185話にも瘴奸がいて良かった〜 土岐は到着した途端、小笠原軍を盾として使うと言い出した。しかしそれも郎党達だけではない。土岐は貞宗さえも盾として側に置いた。
その時点で瘴奸は土岐が気に入らなかった。殺意すら抱いたが、貞宗が大人しく従うのならと、怒りを堪えた。瘴奸は貞宗のすぐ側で土岐の動向を窺う。
すると土岐は貞宗を侮辱する言葉を吐いた。貞宗がその言葉に苛立ちながらも堪えているのがわかる。それだけでも業腹であるのに、土岐は拳を振り上げて貞宗を殴ろうとした。
瘴奸はかろうじて土岐の拳を受け止めた。高い位置にある兜の隙間から、冷たい目に見下ろされる。圧倒的強者から発せられる圧力に瘴奸は身がすくんだ。
次の瞬間、瘴奸の体は吹き飛んでいた。空と地面が何度か見えたと思ったら、地面に叩きつけられる。遅れて左顔面が燃えるように熱くなった。先ほど貞宗を殴ろうとした拳とはまるで威力が違う。立ち上がらねばと思うのに、気が遠のいていく。
すると、霞む意識の中で貞宗が瘴奸を呼ぶ声が聞こえた。瘴奸は目を開いて地面に手をつく。砂煙が舞っており、地面には血が散った。動かぬ体を鼓舞するために瘴奸は唸り声を上げて立ち上がった。
「貞宗、郎党の躾がなっていないぞ」
土岐の声が聞こえる。ふらつく頭で見れば、土岐が貞宗の胸倉を掴んでいた。持ち上げられて足が浮いている。貞宗は苦しそうに顔を歪めていた。
瘴奸は太刀を二本抜いた。怒りで視界が赤く染る。たとえ土岐が味方であろうと許してはおけなかった。
すると、貞宗が瘴奸を見た。貞宗は小さく首を横に振る。これ以上瘴奸が何かすれば余計に土岐を怒らせるだけだった。瘴奸は怒りを堪えて足を止める。
「ふん、次はないと思え」
土岐は貞宗を投げ捨てた。すぐに常興が貞宗に駆け寄ったが、貞宗は足を痛めたのか、手で足首を押さえていた。
怒りは収まらなかったが、瘴奸は太刀をおさめて貞宗の側に寄った。貞宗に肩を貸して立ち上がる。
「貞宗殿は足を痛められたようなので下がらせていただく」
土岐に向かって言ったが、土岐は何も言わなかった。声すら届いていないのかもしれない。土岐にとっては瘴奸など羽虫同然なのだろう。
瘴奸は不甲斐なさと怒りで心の奥底で炎が暴れ回った。到底敵わぬ相手であることはわかっていたが、これほど相手にならないとは。
「瘴奸」
土岐から随分と離れてから貞宗は口を開いた。
「土岐には歯向かうな。大事な郎党を失いたくはない」
「しかしあいつは大殿を殴ろうと」
「あれでも儂相手には手加減しておる。放っておけ」
まるで稚児の悪戯を見逃せと言っているようだった。それでも瘴奸は土岐を許せない。真っ向からでは敵わないのであれば、他に殺す方法などいくらでもある。
すると貞宗の手が瘴奸の頬に触れた。
「……男前が台無しぞ」
殴られて熱を持った頬に、貞宗の冷たい手が心地よかった。その手に触れられていると心が落ち着いていく。
「……申し訳ありません。余計なことをいたしました」
「かまわぬ。儂も殴られるのはうんざりしておった」
貞宗は小さく笑った。瘴奸は頷き、無言で貞宗を支えながら歩く。秋の冷たい風が吹き、頬の痛みが瘴奸を現実を知らしめた。背後にはまだ土岐の圧倒的な存在を感じずにはいられなかったが、振り返りはしなかった。