愛された後頭部を砕きたかった*
斜め後ろから見た鯉登の頭は型にはめて作られたのかと思うほどに整った曲線をしている。
そのおおよそ人の考え得る限り最上に近いだろう整った丸い後頭部に手入れの行き届いた黒髪が流れるように沿っているのだから、その端正さが人目を引くのは必然だった。
乳房や尻の丸みを好む者がいるのだから、その頭の丸みに欲を掻き立てられる者がいるのもおかしな事ではないはずだ。
尾形は鯉登の後ろ姿を観察する。
両親から愛されて生まれ、大事にされた子供は後頭部の形も綺麗だ。赤子の頃に同じ体勢で寝かせてばかりいると頭の形が歪みやすいと聞くが、この愛された子息は硬い寝床に一人で放ったらかされるなんて事はなかったのだろう。両親や兄弟、使用人が誰彼と世話を焼き、質のいい布団と枕で、大事に大事に、均整の取れた丸い頭になるように撫でくりまわされて生きてきたに違いない。
その頭を眺めていると無性に弾丸がそこを撃ち抜く様を見たくなる。
鯉登を撃つ時がきたのなら、真正面の眉間の間よりも絶対に後頭部を狙いたいと常々思っている。妥協するならば側頭部だ。
一度、その米神に銃を突きつけた事がある。上官の命令で鯉登が十六歳の時にロシア人の誘拐犯を装い、襲って拉致監禁した時だった。
突然大人たちの殺し合いに巻き込まれたも同然だったその子供は、それでも喚き声ひとつあげずにおとなしく拘束されていた。自分の命の期限を悟り、諦めたような顔だった。
金持ちの家の子供でも親から愛されなければこんな顔をするものなのかと、尾形はひどく興味をそそられた。その頃の尾形は鯉登家の子息は親から見放された放蕩息子であると聞いていたし、視察の為に民間人に扮して数日尾行した少年の姿を実際に見てそれを信じていた。頑なで荒々しい言動は愛された子供からは程遠かった。
町の人間らの少年に対する芳しくない印象が耳に入る度、ああこれは父親から見捨てられるだろうなと尾形は何度も笑いを噛み殺した。
父親である鯉登少将の人柄は上官伝でしか知らないが、一廉の武人だ。息子と引き換えに国や民衆を危険に晒すような人物ではない。まして評判の悪い息子だ。家から放り出してはいない以上、全く愛情がない訳でもないのだろう。けれど他者と比べて天秤に乗せた時、いかな葛藤があろうとも息子の方へは決して傾かない。
(なんだ、世の中にはこんなガキもいるんじゃないか)
立派な人格と血統の父親とその正妻の間にも、出来の悪い子供は生まれる。誘拐の標的である少年は次男であり、既に過去に戦死した長男がいて、そちらは大層立派な息子であったらしい。愛し合った両親から生まれた正妻の子であろうが兄と弟でそうも作りが違う事があり得るのだと、兄は大事に弔われ、弟は見捨てられるのだと、沸き起こる獰猛な感情で尾形は高揚した。
誰もが清廉潔白な自分の実弟のような息子ではないのだ。
「兄さんよな息子んなれじ申し訳あいもはん」
そう父親に頭を下げて詫びるその背中を無性に撫でたくなった。
尾形の中の何か、求めてやまない答えに手が届いたような気さえした。
現実には上官の描いた筋書きそのままにはいかず、尾形の歓喜はすぐに裏切られた。
父親が国の為に見捨てた子供を上官である鶴見が一人で救出し、恩を売る。それが本来の目論見だった。ところが予想に反して父親は身の危険も顧みず、自ら疾駆して囚われた息子を助けに乗り込んできた。
浮き足立っていた心が鉛のように重くなり、ドロドロとした感情の海の底へ沈んでいく。息子が抵抗した際に形のいい後頭部で頭突きをくらわされた鼻が痛んだ。
(……なんだ、こいつも結局は愛されてるんじゃねぇか)
どんなに兄に劣ろうが、どんなに出来の悪い子供であろうが、結局は正妻の間に生まれた子供は大事なものなのか。
今すぐ目の前の子供の頭を撃ち抜きたい衝動に駆られた。米神に銃口を押し付けたのは脅しの為ではなかった。殺意だった。
あの日からずっと、尾形は鯉登の頭が目に入る度にあの日引けなかった引鉄を引く想像をしている。
そのたっぷりと愛情の詰まった丸い頭に穴が空けば、他の人間と大差のない薄汚い血と脳漿がぶち撒けられるに違いないのだ。
(……ああ、)
そういえば、かつて後頭部を撃ち抜いた実弟の頭も、美しく整った形をしていたような。
了