高校の入学式の日、九年ぶりに再会した彼女にまた昔のように名前で呼んでくれるかと期待したものの、彼女は俺を「風真くん」と苗字で呼んだ。が、程なくして彼女は「やっぱり玲太くんは玲太くんだから」と昔のように「玲太くん」と呼ぶようになり、俺も高校入学以来苗字で呼んでいた彼女をまた名前で呼べるようになった。
お互いをまた名前で呼び始めるようになってから少し経ったある日、
「玲くん」
と、彼女は俺を呼んだ。
「何だよ、急に。本多みたいな呼び方して」
本多は俺たちの共通の友達の一人だ。最近は俺たちに本多、七ツ森を加えた四人で行動することも増えている。
「そう、行くんが玲太くんのことリョウくんって呼ぶでしょ? ニックネームで呼ぶのもいいなって思って」
「そうか……?」
俺は本多が初対面でいきなり「リョウくん」と呼んだときは驚いたが、彼女は「リョウくん」という呼び方を気に入ったらしい。
「わたしも玲くんって呼んじゃダメかな?」
「……おまえがそう呼びたいならいいけど」
本多は良くておまえはダメなんてことはないし。
「うん! じゃあ、玲くんって呼ぶね」
と、彼女は嬉しそうに笑う。彼女のこの笑顔見たら、もう何でも良くなってしまう。
「今日はみちるとひかるとお昼食べる約束してるから後でね、玲くん」
「ああ、分かった……」
この流れで彼女を学食に誘うつもりだったが、先約なら仕方ないか。が、彼女が教室を出てすぐ「リョウくん!」と、俺を呼ぶ声がした。
「リョウくん! ミーくんも誘って学食行こ!」
「何だ、本多か……」
「あれ? どしたの?」
と、言いつつも、家で一人な分、学校では賑やかな方が好きだから、本多と七ツ森と一緒に学食に行くことにした。
学食に着くと、既に花椿達と食べていた彼女が俺達に気づき、「玲くん」と俺に向かって手を振る。
「あんた、今、カザマのこと……」
彼女が俺を「玲くん」と呼んだことに七ツ森も驚く。
「うんうん、リョウくんって呼び方いいよね」
本多は満足そうに笑っている。
「そうか?」
俺は「リョウくん」という呼び名に対して特にいいとも何も思わなかったが、彼女に呼ばれると……。
「――って言いつつも、リョウくん、顔が緩んでるよ?」
「ちょっと前まで苗字で呼ばれてるって拗ねてたしな」
「うるせぇよ!」
彼女が俺を「玲くん」と呼び始めて少し経ったある日、
「玲太」
と、彼女は俺を呼び捨てで呼んだ。
「お、おう……どうした?」
彼女に呼び捨てで呼ばれることは初めてなので、思わずびくっとしてしまう。
「えっと……ダメだった?」
「ダメじゃねぇけど、今度はどうした? 颯砂か?」
家族以外で俺を玲太と呼ぶのは俺たちの身近だと颯砂なので、今度は颯砂の影響かと思って聞いたら、彼女は違うと首を横に振った。
「ほら、幼稚園や小学校と違って中学とか高校になると、友達は呼び捨てで呼ぶようになっていくでしょ?」
「そうだな」
現に俺も友達はほとんど呼び捨てで呼んでいる。
「みちるやひかるもそうだし。でも、玲太く……玲太はくん付けのままだったなって」
一瞬玲太くんと呼びそうになったのを聞き逃さなかった。どうやら彼女も俺を呼び捨てにすることにまだ慣れていないらしい。
「呼びにくいなら、無理して呼ばなくても……」
すると、彼女は再び首を横に振る。さっきよりも激しく。
「ううん。玲太く……玲太は男の子の中でも親しい方だから。呼び方もそうしたいの」
「まあ、親しいのは当然だけどな」
彼女なりの理由が聞けたので、改めて彼女に呼び捨てで呼ぶことをOKした。彼女の言う通り、お互い呼び捨てだと確かにより対等な感じもして、呼び捨てで呼び合うのもアリかと思い始めた。
が、数日もすると、彼女は「やっぱり呼び捨ては呼びにくい」と結局また「玲くん」と呼ぶようになった。かと思いきや、「やっぱり玲くんは行くんも呼んでるからリョウちゃんって呼ぶ」と言ったり、「リョウちゃんは子供っぽいからリョウの方がいいかな?」等様々な呼び方をしては元に戻るの繰り返しだった。
「玲太さん」
ここに来て新しい呼び方が来た。
「は、はい……何ですか?」
さん付けで呼ばれるのは初めてで改まって返事をしてしまう。と、同時にこれまでのあだ名や呼び捨てに比べて距離を感じた。
「どうかな、この呼び方?」
「どうって……今度は何でそうなったんだよ?」
「あのね、うちのお母さんがお父さんのこと名前さん付けで呼ぶの」
「おばさんが?」
そう言えば、俺の母さんも父さんのことそう呼んでたかもしれない。つまり、夫婦間の呼び方ってことか。こいつもそういうの意識するようになったってことは――。
「だから、玲太くんもそうしようかなって」
「いや、もう玲太くんって呼んでんじゃん」
「あれ? ほんとだ……」
彼女も無意識のうちに「玲太くん」と呼んでいたことにはっと気づく。
「やっぱりおまえ、その呼び方が一番呼びやすいんじゃないか?」
――りょうたくん!
幼い彼女が俺を呼ぶ姿が過る。
「うん、そうみたい。玲太くん」
そして、今の彼女もあの頃と同じ呼び方で俺を呼ぶ。今も昔もこれからもずっと――。
「そうだ、玲太くんももっとわたしの名前呼んで」
と、不意に彼女は言う。
「えっ?」
「だって、玲太くん、また名前で呼んでくれるようになっても、おまえって呼ぶことの方が多いし」
特に意識したつもりはなかったが、言われてみれば確かにそうだったかもしれないと気づく。そうか、名前で呼ばれたいのは彼女も同じってことか。そっと彼女の耳元で囁くように彼女の名前を呼んでやると、
「玲太くん、それはズルいよ……」
と、彼女は顔を赤らめていたので、俺ももっと彼女の名前を呼んでみよう。