瘴奸が迎えにきました 沢の音に導かれるように瘴奸は進んだ。貞宗が砦を出てからすでに二刻ほど経っている。今宵は満月とはいえ、病み上がりの体で何かあってからでは遅いと、瘴奸は貞宗を探していた。
初夏に始まった戦だが、あたりはすっかり秋になっていた。足元に積もった落ち葉を踏み締め、瘴奸は身を低くして茂みの陰からあたりを見渡す。この沢付近は開けており、随分と敵の砦に近い場所だった。
すると、動く陰が見えた。だが人ではなく馬だ。手綱が繋がれていない馬が、沢の水を飲んでいる。瘴奸がその馬の元へ行くと、それはやはり貞宗の馬だった。馬は瘴奸を見て鼻を鳴らす。瘴奸の腕を鼻先で押して、あっちへ行けとでも言っているようだった。押されるまま進むと、落ち葉の上に倒れている貞宗が見えた。
瘴奸は息も忘れて貞宗に駆け寄った。落ち葉に手をついて屈み、貞宗の口元に耳を寄せる。思わず触れた頬は温かく、聞こえてきた寝息に瘴奸は崩れ落ちそうになった。まったく心臓に悪いと独り言ちる。瘴奸は焦りや恐怖のために早鐘を打っている胸に息を吸い込んだ。濃く香る酒の匂いに、酔って眠り込んだのだとわかる。
貞宗にその気はないにしろ、貞宗の行動は側から見ていると肝が冷える。この戦いのときでも、弓を引く敵相手に目を瞑っていたと聞いた。貞宗には絶対に自信があったのだろうが、貞宗を心配する身としては心臓がいくつあっても足りない。砦では今も常興が心労を募らせているだろう。
瘴奸はようやく落ち着きを取り戻したが、そうして見れば貞宗の体に衣が掛けてあることに気付いた。その模様に瞠目する。三つ鱗の衣の持ち主は時行だろう。時行は今は敵方の大将である。その時行と飲んでいたなんて、貞宗でなければ内通を疑われて処断されるほどの行為である。
ただ、貞宗と時行ならば、戦を忘れて飲んでいただけだろう。それを裏付けるように書き置きまであった。そこに時行が貞宗を大事に思っていることが見て取れる。時行は瘴奸にとっても恩義のある相手であったから、敵対はしていても恨む気持ちはなかった。
しかし、瘴奸は瞑目すると時行の書き置きを破った。そのまま沢の水へと浮かべる。紙は揺られながら流れていった。仏に対する利己的な行いを恥じるが、瘴奸はあの書き置きを貞宗に見せたくなかった。三つ鱗の衣も手に取って近くの目立つ木の枝に掛ける。
「大殿」
瘴奸は呼びかけながら貞宗の体を抱き上げた。貞宗はまだ眠りが深いのか起きる気配がない。酒が甘く香り、楽しい酒だったのだろうと思う。
馬が待っていた。早く乗せろと背を見せてくるが、眠り込んでいる貞宗だけを乗せるのは危なく、かといって瘴奸と二人で乗れば馬が可哀想だった。
「このまま歩いて運ぶ」
馬は瘴奸の言葉を不満そうにする。瘴奸の腕の中で貞宗が身じろぎをした。温かさを求めるように擦り寄ってくる貞宗に、この時ばかりは胸が満たされていく。
やはりこれも利己だと瘴奸は思う。仏にも馬にも貞宗を任せたくない。こんな心は酒で流してしまいたいが、酔えばなお酷く己の欲を感じずにはいられないのだった。