逃亡 その一軒家は深い森の中に、誰からも忘れられたかのようにポツンと存在していた。
よくもまあ、こんなに人気のない所を見つけたものだと半ば呆れながらもラーハルトは家の敷地内へと足を踏み入れた。
所々に家主が植えたと思われる可愛らしい花が咲いている。
何となく花に触れたくなって手を伸ばすと、木の扉が少し開いて小さな子供がひょいと顔を出した。その容姿を目にしたラーハルトは思わず叫びそうになったが、なんとか平常心を保つことに成功する。
「……パパ?」
自分と同じ肌の色で、目の下に模様がある尖った耳の幼子の問いかけにラーハルトは反射的に返事をした。
「そうだ」
子供は嬉しそうに駆け寄り、両腕を高くあげた。『抱っこしろ』の合図だ。素早くその意味を読み取ったラーハルトは子供をひょいと抱き上げた。
2、3歳くらいだろうか。まだまだ幼く首に回された腕はプニプニしていて柔らかい。
子供を観察していたら、奥の部屋から聞きなれた声がした。
「ご飯だぞ。早くおいで」
それを聞いたラーハルトはここに自分が探し求めている恋人がいることを確信した。
「ヒュンケル!そこにいるのだな」
ここから姿は見えないが、ガタガタと物音が聞こえて家の中にいる人物がひどく動揺している気配を感じる。ラーハルトはすぐに続けて声をかけた。
「オレから逃げるな」
観念したように気配が動かなくなったのを確認して、ラーハルトは家の中へ入った。
台所と思われる場所にヒュンケルはいた。最後に見たときより髪が少し伸びていて、痩せたように見える。どうやら食事の準備をしていたらしく、机の上には子供が食べやすいように小さく解した魚の身や芋などが置いてあった。白いエプロンを首から外した彼は、目を伏せて言った。
「まずはその子に食事をさせてもいいか?寝てしまいそうだ」
「そうしてくれ」
ラーハルトの腕の中で、子供は眠そうに小さな欠伸をした。
子供に食事をとらせて寝かしつけた後、ヒュンケルはラーハルトの元へとやってきた。
「お前が突然失踪した原因はあの子供か?」
「ああ」
「オレの子だろう。お前が産んだのか?」
「まさか。不可能だ」
首を振ってみせるヒュンケルをラーハルトは乱暴に引き寄せ顎を掴み、そのまま口付けできそうな至近距離で見つめた。ヒュンケルは思わず目をそらせたが、顎を掴まれているので顔は正面を向けたままだ。
「ヒュンケル。数年前にお前を初めて抱いてから、オレはお前以外とは寝ていない」
愛する男の吐息が顔にかかり、ヒュンケルはゾクリと身体を震わせた。
「その通りだ。すまないラーハルト。腹に子がいることを自覚した時、お前の足手まといにならないように出て行ったのだ」
「……言ってくれたら良いものを。オレとお前の子供だろう。嬉しいに決まっている!」
噛みつくような口付けを受け、ヒュンケルはラーハルトの背中に手を回した。
暫く抱き合った後、ラーハルトは優しい口調でこう言った。
「せっかくお前が見つかったのだ。何も話したくなければそれでいい」
「いや、ラーハルト。聞いてくれ。お前は父親なのだから」
ヒュンケルの話した内容は、こういった流れだった。
大魔王バーンの気まぐれで、ヒュンケルはザボエラが作った妊娠可能になる薬を飲まされた。その後大魔王に寝所に来るように言われて震えていると、息子のザムザがやってきたのだ。
彼はその薬は八割方自分が調合したが、父はそのことをバーンに報告しない。それが気に食わないらしく、このまま性交すると間違いなく妊娠するだろうが、これを追加で飲んだら『自分が妊娠したいと望んだ場合』のみ出産が可能になる。そう言って新しい別の薬を取り出した。
ヒュンケルは大魔王の子を産むのは名誉なことだ。必要ないと断ったが、ザムザはそれを置いて行った。結局、最終的にはヒュンケルはその薬を飲んだのだ。
「前に愛し合ったときに、お前がもしオレ達に子供が出来たら……みたいな話を冗談でしただろう。オレはその時に望んでしまったのだ。お前との子供が欲しいと。本当にすまない」
俯くヒュンケルをもう一度抱きしめながら、ラーハルトはこう提案した。
「あの子供、髪が銀髪な所以外はオレにそっくりだな。初対面でオレを父と認識していたぞ。ところで、あの子に妹か弟を作ってやらないか?」