2021.11.25
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「相合傘」
偽装鏡面をほどくと向こうには本物の空がある。テクスチャに頼らない、雲の途切れ方も、青のあざやかさも予測できない、誰のものにもならない空が。
偽装鏡面に貼り付けられた青空はきれいで好きだ。ここに暮らす人の心が優しくあるように、平和でいてほしいと大事に描かれた空だから。にせものだから、ぜんぶがだめになるわけじゃない。だけど、この、作った空しか見られない時に生まれた子がもしも、この向こうがどんよりと曇っていることを知らされても、今の空をきれいだと思えるだろうか。
大粒を受け止める紺色の大きな傘をくるりと回しながら、海沿いの道を歩く。今日、甲洋は傘を持たずに出て行った。夕方以降の気候予定も見ていたけれど、用事は早くに済むだろうと油断して出かけたものだから、甲洋愛用の彼は傘立てに差しっぱなしで置いていかれてしまった。僕が持つには少し重い。急いで連れて行かなくちゃ。早くしないと、人目を避けて空間転移で空っぽの家に帰られてしまう。
水を受け止めて落ち込む草の上をざくざく歩く。目指すのは、徒歩で出かける甲洋がよく使ってるアルヴィスの入り口。みんなの慌ただしい生活が落ち着くまではと、並ぶ家から離れる場所をわざわざ選んだ習慣が、今でも抜けないらしい。
急いだおかげで、想定より早くぼろぼろの扉が見えてきた。もっと歩幅を狭くする。もうちょっと。持たせてもらったIDカードをかざせば開く、鉄のすぐ向こうに甲洋の気配がある。飛びついて、内側から機械が鳴く前に扉を開けた。
「だから、いいよ。走るなりするから」
「あのなあ、いくら丈夫だからってダチを濡れて帰らせるわけにゃあ……お?」
「……来主?」
鬱陶しそうにしてる甲洋と、その隣に剣司がいる。傘を持たせようとしてくれていたらしい。遅れて僕を見た甲洋は、なんだかおかしな顔をしている。
「こんにちは、剣司」
「よう、来主。こいつに用事か?」
「そんなところ。甲洋を引き止めてくれてありがとう」
「おう?」
紺の傘をちょっと揺らして、傾けて、僕の右側を開ける。先に察した剣司が、海神島に来てから膨らみ始めた頬をゆるめた。
「ああ、お迎えか。よかったな。で、この傘、いるか?」
「……いや。剣司が帰る時にとっとけよ」
「はいよ」
おいでって、真似して笑いかけたのに顔をくにゃくにゃにしてぼうっと立ったまま出てきてくれない。なんでこっちを見てくれないんだろ。天気は雨になっちゃったけど、おかあさんの家でせっかく誕生日会の準備をしてきたから、早く見てほしい。甲洋って、呼びかけても、から返事で僕のほうを向いてくれない。
「来主、こいつのこと頼むな」
「はあい!」
黙って見守っててくれた剣司が、動かない甲洋の背中を押す。追い出された甲洋が、なにか抗議をしようと振り返る前に、サッと閉じて見えなくなってしまった。ちょっとこっちに近づいた甲洋が濡れちゃわないように傘を持ち上げる。
「向こうに帰ったんじゃなかったのか」
「一人がよかったの?」
ここで長話を始めたら、剣司の好意がもったいない。うつむいた甲洋をどうにか傘に入れて、手を引っ張って歩き出す。目指すのはおかあさんの家だ。おかあさんにお願いしていたから、もうショコラもそっちにいる。任されたお手伝いをこなしたあとに、今日の主役を連れてく大役をもらっていたわけだ。
「ねえ、もう、離れないでってば。同じとこに帰るんだから、ちゃんと僕についてきてよ」
歩みの鈍い甲洋がこれ以上離れていかないように、もうちょっと傘を傾けて閉じ込めようとするけど、無理矢理そうすると僕の肩が濡れてしまう。普通のより大きくても、男二人は身に余るらしい。繋いだ手を離して腰に回した。
硬い制服越しに引き寄せて、さっきよりも強引に歩く。
「な、ん、おい、離せよ、歩くから」
うそだ。今だって僕が引きずらなきゃ脚を動かそうともしてないくせに。どうせ雨で人はいないんだし、見られたって傘に隠れて誰だかわからないだろう。
「ちゃんと歩いてくれないと、抱っこしちゃうよ」
「むりだろ……なんだよ、どこへ連れて行きたいんだよ」
「あったかいところ。一緒に帰ろうね」
雨を一人で見上げるのはつまらないけど、大好きな人と見られるなら、どんよりの空も悪くない。夜には晴れると言っていたから、きっときれいな星空が見えるだろう。お祝いが落ち着いたら、今年も夜の散歩をねだるとしよう。