクロウはため息をついた。
「お前も何かあればあいつブチギレるからな?終わったら何でも奢ってやっから無茶すんなよ?」
『では、ルセットの新作を。お願いしますね』
その言葉を最後に、アルティナとの通信は切れる。情報局による罪状の洗い出しも終わっているとの事だったので後は捕まえて正規軍に引き渡すだけか。と意気込みながら、ダンスが終わって会場を後にしたリィンを遠目に見るのだった。
「初めてとは思えない程素晴らしかったですよ、カーシャ嬢」
「ありがとうございます、何分礼儀作法だけは徹底的に身に付けたもので」
男の私室に連れて来られたリィンは、アンティーク調の椅子に腰かけた。使用人が持ってきた紅茶にリィンはあえて口をつけた。こういった潜入の仕事では安易に出されたものは口にしないのが鉄板だと、《灰色の騎士》として活動していた頃にレクターから学んだのだが、今回は何があっても大丈夫である事を前提としている。
「ルグィン伯の紹介だとおっしゃっていましたな。どんなご縁なのですかな?」
「そうは言えど最近の縁です。去年の領邦会議で父と知り合ったそうで。何かと気に掛けてくださるんです」
「そうですか」
話は続く。趣味だとか、故郷の話だとか。当たり障りのない所をのらりくらりとかわしてとうとう男は違和感に気付いた。
「ところで、お体は大丈夫ですか?お疲れでしょう?」
「いいえ、大丈夫です」
そして、目に見えて彼は焦り始めた。その反応だけで出されたものに何かを混ぜさせたのは明白だというのに、全くもって気付く様子はなかった。それを教える程親切ではないが優雅に微笑んでリィンはこういうのだ。
「どうかなさったんですか?随分焦ったように見えますが」
「いえなんでも」
そうですか、ともう一度リィンは紅茶を口に含む。そしてちらりと視線を上げた後に話を続けた。
「それにしても、随分と暗黙のルールが多いんですね。これが普通なのですか?」
「え、ええ。勿論。誇り高き帝国貴族であるならば、暗黙であろうとルールを守るのは当然の責務。カーシャ嬢も立派に出来ていますよ」
「そうですか。それは良かった。ですが……。その調子では寝首を掻かれますよ?」
そして微笑んだ瞬間、向かい側に座っていた男は何かの質量に吹き飛ばされた。
「いいタイミングだ、アルティナ。あれだけで良く分かったな?」
「リィン教官の気配察知ともなればこちらも合わせればいいだけですから」
その言葉と共にステルスを解除したアルティナが《クラウ=ソラス》から降りた。持っていた縄で吹き飛ばされた男の腕を縛り、預かっていた太刀をリィンに返す。状況を理解できないでいた男は二人のやり取りで漸く気付いたのだ。
「リィン、だと……?は、嵌めたのか!?貴族を捕まえるなど言語道断だぞ!?」
「ミュゼさん達の薫陶の賜物ですね。まあ、貴族の逮捕に関しては前例もあります。諦めてください」
前カイエン公に、アルバレア公。四大名門と謳われる大貴族の二家の当主が実際逮捕されたのだ、その辺りは等しく法で裁かれるべきだとリィンは思う。
「そんなの、どうとでもなる!金さえ積めばいくらでも」
「残念だが、引き渡す先は領邦軍ではなく正規軍だ。それに金を積めば全て解決するわけじゃない。現にそれで悔しい思いをした人が俺たちに依頼をしてきたのだから」
古い制度を廃そうとしたギリアス・オズボーンはもういないが、貴族による賄賂での隠蔽や冤罪などの目は厳しくなり現皇帝の一声によりより厳重に罰則されることになった。そして人身売買は最悪の部類に入る犯罪である。いくら積もうとその罪から逃れる事は到底許されそうになかった。
「俺が捕まるなんて……あり得ないんだ……」
放心したかのようにぶつぶつと呟く男は正規軍に引き渡され、屋敷での人身売買事件は解決したのであった。
その後の顛末と言えば、とんとんと話が進んだ。まず洗い出されたのは売られた女性たちの居場所であった。見つけたリストから全て解析されたもの、強力な薬物であった事から依存して抜け出せなくなってしまった者が大半であった。まだ正気を保ててる女性たちに関してはすぐに家へと帰されて、後日事件前後の様子などを証言してもらう事になったのだが問題はこの後である。夜会に参加していた貴族の一部が逃げ出したのである。待機していたユウナとミュゼもすぐに捕縛へ向かい大事には至らなかったものの、どうやら不当逮捕だと思われているようで。
「いい加減にしてください」
同じく捕縛に参加したリィンの涼やかながらも圧のある笑顔で黙ってしまった。後は事後処理と、無関係だった参加者への説明だけとなった。そして、その後のクロウとリィンは。
「ったく、無茶しすぎだろ?」
「仕方ないだろう?こうせざるを得なかったんだから」
時間も経過し、気付けば声は元に戻っていた。女装したままというのは非常に情けない姿であるのは確かなのだが。
「ま、お膳立てされたしこのまま楽しむとしますかね」
事後処理が終わるまで戻ってこなくていい、そう言い含められてリィンはクロウと共に滞在先であるホテルの一室へ押し込められた。当然のようにリィンの荷物は移されている。まるで、出発するまでそこにいろとでも言いたさげな。何の気遣いかは分からないが、リィンは素直に甘える事にした。
「綺麗な赤だな」
クロウは真っ赤に彩るリィンの唇をそっと優しく撫でる。彼はくすぐったいのか身を震わせていた。そして愛しさを込めてこう返した。
「本当は薄いピンクだとかオレンジが乗ったものも進められたんだが。この色だったらクロウが守ってくれる気がして」
余りの不意打ちに、クロウはリィンを押し倒して性急にキスをする。写った口紅の色を気にしないまま、夜は更けていったのだった。
END