11代目黒龍の日常回 十一代目を継いでくれ、とイヌピー君に言われたのは多分彼が極限のときだっただったけど。天竺vs東京卍會による関東事変は黒川イザナが重体に陥り集結。最強の名を手にした東京卍會はマイキー君の一声で解散。不良の世界からそれぞれ、離れていった。
「ボス、見回り行ってくる」
「イヌピー君、オレも……!」
「ボスは今日なにするんだっけ? だぁめ、座れ」
黒い特攻服から白い特攻服に袖を通し直したはずのオレは、いつもの場所、制服のままふかふかのソファーに座って机に向かってた。
眼の前に広がる参考書、受験、と書かれたそれを前に、オレはでかけていくイヌピー君の背中を恨めしげに見送った。みんなとは違ってチームに所属している、むしろ総長として黒龍の名を絶やさないようにしているオレにもやらなきゃいけないことがある。高校受験だ。
実際、今出ていったイヌピー君が恨めしい。オレだって、外に出たい。壁にかけた特攻服が恨めしい。勉強は大事だけど、わかってるけど。
「で、ちゃんとここ教えてあんの?」
「あ、はい。千冬は来たことあるから大丈夫です」
「ったくよぉ。ボスがあんまり賢くねぇのはわかるけど、バジ?って奴も中学ダブるってどういうことだよ……」
「はは……」
頭悪いのを分かられてるのは正直堪えるけど、こればっかりは仕方ない。だからこの、黒龍の頭脳(イヌピー君の過大評価、とココ君は言う)にすがってるわけだし。
手持ち無沙汰のオレは冷蔵庫から作り置きの麦茶を出して、いつつのコップに入れた。これから来る人の分も、含めて。
「おーっす」
「あ、千冬」
お盆に乗せた麦茶をテーブルに運んでるちょうどその時、いつの間にか勝手知ったる千冬がアジトに入ってきた。その後ろには、場地君と八戒。これが今日の、『ココ君勉強会』のメンバーだ。
「ココ君、どーも」
「若もいらっしゃい。で、そっちがバジクン?」
「うーっす、今日は世話ンなるゼ」
みんな制服のまま、多分学校終わりにそのまま来てくれたんだ。オレは麦茶を適当に広げて、それからみんなをテーブルに招いた。
ここは昔真一郎くん、マイキー君のお兄さんがバイク屋をやってた空き店舗。最初は不法侵入で居座ってたっていうイヌピー君とココ君だけど、今はココ君が(それなりに悪いことで)稼いだお金で、ちゃんと買い取ってアジトにしてる。もちろん、もう悪いことはやめてて、別の手段での稼ぎに切り替えてるそうだけど。
「……真一郎君の店とは聞いてたけど」
「ああ、そっか、場地君……、大丈夫だった……?」
「ん? まあ、なんも思わねぇっつったら嘘になるけどよ。真一郎君もマイキーも許してくれたし、いつまでも愚図ってたらぶん殴られっからな」
だからちゃんと高校も行かねぇとな。そう言って笑った場地君は、早速鞄から教科書を取り出した。その教科書は折れ曲がってボロボロだった。雑に扱ってるわけじゃなくてちゃんと勉強してるんだというのは伝わるけど、残念ながらそれは中二で習う数学の教科書だった。つまりそこからやらなきゃ、わからないということで。
それぞれが用意した教科書参考書を見て、ココ君はとりあえずオレの隣に来た。元々オレの勉強を見てくれる会なんだから、そりゃそうだ。と、たまには十一代目黒龍総長らしく思ってみる。もちろん、脳内で。
「分かんねぇとこあったら言えよ。これでも高校は受かってっから」
東卍だった頃はなんていうか、みんな同じ中学生なのに大人びてる人たちばっかりで。そんな人達に囲まれてたオレから見てもしっかりと年上のココ君は、なんていうかどこかお兄さんだ。オレから見れば二個上で、高校生で、人には言えない悪いことはどっちかって言うと頭脳派な活動だったからもちろん頭も良くて。特に数学はさすが、といったところ。
もう少しオレが頭良ければかっこ悪いとこ見せずに済んだのに、でもなんか、年上に甘えるのも悪くない。ココ君は、口は悪いけどオレに甘いからな。そんな自覚がある。
「ボス、ここ違う」
「えっ」
勉強を始めた次の瞬間にはオレにツッコミが入った。それはもう、間髪入れずに。一問目だよ、と思いながらココ君の解法を聞いて、なるほどと納得した。それを隣で聞いてた場地君もなるほどとうなずいてる。これはきっと彼も知らなかったことなんだろう。
千冬と八戒は暗記系に挑んでるらしく静かだ。ココ君はまとめて見たほうが早いと踏んだのか、オレと場地君の間に移動して数学を見てくれてる。解法はわかりやすいけど、なんでもかんでも金勘定で例えるからオレはうまく集中できなかった。まるで勉強会じゃなくて悪徳金稼ぎセミナーに来てるみたいな感覚になったからだ。
「ココ君、歴史得意?」
「得意ってほどじゃねぇけど」
「年号の暗記が難しいんだけど」
千冬がココ君に手助けを求めた。数学と違うものならまた違うココ君が見れるのかなと思ったけど、彼は数字が絡むとすぐお金に結びつけちゃうらしく、年号すらお金の話で覚えさせようとしていた。大麻の末端価格だ闇討ち代行代だと、もう足を洗ったはずの裏稼業の帳簿みたいな話を始めるから、オレは千冬からココ君を回収した。ココ君。諌めるように名前を呼んで。
「覚えやすくねぇ?」
「多分ココ君だけだよ」
それだけ稼ぐのが身についてるんだっていうのはわかる。だけどもう、そんなことはしなくていい。ココ君の目標は、ちゃんと達成されてるんだから。
「……じゃ、普通に教えっか。あんまり変なこと言ってたらイヌピーに怒られちまう」
「最初からそうしようよ……」
悪い稼ぎ方をしてたときの顔から、また優しいお兄さんの顔になる。それからのココ君はすごく真面目にオレたちの勉強を見てくれて、終わった頃にはすっかり賢くなったような、気がした。
「おつかれさまー」
そんなねぎらいの言葉とともに現れたのは赤音さんだった。イヌピーくんのお姉さん。顔に巻いた包帯は痛々しいけど、朗らかな笑顔がオレたちの心を癒やしてくれた。
「赤音が飯作ってくれるって」
「オレたちもいいんスか?」
「うん。花垣くんもお友達のみんなも、カレー好きかな?」
「うっす」
場地君の返事に倣うように、千冬と八戒が「ゴチになります!」って大きな声を上げた。「じゃあできるまで続きな」と笑ったココ君の声には、すぐみんなしおれたけど。
色々あったけど、平和な時間だ。オレはまだ不良の世界に存在してるけど、黒龍はもう殺人部隊じゃないし、仲間がいて友達がいて、穏やかで。
だからこんな世界がいつまでも続けばいい。誰かが死んだり、悲しんだりする必要はない。
本当に、こんな世界がいつまでも続けばいい。いつまでも、永遠に。