僕たちは一般的な『お付き合い』とは随分かけ離れているらしい。そう気付いたのはひなたくんに部長との出来事をよく話すようになってからのことだった。彼は数少ない僕と部長の関係を知る人物で、こう言った逢い引き――都会では『デート』というらしい――の話を嫌な顔1つせずに聞いてくれる。今日も今日とてその話をしていたのだが、話を聞き終わったひなたくんは神妙な顔付きで口を噤んでしまった。
「どうしたんだい? ……もしかして僕は部長に嫌な思いをさせてしまっていたのかな?」
「そんなことないと思うよ! ただ……う〜ん……」
「ひなたくん……正直僕はちゃんとした人間とは言えない。まだまだ未熟な部分が沢山ある。もし、なにか引っかかることがあるなら忌憚なく言ってほしいな」
「……別に一彩くんが悪いって訳じゃないよ? ただ――一彩くんと鉄くんってまだ手も繋いでないよね?」
何故か少し詰め寄るように聞かれたが、予想外の問いに目を瞬かせる。確かに手を繋ぐ機会と言えばライブの演出でやるくらいだろう。だが、それのどこに問題があるのか僕にはさっぱりわからない。
「うん? そうだね。都会のデートは必ず手を繋ぐものなのかい?」
「いや、そういう訳じゃないけど……ハグとか、キスはしたいって思わないの?」
「気持ちが高揚している時はしたいと思うけど……普段は特にないかな? そもそも公共の場でやるのは部長画嫌がるだろうし」
「それは正論なんだけどさぁ……! 2人の話を聞いてるとその――――付き合う必要あるの? って思うんだよね」
ひなたくんは意を決したように言葉を紡ぐ。彼の覚悟と同じくらい、俺もその言葉に衝撃を受けた。
気付いたら部長を見るとドキドキするようになり、心臓の病かと思って病院に行ってみたが健康そのものだった。もっと彼と過ごしたいとも思うと言えば、藍良はそれは『恋』なのだと教えてくれたのだ。それから僕は『恋』について友人や仲間の助けを得ながら勉強した。そして部長に告白をして想いが通じ合って今に至るのだが――お付き合いをする必要性など考えたこともなかった。
「正直話だけを聞いてると仲の良い親友同士で遊んでいるようにしか聞こえないんだよね。勿論お付き合いに反対って訳じゃないよ? でもやっぱりバレたら変に騒ぎ立てられるし……そんなに大きな関係にしておく必要があるのかなって――――ごめん、余計なお世話だよね!」
「……いや、ひなたくんの言うことは尤もだと思う。……確かに僕らのやっていることは藍良たちと過ごすこととあまり変わりない」
けれど、特別なことをすることが本当に僕たちにとっての正解なのだろうか。ひなたくんにありがとうとは言うものの、頭の中では大きな問題が首をもたげ始めていた。
「一彩くんに嫌われたかもしれないッス……」
黒いオーラを放ちながら言われた言葉を聞いて、俺と創は顔を見合せた。創はきょとんとしているが、おそらく俺もそう変わらない顔をしているのだろう。
鉄虎が悩んでいるみたいだから話を聞いてやってくれないか。そう高峯から連絡が来たのは昨日夕方のことだった。同じ『流星隊』の仲間に話せないことならユニット事情かと思いきや、まさか恋の悩みだったとは。別に俺や創は2人の関係を知っているから問題はないのだけれど。……いや、それにしてもまず否定しなければならないことがある。
「あのさ、それだけはないと思うぞ……」
「僕もそう思います。だって今日も鉄虎くんと稽古したことを楽しそうにお話してたんですよ?」
「だったら……何でしばらくデートしないって言われたんスか!」
力任せに叩かれた机が派手な音を立てる。放課後の教室でよかった。昼休みに聞いていたらちょっとした騒ぎになっていたかもしれない。
「落ち着けって。ちゃんと話聞いてやるから」
「心当たりはないんですか? 大きな仕事があるとか、大事な用事が控えているとか……」
「全部が全部知らないッスけどそういうのは関係ないと思うッス。だって一彩くん――『恋』を考え直したいって言ってたッスから」
「恋を?」
「考え直す?」
思わず創と台詞を分けて話してしまった。どうやら双子だけじゃなくて幼馴染でもできるらしい。『恋を考え直す』って一気に哲学みたいな話になってきた。具体的に何を考え直すつもりなのかさっぱり見当がつかない。
「俺が悪いんスよ。意気地無しで自分から全然行動できなかったから……きっと愛想を尽かされたんス」
「天城はそういうの気にするタイプじゃないって。むしろなにかやりたいことがあったら自分から言い出すだろ」
「そうですよ。そもそもそういうことはお互いが『そうしたい』って思ってなきゃ駄目ですからね〜?」
創がそう言うと、涙目の鉄虎がのろのろと顔を上げる。創は鉄虎と目が合うとにっこりと笑った。
「考え直すって別に悪い意味だけじゃないと思います。改めて鉄虎くんとどういう風になりたいのか、一彩くんは考えているんじゃないんでしょうか」
「俺と、どんな風に……」
「っていうか、そこまで気になるなら本人に聞いてみたらいいんじゃないか? 今誤魔化してても、結局おまえらって組手とかしたらわかっちゃうんだろ?」
「……友也くんの言う通りッスね。俺、一彩くんと1回ちゃんと話してみるッス」
拳を握った鉄虎は、先程までのくよくよしたものとは違う良い顔をしていた。どうやら腹は決まったらしい。覚悟を決めればなにがあってもなんとかしちゃうやつだってことは、俺も創もわかっている。
「まあ、月並みなことしか言えないけど……頑張れよ」
「押忍! 俺の全力を一彩くんにぶつけてくるッス!」
「あ、鉄虎く――――行っちゃいましたね」
鞄を取るなり鉄虎は教室を飛び出していった。もう今頃には俺たちのことなんて頭から抜け落ちているだろう。代わりに鍵を閉めて帰りましょうか、と言う創に俺は苦笑しながら頷いた。
「一彩くん!」
「部長?! どうしたんだい、今日はオフの日だって聞いてたけど……?」
「俺……一彩くんと話したいことがあって、ずっと捜してたんス」
まさか夜になるとは思っていなかったけれど。てっきり寮にいるかと思いきや、少し離れた広場にいたから中々見つからなかったのだ。ここを通るのは寮の関係者くらいで、人通りもなく少し物寂しい印象を受ける。
「そうだったんだ。ホールハンズで連絡してくれたら直ぐ部長のところに行ったのに」
「あはは……一彩くんを捜すので頭が一杯になっちゃってて、そのことがすっかり頭から抜け落ちてたッス」
隣に座っていいかと聞くと勿論と頷かれる。デートをしない宣言をされてからそれほど経っていないのに、なんだか久しぶりに2人きりになったような気がした。
「丁度よかった、僕も部長と話したいことがあったんだ」
「何ッスか?」
「少し下世話な話になってしまうんだけれど……部長はデート中に僕と手を繋ぎたいと思ったことはあるかい?」
「へ?」
唐突な質問に変な声が出る。確かに今までのデートで手を繋いだことはなかった。……俺はどういう風に切り出していいかわからなかったから、一彩くんにそういうことを任せ切りにしていたのだ。だが、別に手を繋げないことを不満だと思ったことはなかった。
「あと、ハグとか……キスとかはどうだい?」
「ひ、一彩くんどうしたんスか? ……もしかしてずっとしたかったとか?」
俺に気遣ってずっと遠慮していたのかもしれない。そう思うと申し訳なさで一杯になった。だが、一彩くんは俺の言葉にそうじゃないんだ、と返す。
「僕はずっと……そういうことをしたいと思ったことがなかった。部長が隣にいるだけで幸せで、それだけで満足していたんだ。だけど……それなら親友でもいいんじゃないかと、そう言われて。でも――」
ちゃんと考えたけれど、僕は部長と『恋人』でいたいんだ。
そう言う一彩くんの目はどこまでも真っ直ぐで、声は少し震えていた。俺はというと、ようやく彼の考え事がわかって内心安堵の息を吐いていた。創くんと友也くんが言ってた通り悪い意味じゃなくて、彼は俺と歩く未来について考えてくれていたんだ。
「一彩くん……俺の話聞いてくれるッスか?」
「勿論。むしろ今は部長の答えを聞きたいよ」
「手を繋ぐとかキスとか……俺はそういうの、ずっと一彩くんに任せ切りにしてたんスよ。上手くそういう風にする方法とかわかんないし、その……無責任に聞こえるかもしれないんスけど、どっちでも良くて」
「どっちでも良い?」
「一彩くんが手を繋ぎたいなら俺も手を繋ぎたい……それが俺の意見ッス。それよりも……一彩くんは俺のことまだ好きなんスか?」
「当たり前じゃないか! どうしてそんなこと言うんだい?!」
「……ふふ、それなら良いんスよ」
人任せだなんて言われてしまうかもしれないけれど。俺だって大概一彩くんの隣にいるだけで幸せなのだ。
「――部長」
「どうしたんスか?」
「突然だけど、手を繋いでいいかな?」
「え?」
「駄目かい?」
「う、ううん。良いッスよ」
手を差し出すとその手を握られる。これだと手を繋ぐと言うよりは握手だけれど一彩くんら満足そうだった。
「ウム、『手を繋ぎたい』という気持ちが少しわかった気がするよ! ――人の体温を感じるとこんなに温かい気持ちになるんだね!」
そう言って一彩くんが心底嬉しそうに笑うから――なんだか俺の心にも火が灯ったような心地になった。手を繋いだだけなのに心臓がばくばくしている。赤くなった顔は夜の中に紛れているといいのだが。
「……よかったら、このまま帰るッスか?」
「え?」
「その、寮の前までッスし、人が来たら離しちゃうッスけど」
「――うん、このまま帰ろう、部長!」
一彩くんは1度手を離すと、今度こそちゃんと俺と手を繋いだ。一件落着、でいいのだろうか。空を見上げると都会でも見える数少ない星が俺のことを見守っていた。
「一彩くんが迷惑掛けたッスね」
「あはは、ウチの旦那が〜……って冗談だって! 技かけようとしないで!」
「はは、俺だって冗談スよ」
「本当〜?」
疑わしげな視線を送ると鉄くんは念押しで本当ッスよ! と言って俺の隣に座る。そして、テーブルの上に明らかにプレゼントらしい包みを置いた。
「迷惑掛けたお詫びッス。甘いお菓子と辛いお菓子の詰め合わせだからゆうたくんと食べてほしいッス」
「え、そんなのいいのに」
半分くらいはこっちが引っ掻き回したようなものだから、文句を言われる覚悟をしてたくらいなのに。断ろうとしても鉄くんは頑として譲らなかった。もう、そういうところは体育会系らしく律儀なんだから。これ以上押し問答をしても仕方がないので、有難く受け取ってゆうたくんとの逢瀬で食べようと心に誓う。そこまできて、俺も良いものを持っていたことを思い出した。
「じゃあ、俺は鉄くんにこれをあげる!」
「何スか、これ?」
「ESに新しくできた洋食屋さんの割引券! ――オムライスが有名らしいよ、そこ?」
元々は副社長が貰ってきたものがこっちに流れてきたのだけれど、まあ誰かに渡したってとやかく言われないだろう。鉄くんは目を見開くと、なにか言いたげに口を動かす。微笑ましくて思わず笑っちゃうと、恨めしげにこちらを睨み付けてきた。
「本当に貰っていいんスか?」
「うん。貰っててアレだけど俺やゆうたくん好みの店じゃないからね〜。あ、でも感想は聞かせてほしいな!」
楽しんできてね。そう言うと、鉄くんは今度こそありがとうと言って照れくさそうに笑った。