続、海賊とハミングバード 自然の風を受けながら、一隻の船がゆったりとしたスピードで大海原を進んでいた。次に立ち寄る港が近いせいなのか、船員達はそわそわと落ち着かない様子だ。
「どんな町だろう」
楽しみなのはツカサも例外ではなく。
ルイから聞いた話を思い出しつつ、まだ見えぬ場所に思いを馳せる。
「ツカサー! そろそろお昼にするぞ」
「分かった!」
船員に声を掛けられたので返事をして、ツカサは翼を広げて見張り台から舞い降りた。
「もう酔わなくなったみたいだな」
「今は平気だ!」
「そうか!」
船員は畳まれた羽がついた背中を二回、強めに叩くと食堂へ入っていく。その後を追うようにして中に進むが、充満したアルコールの匂いにツカサの表情が歪む。
「飲みすぎじゃないか……」
どんちゃん騒ぎという言葉がピッタリなくらいに、船員の八割が集まった室内は騒がしい。
「ツカサ」
給仕担当の船員に呼ばれたツカサがそっちへ向かうと、二人分の食事を乗せたトレーが渡された。
「船長、自室に居るから持っていってくれ。そして一緒に食べてこい」
その意味を理解したツカサは頷くと、酔っ払った船員に絡まれないように食堂を出て船長室へ向かう。ツカサが歩きながらトレーを見ると、人参や玉ねぎ、じゃがいもに鶏肉がたくさん入った皿とそれぞれ一欠片ずつに鶏肉がたくさん入った皿がある。
野菜が極端に少ない皿はルイの分だ。
ルイの野菜嫌いは筋金入りで、頑なに食べるのを拒み、栄養の偏りが原因で倒れたこともあった。
「これで栄養は足りるのか?」
海の上では生鮮食品の保存に苦労する。
昔よりも技術が発達し中期的に保てるようになったが、保管庫に仕舞い忘れでもすれば一晩でゴミ箱へ廃棄する事になるのだ。
「ルイー! 開けてくれ!」
船長室の前に到着したツカサが声を掛けると、ドサーッと積み重ねられた本の崩れる音がした後にドアが開く。
「もうそんな時間だったのかい」
「食べよう!」
テーブルの上に広げられた紙は乱雑に片隅へ追いやられ、辛うじて食事が取れそうな広さが確保された。
「ちゃんと片付けろ」
惨状を見たツカサがジトリと睨むが、ルイは気にする様子もなく飲み物を用意している。
「どうぞ」
「ありがとう」
飲み物といっても、基本的には水だ。
アルコールの入った飲料を好む船員達は多いが、ルイとツカサは匂いだけでも気持ちが悪くなるので嗜まない。
「うわっ……」
スープの中に入っている野菜を見たルイは、この世の終わりのような声を上げる。
「ツカサくん」
「ダメだ」
「どうしてもかい?」
ルイから皿を差し出されたが、ツカサは首を横に振って拒否した。ツカサにとってはたった一欠片、ルイにとっては一欠片も食べなくてはならない。
「……果物からも摂取が可能な栄養はあるのだから、野菜を食べる必要はなくないかい?」
「それなら、野菜からも摂れる栄養はあるから、果物を食べる必要はないな」
言い切ったツカサは、人参を口に入れて咀嚼する。前の町で買った物より、甘みがあり青臭さが少ないと感じた。
「美味い」
これなら食べられるだろうと、前に座るルイを見るがスープを眺めながら唸っている。
「ぐっ……」
「ルイ」
ツカサはルイからスプーンを取ると、人参を半分に切り分けて掬う。
「ほら、あーん」
ルイはスプーンの上の人参とツカサへ、交互に視線を移しながら戸惑っている。意を決したように開かれた口に、ツカサはスプーンを入れた。
「ゔぇ」
「頑張れ!」
ルイは渋い顔をしながら数回だけ噛んで飲み込むと、すぐにコップを掴み、水を口の中へ流し込む。
「う、え」
「凄いぞ、ルイ!」
パチパチと拍手をしながら誉めるツカサの姿は、幼子が苦手な物を食べた時に父母が行う様と似ている。ツカサに対して、特別な想いを抱いているルイとしては非常に面白くない。
「はぁ……」
ルイがツカサの事を知ったのは、航海にハミングバードを同行させてもらえないだろうかと相談されたからだ。
相談をしてきたのは壮年の男性貴族で、保護しているハミングバードに世界を見せてほしいと頼まれた。
ルイが船長を務める船は、表向きは商船、実際は海賊に分類される。普通の客船が進む航路とは違い、性質の悪い海賊と会えば危険が伴う。そのため最初は断っていたのだが、話を聞いている内に興味を持った。
ルイが今までの体験を語れば、ツカサの表情はコロコロと変わった。そして、話を聞く度に外を見てみたいと願う本能とそれを止める理性がツカサの心を乱した。
ルイは悩むツカサにしばらくの辛抱だからと話したくなったが、下手に期待を持たせるのもダメだと時期が来るまでは黙っておく事にしたのだ。
「おかわり貰ってくる!」
「ん、いってらっしゃい」
上機嫌で船長室を出て行ったツカサを見送り、彼を乗船させて良かったと笑みを零す。
ハミングバードは見た目と声の美しさや歌の上手さから、違法な方法で売買が行われていた。羽の色により価値に差があり、色が濃いほど安値、薄いほど高値となる。
森の奥深くで生きる彼らの元に出向き交渉して、相応の対価を払い、衣食住と不自由ない暮らしをさせている貴族も居るのだが、売買されたハミングバードの八割は劣悪な環境で飼い殺しにされているほうが多い。
そんな中、ハミングバードの置かれる立場を改善させようと活動する組織が設立された。
設立者は、ルイにハミングバードの同行を頼んできた壮年の男性貴族だ。
彼はハミングバードの全てに魅了された一人で、冷遇されるハミングバード達を見て見ぬ振りは出来なかった。
最初は彼だけだったが、賛同してくれる人達が少しずつ増えて活動が活発になり、世界各国で保護を求める声が大きくなった。
国際的な連合の機関がハミングバードの権利を保護する条約を制定し、違反者には重罰を科すという命令を各国へ出した事により違法な取引は激減。
劣悪な環境で過ごしていたハミングバード達は保護され、体調などが安定すれば、生まれ育った森へ返されている。
ツカサは故郷の森で妹のサキと一緒に果物を取っていたのだが、己の利益のためにハミングバードを探しにきた男達に見つかり逃げた。
飛べる事を知られては仲間たちの不利になるかもしれないと危惧し、ツカサはハミングバードだけを移転させる力を持つ大樹の洞にサキを押し込み、自分も入ろうとした所で捕まり引き倒された時に地面で胸を打ち意識を飛ばした。
ツカサが売り出されそうになる直前に、壮年の男性貴族が見つけて自分の屋敷に保護したのだ。
当時は条約が施行される前だったので、ツカサの安全面を考えて頻繁に屋敷の敷地外へ出す事が出来なかった。
屋敷の主である彼は安全が確保されれば、敷地から出すつもりでいた。しかし、口下手な性格なので重要な点を伝えておらず、思い詰めてしまったツカサの防衛本能が働き、半年も眠り続けたのだった。
目覚めたツカサは彼に背中を押されて、ルイの船へ乗り外の世界を見て回る権利を手に入れた。
「もらってきた!」
「おかえり」
嬉しそうに戻ってきたツカサの手には、スープの皿とは別に果物が乗った皿が持たれていた。感情が豊かで素直なツカサの性格を気に居る者は多く、今では全ての船員からも可愛がられている。
ルイは船員とツカサの仲の良さを見て微笑ましいような羨ましいような複雑な思いを抱えているが、ツカサに好きだとは伝えてはいないので、もどかしい毎日を送っていた。
「ツカサくん、残り……」
「残りも頑張ろうな!」
満面の笑みを浮かべるツカサとは対称的に、ルイの頬が引きつったのは本人しか知らない。そんな毎日を送りながら、船は問題なく次の港へ着いた。
早く港へ下りたい気持ちが抑えられず、ソワソワと浮き足だっている船員達を見ながら、ルイは小さく笑う。
「今回、四日間は停泊の予定だから、最初の二日間は自由にして貰って構わないけれど、残りの二日間は船の整備や食料の確保をお願いするよ」
「いつも通りっすね」
「うん、よろしく」
寄港する場所によって滞在期間は異なるが、前半は自由時間、後半は次の船旅に向けての準備をするのが決まりとなっている。
「船長! 行っても良いですかね?」
「羽目を外しすぎないように」
ルイの忠告を合図に、船員達は港に隣接する町へ向かって歩き出す。そんな船員達の姿にルイはため息を吐きながらも、どこか楽しそうに頬を緩めていた。
「ツカサくんは先に行ってくる?」
「いや、今回もルイと一緒に行く!」
「魚介類の料理が美味しい店があるみたいだから、食べに行こうか」
「あぁ!」
ハミングバードは果物のみを主食にすると言われているが、それは全くのデタラメだ。
彼らは雑食なので、野菜や魚、肉なども好む。
ツカサはピーマンだけは苦手だったが、それ以外は基本的に食べる事が出来た。
「明日は肉にする?」
「そういえば、船員が変わった肉があるって言っていた」
港から少し離れた森には中型の獣が生息しており、数が増えすぎては近くの村に悪影響が及ぶ可能性がある。そのため、間引きをして皮や肉を特産品として売っていた。
「後で、町の人に聞いてみようか」
「そうだな! 出掛ける時間まで、ルイと一緒に居てもいいか?」
「構わないよ、書類を片付けるだけだけれど」
ルイと船員達は海賊ではあるが、略奪行為は一切しない。
海賊が溢れて海の上が無法だった時代もあったが、各国の軍が介入しルールが決められた。従わない船や違反した船は、海域を任されている国の軍により船員を逮捕。のちに自国へ返されるという処置がとられる。
「さっさと片付けようかな」
ルイはテーブルの端に山積みになっている紙から一枚を取り出すと、ペンにインクを補充し、自作の計算機を使いながら紙の上に数字を増やしていく。
「おや?」
しばらくするとツカサが歌い始めたので、それを聞きながら黙々と作業を進める。
ルイが埋めた紙をツカサがまとめて綴じる作業を繰り返していると、あっという間に二時間が経った。
「船長ー! ツカサー! もう昼になりますよー」
「む、そんな時間なのか」
「じゃあ、行こうか」
戻ってきた船員に声を掛けられ、テーブルに置かれた紙から目を離して立ち上がる。腕を伸ばして、固まった体を解すと準備をしてルイとツカサは町へ出掛けた。
「ここも活気があるな」
ハミングバードの特徴である羽を隠すために、長めのケープコートを羽織ったツカサはキョロキョロと辺りを見回しながら歩く。
「ここは人通りが多いから、はぐれないように注意してね」
そう言いながら振り返ったルイの目の前から、ツカサの姿は消えていた。まさか町に入って、五分も経たないうちの出来事にルイは呆気に取られる。
「ツカサくん⁉」
ルイの大きな声に驚いたカラスが、一鳴きして飛び立って行った。
「見た事の無い店がある」
人の流れに乗ったまま、ツカサは町の中心部までやって来ていた。祭りを行っているのか、至るところに花が飾られ、住民たちが忙しそうに動き回っている。
「おにーさん、こんにちは!」
「こんにちは、これは何の祭りなんだ?」
ツカサがその様子を見ていると、両手いっぱいに花を持った十歳くらいの少年が話し掛けてきた。
噴水のある広場では陽気な音楽が流れ、それに合わせて踊っている男性と女性。
町全体が華やかに彩られている。
「春が来たことを祝うんだって」
「なるほど」
少年は持っていた花で器用に花かんむりを作ると、頭を下げてほしいとジェスチャーをした。ツカサがそれに従うと、頭の上に花かんむりが乗せられた。
「似合うね」
「そうか!」
爛漫な笑顔を浮かべる男の子に、ツカサもつられて笑顔になる。故郷で元気に暮らしているサキに、ここの花を贈ろうと思い、少年に花屋を尋ねようとするが、少しだけ興奮した少年の声に遮られた。
「もしかして、おにーさんはハミングバード?」
「バレてしまったか」
ケープコートの隙間から羽が見えていたらしく、少年の目は輝いている。あまり大声で話されるのも困るので、ツカサが唇に人差し指を当ててシーッと示すと、少年は慌てたように両手で口を隠す。
「内緒だぞ」
「うん、誰にも言わない」
ツカサは抜けそうになっている羽を一枚、手に取ると少年の胸ポケットに入れた。少年は驚いていたが、ハミングバードからの贈り物だと気付いて頬を緩める。
ハミングバードから羽を贈られた人は、願いが叶うという言い伝えが存在するのだ。
「ありがとう!」
「花かんむりのお礼だ」
ツカサと少年は笑い合うと近くにあるベンチに座り、色んな事を話した。この町の花祭りについて、人気の料理店、町のちょっとした有名人。
「あとね……」
少年はツカサの耳に口を寄せると、花祭りで花を贈る意味を教えた。それを聞いたツカサは、サキには贈れないと残念に思ったが、ある事を思いつき後で買いに行こうと決めて少年の頭を撫でる。
「なんだよ~」
「いや、撫でたくなったんだ」
そんな和やかな雰囲気を壊したのは、三人の男の下卑た笑い声。
「みーつけた」
「ラッキーっすね!」
「そこのガキも売れそうじゃん」
聞き覚えのある声に立ち上がったツカサは、少年を後ろに隠すように振り返る。視線の先には、ツカサとサキを追いかけ回した男たちが立っていた。
人が多い中で誘拐をするとは考えづらかったが、男たちの目は欲に塗れて狂気が滲んでいる。
「おとなしく、ついて来てもらうぜ」
一人が掴みかかろうとした時、ある人物が駆け寄って来るのを確認したツカサは少年を自分から突き放す。伸びてきた腕を掴み、背負うようにして男を背中から地面へ叩きつけた。
「は……?」
何が起きたのか分かっていない男は仰向けで倒れたまま、ポカンと空を見上げている。他の二人も突然の事で動けないまま、やり取りを見ていた住民たちに取り押さえられていた。
「おにーさん、カッコイイー!」
「そうだろう、そうだろう!」
少年はツカサに駆け寄ってくると、ピョンピョンと跳ね回る。その後ろから何とも言えない表情をしたルイが、歩いて来ている。
「あ、ルイ! 皆が教えてくれた技、上手く出来たぞ!」
ツカサの過去の事を知った船員たちは、自衛が出来るようにと護身術を教えていたのだ。それに加えて体も鍛えていたので、昔のように簡単には捕まらない。
「うん、いや。見事な投げ技だったけれど、そうじゃなくて」
「ダメだったか?」
「ダメじゃない、かな」
「良かった!」
ルイの言葉にツカサ自身もテンションが上がり、少年と盛り上がっている。帰ったら軽くお説教かなと考えながら、ルイはツカサを呼んだ。
「ツカサくん、今日は一旦戻ろう」
「そうだな」
騒ぎを起こしてしまった事を自覚しているのか、ツカサはすんなりとルイの言う事を聞いた。
少年に花は買わないの?と言われ、ハッとしたツカサはルイをその場に残して広場に設置された花屋へ向かおうとするが、一人の少女が駆け寄ってきて花束を渡してくる。
「え」
「おにーちゃんにしあわせがおとずれますように」
そう言うと少女は少年の手を引いて、広場の出口で立っている両親の元へ走って行く。ツカサは空いていた手で、少年と少女に手を振ると、ルイと一緒に船へ戻る為に広場を離れて町を出た。
黙ったままで二歩先を歩くルイにツカサは何も言えず、黙々と足を動かす。二人の間に会話がない代わりに、花をラッピングした包装紙がガサガサと音を立てる。
滅多に怒る事がないルイが放つ、重苦しい空気に耐えられなかったツカサが口を開いた。
「はぐれて、ごめん」
「……それは僕にも非があるから」
自分以外の足音が消えた事に気付いたルイが足を止めて、振り返るとツカサが地面を見つめている。好きな子を悲しませてしまうのは、ルイとしては何としても避けたい。
「あと、ルイに伝えたい事があって」
「伝えたい事?」
ツカサは花束を潰さないように抱き締めると、一歩踏み出してルイへそれを渡した。
「意味、分かってる?」
「教えてもらった」
ルイは手元の花束を大切そうに抱き締める。
ツカサからルイへ恋愛的な意味で好きだという素振りは全くなかったはずなのに、ルイの手元にはツカサから贈られた花束がある。
「オレ、ルイが好きだ」
言葉にして伝えるツカサの頬は赤くなり、気恥ずかしそうに視線を彷徨わせていた。
「いつから……」
「いつから、というか。二ヶ月くらい前に立ち寄った街で、女性に囲まれたのを見てモヤモヤしたんだ」
見目が良く物腰の柔らかいルイは女性に言い寄られる事もあり、その度に上手く躱していた。しかし、その街の女性たちは諦めが悪く、どうにか逃げて船に戻る頃には、ルイは精神的に疲れ切っていた。
モヤモヤが晴れなかったツカサは意図的に、ルイと会わないようにしたのだった。
「ルイの隣に他の人が居るのは嫌だなと思って、船員に相談して自覚した」
自覚した時の事をツカサはよく覚えている。
ルイの事を思い出すだけで心拍数が上がり、胸の辺りがきゅっと締め付けられた。
「仕事中の真剣な顔も、野菜を食べたくないって拗ねる姿も好きだなぁって……」
いつもハッキリとした声で話しているツカサの声が、尻すぼみになっていく。それほどまで強く想われているのだと理解したルイは左腕に花束を持ち、右手でツカサを抱き寄せる。
「そんなツカサくんの事が好きだ」
今まで伝えられなかった事が嘘のように、ルイの口からも素直に気持ちが零れた。ぎゅうぎゅうと抱き締められたツカサは、ルイの背中に腕を回して力を込めた。
しばらく抱き締め合っていたが、ハミングバード誘拐未遂の騒ぎを知った船員たちが心配をするだろうと気付く。
「帰ろうか」
「そうだな」
ルイはツカサと手を繋ぐと、鼻歌交じりに歩き出した。
その姿を見たツカサも、ルイの奏でる歌に自分の歌声を重ねる。
ルイとツカサが手を繋いで船に戻ってきた事で、留守番をしていた船員たちが【二人が恋人になった!】と喜び、帰って来た船員達を巻き込み夜通しで祝ったのだった。