檸檬①Ⅰ. SIDE:M
ⅰ. 拾う神
時は大正XX年。
無惨は一人の童を拾った。
深い雪の日の話だ。
青い彼岸花についての噂を聞いて、とある山奥に出向いた。そこにポツリと一軒、小屋といって差し支えない草臥れた家が建っていた。小脇からモクモクと湯気が立っていたから人が住んでいると見え、ついでに太陽を克服する鬼探しでもするかと寄り道感覚で足を向けた。
その時、後ろから声をかけられた。
「まっ、待って下さい! 俺の家に何か御用ですか?」
振り向くと、赤みがかった癖毛を無造作に纏めた瞳の大きな子どもがそこに立っていた。背中に中身が空の籠を抱えているところを見るに出稼ぎから帰ってきたところだったのだろう。息が上がり、襟巻きに籠った白い呼気が途切れ途切れに少年の顔を覆っている。
「すみません、慣れない道で迷ってしまって。町へ降りる道を教えていただけませんか?」
外面の笑みを貼り付けて、警戒心を与えないよう柔らかな声色で答える。普通ならスーツに革靴で雪山に登る人間などいない事を怪訝に思うだろうが、相手はまだ年端もいかない少年だ。先の動揺しているような振る舞いを見ても、余程の観察力を待ち合わせていなければ気づくまい。
「……あ。そ、そうですか。それなら俺が町まで案内しますよ。家族に一言伝えてきますね」
案の定、少年はホッとあからさまに肩の力を抜いた。害がないと判断したのか、ニコッと愛想の良い笑顔でそう告げるとポスポスと雪の上を弾むように駆けていく。
無惨の横を通り過ぎるその時、彼の後れ毛の隙間に揺れる一枚の花札が見えた。無惨は瞠目し、考えるより先に腕が伸びた。
「待て」
「うわっ! な、ど、どうかしましたか⁇」
「その耳飾り、見覚えがあるぞ。貴様それを何処で手に入れた! 貴様は何者だ。彼奴とどう関係がある⁉︎」
両肩を鷲掴み、問い詰める。突然の豹変に驚いたのか、少年は大きな瞳を見開らいて無惨の目を見る。そこで無惨の縦割れた瞳孔を見て人ではないと悟ったのか、グッと眉間に皺を寄せて掴まれた腕を振り払おうともがく。
「離せッ! やっぱりお前悪い奴だな!」
「私の問いに答えろ餓鬼ッ! 貴様が何故その耳飾りを持っているのだ!」
「知らないッ! 知っていたとしてもお前には教えない! うわぁ!」
ドサッ!
少年の足を払い、倒れた所を仰向けに組み敷いた。四肢をバタつかせるから雪が舞い、髪や市松模様のあちこちについている。
「クソ…ッ! 離せ、離せってば! このぉ…っ!」
「生意気な餓鬼だ。このまま殺すのも一興だが貴様は別の用途で使えそうだな」
ズプリ。
無惨は少年の首を掴み、柔いそこにズプリと爪を立てた。
「ッギ……、痛゛い…ッ、な、何して……ッ」
「貴様を鬼にする。生意気だが鬼になれば貴様は私に従順になる。耳飾りのことはそれから聞き出すことにする」
「鬼…ッ⁉︎ 三郎爺さんも言ってた……けど、そんなのいるはずないッ!」
「いるさ。この私がそうだ。貴様も薄々気づいていたのだろう? 血相を変えて声をかけてきたのは、私に何か違和感を感じたからではないのか?」
「ッ」
指摘すれば少年はグッと顔を歪めた。
どうやら図星らしい。
やはりただの餓鬼だな。心なんて読まずとも思っている事がすぐに分かる。
「ふん、勘はいいようだが判断を誤ったな。話しかけずに逃げていれば貴様の命は助かったろうに」
「……んなこと、出来るわけない……っ。家族を見捨てて逃げるなんて……っ」
「そうか、そんなに家族が大事か」
「あたり、まぇ…だ…っ」
少年の口調が辿々しくなっている。血が回り始めたのだろう。意識は朦朧としているはずだ。普通の人間なら失神していてもおかしくないのに、この少年は抗っている。
(この餓鬼……もしかしたら……)
無惨は少し考える素振りをし、少年を見下ろした。
耳飾りが嫌でも目につく。黒死牟曰く〝神に愛された人間〟が身につけていた花札の耳飾り。
もしやこの人間もそうなのか?
あの化物は鬼に対抗しうる勢力としてだが、神が等しく平等であると言うのならば、無惨にもその加護が施されてもおかしくはない。
「ならば道は一つだ。未練を断ち切ってやろう」
「……は、」
ゆらり。腕を伸ばせば人の手が触手に変わる。
鞭のようにしならせ振り下ろし、少年の家を破壊した。
束の間断末魔が響き、シンと静寂する。
無惨は少年を見た。首を捻って頭上の我が家の惨状を見てワナワナと唇を震わせ、瞳孔は大きく開いている。表情は絶望に染まっていた。
「な、な…に、して……何をしたッ!」
「貴様の家族を殺した。これで心残りは無かろう? 迷う事なく鬼になれる」
「……あ、あ、…ああ……」
瞠目した赫灼の瞳から大粒の涙がまろび落ちる。
理解はしていたのだろう。何が起きたかは目の前で見ていたのだから。それでも現実を突きつけられると少年は言葉も紡げなくなったようで、両手で顔を覆って呻きながら泣いていた。
気の緩んだその間に血が浸透し、やがて少年はコロンと気を失った。
「これだけの血液量でも細胞が壊れないとは。有望だな」
指先で頬を撫ぜ、涙の跡をサラリと拭う。
肩と膝の裏に腕を回し、抱き上げる。
琵琶がなれば、そこには誰もいなくなった。