🍃🌹「アイスクリームを買いに行くから一緒に来てほしい」
トースターに入れておいたパンとコーヒーメーカーから香ばしい香りが漂い始めた頃、突然のお誘いは訪れた。
聞けば今晩久しぶり開かれるポップコーンパーティーのためにアイスクリームを買いに行きたいのだという。マリオンはLOMでのウエストとの再戦を終えるまで昼夜トレーニングに明け暮れていたし、ノヴァ博士は毎日研究に没頭し通しで今朝やっとジャックの手によって風呂に放り込まれていた。ずっとお預けになっていた家族水入らずの時間が取れることになってマリオンも少し張り切っているのだろう。
「ジャクリーンのためにもう一度アイスクリームを買いに行きたいんだけど、ボクひとりで行くのはどうしても心配だってノヴァが言うから…」
もしよかったら着いてきてほしい、となんとも言いづらそうに自分を呼び止めたマリオンの瞳はいつもの自信たっぷりな様子がなりを潜めなんとも健気に揺れていて、ガストは二つ返事で一緒に行くことを了承した。
あの日ジャクリーンが食べたかったアイスクリームはドロドロに溶けてしまったが、それでも彼女は大好きな家族たちが戻ってきたことが何よりと健気に喜んでいた。ジャクリーン曰く「いろんな色のスープみたいになってしまった」アイスクリームのことはきっとマリオンの心にずっと引っかかっていたに違いない。ガストは元より人に頼られることを心地よく感じる性分だし、何よりも家族のことを大事にするマリオンがここぞという時に自分を頼ってくれたことを嬉しく思わないわけがなかった。マリオンが声を掛けることのできる相手は限られているし、方向音痴のルーキーを誘うことはないだろうから消去法で選ばれたと分かってはいても。
件のアイスクリーム店はオープンしたての頃に比べたら客の熱狂は落ち着いてきたとはいえ、それでもいくらかは並ぶことになるだろう。それに甘いものが大好きな家族のことだから買って帰るアイスクリームの量もきっと多いに違いない。マリオンが華奢な風貌であっても怪力であることは重々承知しているが、何日もベッドの上で過ごすほどの重傷が治ってからも休みなく働いていたのだからオフの日くらい無理はさせたくない。ガストは頭の中でもっともらしい理由を並べて、マリオンからの初めてのお誘いに浮かれている自分に気づかないふりをした。
イエローウエストの繁華街にあるそのアイスクリーム店は、新鮮な素材で作られたアイスクリームとSNS映えする店内が話題を呼んで若い女性たちの間で人気らしい。
たしかに店は外観からしてなかなか洒落た品のある雰囲気で、イエローウエストのネオンサインで賑やかな街並みからは少し浮いている。さすがに朝からアイスクリームを食べようという客はそう多くないのか、ガストとマリオンの前には2組が並んでいるだけだった。
「思ったより早く買えそうでよかったな」
「そうだな」
落ち着かないガストが饒舌になる一方で、マリオンはいつも通りの取り澄ました涼しげな表情でいる。
程なくして店内に案内されるとそこは甘ったるい香りに包まれていて、壁には色とりどりの絵画が飾られたいかにも女子ウケしそうな空間だった。小さなイートインスペースにはモザイクタイルで彩られたテーブルが並んでおり、週末には写真を撮る客で賑わうのかもしれない。ガストは女子の好きそうなものには疎いが、きっとこういう"かわいい"ものに女の子たちが目を輝かせるであろうことはなんとなくわかる。そしてマリオンもここが嫌いじゃないことは、心なしか穏やかに緩んだ表情から想像ができた。
「お味はどちらになさいますか?期間限定のものや新発売のフレーバーもございます」
カウンター越しに店員が声を掛けるが、マリオンは真剣な眼差しでカラフルなアイスクリームが並んだショーケースを見つめたままだ。
「これだけたくさんあると悩んじまうよな、ジャクリーンはどの味が好きなんだ?」
「一番はストロベリー。だけどこの間ノヴァと来た時とはアイスクリームの種類が変わってる、7種類なくなって新しく9種類増えてるんだ」
なるほど、マリオンは前回ジャクリーンに買った味と同じ味がなくて悩んでいるらしい。旬のフルーツやその日入荷したミルクの濃さに合わせてアイスクリームを用意しているので頻繁にフレーバーが変わってしまうんですと申し訳なさそうにする店員と、相変わらずショーケースとにらめっこを続けるマリオンを見かねてガスト声を掛けた。
「それじゃ試しにここで俺たちが食べてみないか?気になってる味を食べてみて、それでジャクリーンが喜びそうなやつを選べばいいだろ?」
「…そうだな、ストロベリーとチョコは決めているからそれ以外から選んでほしい」
「じゃあキャラメルで」
「ひとつでいいのか?」
「え、あぁ、じゃあもうひとつくらい食べるかな」
甘いものがそんなに得意ではないガストにとってはアイスクリームは8オンスあれば十分すぎるくらいだったが、甘いものに目がないマリオンにとってはたったの8オンスだったようだ。純粋に驚いた様子でガストを見るその姿は年齢より幼く見えるくらいで、正直言えばかなり可愛い。
「あとフランボワーズも追加で」
注文してからそういえば甘酸っぱい味はジャクリーンの好みだっただろうかと思ったが、今は甘酸っぱい味が欲しい気分だった。
「じゃあボクはミルクと…あとピスタチオ」
綺麗に盛り付けられたアイスクリームを手に取り、モザイクタイルのテーブルにつくと、テーブルの狭さのせいで向かい合ったマリオンの顔が近くなんとも落ち着かない。
マリオンがピスタチオを選んだのは少し意外だった。香ばしくてほんのりほろ苦い味は、パンケーキにホイップクリームを雪山のように盛り付ける彼にしては少し大人びた選択のようが気がしたからだ。カップではなくコーンにアイスクリームを乗せることを選んだ子どもっぽさとは少しだけ不釣り合いな背伸びした味を選んだマリオンが、どんな気持ちでそうしたのか知りたいと思ってしまうくらいにはガストは彼のことが気になっている。
「なにぼんやりしてるんだ、オマエも食べるかって聞いてるんだけど」
訝しげな眼差しでマリオンが手に持ったアイスクリームを差し出している。ガストが悶々と考えを巡らせている間にマリオンからおすそ分けの打診があったようだ、大人の味のピスタチオの。
「イタダキマス…!」
「変なヤツだな」
わかってる、マリオンの前だとガストはなんだか格好つけられなくて変になってしまうのだ。お言葉に甘えてスプーンでピスタチオのアイスクリームを少しだけ掬い口に入れると、ほろ苦い香ばしさの後に舌の上に甘くとろける味が残った。
「うまい」
「オマエの感想は期待してなかったけど本当に参考にならないな」
相変わらずの毒舌もいつもより甘く感じてしまうのは、アイスクリームの甘さに酔っているからだろうか。それとも目の前の彼が目を細めて笑うからだろうか。
「ん」
「マ、マリオンさん?」
今度はそっちのアイスクリームをよこせとマリオンが小さく口を開けてガストに顔を向ける。ちらりと覗く赤い舌も、上目遣いに見つめる瞳も、少しだけ逸らされた細くて白い首筋も、ぜんぶが目眩がするほど愛おしくてガストは体温が上がっていくのを感じた、溶けてしまいそうだ。
「あ、」
逸らされたマリオンの視線の先を追うと、溶けたピスタチオアイスクリームがマリオンの手をつたっていた。
「オマエがさっさとしないからだ!」
「悪ぃ!」
ここが店内でなければ今ごろガストは鞭で打たれていたに違いない。マリオンの滑らかな白い肌がみるみるうちに赤く染まる、まるでミルクアイスクリームにイチゴを混ぜたみたいに。
口に含んだら甘いんだろうか、とふと浮かんでしまった下心を振り払うようにガストは席を立った。
「いま拭くもの貰ってくるからな!」
踵を返し店員から紙ナプキンを受け取るガストは気づかない。溢れるピスタチオアイスクリームが袖を濡らしてもなおガストの背中を見つめるマリオンが、甘い吐息と共に「浮かれていたのはボクだけだな」とそっと呟いたことを。