それきらい ふぉとぐらふ、というらしい。あたらしいものが大好きな姫さんは、さっそく城に技師を招いて自分の「写真」を撮らせた。姫さんが自慢げにテーブルに広げた何枚もの写真に、おれたちは驚きの声をあげた。
そこには、姫さんの姿があった。つんと澄ましていたり、嬉しそうにほほえんでいたり。ポーズは固いけれど、姫さんが、確かにそこにいた瞬間を焼きつけていた。
けっして消えることのない思い出みたいに。
「とるわよーっ」
姫さんは写真機をかまえる技師のかたわらで、まるで助手のように大きく手を振っている。姫さんの興味は、いまや写真そのものより、写真機のほうに移ったみたいだ。レオナらしいや、とダイが笑うと、マァムもほんとにそうね、とほほえんだ。
空は澄んだ水色で、箒で掃いたような薄い雲がかかっている。ときおり吹きぬけるすこしひんやりした風と葉擦れの音が、すごくきもちいい。たくさんの木々に囲まれた庭園に集まって、おれたちは1枚の写真におさまろうとしていた。
おれの左後ろには、あいつが立っている。姫さんにもう少し互いに寄るように言われて、おれの肩とあいつの腕がふれた。ほんわりとあたたかさが伝わってくる気がして、くちもとがゆるむ。ちらっと見上げると、あいつはいつもの無表情だったが、目だけ少し、こういうときどうふるまったらいいのかわからない、といったいろを浮かべていて、おれのくちもとはまますますゆるんでしまった。
ダイがいて、マァムがいて、姫さんがいて、あいつがいて。
澄んだ明るい空の下、みんなで一緒に写真を撮る。こんな日が来るなんて。
「ヒュンケル、相変わらず仏頂面ね~」
姫さんが腕組みをしながら言った。そうだわ、と思いついた顔をする。
「ちょっとピースとかしてみてよ」
にこにこと言われたその注文に応えようと、らしくもなくおずおずとした動作で、あいつはピースサインを作ろうとした。
なにげない、普通の、しぐさ。ただそれだけ、だったのに
無数の閃光が奔って、おれの目を眩ませる。
敵が放つ灼けつくような熱風を身体中に感じた。
巻き上がる粉塵のなかに、ただひとつ銀に輝く鎧の後ろ姿。
声の限りに名前を呼んでも決して振り返ることなく、その右手があがり、ピースサインを掲げた。
ああ、そんな。嘘だろう
おれは
「ポ…ポップ…?」
驚いたようなあいつの声が降ってくる。
おれは、あいつの腕を思いきり両手で掴んでいた。そしてそのまま力いっぱい、その腕を引き下ろそうとしていた。
たしかにあいつの腕を掴んでいるのに、これが現実だと思えなかった。ダイもマァムも姫さんも、おれの突然の行動に驚いたと思う。なにか声をかけてくれているけれど、とても遠くからの声のようでうまく意味をとれなかった。
脈打つ血の音が、耳をうつ。バクバクと鳴る鼓動で身体が揺れるようだった。のどが灼けついて苦しいのに、額を流れる汗は冷たくて、ガタガタ身体が震えた。あのときの風景が、怖くて、怖くて、怖くて、他になにも考えられない。
ずるりと手がすべり、自分が膝をついたのがわかった。
そのあとの記憶がない。
大きな固い手のひらが、自分の手を包むように重ねられるのを感じた。あたたかくて、ふーっと息をはきだす。
目を開けると、ベッドのかたわらの椅子に座ったあいつの灰紫の瞳が、ほっとしたようにやわらいだ。
「寒くはないか…?風をいれたほうが良いと言われたので、窓を開けている」
風に揺れる大きな窓にかけられたカーテンの花の文様に、見覚えがある。パプニカ城の一室に寝かされていたようだった。なさけないが、おれは庭園で倒れたのだろう。
「ごめん…おれのせいで」
「怒っている者などいない。みなおまえを心配していた」
「そっか…あとでみんなにちゃんとあやまんないと…来てくれてた技師さんにも」
おれが身体を起こそうとすると、ヒュンケルは重ねたままだった手をそっとひっこめた。
それから、静かに口をひらく。
「すまない」
「え…なんでおめーがあやまんの」
思わず、あいつの顔をみつめた。あいつはめずらしく唇をゆがめてしばらく口ごもったあと、言った。
「…安心させるつもりだった。あのサインは、勝利を誓うものだから」
あのとき。おれはうなずく。
「うん、わかってる。おまえのサインがあったから、だから…信じられた。おめーが勝って、かならず戻ってくるって。あやまることなんか…」
おれの言葉にあいつがうつむいてゆっくりと首をふったから、おれはそれ以上言えなくなった。
「ようやく気づいた。オレは自分の行動で、おまえの心に傷をつけてしまった。すまない」
きず。これは傷なんだろうか。
あのとき、おれたちを先に進ませてくれたおまえの本当の気持ちに気づけなかった自分が悔しくてたまらなかった。
もしかしたら、もう会えないのではないかと思って、泣きだしてしまいそうだった。
がむしゃらに走らなければ耐えられないほど…
失うのがこわかった。
そうか。
これはあいつがおれにつけて、いまも残っている傷なんだ。
「うん…それじゃ言わせて」
おれは、手をのばして、あいつの右手を引き寄せた。おれの手で、親指と、薬指と小指を折り曲げる。
ピースサインにして、そっと手を離した。
「おまえの…それきらい」
泣き笑いのような声になってしまった。あいつのも笑おうとして失敗したみたいな変な顔になって、でもとても優しい声で言った。
「わかった」
傷だと気づいたから、受け止めてくれたから、もうこわくない。
それから少したって、おれたちはもう一度写真を撮った。待ち遠しい数日がすぎて、手もとに届いた一枚を、ふたりで眺める。
いまは平和を祈るためのサインを、あいつも、おれも、そしてパーティ全員が笑顔で掲げていた。