トラウマすら乗り越える、それの名は。いつもよりも寝るのが遅くなってしまい、目がしょぼしょぼする。
目を覚ますためにゴシゴシと擦り、頬を叩いて気合をいれる。
類に、オレの思いを、渡すんだ……!
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2月14日。バレンタインデー。
女の子が、男の子に愛を伝える日。
なのだが。
今、オレの鞄の中には、綺麗にラッピングされた、チョコレートがある。
事の発端は、咲希が見せてくれた、雑誌のバレンタイン特集だった。
なんでも、女性が男性にチョコを送るのは日本独自らしく。
他の国では、男性から女性に花を送ることもある、と書かれていた。
それを教えながら、類へのチョコレートを作らないかと、提案してくれたんだ。
咲希には、オレが類に片思いをしていることは話しているし、何なら恋愛相談もしてもらっている。
でも流石にまだ告白する勇気なんて持てないから、と断ったが、咲希は
「外国でこういう風習があるから作ってきた、って言えばいいんじゃないかな?
カモフラージュで寧々ちゃんやえむちゃんにも持っていけば、わからないよ!」
そう、提案してくれて。
確かに、ここでずっと燻っていても何も進展しないし。
気づかれなくても、渡すくらいはしてもいいかもしれない。
オレは、咲希の提案に乗って、チョコを作ることにした。
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あふ、と口から漏れる欠伸を噛み締めながら、屋上に向かう。
今日は脚本に関する意見が欲しいとお願いしていて、寧々も交えて屋上でお昼を食べることになっている。
お昼ご飯と一緒に鞄に入っているそれを、そっと撫でる。
咲希にも手伝ってもらいながら作ったのは、チョコのカップケーキだ。
出来上がった中で特に見た目がいいものを選定し、慣れないラッピングも頑張った。
ちなみにえむと寧々にはクッキーを作った。同じラッピングにしたから、渡してもきっとバレないだろう。
あとはこれを、今日の練習後に渡せば、ミッションコンプリートだ……!
そう意気込んで、屋上のドアを開けようと……
「類、これ本当に捨てるの?」
……そんな寧々の言葉に、開けようとした手がピタリと止まった。
「うん、どうやら手作りのようだしね」
「いや、むしろ手作りだからこそ、食べた方がいいんじゃないの……?」
「あー……寧々には話したことがなかったね。これは昔の話なんだけど……」
「昔ね、手作りでもらったチョコで、食中毒になったことがあったんだ。それ以来、この手の手作りは苦手でね」
ひゅ、と喉が鳴る。
「あー……トラウマになっちゃったの?」
「うん。そもそも甘いものをそんなに多く食べれないし、今年は全部断ることにしてるんだ」
「……でも、例外はいるんでしょ」
「勿論」
2人が話すそんな会話を、頭の中でぐるぐると考える。
苦手。全部断る。
そんな選択肢があるなんて、考えていなかった。
カバンの中に入っているチョコが、途端に重くなったように感じた。
「……それにしても、司遅くない?」
「ん?そうだね。そろそろ来てもいい頃だけど……」
その言葉にハッとしながら、軽く深呼吸をして、ドアを開け放つ。
「すまない!遅くなった!」
「もう、遅い。股下3cmなの?」
「まあまあ、それじゃ早速、話し合いを始めようか」
「ああ!」
何時も通り。
オレはちゃんと、「何時も通り」にやれているだろうか?
しくしくと痛む心を無視しながら、話し合いに集中した。
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「……よし!今日の練習はこれで終了だ!お疲れ様!」
「お疲れ様ー!」
「お疲れ様」
「お疲れ……はあ、疲れた……」
あれから、暫くして。
何時も通りの放課後になって。
何時も通り、ショーの練習が始まって。
そして、今終わった。
きっと、何時も通りの日常だ。
何も、変わりはなかっただろう。
「司くーん!はい、これ!」
「おお、ありがとな、えむ!……む?これは……バームクーヘン、か?」
「うん!今年のバレンタインチョコ!類くんもどーぞ!」
「おやおや。ふふ、ありがとう」
ニコニコと笑ったえむから渡されたのは、チョコがけがされたバームクーヘンだった。
高級店、といった風貌をしていて、見るからに美味しそうだ。
「……はい。私からは、これ」
「おお!……なんだ、これ?」
「チョコ味のキャラメルなんだって。まあ、こういうのもいいでしょ?」
「おお、始めて見たな!ありがとな、寧々」
「はいはい、どう致しまして。はい、類も」
「ふふ、ありがとう。寧々」
2人とも、用意していたものを受け取ってもらえて、とても嬉しそうで。
……少しだけ、羨ましいと思ってしまうのを、見ないフリをした。
「……司、くん?」
「そうだ、2人共。オレからもあるんだ。受け取ってくれ」
「……え?」
「えええ!?司くんからも!?」
驚く2人に、鞄から取り出した袋をそれぞれ差し出す。
それぞれ受け取ってくれたが……なんだか寧々は、ちょっと焦っているように見える。
「……?寧々、どうかしたか?」
「な、なんでもない。というか、なんで司まで用意してるの」
「いやな、咲希に「外国では男の人が渡すんだよ」と言われてな。それに触発されてオレも一緒に作ったんだ」
「おや、なら僕の分もあるのかい?」
「ああ、ほら。」
そう言って類の手に乗せたのは。
……そこら辺で売っている、類がよく食べる、ラムネ菓子。
「……おや、僕の分はないのかい……?よよよ……」
「ええい、煩い!2人分しか考えてなかったんだ!これで我慢しろ!」
嘘、だ。
結局オレは、作ったそれを、類に渡さない選択を選んだ。
結局渡したとしても、類にとっては食べれないものを渡されるようなものなのだ。
そんなものを渡されても類は困るだけだろうし。
これは結局は、オレの自己満足のようなものなのだ。
それに、類を巻き込むわけには、いかない。
でも、一応何か言われるだろうなと思って、ラムネを買っておいて正解だった。
文句を言う類を宥め、チョコ渡しで忘れていた片付けを始めるよう、促す。
訝しげにこちらを見る、寧々に気づかずに。
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「司」
「……ん?寧々?どうした?」
連れ立って倉庫に向かう途中、寧々が恐る恐る話しかけてきた。
「……司はさ、本当に類の分、忘れたわけ?」
「それ、は……」
「私は……司は、そういうの忘れないと思ってるんだけど」
「いや、オレだって、忘れることくらい、」
「本当に?」
……寧々の、真剣な顔に、何も言えなくなる。
1つ、ため息を零す。
オレは、こういう目に弱いな。
「……寧々の、言う通りだ。類の分も、ちゃんと持ってきている」
「じゃあ、なんで……」
「……食べられないものをもらっても、困るだけだろう」
「食べられないものって……っまさか」
ハッとした寧々に、苦笑しながら告げる。
「……すまない。聞いていたんだ。手作りが食べられないのを。だから、渡せない」
「で、でもっ!」
「いいんだ。これは、オレが類の好みを把握していなかったのが悪いから。さ、片付けよう」
明らかに先ほどよりも焦っている寧々の言葉を遮って、片付けを再開する。
寧々にだけでも、渡せなかったこと、言えてよかったな。
そう思っていたオレは、気付かなかった。
寧々がどうして、あんなに焦っていたか、なんて。
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「……よし。いないな」
片付けが終わったオレが控え室に行くと、そこには類はもういなかった。
片付けが終わり次第各自帰るようにと伝えていたし、帰ったのだろう。
類のロッカーも確認して鞄がないことを見てから、そっと自分の鞄を開く。
……咲希には、今日渡すと言ってしまったし。
処分をするなら、ここしかない。
綺麗にラッピングされた包みを、そっと開く。
綺麗にできたチョコカップケーキが、作った時と同じ状態で、鎮座していた。
やるせない気持ちをぐっと堪え、カップケーキの1つを手に取る。
オレが、ちゃんと確認しなかったのが悪いんだ。
オレが、こんな気持ちを、少しでも伝えようなんて思ったのが、悪いんだ。
……だから、オレの視界が、どこかぼやけるのも。
オレの手に、何かが落ちてくるのも。
きっと、気のせいだ。
そう思いながら、手にしたそれを、口に運んで……
バタン!!!!
壊れるんじゃないかと思うくらい、勢いよく扉が開く。
食べようとした体勢をそのままにそちらに目を向けると。
見知った、紫色が、ぼやけた視界でもわかった。
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「……るい?」
現実が受け止められず、呆然としながら、名前を呼ぶ。
扉の方にいたであろう紫色は、足早にオレの方に近づき、目元を拭ってくれた。
……そこにいたのは、間違いなく、類だった。
「……なん、で……」
「……寧々から、聞いた。僕の分も、ちゃんと用意してたって」
「あ……いや、でもそれは……」
手作りだから、と言おうとしたオレの手を取り。
がぶりと、オレの手に持ったそれに、かぶりついた。
「る、るるるるるい!?」
慌てるオレを尻目に、口元についた食べかすを拭いながら、真剣な顔でオレを見つめる。
「……確かに、手作りは苦手だよ。でも、」
「司くんが僕のために作ってくれたものを、無碍になんてしたくない」
言葉が、出ない。
はくはくと口を開くオレを尻目に、類はもう一口、それを齧る。
そして。
「……ん、美味しい。ありがとう、司くん」
「……ど……どう、致し、まして……」
類は、残ってるカップケーキも全部受け取ってくれて。
残りは家でゆっくり食べるよと、笑ってくれて。
本当は、オレも気持ちが篭っているんだとか、色々言いたいことはあったけれど。
受け取って、食べてくれた嬉しさで、どうでもよくなってしまった。
オレの、バレンタイン大作戦は、こうして幕を閉じた。
幕を閉じたと思っていた、オレのバレンタイン大作戦は。
えむと寧々によるチョコの感想によって、類だけ違うものを渡していたをバレてしまい。
そこから、泣いていた理由や、渡したものに込めた意味と共に、お互いに思いを告白することになるのだが。
それはまた、別のお話。