1225【1225】
「クックック……浮かれているな」
人間界。イルミネーションが街中を煌びやかに彩り、年末特有の浮き足だった気配に満ちている。人々の様子は常以上に忙しない。ただその足取りは軽く、どこか希望に溢れている。
今日は12月25日。人間の言うところのクリスマス。日暮れ時ではあるが、街並みのそこかしこから光が溢れ、夜の気配を感じさせない。電飾の施された街路樹の中には一等目立つものがある。背の高いもみの木が今日という日のアイコンとして飾られており、天辺にはベツレヘムの星。そして木の元には黒いコートに身を包んだ男が一人佇んでいる。その足元を良く見れば、人々の映す影よりも昏い何かを纏っていたが、行き交う人々の誰一人、そのことには気付かない。
「神へと祈りを捧げるはずの日が、こうも変容していくか。面白いものだ」
これだから、人間界に降りるのはやめられん。来る度に発見がある。彼はそう、小さく唱え緩く口角をあげる。お祭り騒ぎとも言える街の様相に、世の目まぐるしく華やかな変遷を想う。
「ヴァル様?」
耳に馴染む声に視線を上げればそこには彼の良く見知った男がいた。フェンリッヒ。吸血鬼(ヴァルバトーゼ)のシモベである。狼男である彼はその尾を隠すことは勿論、人間への擬態としてジャケットの下に暗い色のセーターを着込んでいる。地獄から送り出す際に整えてやったマフラーがそのままで、首元に巻かれていた。
なるほど、中々似合っている。
ヴァルバトーゼがそう思うのも束の間、やや困惑した面持ちでフェンリッヒは声をあげた。
「どうして此方に。地獄にてお待ちくださいと再三申し上げたはずですが」
ヴァルバトーゼと人間界。この組み合わせに強いトラウマを持つ狼男は顔をしかめる。
「悪く思うな。いつまで経っても帰って来ないお前を迎えに来たのだ」
「いつまで経ってもとおっしゃいますが……まだ私が地獄を発ってから半日と経過しておりませんよ」
呆れたような声の狼男も、主人が自ずから迎えにきたと分かり満更でもないのだろう。それ以上何か小言を言うことはなかった。
二人はどちらからともなく歩き始める。地獄へと繋がる時空ゲートまでの道すがら、主人は従者へ問い掛ける。
「畏れエネルギー増強のためのヒントを得ようと人間界に赴いた仕事熱心なお前だが」
どうだった? 何か収穫は? そう横目で問えばフェンリッヒは申し訳なさそうに言葉を詰まらせる。
「ククク、顔が疲れている。熱気にあてられてしまったか?」
「ええ、人間界はご覧の有り様。この浮かれぶりには辟易します。人目も憚らずいちゃつく男女、店先ではやれクリスマス商戦、贅を尽くした料理と暴飲暴食……何に感謝するでもなく、ただ己が欲を満たしている。人間は最早、敬いも畏れも、忘れてしまったのではないでしょうか」
「それは困ったな。天界も魔界も立ち行かなくなり、人間界を含めた三界の均衡はいずれ破綻する」
からり言ってのけたヴァルバトーゼに冗談などではありませんよと釘を刺す従者。何処からか聞こえてくる定番のクリスマスソングが、悪魔にも等しく降り注ぐ。従者の半歩前を行く主人は、振り向きざまに言う。
「人間自らが生み出したクリスマスの畏れを知っているか」
狼男には思い当たる節がなく、首を横に振る。二人のすぐ横を小さい子どもがはしゃぎ走り抜けていった。後ろのほうから何かを言うその親の声が響いてくる。
「良い子の元にはサンタクロースが来て、枕元にプレゼントを置いていく。一方、悪い子の元には悪魔が来て、連れ去ってしまうと大人は子どもを諭すのだ。まあ、なんだ。子に言うことを聞かせるための都合の良い脅しだな」
「そのようなくだらぬことのために悪魔を引き合いに出すなど……なんという厚かましさでしょうか」
「とはいえ、願ったり叶ったりではないか。子は良くも悪くも純真だ。そこからは純度の高い畏れエネルギーが得られよう」
ヴァルバトーゼは二人の先に駆けて行った幼子の背へと視線を向ける。未だ覚束ない足取りで、それでも小さな命が転ぶことはなかった。
大通りを外れ、細道へと入ると人の波はようやく落ち着きを見せた。
「さ、今日見聞きしたこと、ゆっくり聞かせてくれ。何やら買い込んできたその紙袋の中の御馳走も気になることだしな。……また、性懲りもなく血を仕込んでいるだろう?」
何の前触れもなくヴァルバトーゼに手を引かれ、そして謀を見破られ、フェンリッヒは咄嗟に反応を返せない。彼の動揺とも高揚ともつかぬ感情は繋いだ手越しに吸血鬼にも伝わったらしい。
「悪い子どもは悪魔が連れ帰らねばな」
「お戯れを。連れ帰り、どうしようと言うのです?」
「そうだな。取って食われてみるか?」
冗談混じりに笑う悪魔は正しく悪を貫いていく。男二人が手を引き、引かれ、足早に道を行く様子をすれ違った人間の幾らかが不思議そうな顔で見ていた。
この四百年がそうであったように、俺はこの先もこの人に振り回され続けるのだろう。
そんな予感を胸に抱き、狼男は溜め息を吐いた。けれど、その吐息はなにも、絶望に満ちたものではない。やれやれと甘んじて受け入れる、覚悟とほの甘さを携え、白く夜の空気に溶けていった。
結ばれた手を握り直すと、主人の左手が力を強めた。それが決して気のせいではないと赤らんだ頬から分かれば、従者にまでその火照りが伝染し、氷のような寒さはじわと内側から溶けていく。
「では、攫っていただけますか。恐ろしい悪魔の寝ぐらまで」
悪魔たちはくつくつと可笑しそうに笑う。騒がしい人間界の喧騒に、二人のささやかな歓喜も響いていく。