◆二◆ 悋気 きらきらとした街角は着飾った人々がイルミネーションや華やかな店先を眺めながらそぞろ歩いている。そんな街中とは一転、扉を潜りもぎりを抜ければ、埃くさい会場がおしゃれとは程遠い様相を呈している。それでも熱気に満ち溢れ、クリスマスソングではなく大歓声が響き渡る。
「ありがとうございましたっ」
笑い声に湧く会場に向かってマイクを挟んで並び立ち、九十度にお辞儀をして威勢よく声を揃えて挨拶をし、舞台袖に後輩がはけてきた。最近飛ぶ鳥を落とす勢いで人気も実力もうなぎ上りだ。元々見た目は上々で、寧ろそれが足を引っ張っていた感もある。顔だけのファンだってついていないよりマシだが、シャレにならない奴らも中にはいる。
「クリスマスに演芸場に来る奴なんて、もの好きだけで客なんてたいして入らないと思ってた。暇人多いんだな」
「折角のお客さまをダメだよ、悟」
「うっえぇぇ――、また正論」
窘める黒い方に、白い方が舌を出して反論をしているが、いつものことで、喧嘩にすらならない。なにしろ
「違うよ、私たちの飯のタネだからね、大切にして」
黒い方だってそれを売りにしているところもあり、なかなかの毒舌だ。まあ、芸人なんて、そんなものじゃなきゃ、やっていけない。よっぽど売れなきゃ人様のことまで優しく大らかな目で見ていられる余裕はない。食う寝る所に住むところ。先人は良く言ったものだ。ただ元々そう苦労している様子もなく、最近はかなり余裕も出てきたはずだ。何しろ定番の衣装、喪服がグレードアップしている。それでなくとも、貢いでくれる客は引く手あまただろうが、それを全て断っていたらしい。それでも困窮することなくここまでやってきたのだ。
「先輩もな」
「先輩はメシのタネじゃないですけど大切にしていますよ」
黒い方と呼ばれる夏油がしれっとそつなくにこやかに笑い返した先輩は、またかと思いつつも相手が悪い。俺らの先輩でもあるけれど、自分が気に入った相手は男女問わず見境なしに口説いてまわる。見た目も羽振りもそこそこいいし、性格も芸人にしてはマシな方だろうが、気のない相手に纏わりつかれても迷惑なだけだろう。しかも、奢られたついでに酔っ払いの相手は後輩として当たり前だと甘受できれば、メシ代も浮くし可愛がって貰えるが、それすらも波風立てないよう上手いこと断っている。
「メシのタネにしてくれてもいいんだけど。この後飯でも」
「先輩モテるんですから、クリスマスの夜なんて、引く手あまたでしょう」
柔和な笑顔ながら僅かに強くなったトーンは、冷ややかさも若干足されているが、傍から見ているから気が付くだけなのか、言われた本人はどこ吹く風だ。
「それがなかなかなびいてくれない相手がいてさ、相談に乗ってよ」
いやいや、その相手、目の前の夏油だろう。本人に相談乗って貰うってどんな手だよ。
「私なんかでは百戦錬磨の先輩のお役になんて立てませんよ」
のらりくらりと会話を続けていると、見えなくなった相方の白い方、五条が手に黒のロングコートと色違いのマフラー二本、大きな鞄を携えて戻ってきた。どこに行っていたと思えば自分は既に着替えて真っ白なボアコートを羽織り、帰り支度は万端だ。背後から先輩の相手をしている相方に近付くと、何を思ったのか首筋に顔を近付けた。途端、先輩が引き攣った笑顔を浮かべたまま固まった。
「傑、帰る」
「はいはい」
五条が挑発するような笑みを口許に刷き、不遜に笑ってみせたのは、これ見よがしに耳に唇を落とし、夏油の耳元で強請るような甘えた声で名を呼んだからだ。それをあやすような応えを返し、くしゃりと髪を撫でる指先は蠱惑的ですらある夏油も拍車を掛けている。
「ん、くすぐったいって。クリスマスの予約、してあるんだろ」
「してあるよ。でも、悟がイタズラするから、ごはん食べずに帰りたくなっちゃったじゃない。そんなわけで先輩、折角お誘いいただいたのに申し訳ございません」
こいつら、いい性格してるわ。多分五条は、先輩がキスの意味を分かる前提で仕掛けているのだろう。俺なんてコントのネタで調べただけで、リアルに使うことなんてないけれど、顔のいいこいつらなら、ネタじゃなくとも知っていそうだ。思わず顔を背けて肩を振るわせていると、笑い声が漏れたわけではないのに、背後から声が掛かった。
「あっ、田中先輩、ごはん奢ってくれるらしいですよ、いかがですか」
おい、俺を巻き込むなよ。
「傑、ごはん、食べてから、な」
五条、何の話だよ。いや、先輩、俺を睨まないでくださいって、関係ないですからね、俺。笑ってるとか、気のせいですから。
「ふふ、悟、かわいい」
はあぁぁぁ、どこが、と突っ込みを入れそうになったところで、相方が不思議そうな表情を浮かべて厠から戻ってきた。遅いだろう。いや、まあ、それでも助かったか。この後の先輩を任せられても処置に困るだけだ。
「それでは先輩たち、お先に上がらせていただきます。お疲れさまでした。よいクリスマスを」
「お疲れさまでした~」
おざなりな夏油の挨拶に続いて挨拶をした五条の方が、まだマシでは。よいクリスマスなんて、先輩には無理だろう。喧嘩する程仲が良いなんて、諺だけにしてくれよ。むしろ犬も食わない、だな。
俺はすでに甘いものはもうたくさんで、クリスマスケーキなんてまっぴらごめんの気分だ。
ハッピークリスマス。
言わずもがなだろうけれど、後輩たちに向かって、胸の内で声を掛けた。
☆耳 性的な誘惑