チョコレートは三倍返しで 青宗の宝物入れは姉からもらったクッキーの缶だった。濃紺の缶に銀色の星がぴかぴかと光っていて、かっこよかった。缶のかわいさにクッキーを購入した赤音はさいしょこそ渋ったが、最終的に青宗に折れて、缶を譲ってくれたのだ。
缶の中にシールやビー玉、海で拾った貝がらなどを入れたら、すぐにいっぱいになってしまった。赤音に他の缶はないかとないかと聞いたが、出てきたのはキャラクターものばかりで、そうでないものもかわいらしいものばかりだ。うーん。ちょっとちがうんだよな。
悶々と考えていた青宗を、赤音はデパートの地下売り場に連れて行ってくれた。
「ここなら、青宗がすきなものがあるんじゃない?」
デパートの地下売り場はバレンタインの特設会場になっていた。
いろいろ覗いてみたところ、たしかに青宗ごのみのチョコレート缶を見つけた。八百円。ちょっと高いが、出せないことはない。これ、くださいと言うと、売り場のおねえさんはにっこり笑って、きれいにラッピングしてある缶を出してきてくれた。
いや、オレは缶だけ欲しいんだけど、とは、さすがに言えなかった。
待ち合わた時間になっても、なかなか赤音は現れなかった。もうひとりで帰っていいかと焦れ始めた頃、やっと赤音は帰ってきた。
「たくさんチョコレート買っちゃった。青宗も買えた?」
「ウン」
姉弟が家に帰ると、九井が待ちかまえていた。なんだかこぎれいな格好をして、ソワソワした顔をしている。遊ぶ約束はしていなかったはずなのに。
「あ、はじめくん。ちょうどよかった。チョコレートがたくさんあるの。たべていって」
「ハ、ハイ」
赤音が誘うと、九井は顔を真っ赤にして着いてきた。なんだ。ココはチョコレートが食いたかったのか。ココは食い意地が張ってるもんな。
青宗とりにきて、と言われて、しぶしぶキッチンに行くと、大量のチョコレートクッキーがあった。
「さっき、チョコレート買ってたのに?」
「あれはパパ用と自分用とともだち用」
「え、これは……?」
「これは部活用と差し入れ用。青宗の分もあるよ。すこし欠けちゃったけど、味は問題ないから、好きなだけ持って行って」
赤音はラッピングをしてある方ではなく、失敗したクッキーを指さした。どうやら青宗と九井は失敗作処理班らしい。ちゃっかりしているよな、と思いながら、皿にてきとうに乗せて部屋に持って行った。九井はぱっと顔を明るくして、クッキーを口に運ぶ。
「すごくおいしいよ」
「失敗作らしいけどな」
「ぜんぜんきれいだよ。売りものみたいだ」
九井は赤音をほめちぎるが、部屋にいるのは青宗だけだ。それにしてもクッキーは大量にあった。もしかしたら青宗はあれを食べなければならないのだろうか。ちょっとうんざりする。
赤音は時々お菓子作りをするが、失敗作をたべるのはいつも青宗なのだ。たまに父親も食べるが、摘まむ程度なので、やはりあれを食べるのは青宗なのだろう。出来るだけココに手伝ってもらおうと思いながら、ふいに先ほど買ったチョコレートのことを思い出した。
「ココはチョコレート好きなのか」
「ふつうに好きだよ」
「じゃあ、これやる」
「えっ、なに? チョコレート?」
「チョコレートはココにやる。缶はオレに返してくれ」
「なにそれ」
「缶が欲しくて買った。中身はいらない」
「はぁ?」
青宗が説明をすると、九井は呆れながら「イヌピー、そういうところあるよな」と呟いた。さすがに乾も失礼だと分かっているから、家族か九井しか頼む相手がいないのだ。おそらくバレンタイン当日は母親もチョコレートを用意するし、赤音は友チョコをもらってくるだろうから、この家にはチョコレートが溢れることになる。酒飲みの父親は母親と娘からもらったチョコレートを歓びはするが、開けてひとつだけ食べると、のこりは青宗によこしてくるだろう。そういう予測からもこのチョコレートは九井に食べてもらいたい。
「はぁ、わかったよ。食ったらイヌピーに返せばいいんだな」
「いつでもいい」
「わかったわかった」
赤音のチョコレートクッキーはあんなに喜んでいたのに、青宗のチョコレートにはおざなりだ。ちょっと腹が立ったが、そもそも缶が欲しかっただけなので仕方がない。
「缶を返すの忘れんなよ」
「はいはい。おぼえてたらな」
「ココ!」
すっかり忘れていたのは青宗のほうだった。九井に渡した缶のことなどすっかり忘れていた。一方の九井は真面目で律儀な奴だった。一か月後、九井はやっぱりこぎれいな格好でやってきた。手に小さな花束を持っている。
「赤音さんにどうぞ。クッキー美味しかったです」
「わぁ、ありがとう! はじめくんはやさしいな。青宗も見習ってね」
赤音の前ではしきりと照れていた九井は、青宗の部屋に来るとほっと息を吐いた。そして「あ、そうだ」と紙袋から一か月前に渡した缶を手渡してくれた。きちんと洗ってあるのはさすが九井である。
「あとこれも」
「なにこれ」
「ホワイトデーのお返し」
「ホワイトデー? なにそれ」
青宗はホワイトデーを知らなかった。父親は母親と娘にお返しをしていたが、そういうものだと思っていただけだった。バレンタインのお返しをする日があるらしい。
「イヌピーの好きそうな缶、めちゃくちゃ探したんだからな、感謝しろよ」
「お、おお……ありがと」
九井は仏頂面だ。もしかして照れているのだろうか。ちいさな紙袋を受け取った。
「ということがあってから、毎年ココにチョコレートをやっているんだ。さすがにもう缶は集めてないけど、毎年恒例だからなんかやろうと思うんだけど、さすがに手詰まりでな。ドラケン、なんかいい案はないか?」
「なんでもいいだろ」
「なんでもよくねぇよ。ココのホワイトデーは毎年グレードアップしてんだぞ。なんでホワイトデーは三倍返しなんだよ。おかしいだろ」
「たぶん三倍どころじゃないじゃないと思うな」
「ん? なんか言ったか?」
「もうプレゼントはオレでいいんじゃね?」
「なるほどな? さすがに三倍のココは返せねぇもんな?」
よし、今年はそれでいくぜ、と鼻息荒く宣言した青宗に、ドラケンは穏やかに微笑んだ。週休二日のD&Dの定休日が火曜水曜で、ほんとうによかった。