(千秋は路地裏で重傷を負って倒れている鉄虎を見つける。名前も知らない男は今にも息絶えそうで、千秋は鉄虎を大急ぎで屋敷に連れて帰り手当てをさせた。)
「ここが……天国ッスか?」
「よかった……! 目が覚めたんだな!」
医者は目を覚ますかは今日が峠だと言っていたが、無事その瞳が開かれたことに安堵の息を吐く。まだ少し夢心地なのか、少年はあちこちに視線をさ迷わせる。やがて琥珀を思わせる瞳が静かにこちらを向いた。
「あんたは……それよりここは……」
「おっと、まだ動くんじゃないぞ。傷は全然塞がってないからな。……俺は守沢千秋。ちなみにここは天国じゃなくて俺の屋敷だ」
正しくは俺の家系のものと言うべきだろうが。少年は2、3度瞬くと、ようやく状況を理解し始めたようだった。
(中略)
「帰るッスよ。これくらいの怪我大したことないッス」
「これくらいで済むレベルじゃないぞ……ああほら!」
言ってる傍から傷口が開いたらしく、包帯の白に赤が滲む。かなり出血が多いようで、シーツに赤い染みができた。
「ちょっと待ってくれ! 薬を取ってきてやるから!」
「いや、大丈夫ッスから。これ以上汚したら申し訳ないし帰るッス」
「どうしてそう頑ななんだ? いいから寝てないと駄目だ!」
強引にベッドへと押し込むと、鉄虎は特徴的な呻き声を上げた。
「……言っとくけど、こんなの弁償できるほど金持ってないッスからね、俺」
そう言うなり彼は視線を逸らしてしまう。きっと申し訳なく思っているのだろう――そんな必要はないというのに。
「そんなこと気にしなくていい。ベッドなんておまえの命に比べれば安いものだ」
今度こそ部屋を出て薬を取りに行く。ドアを閉める前に『変な人』と呟く声が聞こえた気がした。
(出血は一先ず収まった鉄虎。しかし傷口から菌が入ったようで、熱が鉄虎を苛む。)
「熱い……」
荒い息を吐きながらうわ言を呟く様は見ていて痛々しい。俺も幼少期は似たようなものだったから、その辛さがよくわかる。一応解熱剤を与え、頭に乗せた氷嚢も取り替えているが気休めにしかなっていないようだった。
「大丈夫か、鉄虎?」
「うぅ……」
こちらが心配して声をかけても、熱に浮かされた彼には届かないようだった。鉄虎は声にならない声を上げながらベッドで縮こまる。
「誰、か……」
そう言うものの、鉄虎は益々その体を縮めてしまう。――今まで助けを求めても誰も手を差し伸べてくれなかったからだ。じっとしていられなくなった俺は、衝動的にその熱い右手を掴んだ。
「俺がいるぞ。……おまえは1人じゃない」
どうしたらわかってもらえるのだろう。こんな状態の彼に言ったって仕方ないのかもしれないが、見ない振りなどできるはずがなかった。
俺が手を掴んだからか、鉄虎の目が僅かに開かれる。そして――。
「――――?」
動いたのは口だけで、彼が何と言ったのかはわからない。だが、鉄虎は僅かに口角を上げて体に入っていた力が少し緩まった。直ぐにその目は閉じられ、再び寝息が聞こえてくる。そのことにほっとして俺は息を吐いた。
「換えの氷を用意しておく――ん?」
立ち上がろうとすると強い力で引き止められる。どうやら鉄虎が俺の手を掴む力が強過ぎるらしい。振りほどこうとしてもその力は決して緩むことはなかった。
「……まあ、いざとなれば誰か呼べばいいか」
今は彼が安心することの方が大事だろう。
結局このまま夜を明かすことになることを、俺はまだ知らなかった。
(快復した鉄虎は千秋に元の場所に帰ると告げる。千秋はそんな鉄虎を引き止めるが――。)
「駄目ッスよ。あんたにはあんたの世界があるように、俺には俺の守るべき世界があるッス」
今こうしている内にも仲間が危ないかもしれないと彼は言う。だが俺はそんな危険なところに彼を易々と送り出すことはできなかった。使用人たちももうすっかり彼に心を許している。ここならば綺麗な寝床も、きちんとした食事も用意されるというのに。
「どうしても……行くのか?」
「……守沢さんには感謝してるッスよ。でもこれは俺自身の問題ッス。……って、俺がだらだら喋るから別れ難くなるんスよね。それじゃあ――」
「ま、待ってくれ!」
窓から飛び出そうとする彼の腕を慌てて掴む。何スか、と言う声は不機嫌そうだったが、俺の話をきちんと聞いてくれるようだった。
「無理に引き止めたりはしない。だから――また顔を見せに来てくれ。……『友人』に会いにいくのはおかしな話ではないだろう?」
詭弁に近いことを話している自覚はある。だが、ここで彼と今生の別れなどしたくなかった。不意に鉄虎がこちらを振り向いてくる。彼は――――穏やかな笑みを浮かべていた。
「……そうッスね。『友達』なら当然ッス」
また来ます。そう言うと彼は今度こそ窓から出ていった。残された俺は呆然として、しばらくその場を動くことができなかった。心臓がばくばくとうるさい。顔が熱く、脳裏にはあの笑顔が焼き付いていた。
「は、はは……」
まさか『友人』と言ってから直ぐ後悔することになるなど。友人である赤髪の男に話せば呆れられるに違いない。
(スラムに帰ってきた鉄虎は、晃牙たちに迎えられる。鉄虎は千秋の話を彼らにするが――。)
「そのまま雇ってもらえればよかったじゃね〜か。何でわざわざ帰ってきたんだ?」
「だって、俺1人だけ真っ当に生きるなんてそんなこと――」
「馬鹿だな、そんなこと気にするやつここにはいね〜だろ」
呆れたように大神先輩はそう言って俺の頭を軽く小突く。勿論それはわかっているけれど――3人と碌に話もせずに別れるなどごめんだったのだ。
「そうですよ! 鉄虎ちゃんがハッピーな色の方が宙は嬉しいな〜?」
「それに鉄虎くんが貴族にパイプを作ってくれたらゆくゆくは俺たちも……ってなるかもしれないしね。いや、別にダシにしたい〜って訳じゃないけど……」
「はは、ちゃんとわかってるッスよ」
「……もうそいつと会うつもりはね〜のか?」
「いや……むしろまた会う約束しちゃったんで。会いにいくッス」
(ここから未定! 続きをください!)