プロテニス選手一氏の目が見えなくなる話(途中で力尽きたのでまだ見えなくなっていません)「失明……ですか?」
『はい。現在、あなたの目は今まで酷使されてきたことが原因で過度な筋収縮が起こっており、それが視神経に圧迫をかけています。通常、目が悪くなる状態というのは水晶体、つまりレンズ部分に異常が生じるため、それを補う眼鏡やコンタクトを付ければ事足りるんです。しかし、先程も言ったようにあなたの目は筋肉疲労を起こしており、回復が間に合っていません。そのため、視神経に負荷が蓄積されて視力が著しく落ちていると考えられます。普段の生活をする分には問題はありませんが、これ以上目を酷使するのであれば、失明は免れないでしょう。』
教科書で見た事のあるような目玉の断面図を指しながら、比較的わかりやすく説明しているであろうその言葉のどれもが、確かに聞こえているのに理解することが出来ない。
ドラマでしか見た事ないような診察室、受け入れ難い診察結果、どれ一つとっても非日常的で、まるでテレビでも見ているかのように呆けることしか出来なかった。
玄関の方からガチャりと音が聞こえて、夢主が帰ってきたのだと思った。
あれから、はっきりしない意識のまま応急処置としての筋肉の弛緩剤をもらい、フラフラとしながら家に帰ったことまでは覚えている。
それからどうしたんやっけ。
そんなことをぼーっと考えているとやけに乱暴に扉が開かれ、夢主が入ってきた。
『ユウジ!!!目どうやった???!!!』
かなり急いで帰ってきたのだろう。肩で息をしながら懇願するようにこちらを見ている。
「目の使いすぎで周りの筋肉がなんや視神経とかいうやつの邪魔しとるらしいわ。まあでも、普段の生活する分にはそう影響せんって」
『そう……良かった………ほんとに良かった………』
そう言うと夢主はその場にへたりこんだ。
その姿がそれはそれは小さく見えて、思ってたよりも心配かけてたんやなと申し訳なくなった。
そもそも、視力の低下は半年ほど前から薄々気づいてはいた。しかし、シーズン中はそう簡単に休む訳にもいかず、加えてそこいらの眼科に行って診察を受けても水晶体の異常によるものでない為か、芳しい診察結果を受けられなかった。
だから、原因不明の、それこそ何万人に1人単位の難病に冒されている可能性だって充分あった訳で。
それが病魔に侵されているのではなく、単に筋肉の酷使によるものだと知って、大きな安心感に包まれたのだろう。
「せやけど」
そう、問題はここからなのだ。
幾分か声を低めた俺に、夢主は吃驚した顔でこちらを向いた。
「もうテニスできんようになるかもしれへん」
『え…………なんで………?』
信じられないという顔だった。それもそうだ。原因がつきとめられ、生活に支障もきたさないとわかった今、ハッピーエンドに向かわない方がおかしいのだ。
「確かに普段の生活では問題ない言うてた。それでも視力が回復する見込みはほぼないらしいけどな。せやけど、観察眼を使うテニスをこれ以上続けたら、いずれ失明するって」
『失明………』
「そう。それに1回使えんなったもんはもう戻らんらしい。なんも見えんようになってまうねん」
そこまで言うと、なんだか急にストンと自分の置かれている状況を飲み込めた気がした。
そうや……テニスが出来んなってまう…………
『ユウジはどうしたいん?』
「え?」
咄嗟のことで間抜けな声が出てしまった。
てっきりテニスをやめろと言われると思ってたから。
そうすれば、彼女を守るためという大義名分ができると甘えていたことも否定できない。
しかし、そんな風に俺自身に選択を委ねられると困ってしまう。どうすればいいのか、何が正しいのかがわからない。
『もしユウジが、目が見えんなるまで、最後までテニスしたいって言うんやったら止めへんよ。私がおばあちゃんになってしわっしわの顔になるの見られたくないし』
夢主は眉を下げてふわっと笑った。
その様を見ていたら、何故だか途端に涙が溢れ出てきて、夢主の顔がぼやけていった。
そうか、こうやってどんどん見えんくなっていって、いつかはこの大好きな優しい笑顔を二度と見ることが出来んなってしまうんか……
自分にとってのテニスが何なのかがわからない。
中学でテニスを始めて、仲間といるのが楽しくて、小春と打つのが幸せで、その空間が大好きだった。
高校では、ものまねテニスで注目を浴びるようになって、お笑い芸人、デザイナー、プロテニスプレイヤーの3つの選択肢で迷っていた俺は、当時のその注目に縋るようにテニスの道を選んだのだ。
結局、ここまでテニスをしているのは自分の意思というよりは周りの人や環境に依存していたからなのかもしれない。
テニスとは真剣に向き合って、大会で良い成績を収めることもあったが、それも自分の居場所をつくるために他ならなかったのかもしれない。
しかし、今それが仇となって今後の人生を大きく左右しようとしているのだ。
たとえ目が見えなくなるまでテニスを続けたとしても、どんどん衰えていくものまねテニスに需要なんて見いだせんやろな。
どうしよう…どうすれば……そうやってぐるぐる考えていると何が何だかわからなくなってきて、気がついたら夢主の胸の中で嗚咽しながらぼろぼろ泣いていた。