ブレーキ同盟がお泊まり会するはなし(前編) 平日のある日。この日はバンド練習も他の予定も特に無い。それなのに、自宅で寛ぐ市ヶ谷有咲はそわそわと落ち着きがなかった。
室内をウロウロ歩き、部屋の埃をチェックし、窓を開けては閉め、最後にベッドに飛び込んだ。
直後、家のインターホンが鳴ると弾かれたように起き上がり、手櫛で髪を整えながら玄関へ向かった。息を整えながら、ゆっくりとドアを開ける。
「あー……。い、いらっしゃい」
「……どうも。お邪魔します」
ぎこちなく挨拶をする有咲に、制服姿に大きな荷物を持った奥沢美咲が、同じようにぎこちない挨拶を返した。
◆
「こころ、これ見て」
事の発端は、その日の朝のことだった。2年A組の教室に来ていた弦巻こころを手招きし、美咲は自分のスマートフォンの画面を見せた。画面を覗き込んだこころの顔が、ぱっと華やぐ。
「あら、これは美咲のおばあちゃんのおうちね!」
「そう。紅葉が凄いんだよって、昨日手紙くれてさ。こころ達にも見せようと思って写真撮ってきた」
「とっても綺麗ね! またみんなで行きましょう!」
「えっなになに? 私も見たーーいっ!」
そんな二人の間に飛び込んでいったのは、先程まで美咲の前の席で有咲と話していた戸山香澄だった。ごく自然に会話に入り画面を覗き込む香澄に、誘われる形で有咲もスマホを覗き込む。
スマホの画面には、現像された写真が何枚かまとめて写されていた。美咲の祖母の家の写真や、そこから見える色付いた山の写真だった。
「おお、これ奥沢さんのおばあちゃんの家なんだ?」
「大きいおうちだね〜! あっ、この隅っこに写ってるのは畑?」
「そうよ! この畑で、おいしくてピカピカな野菜がたーーっくさん採れるの!」
「なんでこころが得意げなのさ」
そんなことを言いつつ、祖母の家を褒められて美咲の顔も綻ぶ。そんな美咲の笑顔を見て、こころは夏合宿の思い出を語り出した。
「美咲のおばあちゃんはとっても優しくて、野菜の採り方を教えてくれたの! あとご飯がとっても美味しかったのよ」
「へ〜! 有咲のおばあちゃんが作るご飯も美味しいよね! 卵焼きがふわふわで!」
「あら、美咲のおばあちゃんが作ってくれたお漬物も、綺麗な色をしててとっても美味しかったわ!」
「いや、なんでお前らが張り合ってるワケ?」
「人のおばあちゃんを対戦カードにして戦うのやめてよね」
何故かよその家のおばあちゃんでカードファイトを始める香澄とこころに、有咲と美咲が呆れ顔でツッコミを入れた。
美咲はスマホの画面を落とすと、溜息を吐く。
「まあでも、うちはおばあちゃんとは離れて暮らしてるから、家に居るのはちょっと羨ましいかも」
電車で行ける距離とは言え、なかなか気軽に遊びに行けるほど近くもない。だからこそ、なるべく顔は見せに行きたいとは思っているのだが————。
「あっ、じゃあ美咲ちゃんも有咲んちに泊まりに行ってみたら?」
「えっ?」
「えっなんでそうなるんだ??」
名案とばかりに提案する香澄に、美咲と有咲は首を傾げる。納得したように目を輝かせたのは、当事者ではないこころだけだ。
「それはいいわね! とっても楽しそうじゃない?」
「いや、別に市ヶ谷さんのおばあちゃんはあたしのおばあちゃんじゃないし」
「え〜! 美咲ちゃんも有咲んちの卵焼き食べてみなよ! 絶対美味しいから!」
よその家の卵焼きを猛プッシュしてくる香澄の勢いに、美咲が押され始める。当の有咲は、自分の祖母を褒められたことで、気分が上がり始めていた。身内を褒められて嫌な人は居ない。
なので、流れに乗ってしまった有咲はつい口走る。
「じゃあ……来る? 泊まりに」
◆
それが事の発端だった。その後、行動力の化身である香澄とこころによって、当事者そっちのけで即日のお泊まり会が決定。あれよあれよとスケジュールを立てられて今に至る。
因みに香澄とこころは別件で用事がある為、お泊まり会は不参加である。つまりは二人きりだ。
有咲にとって気が合うクラスメイトである美咲は、学校内でつるむことは多くあれど、実はプライベートで遊ぶことはそんなに多くない。それなのにいきなり二人でお泊まり会。
「いらっしゃい、あなたが美咲ちゃん? いつも有咲と仲良くしてくれてありがとうね」
「あっ、いえ……! すみません、今日は急にお邪魔しちゃって。あのこれ、良かったら」
家の奥から出てきた有咲の祖母に、緊張気味の美咲が挨拶を返す。家から持たされた菓子折りを渡せば、「別に気にしなくていいのに」と笑った。
「ゆっくりしていってね。古い家だけど、さっきまでこの子が念入りに掃除してたから綺麗だとは思うから」
「ちょっ!? ばあちゃんそう言うこと言わなくていいって!!」
顔を真っ赤にした有咲が祖母の背中を押せば、祖母は「ごゆっくり」と微笑みながら家の奥に消えていった。
残された美咲が、有咲へと視線を向ける。
「……へえ」
「やめろその顔! ニヤニヤすんな!!」
取り敢えず肩をパンチしてから、先導して自室に案内する。襖を開ければ、
「ここが市ヶ谷さんの部屋? すごい、和室だ」
先程のやり取りで緊張の解けたらしい美咲が、感嘆の声を上げて部屋を見渡した。ここで有咲はとあることを思い出し、仕返しとばかりににやりと口角を上げた。
「制服、そこのハンガー使って。楽な服に着替えろよ。持ってきたんだろ、アレ」
「う、」
美咲の動きが固まる。持ってきたけど、と消え入りそうな小声で零してから、バッグからピンク色のもこもこしたパーカーを取り出した。
「お〜思ったよりもこもこなのな」
「まあ実際あったかいし楽だよ。ただ外で着るのは恥ずかしいっていうかさ……」
「でもハロハピでお泊まりする時は着てるんだろ?」
美咲が誕生日に貰ったミッシェルのルームウェア。こころから絶対に持っていけと念を押されたものだ。別に持っていったからと言って、それを言った本人が見れる訳ではないのに。
それなのに香澄も有咲も乗っかってきたせいで、持っていかざるを得なくなってしまった。美咲は押しに弱い。
「……着たけど」
「おお、似合う似合う。可愛いぞ奥沢さん」
「いやそういうのいいから……ていうか何写真撮ってんの」
「香澄と弦巻さんに送らなきゃなって」
「送らなくていいけど!?」
「もう一回撮るから今度フード被ってくんね?」
「やだよ!」
ルームウェア着用の写真は美咲に止められたのでその日に香澄とこころの元へ行くことは無かったものの、翌日は二人にせがまれる形で結局写真はお披露目となることを、この時の美咲はまだ知らない。