「逆行したのでもう一度修業し始めたら善逸がすぐに来た」(前編)「ここが今日からお主が暮らす家じゃ」
先生の声に顔を上げた。
「先生……?」
あれ、なんで先生が生きてるんだ?腹切って死んだってアイツが言っていなかったか?
いや、そもそもなんで俺……頸を斬られて死んだはずじゃ……
「なんじゃ獪岳。まるで幽霊でも見たような顔をして。心配せずともここには鬼は来ん。安心して修業に励みなさい」
「修業……?」
「先程説明したじゃろう。儂は雷の呼吸を継ぐ後継者を探しておる鬼殺隊の育手じゃと。お主には才能がある」
どこか、聞いた事のある言葉。
ああ、そうだ。俺が、先生に拾われて初めてここに連れて来られた時に言われた言葉だ。
「まずはしっかり食べて身体を造らんといかんの」
ポン、と肩に手を置かれる。
小柄な先生をいつも見下ろしていたのに、目の前にいる先生の身長は同じくらい。
「……!?」
このとき、やっと気が付いた。
俺が今子供になっていて、先生に拾われたあの日に戻ってきたということに。
+++
大声を出さなかったことを褒めて欲しい。
未だ混乱している頭を必死に落ち着かせ、先生に家の案内を受ける。
数年暮らしていた家だから知らないところなんて無い。でもそんなことは言えるわけが無いから、無言で頷いてなんとかやり過ごした。
先生が食事を作ってくると俺から離れ、ようやく一人になった瞬間大きく息を吐いた。
「いや、どういうことだよ!?なんで俺生きてんだ!?いや、そもそも時間が巻き戻ってるじゃねぇか!」
先生に聞こえないように小声で、でも脳内で処理するにはとても出来なくて口に出して吐き出した。
自分の手が小さい。
鏡がなかったからガラス戸に自分を写すと、やはりそこには小さい背丈の自分が鈍く映っている。
先生に拾われたのは確か十歳だったか。
「……ということは俺は今十歳なのか!?」
あれだけ必死に修業した八年が無いものになったのか!?
何年も修業して、鬼殺隊で頑張って。鬼になって。
そんな俺の人生が無いものになったってどういうことだよ!?
……と嘆いたが、よく考えたら俺、弟弟子に殺されたんだったと思い返す。
生きてさえいれば勝てるという信条で生きてきたが、時間が巻き戻ったとはいえ生きてるんだ俺は。
そう思えば、途端に目の前が明るくなった。
今はまだ十歳。
もう一度鬼殺隊に入ってもいいし、それこそさっさと鬼になって研鑽を積んで今度こそ我妻善逸を殺してもいい。
あの時はまだ未熟だったからな。次は絶対負けない。
「いや、でもよく考えたらまた善逸の兄弟子やらねぇといけねぇのか……?」
それに気付くと急に自信なくなってきた。
アイツは確か十五でここにやってきた。
あと七年。アイツが来る直前あたりで修業を終えて最終選別を受けられるようにしよう。
前の時は壱ノ型が出来なくて最終選別に行くのを先延ばしにしてたしな。善逸が嫌いすぎてその後さっさと受けて出て行ったけど。
「獪岳、飯が出来たぞ」
「あっはい!すぐに行きます!」
そうと決まれば明日から修業だ。
「先生、俺頑張ります!」
「うむ、期待しておるぞ」
先生の激励を受け、作っていただいたご飯に箸を伸ばす。
懐かしい恩師の味に涙腺が緩みそうになりながらも小さい身体に全部詰め込んだ。
+++
「今日から一緒に住むことになった善逸じゃ」
「よろしくお願いします!」
翌日。
朝から「魚を買いに行ってくる」と出かけた先生が黒い髪の子供を連れて帰ってきた。
俺より少しだけ小さい乱雑に切った黒い髪を持つ子供は、元気いっぱいにこやかに俺に挨拶をしてきた。
「元いた場所に返してきてください!!」
思わず叫んだ。
先生から「犬猫じゃないぞ」と言われたが、犬猫連れてくる方が断然マシだ。
なんで善逸拾ってくるんだよ。コイツが十五になるまで放任しておけよ。
「獪岳も今日から修業を開始するからの。善逸も今日から一緒に修業を始めると良い」
「え」
「分かったよ爺ちゃん!」
「いやちょっと待ってください!いきなり今日からっていうのはさすがに急ぎ過ぎです!少し時間を置きましょう七年くらい!」
「何を言っておる獪岳」
呆れた先生の顔に少しだけ冷静になる。
いやしかし、顔を合わせたくないと思っていた善逸がわずか一日で現れ、その上弟弟子どころか同日開始の同期にさせられそうになっている俺の身になってくれ。
「じいちゃん、この人は俺より年上?」
「ああそうじゃ。獪岳は十になったと聞いておる」
「じゃあお兄ちゃんだ!ねぇねぇお兄ちゃんって呼んでもいい!?」
「いいわけねぇだろ!」
突然の問いかけに条件反射のように声を荒げて拒否をした。あ、やばい先生の前で素を出してしまった。
「じゃあ兄貴で!」
「なんでだよ!普通に獪岳って呼べ!」
「やだ!兄貴って呼びたい!」
「獪岳、善逸はの。家族ごっこがやりたいらしいんじゃ。呼び方くらい付き合ってやってくれんかの」
家族ごっこって……こいつ鬼殺隊になる修業の場をなんだと思ってるんだ……?
そしてなんで先生はそれを受け入れてんだ?
「…………わかりました」
なんで俺は先生に言われたからって了承してんだよ!馬鹿野郎!
「やったー!兄貴!これからよろしくね!」
握手どころか突然抱きつかれ、全身に鳥肌が立った。
+++
「これが木刀じゃ。どうじゃ重いじゃろう?最初はこれを振れるようになるまで基礎体力をつけることを念頭に置く」
片手で受け取った瞬間に前のめりになり、慌てて両手で抱え込んだ。
まだ十になった子供の身体とはいえ、この程度が持てないなんて情けなくて悲しくなる。
落ち込んでいると、先生が俺の頭に手を乗せたので、慌てて顔をあげる。
「大丈夫じゃ。ちゃんと軽い木刀も用意しておる。しばらくはそちらを使おう」
「……はい」
その気遣いに、情けないながらも、どこか温かい気持ちになった。
「ん?善逸……お主すごいのぉ」
「え?そ、そうかな」
先生が驚くような声をあげ、善逸の方へ顔を向ける。
善逸は、片手で軽々と持ち、回すように木刀で手遊んでいた。
「は……?」
俺、重すぎて片手でろくに持てなかったんだけど?
なんで八歳のお前が軽々と持てんの?
「そこまで振れるんじゃったら素振りも出来るかの。持ち方は……」
俺の横に居た先生が離れ、善逸ごと少し移動した。直接手を当て、持ち方と振り方を指導する。
善逸は頷き、正しい型でまっすぐに刀を振り下ろした。
その途端突風が吹き、斜め前に居た俺の髪が揺れた。足もぐらついたが、木刀の先端を地面に突いて踏ん張った。
「ご、ごめん兄貴!大丈夫!?」
慌てて善逸が俺に駆け寄ってくる。
「大丈夫だ」
絞り出した声で答える。
大丈夫、なんとか踏ん張ったから。情けなく尻もちを付く事は免れた。
でも頭の中は疑問が吹き荒れている。頼むからちょっと時間をくれ。これ以上俺に話しかけないでくれ。
俺の返事に、善逸はにっこりと笑い「良かった!」と言ってまた先生の元へ駆け戻った。
気のせいかな。八歳の子供のくせに足速くねぇか?
それからは俺はひたすら走り込みと筋トレで身体を造る日々。
この頃の俺は先生に拾われるまで、ろくに食っていなかったからいつ餓死してもおかしくないくらいやせ衰えていた。
ここに来て食べるようになったとはいえ、未だ一人前の飯は食べられない。無理して食べても身体が受け付けなくて気持ち悪くなったり吐いてしまう。
前もそうだった。
一日でも早く本格的な修業に入りたい気持ちはあるが、この過程が必要なことも知っているので今はひたすら地道に続けて行った。
「兄貴、今日はいっぱい走ったからお腹すいたでしょ!」
ドンっと大盛に盛られた白米を渡される。
こいつは馬鹿か?ここ数日俺の食事風景を目の当たりにしてたよな?
無言で受け取り、窯に五分の四ほどの白米を戻し小盛りくらいの量にする。
そして何も言わずに自分の膳の前に戻り座った。
「そ、それだけで足りるの……?」
「おかずもあるからこれ以上食うと吐く」
俺が答えると、善逸が眉を下げ、しょんぼりとした顔をして「ごめん……」と謝った。謝られる理由は別にないんだが。
先生の号令のもと、箸をつける。
善逸を見ると、先程俺によそった大盛りと同じくらいの量のご飯と俺の倍はあるおかずを平然と食べていた。
「……」
俺はまだ身体が出来ていないから食えなくても仕方ないんだ。
だが、こいつも孤児だって聞いてたけどこれだけ食べられるなんて随分裕福な暮らしをしてたんだな。そう思うと少し腹がモヤモヤとした。
+++
ある程度身体が出来てきた俺は、ようやく木刀を振ることが出来るようになった。
やっと、やっとだ。
身体のせいで引き離されていた善逸にようやく追いついた。
なんで俺が追いかけねぇといけねぇんだよ。クソ。
「善逸、今日から獪岳も一緒に素振りを行うからの」
「本当!?兄貴と一緒にできるなんて嬉しいよ!」
舐めた言葉を言う善逸に、思わず舌打ちをこぼしかけたが先生の手前我慢した。
すぐに追い抜いてやるからな!
…………追い抜いてやる、そう思ってたのに。
善逸は、ようやく木刀が振れるようになった俺とは違い、刀を振っていた。
あれは先生の日輪刀だ。刀の重さに慣れるため、木刀に身体が慣れた後、修行で使っていたもの。
八歳だったよな?
あの刀も子供用か?
「兄貴ー!見てて!いっくよー」
岩の前に立ち、刀を真っ直ぐ振り下ろすと、綺麗な太刀筋で岩は二つに分断された。
「…………」
「どう!見てくれた!?」
後ろに居た俺に笑顔を向けて、まるで犬のように褒めろと訴える善逸。
「……すごいな」
震える声で、善逸の求めている言葉を与えてやるとぴょんぴょん飛び跳ねていたが、俺の頭は混乱が吹きすさぶ。
え、こいつ何?
なんで岩斬れんの?
目の前にいる黒い髪の子供が宇宙人に見えてきた。
俺はその日の夜に先生にお願いして宇宙人もとい善逸と修業の場を変えてほしいと頼み込んだ。
我ながら情けないが、目の前で岩を切った奴と仲良く修業しろなんて無理だろう。
先生は昔から善逸贔屓で俺のことを雑に扱っていたが、もう少し俺の気持ちも考えてもらいたい。
しかも俺は今十歳だ。こうなりゃ恥も外聞も捨てて子供らしく我儘を言っても許される。いや、許してほしい。許してください先生。俺もう善逸と一緒にいるのいやなんです。
「獪岳がそこまで言うのなら、しばらく二人を分けるしかないのぉ」
よっしゃあ!
俺勝った!先生に我儘言えた!!
これで善逸と離れられる!!!
「そこまで嬉しそうにせんでも……」
先生の困ったような様子に、少し恥ずかしくなる。コホンと咳払いをして頭を下げて礼を言い、自室へと戻った。
これで明日から宇宙人……じゃなくて善逸とはまた別の場所で過ごすことができる。
このヘロヘロな身体を早く鍛えて追い付かなければ。
前の時は修業する時間がたっぷりあったから後から来た善逸に負ける要素は無かった。
それなのに、子供時代から同じ日に修業を始めたらこれほど差を付けられるなんて。
ああ、クソむかつく。
アイツが日輪刀を持っていたのを見た時、
首が焼けるように熱く感じた。そう、あれは頸を斬られたあの瞬間の痛みだ。
俺に笑顔を向ける善逸の刀身が太陽の光を反射して光る度、心臓がバクバクとした。
「……俺は、今は人間だ。鬼じゃない」
あの刀身が俺の頸に向けられることはない。
自分の首を撫でながら、自分に言い聞かせるように呟いた。
+++
それから三年。
俺は善逸と違う場所でひたすら修業に明け暮れた。
飯も随分食べられるようになった。
ここ半年はようやく善逸と同じだけの量を食べても吐かなくなったんだ。
その量は大人を経験した俺が昔食べてた量より多く見える気がしたが、記憶違いだと思おう。アイツ、そんな大食いじゃなかったはずだし。
「やった……!ついに斬れた……!」
真っ二つになった岩を前に喜びをかみしめる。
長かった。善逸が岩を切るのを見せつけられてから三年。
アイツにできて俺にできないわけがないと岩を切ることを何よりも最優先の目標として修業に打ち込んだ。
それがついに報われたのだ。
「兄貴!岩斬れたの!?すごーい!」
一人で喜びに浸っていたのに突然響く嫌いな声。
「は?なんでお前がここに……」
「近くで修業してたら岩が割れる音がしたんだ!兄貴~すごいね~!」
「うわっやめろ頭撫でようとすんな!」
油断してたら突然伸ばされた手に頭を撫でられた。気付いて慌てて振り払ったが、善逸はにまにまとしながら
「照れてる兄貴可愛い~」なんてほざきやがった。全く照れてない。むしろ嫌悪感しかない。
その日は夕餉が豪華だった。
しかも秋の味覚の王様、松茸があったのだ。ちょっと意味が分からない。
「善逸が、獪岳が岩を斬れた祝いにと松茸を採ってきてくれたんじゃ」
「松茸ってそんな突発的な祝いで採ってこれるほど普通に生えてませんよね?」
何より松林なんてこのあたりには無かったはずだ。
「善逸じゃからの」
先生、それは答えになっていません。
「いっぱいあるから沢山食べてね兄貴!」
そう言いながら松茸ご飯を渡してくる善逸に、素直に受け取った。
「香りがいいな……」
「でしょ~!味も美味しいんだよ!じいちゃん早く食べよう!」
「分かった分かった。では手を合わせて、いただきます」
「「いただきます」」
一口食べると、芳醇な香りが鼻腔を通り抜けた。
「……」
「へへ、美味しいでしょ兄貴」
「………………ああ」
素直に頷くのは癪だったが、そういうえばこいつが採ってきたって言ってたと思い直した。
「うっふふ~今度一緒にきのこでも採りに行こうね!」
「昔きのこに当たったことがあるから嫌だ」
「大丈夫!全部俺が見てあげるから!」
「別にいらねぇよ」
「善逸、自然薯も掘ってきてくれんか」
「まっかせて!」
「先生、自然薯ってそんな簡単に見つからないし掘るの難しいって聞いたことがあるんですけど?」
「善逸じゃからの」
「俺だからね」
全く答えになっていない。
なんだよ善逸だからって。なんだよ俺だからって。
俺一人置いてきぼりの会話に若干苛つきはしたが、松茸ご飯が美味しかったのでどうでも良くなった。
松茸の土瓶蒸しやお吸い物ってこんなに美味いんだな。前の人生も含めて今まで食べたものの中で一番美味い。
俺が黙々と食べていると、善逸と先生が顔を見合わせて無言で頷いていたのが目に入り、首を傾げた。
(後編へ続く)