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    なりひさ

    @Narihisa99

    二次創作の小説倉庫

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    なりひさ

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    ガンガさんとももんじゃマトシリーズその3。100日後にすけべするガンマト。

    #ガンマト
    cyprinid

    どうせモフモフのほうが好きなんだろ〜すけべするまであと99日〜

     ガンガディアはふと本から顔を上げた。そっと隣に座るマトリフに視線をやる。マトリフの頭はふらふらと揺れていた。目は閉じては開き、またゆっくりと閉じていく。もう真夜中だとガンガディアは気付いた。
     マトリフが地底魔城に通うようになって暫くが経つ。特に用事があるわけではないのだろうが、マトリフは二、三日おきにやって来ては、地底魔城の様子を見ていく。ガンガディアはマトリフが来るのをいつも心待ちにしていた。会っても少し話をするだけなのだが、それでもマトリフに会えるのが嬉しかった。
     今日はマトリフが土産だと言って魔導書を数冊持ってきた。師から譲り受けた貴重なものらしく、ガンガディアは礼を言って読み始めた。するとマトリフもそのうちの一冊を手に取って開いていた。
     ガンガディアは夢中で魔導書を読んでいたので気付かなかったが、いつの間にかマトリフはガンガディアの体に凭れていた。そのまま眠たくなってしまったらしい。
     ガンガディアはじっと動かないままマトリフを見る。このままマトリフが眠るまで待っていようと思ったのだが、そのときマトリフの頭がガクンと揺れた。
    「ん……」
     マトリフはぼんやりと目を瞬く。するとそのまま本を置いた。
    「……帰るのめんどくせぇ」
     マトリフはガンガディアの膝へと頭を乗せた。そのまま寝ようとするのでガンガディアは本を閉じる。
    「寝るならベッドを使うといい」
     ガンガディアのベッドはかなり大きい。マトリフがももんじゃにモシャスしていた頃も一緒に眠っていたが、人間の姿でも二人で眠れるほどには広かった。
    「ん」
     マトリフはガンガディアに向かって手を伸ばした。ガンガディアはその手を取って身体を抱き上げる。ももんじゃだろうが人間だろうが、ガンガディアにとっては羽のように軽かった。
     ベッドにマトリフを寝かせるとガンガディアも一緒に横になった。眼鏡を外して置くと、マトリフがじっとこちらを見ていた。
    「どうかしたかね」
    「なんでもねぇ」
     マトリフはガンガディアに擦り寄ると大きくあくびをした。そのまま目を閉じて、すぐに寝息を立てはじめる。
     ガンガディアはマトリフの白い髪をそっと撫でた。ももんじゃのふわふわの毛並みとは違うが、この白い髪に触れるのもガンガディアは好きだった。

     ***

    〜すけべするまであと89日〜

     ガンガディアは机に両肘をつくと深い溜息をついた。積もる心労に否応なしに苛立ちが募る。
     魔物と人間の共存ははじまったばかりだ。魔王と勇者はそれぞれの種族を代表して話し合い、お互いを傷付け合わないと約束したが、問題は山積していた。
     その問題の一つをガンガディアは請け負っている。
     今回の問題は、魔物が人間を襲ったということだった。幸いにも人間は軽傷で、既に回復呪文によって全治している。
     しかし、魔物と人間の言い分が食い違っていた。人間が先に住処に踏み込んできたと言う魔物と、魔物のほうが先に挑発したと言う人間。問題は拗れていき、暗礁に乗り上げている。アバンとバルトスが解決に向けて双方交えての話し合いをしている最中だ。
     ガンガディアはその報告を地底魔城で受けた。同様の問題は各地で起こっている。まだ前例も最適解もない問題は解決の糸口すらなかった。
     ガンガディアは頭を悩ませながら机の上を見る。問題を書き記した紙は積み上がっていた。それを読まねばならないが、あまりの量にうんざりとしていた。腕力で解決できたらどれほど楽か。ガンガディアはまた深い溜息をつく。
     すると机によじ登ってくる姿が見えた。ももんじゃにモシャスしたマトリフだ。マトリフは気まぐれなのか、本来の人間の姿であったり、モシャスでももんじゃの姿であったりする。今日はももんじゃのようだ。
    「終わったか?」
    「いや……まだだ」
     マトリフもガンガディアのように魔物と人間の揉め事を対処している。マトリフに割り当てられたぶんは終わったのだろう。
    「……吸うか?」
     ももんじゃのマトリフは小さな手を上げる。そのモフモフの腹毛が無防備に曝け出された。
    「いや、君に悪いだろう」
     まだももんじゃがマトリフだと知らない頃は、よく腹毛の匂いを吸わせてもらっていた。ふわふわの腹毛に顔を埋めていると、疲れが癒やされていく。だがマトリフだと知ってからは少々憚られた。
    「いらねぇのか?」
     シュンと気落ちした顔でマトリフは言う。
    「君は嫌ではないのかね?」
    「嫌だったら言ってねえよ」
    「しかし」
     ももんじゃの姿ではあまり抵抗がないが、人間のマトリフの腹に顔を押し付けて匂いを嗅いでいる自分を想像して、ガンガディアは居た堪れなくなる。ある種のフェティシズムではないか。
    「……やっぱオレの匂いなんて嫌なんだろ。ももんじゃだと思うから良かったんだな」
     マトリフは手を下ろすと背を向けて、ぴょんと机から飛び降りてしまった。そのままとてとてと歩いていくので、ガンガディアは慌ててその身体を掴んで止めた。
    「君の匂いが好きだ。君からは空の匂いがする」
    「だから、なんなんだよ空の匂いって」
     マトリフが振り返ってこちらを見る。
    「空を飛んでいると感じる匂いだ。温かい空気のように、清々しくて心が落ち着く」
     言いながらガンガディアはマトリフを抱きしめた。ふわりと香る匂いに、ガンガディアはうっとりと頬擦りする。
    「こんなに心安らぐことは他にない」
     マトリフは抱きしめられながら悪い気はしなかった。

     ***

    〜すけべするまであと79日〜

     ガンガディアは悪魔の目玉を睨みつけていた。指は机を一定のリズムで叩いている。自分の苛立ちは自覚しており、どうにか鎮めようと大きく息を吸って吐いた。
     悪魔の目玉は各地に配置している。特に問題が起こっている地域に置いてあり、問題解決に当たっている者と連絡を取るために使っていた。
     その一つと連絡が取れなかった。それはアバンとバルトスが担当している問題だ。拗れてしまった案件で、一番頼れる二人に担当してもらっている。だがその地の悪魔の目玉と連絡が取れないのだ。
     アバンとバルトスなら大丈夫だろう。強さも人格も共に優れた二人だ。だが連絡が取れないことが気になる。
     やはり自分が現地に行こうとガンガディアは立ち上がった。するとそこへマトリフがやってきた。後ろにはヒュンケルがいる。バルトスが外に出ているために、みんなで順番に世話をしていた。
    「どうだ、連絡ついたか?」
     マトリフが言った。ヒュンケルも心配そうにガンガディアを見てくる。
    「いいや。やはり無理だ。私が行ってくる」
     するとマトリフが止めるように手を上げた。
    「そりゃちょっとまずい」
    「なぜかね?」
    「もし問題が起こっていて、そこに更に現れたのがお前なら、人間はもっと面倒になる。様子見だけならオレのほうがいい」
     その言葉にガンガディアは胸が重くなるのを感じた。デストロールであることで他人に与えるあらゆる感情は、ガンガディアにとっては諸刃の剣であった。それが良いものであれ悪いものであれ、ガンガディアの気持ちをささくれ立たせる。
     マトリフもそれがわかっていたのだろう。マトリフは「おめえのせいじゃないけどよ」と付け足した。
     マトリフはヒュンケルのために屈むと、ガンガディアを指差して一緒に待っているように言った。
    「もしヤバイ状況ならルーラですっ飛んで帰ってくるからよ」
     マトリフは無責任さを演じるように笑うと杖さえ持たずに行ってしまった。ガンガディアはヒュンケルを抱き抱えてその背を見送る。何故だか胸が騒ついていた。

     ***

    〜すけべするまであと69日〜

     アバンは背後から聞こえる息遣いが乱れてきているのに気付いて足を止めた。振り返ってマトリフを見る。
    「そろそろ休憩しましょうか」
     マトリフは大きく息をつくと頷いた。そのまま壁に背をつけて座り込んでしまう。アバンは慌ててマトリフに駆け寄った。
    「大丈夫ですか」
    「平気だ」
     マトリフは髪をかき上げるとまた大きく息をついた。
     破邪の洞窟に入って数日が経つ。初めは順調に進んでいたが、今日は進みが遅かった。マトリフの調子が悪いらしく、休憩を多くとっていた。
    「あまり無理をしては」
    「ジジイ扱いすんな」
    「してませんよ。あの時の呪文のせいなんでしょう?」
    「察しのいい勇者さまだぜ」
     マトリフは苦笑すると自身に回復呪文をかけた。
     この破邪の洞窟に入る前に、アバンはある問題を解決するために苦心していた。魔物と人間の衝突が起きて、バルトスと共に話し合いに赴いていた。それは長く続いたのだが、ある日、急に悪魔の目玉がいなくなってしまった。それがいないと地底魔城へ連絡が取れない。一度地底魔城へ戻ろうかと思ったのだが、人間と魔物の一触即発の状況に、それも叶わなかった。
     するとマトリフがやってきた。連絡が取れないことに心配して来てくれたのだという。アバンが状況を伝えると、マトリフは村を探し回って悪魔の目玉を見つけてくれた。どうやら人間たちが隠していたらしい。アバンの存在も、魔王軍に加担する者として信用していなかったようだ。
     マトリフは見つけた悪魔の目玉を使って地底魔城へ連絡を取ろうとした。だがそのマトリフを村人が背後から襲った。村人はマトリフも敵だと認識したのだ。まさか人間に背後から襲われるなんて考えていなかったマトリフは、背中を斬られてしまった。その村人はすぐにバルトスが取り押さえ、マトリフは自分で回復呪文をかけて大事には至らなかった。
     そこでマトリフが提案したのは結界呪文だった。魔物が住む森と、人間が住む村を結界で分けてしまおうというのだ。人間はそれで納得して、魔物も承諾した。
     マトリフは村全体に結界呪文をかけた。人間だけがその結界に入れるというものだった。
    「なんの解決にもならねえよ」
     呪文を唱えながらマトリフはそう呟いていた。その呪文はかなりの魔法力を使うものらしく、呪文を唱え終えたマトリフは酷く疲れた様子だった。
     アバンもその解決策が根本的な問題の解決になるとは思わない。だがあれば便利だ。マトリフに尋ねれば、破邪の洞窟に行けばその呪文が契約できるという。
     アバンが破邪の洞窟に行くと言ったら、マトリフもついて行くと言った。マトリフもこの洞窟に用があるらしかった。
     アバンは持っていた水筒をマトリフに差し出す。
    「その結界呪文はもしかしてずっと魔法力を消費するのですか?」
     マホカトールなどの破邪呪文は一度唱えればそれ以上の魔法力消費はない。だがマトリフの様子から、ずっと魔法力を放出しているように思えた。
    「まあな。だからそんなに便利でもねえだろ」
    「やはりその場凌ぎですかね」
     アバンは頭を悩ませる。魔法力の消費が大きいならアバンが使うには向かないからだ。
    「結界から離れれば離れるほど、魔法力をくうんだ。この洞窟も結構進んだからなぁ」
    「そういう事は先に言ってくださいよ」
    「だったらこの結界呪文は要らねえか?」
    「そうじゃなくて。そんな状態だと知っていたら、あなたを連れて来ませんよ」
     アバンはマトリフの隣に座ると持っていた薬草を押し付けた。マトリフは苦い顔でそれを受け取る。
    「だから黙ってたんだろうが」
    「困った人ですよあなたは」
     言うとアバンは懐から袋を取り出した。それには魔法力を高める粉が入っており、それを自分とマトリフの周りを囲むように地面へと撒いていく。
    「マホカトール」
     アバンの声に呼応して撒いた粉が光を帯びた。これで安心して休憩ができる。この洞窟の魔物たちは襲ってこないが、この粉を撒いたことで体力や魔法力の回復を早める効果があった。
    「じゃあオレは先に寝るぜ」
     マトリフは言うと床に寝転がって目を閉じた。アバンは荷物から毛布を出してその身体にかける。
    「本当に彼とは恋人ではないのですか?」
     まだ眠っていないだろうと思ってアバンは言った。彼とはもちろんガンガディアのことだ。目を閉じていたマトリフの顔が少し険しくなる。ガンガディアとはどこまで進んだのですか、とアバンが聞いたのは昨日のことだった。だがマトリフは素っ気なくそれを否定した。
    「なんでオレがあいつと……」
    「私はてっきりお付き合いをしているものだと思ってましたよ。一緒に寝ているのでしょう。同じベッドで」
    「あれは……寝る所が無かっただけだ。今は別々に寝てる」
    「じゃあどうしてこの傷のことを彼には内緒にしたんですか」
     言いながらアバンはマトリフの背を指でなぞる。それはあの村でマトリフが人間から受けた傷のことだった。マトリフが斬られるのを見たアバンは、心が凍りつくように感じた。人間に対して強い怒りを感じたのは久しぶりだった。
    「そんな傷、どこにも残ってねえだろ」
     マトリフは毛布を顔まで引き上げて隠してしまう。マトリフはなぜかアバンにもバルトスにも、このとこをガンガディアには言うなと口止めした。
    「治ったからと言って、無かったわけではありませんよ」
    「今さら言ってどうすんだよ。そんなこと聞いたらあいつが何をするか……」
     ガンガディアが血管を浮き上がらせながら怒る様子が目に浮かんでマトリフは溜息をついた。クールになれと言い聞かせても、実践は難しい。
    「彼がそれほどにあなたを大切に思ってると、あなたも気付いているのでしょう」
    「ありゃあ憧れなんだとよ。ただ懐かれているだけだ」
    「あなたはそんな彼をどう思っているんです?」
     アバンはマトリフの答えを待ったが、いくら待ってもマトリフは答えなかった。
    「もしもーし」
    「うるせえ。寝てるんだよ」
    「起きてるじゃないですか」
     するとマトリフはわざとらしいいびきを立てはじめた。本当に困った人ですねとアバンは苦笑した。

     ***

    〜すけべするまであと59日〜

     ガンガディアの様子がどうもおかしい。それは言い合いになった日からずっとだ。
     今朝もガンガディアはじっとマトリフを見ていた。視線が痛いほどに刺さってくるが、マトリフはそれを無視して通路を歩いた。ガンガディアに理由を訊ねても「なんでもない」と返すからだ。
     なんでもないと言うくらいなら見てくるな。せめてオレが気付かないようにやれ。だがガンガディアは何か言いたげにじっと見つめてくる。
     きっとマトリフが嘘をついたことを怒っているのだろう。あの村に行ったときにマトリフが人間から攻撃されたことを、ガンガディアには黙っていた。村であったことを訊ねてきたガンガディアに、マトリフは何もなかったと嘘をついた。それはガンガディアを怒らせないためだったが、結果として怒らせてしまった。
     もしかしたら、ガンガディアはマトリフに向けていた憧れという感情を失ったかもしれない。呆れて、失望したのかもしれない。ようやくマトリフのことを憧れに値しない人間だと気付いたのだろう。それならそれでいいとマトリフは思った。
     マトリフを見つめてくる以外は、ガンガディアは仕事に打ち込んでいるようだった。マトリフがこっそり様子を見に行けば、いつも机にかじりついている。その表情は鬼気迫るものがあり、周りの部下を怯えさせていた。
     マトリフはドアの隙間からそっとガンガディアを見る。声をかけたかったが、どうにも気後れした。
    「どうしたのモフモフ」
     背後から声をかけられてマトリフは飛び上がった。マトリフは慌てて部屋の扉を閉めると、振り返ってヒュンケルの口を手で押さえた。
    「んん?」
     ヒュンケルが不思議そうに首を傾げる。マトリフは急いでヒュンケルの手を掴むと部屋の前から走り去った。
     バルトスの部屋の前までヒュンケルを引っ張ってきてマトリフはゼイゼイと息をきらせた。
    「また鬼ごっこする?」
    「また今度な」
     マトリフはヒュンケルにおざなりに手を振って行こうとする。すると部屋からバルトスが出てきた。
    「マトリフ殿。どうかされましたか?」
    「モフモフと一緒におやつ食べたい」
     ヒュンケルの言葉にマトリフはももんじゃのように目を丸くする。
    「それはいい考えだ」
     バルトスがにこやかに扉を開く。マトリフは一瞬渋い顔をしながらも、ヒュンケルに手を引かれて部屋に入っていった。

     ***

    〜すけべするまであと49日〜

     今夜は酷く冷え込んだ。早々にベッドに潜り込んだマトリフだったが、寒さのせいで眠れなくてベッドから抜け出した。隣のガンガディアの部屋へと向かう。寝ているガンガディアのベッドに潜り込もうと思ったのだ。モシャスしてももんじゃの姿になれば、ガンガディアも喜ぶだろう。そう思ってモシャスして、そっと扉を開けた。するとガンガディアはまだ机に向かっていた。
    「大魔道士」
     ガンガディア驚いたような、それでいて少し嬉しそうに言った。
    「まだ寝ないのかよ」
     マトリフは言いながらガンガディアのベッドへよじ登った。そのまま布団へと入る。そこはまだひんやりとしていて温かくない。
    「寝るのかね?」
    「寒ぃんだよ」
    「だったらここへ来るといい」
     ガンガディアは言うと布団をめくってマトリフを抱き上げた。そのまま服の中へマトリフを入れる。ももんじゃの姿のマトリフは、ガンガディアの懐にすっぽりと収まった。
    「どうだね。温かいかな?」
     マトリフは心地よい温もりに包まれながら、同時に落ち着かなさを感じた。ガンガディアの鍛えられた筋肉に密着している。見上げればふんわりと柔らかい胸筋が視界を塞いでいた。
    「どうかしたのかね」
    「いや、なんでも……」
     そこへノックが響いた。ガンガディアが答えると、遅くにすみません、というアバンの声がした。マトリフは慌ててガンガディアの懐から出ようとしたが、アバンが部屋に入ってくるほうが早かった。
    「マトリフはこちらに……」
     アバンの言葉は途切れた。ガンガディアの懐が丸く膨れていることに気付いたのだろう。
    「大魔道士、アバンが来た」
    「すみません、私もお邪魔しちゃったようですね」
     そっと退出しようとするアバンに、マトリフは気を遣われて余計に恥ずかしい思いをする。マトリフはガンガディアの懐から飛び出してモシャスを解いた。
    「なんだよ、何か用があるんだろ」
     アバンがにこやかな笑顔を向けてくる。マトリフは居た堪れなくて、早く要件を言えと急かした。
    「ええ、実はお知恵を拝借したくて。ちょっとついてきてください。もし良ければガンガディアも」
     マトリフとガンガディアは顔を見合わせた。
     二人でアバンについていくと、そこは闘技場だった。ヒュンケルのはしゃぐ声が聞こえる。
    「初めて降る雪だ!」
     ヒュンケルは喜んで雪に向かって手を伸ばしていた。バルトスがそのそばで見守っている。
     黒い空から花弁のような雪が降っていた。ヒュンケルの声以外はしんと静かで、雪が世界の音を吸い込んでしまったようだ。
    「寒ぃわけだぜ」
     マトリフは腕を摩りながら空を見上げる。白い息が溶けるように消えていった。
    「で、どんな知恵が必要なんだ」
     アバンは微笑ましそうにヒュンケルを見ている。アバンはそっと天を指差した。
    「この雪を明日まで残せないでしょうか」
    「明日まで?」
    「ヒュンケルと雪遊びがしたくて。あんなに嬉しそうなので、雪だるまも雪合戦もしたいじゃないですか」
     ヒュンケルは落ちてくる雪を集めようとしている。だが降り始めたばかりなので積もるほどの雪の量ではない。一晩降り続けば遊べるほどには積もるだろう。
    「ですが雲の様子だと、明日はいい天気になりそうなのです。だから今夜の雪は明日の朝には溶けてしまいそうで」
    「そんで、オレにどうしろってんだ?」
    「素敵なおまじないをお願いしたいんです。雪は積もらせて、でも溶けないようにするっていう」
    「あの結界呪文の応用をやれってのか」
     もしヒャドで氷の屋根を作ったとしても、雪だけを積もらせて溶かさないなんて事は無理だ。だが、破邪の洞窟でマトリフが契約した結界呪文ならば、出来ないこともない。
    「まったく、面白いこと思いつきやがる」
     マトリフは笑いながら両掌を合わせた。長ったらしい詠唱を口にする。マトリフの手の中の魔法力は一瞬で膨れ上がり、闘技場全体を包むほどになった。それは薄い膜のようだが、空から降ってくる雪はその膜を通過していく。膜に覆われた闘技場はひんやりとした空気で包まれた。
    「さすがですね」
     アバンは空を見渡して言った。そして年相応な笑みをマトリフに向ける。
    「ありがとう、マトリフ」
     アバンは明日が楽しみで仕方ないといった様子だ。そんな顔をされたら捻くれた心もつい綻んでしまう。マトリフは小さく頷いて頬に笑みをつくった。
    「いいってことよ。たまには良いことでもしねえとな」
     アバンはもう一度マトリフに礼を言うとヒュンケルのもとへ駆けていった。ヒュンケルはアバンの言葉を聞いて嬉しそうに頷いている。明日の朝は雪合戦で決まりのようだ。ヒュンケルはバルトスとアバンと一緒に闘技場を後にした。
    「寒くないかね」
     それまで後ろで黙っていたガンガディアが言った。マトリフの肩をガンガディアの手が包む。
    「素晴らしい呪文だ」
     ガンガディアは空を包む膜を見て言った。その心底感心した様子にマトリフは苦笑する。
    「アバンの思いつきのおかげだ」
     雪を喜ぶ気持ちなんて、マトリフはすっかり忘れていた。寒いのは嫌いだから雪なんて見たくもない。だが、誰かにとっては、それは大切なものなのだろう。
    「そういえば、なんでももんじゃに初めて降る雪なんて名前を付けたんだ。白いからか?」
     マトリフはガンガディアにその名前で呼ばれるのが気に入っていたのだが、正体がマトリフだとわかってからは呼ばれなくなった。
     ガンガディアは手のひらを上に向けた。
    「さっきのヒュンケルの様子を見たかね。私も初めて雪を見たときはあんなふうに喜んで、雪に触れようと手を伸ばしていた」
    「おまえが?」
     マトリフはガンガディアの幼い頃を想像しようとする。もちもちの体をした小さなトロルが雪に喜んで手を伸ばす様子はきっと可愛らしいだろう。
    「君を見ていると、思わず手を伸ばしたくなると思ったからだ。だから初めて降る雪と」
    「思わず触りたくなるほどの毛並みだったか?」
     ももんじゃの白くてふわふわの毛並みは癒しに最適ということか。マトリフは胸の痛みを無視する。ガンガディアが好んでいたのはももんじゃということだ。
     ガンガディアの手のひらにふわりと雪が落ちてくる。それは触れた瞬間に溶けていった。
    「儚いものだな」
     雪はひらひらと風の中を遊ぶように落ちてくる。マトリフの頬に雪が落ちてきた。冷たさは一瞬で、その雪も溶けてしまう。
     マトリフはガンガディアを見上げた。
    「オレはおまえが好きなんだ」
     その声はしんと静まった夜に雪のように消えていった。ガンガディアが驚いたようにマトリフを見ている。その困惑が空気を伝ってくるようだった。
     だが、伝えずにはいられなかった。もう二度と後悔したくない。伝えずに思いを殺すなんてできなかった。
     ガンガディアは驚いた顔のまま固まっている。その顔が少し笑えた。そんなに驚かなくっていいだろう。どうやらこいつもそっち方面は相当に鈍感らしい。
     マトリフは踵を返す。髪についた雪がぱらぱらと落ちていった。
    「大魔道士」
     ガンガディアに手を掴まれる。マトリフは立ち止まった。
    「私は君を……」
    「無理すんな。迷惑ならそう言えよ」
    「迷惑ではない。私は自分の気持ちがよくわからない」
     ガンガディアはマトリフの前に膝をついた。ガンガディアの手はマトリフの手を握る。力加減を間違えてしまわないようそっと握られた手をマトリフは見つめた。
    「君を大切に思う。だが、君が私に言ってくれた好きだという感情と、私の君に対する感情が同じであるかわからない」
    「どんな感情だっていうんだよ」
    「君に触れたい」
    「それはももんじゃ相手にだろ」
    「どちらも君だ。ももんじゃであれ元の人間の姿であれ、どちらも私が憧れた君だ」
    「憧れは好きとは違うんだよ」
    「こんなふうに君に触れたいと思うことは、好きとは違うのだろうか」
    「……今のオレはもふもふじゃねえぞ」
    「外見ではないのだ大魔道士。私は君だから惹かれ、触れ合いたい……これでは駄目だろうか」
     ガンガディアの手に包まれた手が熱い。それこそ雪のように溶けてしまいそうだった。
    「じゃあオレにキスできるのかよ」
     できないくせに、と思いながらマトリフは言った。そもそも、そんな恋心を持ってたなら、これまで一緒に寝て何も思わなかったのか。
     するとガンガディアは生真面目な顔で言った。
    「まだ告白をしたばかりだというのにもうキスを!? 早急ではないか!」
    「おまえは十代のガキかよ。いや、あいつらはキスどころじゃなかったな」
    「大魔道士、交際には適切な段階というものがあってだな」
    「いったい何の本で得た知識なんだよ!」
    「安心してくれ。人間の性行動については本で読んで理解している。まずはお互いのことを知り合うことが大切だ。誠意を持って接し、助け合うことで二人の仲がいっそう深まると」
     いたって真面目なガンガディアの様子に、そういえばこいつのこういう所が好きなんだとマトリフは思う。まだ喋り続けるガンガディアの手を叩いて止めさせると、マトリフはすっかり冷えてきた身体を震わせた。
    「とにかく、今日は寝ようぜ。寒くてたまらねえ」
     ガンガディアは慌ててマトリフを抱き上げると温かな懐へと入れてくれた。その鼓動が聞こえる。マトリフは目を瞑ってそれを聞いていた。

     ***

    〜すけべするまであと39日〜

    「ガンガディア様」
     部下の控えめな声にガンガディアははっとした。部下の報告を聞いていたはずなのに、いつの間にか物思いに耽っていた。
    「すまない。手間をかけて悪いがもう一度頼む」
     ガンガディアは頭を占めていたことを追い払う。今度こそ部下の報告を熱心に聞いた。
    「ありがとう。概ね順調のようだな」
     部下の報告は新たな結界の経過についてだった。マトリフとアバンは破邪の洞窟で新しい結界呪文を契約した。人間と魔物のトラブルが多い地域に使用するためだ。試しに幾つかの地域で使ったところ、トラブルの数は減ったという。
    「追加で結界を増やしてみよう。トラブルの多い地域で優先的に使うから、候補地をリストアップしておいてくれ」
     部下は承諾して部屋を辞する。それを待ってから、ガンガディアは眼鏡を外して顔を両手で覆い、深い溜息をついた。
     昨晩、マトリフにキスされた。
     おやすみの挨拶をしているときだった。マトリフは突然にトベルーラで浮き上がり、あっと思う間もなく唇が重なった。ガンガディアが衝撃に固まっているうちにマトリフはさっと離れて部屋を出ていってしまった。
     ガンガディアは昨夜はよく眠れなかった。唇に残る感触に、思考が侵害されていく。マトリフの動きや表情がスローモーションで脳内再生され、それはもう何度も何度も再生され、ガンガディアは悶々と夜を明かした。
     先ほども部下の報告を聞いていたのに、部下の口からマトリフという名が出た瞬間に、ガンガディアの頭は昨夜の口付けでいっぱいになってしまった。
    「これではいけない」
     ガンガディアは立ち上がった。業務に支障が出るような行為は控えねばならない。いくら大好きなマトリフとはいえ、その行動がガンガディアを困らせているのは事実だ。ガンガディアだってマトリフといずれキスしたいと思っていた。だがまずは手を繋いで、そのあとでと思っていた。あんなにいきなり、しかもガンガディアの意思も聞かずに行うなんていくら恋人といえども如何なものか。
     ガンガディアは部屋を出てマトリフを探した。今朝はマトリフとは会っていない。朝起きるのが遅いマトリフには珍しく、朝から部屋を留守にしていた。
     すると通路の向こうからキギロが歩いてくるのが見えた。キギロは成長して、ついに植木鉢を卒業した。背丈もヒュンケルと同じくらいになっている。
    「キギロ、大魔道士を見なかったかね」
    「あの大魔道士なら勇者とどこかへ行ったけど」
     キギロが忌々しそうに吐き捨てる。どうやらマトリフの悪い癖がキギロにも向いているようだ。マトリフは暇潰しと言ってはハドラーを揶揄うような言動を繰り返している。それにいちいち張り合うハドラーもハドラーなのだが、二人は顔を合わせれば言い合いをしていた。
     キギロはふと思いついたようにニヤリと笑ってガンガディアを見上げた。
    「あいつとやっと付き合いはじめたんだって?」
    「なぜ知っている」
    「この地底魔城でそれを知らない奴なんていないさ。そこのスライムだって知ってるんじゃないの」
     キギロは通路の端にいたスライムを指差した。スライムも頷く。驚くガンガディアをキギロは笑いを含んだ顔で見上げた。
    「で、どこまでいった?」
    「どこまでとは?」
    「あいつスケベらしいじゃないか。もう最後までやったのか?」
    「卑猥な想像で大魔道士を汚すな」
    「あんたが思ってるほどあのジジイは清廉じゃないっての。これまでどんな事してきたことやら」
     キギロの言葉にガンガディアの顔に狼狽の色が走る。
     マトリフのキスは慣れたものだった。マトリフだってこれまでの人生で情を交わした相手だっていただろう。そのことはガンガディアがとやかく言うことではない。だがいくら過去のこととはいえ、マトリフが自分ではない誰かと、あのようにキスをしていたと考えると心がどよめいた。
     ガンガディアはマトリフを探すのをやめてとぼとぼと部屋に戻った。さっきまではマトリフとのキスを思い出して悶々としていたのに、今はマトリフと知らない誰かのキスが頭を占めていた。

     ***

    〜すけべするまであと29日〜

     帰ってきたマトリフを見てガンガディアは目を見張った。その表情は鬼気迫っている。早足で歩いてきたかと思えば、ガンガディアを見上げてぽつりと言った。
    「暫く出かけるからよ。悪ぃがオレの分担の仕事頼むわ」
     そのまま自室へ入ろうとするマトリフの手を捕まえた。マトリフが厳しい目付きでガンガディアを見る。
    「なんだよ」
    「出かけるのは構わない。何があったんだ。ネイル村に行っていたのではないのかね」
     マトリフは表情を隠そうとしたのか、すっと冷えた顔をした。
    「なんでもねえ」
     マトリフはガンガディアの手を離させた。そのまま部屋に入ってしまう。マトリフは本棚を引っ掻き回していた。
     その様子は普段とは違った。なにか焦っているように見える。
    「大魔道士」
    「なんだよ」
    「話してくれないか。私は君の力になりたい」
     マトリフは本を掴む手をゆっくりと下ろした。そして振り返ってガンガディアを見る。
     マトリフはゆっくりガンガディアのところまで来る。ガンガディアは屈んでマトリフと視線を合わせた。マトリフは憔悴した表情でガンガディアの首筋に顔を埋めた。
    「ロカが病気なんだとよ。そんで、治す方法がない」
     マトリフのくぐもった声が告げた。ガンガディアはマトリフの背に手を回す。マトリフがここまで焦っているということは、時間の余裕さえないのだろう。
    「アバンが方々飛び回って治療法を探してる。オレもすぐに行かなきゃなんねえ」
     マトリフはなんとか感情を堪えているようだった。だが溢れそうなそれを押し留めることは難しいのだろう。あの旅でマトリフはロカを放っておけなくて仲間に加わったと聞いている。ロカはマトリフにとってそれほど大事な友人なのだろう。
    「治療の方法は本当に何も無いのかね」
    「世界樹の葉が効くそうだが、今じゃ幻のアイテムだ。だから昔の文献を漁って少しでもありそうな場所を……」
    「世界樹の葉でいいのか?」
     ガンガディアの言葉にマトリフは顔を上げた。
    「どこにあるか知ってるのか!?」
    「私の部屋にある」
     ガンガディアは言うと自室へ向かった。本棚の脇の棚を探す。小瓶に入ったそれを見つけて、マトリフに手渡した。
    「友人に使うといい」
    「……いいのかよ」
    「構わない。偶然手に入れたものだ」
    「すまねえな」
     マトリフの言葉にガンガディアは首を振った。
    「謝罪などいらない。私は君の役に立ちたいだけだ」
     マトリフは口を固く閉ざすと、一心にガンガディアを見つめた。まるで暗闇の中で遠くの明かりを見つけたような、驚きと喜びが混ざった表情だった。
    「そうか。ありがとよ」
    「もう行くのかね。疲れた顔をしている。一休みしてからでも」
    「早く行ってレイラたちを安心させてやらねえとな」
     マトリフは言って走り出す。だがその身体は突然糸が切れたように倒れかかった。ガンガディアは慌ててその身体を支える。
    「……くそ、魔法力が切れやがった」
     マトリフは身体の力が入らないようだ。ガンガディアはその身体を抱き上げる。
    「ネイル村だな。私がルーラで行こう」
    「場所を知ってるのか?」
    「以前のように村人が私の姿に驚かないことを願おう」
     ガンガディアはマトリフを抱いてルーラを唱えた。

     ***

    〜すけべするまであと19日〜

     マトリフは紙とペンを持ってガンガディアの元へと向かった。ガンガディアは読書中であったが、近づいてきたマトリフに気づいて顔を上げる。
    「なにか懸案事項でも?」
     仕事のことかと思ってガンガディアは読んでいた本を閉じた。マトリフは真剣な顔をしており、ガンガディアはよほど重大な事でも起こったのかと気を引き締めた。
     マトリフは持っていた紙をガンガディアの膝の上に乗せた。書かれてあることを読もうと、ガンガディアにしては小さい文字を見る。
     そこには日付と初めてのキスという文字があった。
    「これは」
    「オレたちがキスをしてから二十日が経った」
    「数えたのかね」
    「告白、キス、ここまできたが進展がないまま二十日だぞ」
    「進展とは?」
    「オレはお前が段階を踏みたいと言うからその意思を尊重したつもりだ。けどよ、このペースじゃ間に合わねえんだよ」
    「何に間に合わないのかね」
    「オレの寿命だよ! お前とセックスする前にお迎えがきちまうんだよ!」
     顔を赤くさせながら捲し立てたマトリフに、ガンガディアは目を丸くさせる。
    「……セックス?」
    「おい……まさか知らねえのか」
    「知っている。だが私と君とでは種族が違うから子を成すことは出来ないはずだが」
    「種族どころの問題じゃねえだろ。そうじゃなくてだな……だから、子づくり以外でもヤルときあんだろ」
    「快楽を求めてのセックスかね。君はそれを私としたいのか?」
     ガンガディアに直球で聞かれてマトリフはたじろいだ。だが今さらだと思って頷く。
    「しかし君は老齢だと聞いているが」
    「ジジイ相手じゃ勃たねえってのか」
    「人間は若年期に発情するのではなかったかな」
    「そんなの人それぞれだろ。オレはヤりたいんだよ」
    「確かに君はその方面への興味は尽きないようだ。先日も私の本棚に卑猥な本を……」
     また小言が始まりそうになってマトリフはガンガディアを止めた。
    「とにかくよ、もうキスもいっぱいしたし次のステップに進もうぜ。お前の言う段階とやらはあといくつあるんだ。ここに全部書いてくれ」
     マトリフはそう言って紙を指差した。まるで仕事のスケジュールのように書き出せというのだろう。
     だがガンガディアは、最初からセックスする気はなかった。
     ガンガディアは改めてマトリフのセックスについて考えてみる。そこでひとつ疑問が浮かんだ。
    「君は男だったな」
    「今さらそんなこと確認すんのかよ」
    「一つ疑問なのだが、君とセックスするということは肛門性交だと思うのだが、私の性器は君の尻に入るのかね」
    「そこが問題だが、やってみなきゃわかんねえだろ」
    「こんな小さな尻に私のものが入るとは思えないのだが」
     ガンガディアは言ってマトリフの尻を手で撫でた。するとマトリフがビクンと身体を震わせる。見れば俯いて耳まで赤くしている。
    「すまない。急に触るべきではなかった」
    「いや……いいんだ。ってかもうちょい触ってみねえか?」
     マトリフが上目遣いで見上げてくる。羞恥に頬を染めながら、期待のこもった眼差しでガンガディアを見ている。
    「すまない」
     ガンガディアは言ってすぐにマトリフから手を離した。
    「え?」
    「失礼する」
     ガンガディアはすぐにマトリフに背を向けて隣の部屋に駆け込んだ。そこは物置に使っている部屋だ。
    「おい、なんで逃げるんだよ!」
     マトリフが物置部屋の扉を力任せに叩いている。だがガンガディアが押さえているのでびくともしなかった。
    「すまない、セックスの件は時期尚早のようだ」
    「なにが時期尚早だ! 遅すぎるぐらいだぞ!」
    「今日は勘弁してくれ。体格差を考慮した性交方法について私も考えてみる。時間をくれないか」
     するとマトリフは扉を叩くのをやめた。
    「……わかったよ」
     完全に拗ねた声が聞こえる。マトリフの足音が遠ざかっていった。マトリフが部屋から出ていったのを確認してガンガディアは座り込む。
     ガンガディアは自分の股間を見る。それは完全に勃起していた。
     ガンガディアはさっきのマトリフの様子を見てつい欲情してしまった。欲望の印である勃ち上がったそれは、自分で見ても凶暴だった。
     こんなものをマトリフの体内に入れたらどうなることか。考えただけでもおそろしい。だが、本能はそれを望んでいる。欲情したということはそういうことなのだろう。
     セックスしたい気持ちと、そんなことは出来ないという気持ちがせめぎ合う。ガンガディアは熱を持つ性器を押さえ込んで鎮まれと念じた。
     
     ***

    〜すけべするまであと9日〜

     マトリフの首筋が見える。白い髪が少しかかった細い首は少しの力で折れてしまいそうだ。
     マトリフはガンガディアの部屋で本を読んでいた。ガンガディアは本の整理をしていた手を止めてついマトリフを見てしまう。以前ならば、彼がその本を読んでどう思ったか知りたいと思っただろう。だが今はその白い首に視線が吸い寄せられる。首だけではない。彼の身体のひとつひとつが気になって仕方がなかった。その身体に触れることを想像する。すると押さえていた欲望が顔をもたげるのだ。
     ガンガディアは自分の手を見つめる。マトリフからしたらこれは大きな手だ。
     いつだったか、戦いの最中にマトリフの身体を殴ったことがある。たった一発殴っただけでマトリフの身体は呆気なく吹き飛んでしまった。
     戦士や勇者や、あるいは武闘家なら、鍛えられた強靭な肉体がある。だがマトリフはそうではない。そんなマトリフに、ガンガディアが加減なく触れたらどうなるか。そんなことは火を見るより明らかだ。
     ガンガディアは自分の行いがマトリフを傷付けるのが怖かった。
     それはガンガディアが自分の凶暴性を自覚しているせいでもある。理性で押さえ込まれているだけで、ガンガディアは獰猛な獣を己の中に飼っている。それが解き放たれてしまったら、マトリフを傷つけてしまうだろう。
     欲望は恐ろしい。感情が引き金になってすぐに暴れ出す。なんとか理性で押さえているが、それがいつまで保っていられるかわからなかった。
     欲情のままにマトリフを貪る自分を想像してガンガディアは血の気が引いた。なんて醜いのだろうと吐き気さえする。
     きっとマトリフは性交をしても己を見失うことなどないのだろう。あの戦いにおいても冷静を保っていた彼だ。彼にとって性交は楽しい行動なのだろう。
     マトリフにとっては恋人であることと、性交をすることが強く結びついているのかもしれない。ならば私は恋人失格だとガンガディアは思った。
    「おいってば!」
     その声にガンガディアは思考から抜け出す。マトリフが心配そうにこちらを見上げていた。
    「すまない。考えごとを」
     マトリフは何か言いたそうにしていたが、何も言わずに踵を返した。
    「何か用があったのでは?」
    「べつに。お前が固まったまま動かねえから石にでもなったのかと思っただけだよ」
    「だったら……」
     ガンガディアは言いかけて言葉に迷った。マトリフを引き止めたくて声をかけたが、マトリフからの誘いを断っている自分がマトリフの側にいてもいいのだろうかという不安が過ぎる。
    「いや、何でもない」
     引き止めてすまなかったとガンガディアは謝る。マトリフはがっかりしたような顔をして部屋を出ていった。

     ***

    〜すけべするまであと8日〜

    「いいですけど、どんな書物を探してるんですか?」
     アバンはマトリフに問い返す。アバンはマトリフからジュニアール家の書庫の本を読ませて欲しいと頼まれた。もちろん構わないのだが、マトリフがどんな本を探しているのか気になった。
    「呪文を固定化する方法を探してるんだ」
    「固定化、ですか。ご希望の本があるかどうかは分かりませんが」
    「いいんだ。糸口でもいいから見つけられれば、あとは自分でどうにかするからよ」
    「どんな呪文を固定化したいんです?」
     詮索しすぎかとアバンは思ったが、聞かずにはいれなかった。
     ここ数日のマトリフはどこか気落ちして見えた。それにガンガディアが関係していることは予想がつく。呪文の固定化は使いようによっては恐ろしい力になるが、まさかマトリフに限って危険な使い方はしないだろう。だがマトリフの様子になにか引っかかるものを感じていた。
    「モシャスだ」
    「モシャス?」
     アバンは思ってもみない呪文に首を傾げた。そこでふと思い至る。
    「もしかしてガンガディアにかけるのですか?」
     アバンはマトリフが悩んでいることを知っている。それを可能にする方法の一つがモシャスだ。固定化してしまえば、呪文が解ける心配はない。それが出来ればガンガディアの心配の一つは取り除けるように思えた。
    「いや、モシャスをかけるのはオレだ」
    「え?」
     アバンはてっきりマトリフがモシャスをセックスに使うのかと思った。だがマトリフにモシャスをかけるなら違うだろう。マトリフがガンガディアの体格に合わせる可能性もあるが、アバンはもう一つの可能性を思いついた。
    「まさか、ももんじゃの姿で固定するつもりですか」
     違いますよね、という気持ちでアバンは聞いた。だがマトリフはなんでもないように頷いた。
    「まあな」
    「ですが、たとえモシャスしても寿命は変わらないのでは?」
     アバンはマトリフが寿命をガンガディアに合わせたいのかと思った。だがモシャスでは姿形を似せるだけで、本来の命が変わるわけではない。
    「寿命は関係ねえよ。この人間の姿を変えたいだけだ」
    「どうしてですか?」
     マトリフの言っている意味がわからなくてアバンは困惑する。
    「オレが人間だから上手くいかねえんだと思うんだよ」
    「ももんじゃだったら上手くいくのですか?」
    「あいつモフモフが好きだからな」
    「そうかもしれませんけど、彼はあなたが好きなのでは?」
     アバンは今回ばかりはマトリフの判断に疑問を持った。
     するとマトリフはぽつりと言った。
    「オレが人間だからあいつとヤりてえとか考えちまうんだ。ももんじゃでいるときは、あいつと一緒にいるだけで満足なのによ」
    「だからずっとももんじゃの姿で生きると?」
    「それならあいつと一緒にいられるだろ」
     マトリフは冗談や皮肉を言っているわけではなさそうだ。本気で言っているのだとわかってアバンは言葉を失う。そこまで思い悩んでいたとは知らなかった。
    「あなたがそうなる事を彼は望んでいるのですか?」
     ガンガディアがそれを知っていたら反対するだろうとアバンは思った。マトリフは黙ったまま答えない。きっとガンガディアには言っていないのだろう。
    「話し合うことをお勧めします」
     それ以上はアバンには言えなかった。マトリフは短く返事すると踵を返して去っていった。

     ***

    〜すけべするまであと7日〜

    「ガンガディア、このドア開けてくださいよぉ!」
     言いながらキギロはなんとかガンガディアの部屋のドアを開けた。まだ小さな体であるキギロにとって大きな体のガンガディアに合わせたドアは重すぎた。
    「やっぱり部屋にいるんじゃないか!」
     キギロは部屋の中央で本を読んでいるガンガディアを見て声を張り上げた。何度ノックをしても返事がないから留守かと思ったが、ただ本を読んでいただけらしい。
     ガンガディアは部屋に入ってきたキギロに気付いていないようだ。真剣な面持ちで本を凝視している。周りの音が聞こえないほどに何の本を読んでいるのかと、キギロはガンガディアの背後に回り込んで本を覗き込んだ。
     そこに描かれていたのは絵だ。二人の男が裸で抱き合って、なにをどこにあれしている絵だ。
    「……あんたでもエロ本読むんだ」
     キギロは驚いて声を出した。するとガンガディアがようやくキギロの存在に気付いた。
    「部屋に入るときはノックをするようにと」
    「ボクはしたんだけどねえ。エロ本を読んでるスケベトロルには聞こえなかったかなあ?」
    「これは後学のために読んでいる」
    「誤魔化さなくてもいいじゃないか。その本、わざわざ人間の街にまで買いに行ったのか?」
     ガンガディアが読んでいるのは人間と魔物のセックスが描かれた本だ。人間は魔物を恐れるくせに、こんな本を作ったりする。もちろん一般的な本屋ではなく、闇取引のように売買されているものだ。
    「いや、大魔道士の秘蔵本のひとつだ」
    「うわぁ……」
     キギロは思わず正直な気持ちで声を上げてしまった。その本に描かれている魔物はトロルではないが、人間との体格差がかなりある。つまりあのスケベ大魔道士はこの本で抜いてるか、あるいは自分とガンガディアとのセックスの手本にでもしようと思ったのだろう。
    「よく借りられたな」
    「本を借りたいと言ったら、どれでも好きに持っていけと言われた。私がこの本を選んだことを大魔道士は知らない」
    「それで、そのエロ本は参考になったのか?」
    「いや。読んでいる限りでは、この魔物は無理矢理に人間を犯しているようだ。私が知りたかった内容とは異なる。しかし大魔道士はこのような内容のセックスを望んでいる可能性も……」
     ガンガディアはぶつぶつと言っている。キギロはガンガディアと大魔道士が上手くいっていないのだろうと悟った。
    「まあ、がんばれ」
     この二人がどうなろうと知ったことではない。キギロはそっと部屋を出て行こうとしたが、ガンガディアの手に阻まれた。
    「君は人間とのセックスの経験があるかね?」
    「あるわけないでしょ!」
    「経験者の意見が聞きたいのだが、誰か知り合いにいないかね?」
    「さあ? あ、ハドラー様なら経験あるんじゃない?」
     知らないけど、とキギロは適当に言う。
    「そうか。意見を伺ってこよう」
     ガンガディアは思い立ったら吉日とばかりに立ち上がる。エロ本を携えたままずんずんと進んでいくガンガディアの背をキギロは見送った。

     ***

    〜すけべするまであと6日〜

    「大魔道士」
     ガンガディアはノックをしながら言った。だがマトリフからの返事がない。マトリフの魔法力は部屋の中から感じているから、いることは確かだった。
    「すまない、失礼する」
     返事はないがガンガディアはドアを開けた。
     マトリフの様子がおかしいとガンガディアに告げたのはアバンだ。ガンガディアはそれを聞いて驚いた。マトリフの様子がおかしいことに全く気付いていなかったからだ。
     ここ数日、ガンガディアはマトリフとの性交についてばかり考えていた。マトリフと会話は殆どしておらず、一緒にいた時の様子を思い出そうとしたが、それも記憶になかった。
     様子を見てくれませんか、とアバンはガンガディアに頼んだ。ガンガディアはその足でマトリフの部屋へと向かった。
     ドアを開けたら部屋は暗かった。いないのかと思ったが、ガンガディアが呪文で火を灯せば、ベッドに丸まっているマトリフが見えた。しかしマトリフは人間の姿ではなくももんじゃの姿だった。
     ガンガディアは蝋燭に火を灯す。見ればマトリフは眠っているようだった。大きな丸い目は閉じられて、長い尻尾が体にぐるりと巻き付いている。まだ昼前だ。早い昼寝か、あるいは寝坊なのか判断に困る。
     また後にしようかとガンガディアが思ったときだった。ももんじゃの目がぱちりと開いた。
    「起こしてすまない。体調でも悪いのかね。こんな時間に寝ているとは」
     ももんじゃの目がガンガディアに向く。ももんじゃは感情の読めない目でじっとガンガディアを見ていた。
    「大魔道士?」
     ももんじゃにモシャスしているとはいえ、その姿でも会話するとは可能だ。なのにマトリフは何も言わずにガンガディアを見上げている。
    「本当に体調が悪いのかね」
     ガンガディアは屈んでももんじゃに触れた。柔らかい毛並みと温い体はいつも通りだ。しかしももんじゃの姿では判別が難しい。
     マトリフは黙り込んだままガンガディアに撫でられている。
    「とにかくモシャスを解いてくれないか」
     アバンの言うようにマトリフはどこか様子がおかしい。理由が何にしろ、ももんじゃの姿ではわからなかった。
     しかしももんじゃは首を振った。
    「何故だね。何か怒っているのか?」
     ももんじゃはそれにも首を振る。マトリフは癖のある性格で、思わぬことで臍を曲げるが、今は怒ってはいなさそうだ。
     ももんじゃはガンガディアの手に身を預けてきた。尻尾が指に巻き付いてくる。眠いのか目を瞬いていた。
    「大魔道士?」
     ももんじゃの目はぴたりと閉じてしまい、すぐに小さな寝息が聞こえてきた。抗えない眠気に飲まれてしまったかのようだ。
    「大魔道士、大魔道士」
     ガンガディアはその小さな体を揺すった。しかしマトリフは目を覚まさなかった。

     ***

    〜すけべするまであと5日〜

    「呪文の固定化?」
    「ええ。マトリフはそれを調べていたんです」
     アバンはベッド脇に落ちていた本を拾い上げる。それはジュニアール家の書庫にあったものだ。それをマトリフが見つけて読んだのだろう。
     ガンガディアは腕の中のマトリフを見ている。マトリフはももんじゃの姿のまま眠り続けていた。その尻尾がガンガディアの手に巻きついている。
    「何故モシャスの固定化など」
     ガンガディアにはマトリフの行動の意図がわからないようだった。
    「マトリフから何か聞いていませんでしたか」
    「いや……」
    「そうですか」
     やはり止めるべきだったとアバンは後悔した。だがマトリフなら、自分の身を危険に晒すような呪文は使わないと思ったのだ。
    「君は何か知っているのかね」
    「マトリフは悩んでいたんです。相談されたので、私の家の書庫の本を使っていいと言ったのですが」
    「ではその本は」
    「ええ。きっとこれを使ったのでしょう」
     アバンは本を開く。書かれてあることに目を通していくが、読み進めるごとに焦りが生じた。
    「ここには呪文の固定化を行う具体的な方法は記されていないようです。理論的には可能のようですが、成功した事例はないと」
    「では大魔道士も失敗したと?」
    「それはわかりません。ただ、その様子を見る限り、彼の望む形で術が成立したとは考えにくいですね」
     マトリフは昨日から眠り続けている。魔法力が切れた時などは回復のために眠りが深くなるように、呪文の無理な使用が大きな負荷になって体が睡眠を選んでいるのかもしれない。
     もしそうなら、マトリフはこのまま眠り続けるしかないということだ。
    「固定化を解除する方法を探さねば」
     ガンガディアは思ったより冷静だった。腕の中のマトリフを心配そうに見てはいるが、感情が荒ぶる様子はない。そのことにアバンは小さな驚きを感じながらも頼もしく思った。ガンガディアの知恵は問題解決に大きな助けになる。
    「マトリフがどんな方法を選んだのかが分かればできるかもしれませんが」
    「大魔道士は書き記してはいないだろうな。だがその本から知識を得たことは間違いないだろう。私にも読ませてくれ」
     ガンガディアはアバンから本を受け取った。ガンガディアにとっては小さい本を開く。
     真剣な面持ちで本を読んでいるガンガディアのその姿に、アバンは何かが胸に沁み込んでくるように感じた。
     ガンガディアはマトリフを愛している。それをマトリフがわかっていたら、こんなことにはならなかったかもしれない。
     
     ***

    〜すけべするまであと4日〜

     まるで水中で音楽を聞いているようだった。遠く鈍く聞こえてくるその声にマトリフは耳を澄ませる。それがガンガディアの声だとわかっていたが、なんと言っているかまでは聞こえなかった。
     マトリフは眠りながらも意識を保っていた。だがそれは揺れる水面のように安定しない。近くにガンガディアがいることがわかるが、自分の意思で覚醒することはできなかった。
     マトリフは肉体が自然に目覚めるのを待った。目覚めは近い。魔法力が満ちていくのを感じるからだ。目覚めるならガンガディアが近くにいるほうが都合がいい。だがどういうわけか、ずっとそばにガンガディアの気配を感じた。大きな温もりがそばにあるだけで、心が安らいでいく。
     ふと意識が浮上するのを感じた。海面へと近づいていくように視界が明るくなっていく。
     目覚めたらそこはマトリフの部屋だった。ガンガディアに抱かれているらしく、マトリフはその瞬間に呪文を唱えた。
     ガンガディアは突然の呪文発動に驚く。マトリフは自分の体内に急激に魔法力が満ちるのを感じた。瞬時にマトリフは固定化解除の呪文も唱える。
    「え、マトリフ!?」
     アバンの驚く声とマトリフが人間の姿に戻ったのは同時だった。
    「はぁ……ギリギリだったな……」
     マトリフは大きな溜息をついて身体の力を抜いた。
    「大魔道士……何を」
     ガンガディアはマトリフを落とさないように抱えながら床に膝をついた。力が入らない様子だ。
    「悪りぃな。マホトラでお前の魔法力を頂いた。この呪文の解除にオレだけの魔法力じゃ足りなかったんだよ」
     助かったぜ、とマトリフはガンガディアの腕を叩く。しかしガンガディアは厳しい目をマトリフに向けた。
    「何故このような呪文を?」
    「あ? なんだよ。勝手に魔法力を奪ったこと怒ってんのか?」
     ケチくせえなとマトリフは口を歪める。するとガンガディアの額に血管が浮いた。
    「そんなことで私が怒ると?」
    「はあ? 怒ってんじゃねえか」
     ガンガディアは全身から怒気が立ち上っているかのようだった。何もそんなに怒らなくてもいいじゃねえかとマトリフは思う。あれは緊急だったからマホトラを使ったが、敵意があったわけではない。ガンガディアならそれくらいわかるとマトリフは思ったから使ったのだ。
    「あの……ガンガディア。落ち着いてくださいね」
     アバンがガンガディアを宥めるように言う。見れば部屋には本が散乱していた。オレが散らかすより汚いなとマトリフは思う。この二人は几帳面なくせに、何があったらこんなに散らかるんだ。
    「大魔道士」
    「なんだよ」
    「何故このようなことに?」
     ガンガディアはなんとか怒りを抑えているように言った。マトリフは自分の失敗を咎められたように感じてそっぽを向く。
    「ちょっと失敗しただけだ。次は成功させる」
    「次だと。君は何を考えているんだ!」
     ガンガディアが耐えきれなくなって吼えるように言った。その声量に部屋が揺れる。
    「もし失敗しなかったらどうなっていたか。君は一生ももんじゃの姿で生きることになっていたんだぞ!」
    「そのつもりで呪文を使ったんだよ」
     マトリフはなぜガンガディアがこんなに怒っているかわからなかった。
    「お前だってそのほうがいいんだろ」
    「そのほうがいい? 私が君にももんじゃの姿でいて欲しいと言ったかね!」
    「お前はオレにヤりてえなんて言われんのが迷惑なんだろ。だったらオレは人間で生きることなんて捨ててやる」
     ガンガディアはマトリフと性交したいとは思っていない。そうマトリフは思っていた。ガンガディアがマトリフとの性交を前向きに考えていることをマトリフは知らない。拒んだり戸惑っている様子しか知らないのだ。
    「オレに惹かれたのは外見じゃねえって言ったのはお前だぜ。だったらももんじゃでいいじゃねえか」
    「私はそのままの君が好きなんだ」
    「無理すんなよ。元々お前はオレを好きなんかじゃなかったんだ。オレがお前を無理に付き合わせただけだ」
    「そんなことはない。私が君を抱かないから信じられないのかね」
     ガンガディアの手がマトリフの肩を掴んだ。そのまま強い力で押し倒される。ガンガディアの影がマトリフに落ちた。
    「だったら抱いてやる」
     
     ***

    〜すけべするまであと3日〜
     
     ロカは桃色の髪を手で押さえている。顔は苦悶の表情を浮かべていた。
    「わっかんねえ……」
     ロカは机に突っ伏した。問題文が書かれた紙を恨めしそうに見つめる。回答用紙は真っ白なままだった。
    「終わったか」
     ロカの横にいるマトリフは寝転んで鼻をほじっている。
    「一問も解けねえ……問題すら読めねえ」
     ロカは問題用紙をマトリフに向ける。そこには魔族の言葉で書かれた問題がずらりと並んでいた。ロカが受けているのは魔族の言葉のテストで、それを作ったのはマトリフだった。
     人間と魔族の共存に向けてはじめたのは、お互いの言葉を覚えることだった。対話無くして理解は始まらない。それがアバンが出した結論だった。そしてまず初めに地底魔城の魔物たちが人間の言葉を覚え、そして魔物の住処に隣接した村人、つまりネイル村の人々が魔物の言葉を覚えることになった。
    「おめえがちゃんと勉強してりゃあ出来るだろうが」
     ロカには率先して覚えてもらうために何冊もの魔物の言葉の解説書を渡してある。だがロカはげっそりとした顔で言った。
    「家の仕事とマァムの世話でそれどころじゃなかったんだよぉ」
    「魔族の言葉は人間の使ってた古語と似てるだろ。単語さえ覚えちまえば難しくねえがな」
    「マァムの夜泣きに付き合えばわかるさ」
    「ったく、しょうがねえな。今夜はオレが寝かしつけてやるよ」
    「言ったな。絶対明日の朝には後悔してるぞ」
     ロカは豪快に笑ってマトリフを肘でつつく。ロカは病気で一時は命さえ危うかったが、今ではすっかり元気になっていた。それはガンガディアが持っていた世界樹の葉のおかげで、それを思い出してマトリフの表情が少し曇る。
     昨日マトリフはアバンにルーラでこの村まで連れてこられ、アストロンをかけられた。ロカに詳しい事情は話さなかったが、とにかくマトリフの頭が冷えるまで預かってくれと言ってアバンは地底魔城へ戻っていった。
     今ごろガンガディアはどうしているだろうかとマトリフは思う。冗談のようだが、アバンにアストロンをかけられてマトリフの頭はようやく冷めてきた。ここ数日ずっと思い悩んでいたことが、側から見ればおかしなことだと気付いたのだ。
     ももんじゃの姿になれば一緒にいられる。そうすればお互いに幸せなのだとマトリフは考えていた。だがそうしたところで、きっとマトリフは満たされない思いを忘れることはないだろう。セックスするにしろ、しないにしろ、したいという思いを無かったことには出来ないのだ。
    「で、何があったんだよ」
     ロカがマトリフの横に寝転がる。テストは諦めたようだ。
    「なんでもねえよ」
    「なんでもない奴がそんなツラするかって」
    「オレも自分がどうしたいのかわからなくなってんだよ」
    「あいつとのセックスのことか?」
    「そうだよ」
     ガンガディアはセックスが嫌なのだろう。理由も予想はつく。ガンガディアはマトリフに触れることを恐れているのだ。いや、本当に恐れているのは自分自身だろう。制御できない自分でいることを、ガンガディアは恐れているのだ。
     だが、もしマトリフがいざという時にガンガディアを止められないのなら、そもそも誘っていない。もしガンガディアが欲で我を忘れるようなことがあれば、それこそアストロンでもなんでもかけて止めてやる。
     ガンガディアはマトリフを雪に例えたが、マトリフは触れたくらいで溶けるほどやわではないのだ。覚悟も技量も、ガンガディアを受け止めるに十分だと自負している。
    「ちゃんとヤリたいって言ったか?」
    「言った」
    「で、あいつはなんて答えた?」
    「時間をくれって。けど待ってもあいつは手出してこねえんだよ」
    「でも待ってくれって言うってことは、ヤリたくないわけじゃないんじゃないか。もうちょっと待ってやれよ」
    「オレはお前らみたいに若くねえんだよ。そう待っていられねえんだ」
    「マトリフは百まで生きるだろ」
    「生きねえよ。オレが明日死んだらどうするんだ。ヤっときゃよかったって後悔すんだろ」
    「明日死ぬ奴はそんな性欲ないんだよ。やっぱり百まで生きそうだな」
     そこまで言ってロカは一度言葉をきり、少し声を抑えて言った。
    「あいつとヤるの、怖くないのか?」
     マトリフはフンと鼻を鳴らして口を尖らせる。そしてしばらく黙ってからポツリと呟いた。
    「……オレが怖がったら、あいつは二度と手出してこねえ気がするんだ」
     マトリフは正直なところ、ガンガディアに押し倒されて身体が竦んだ。自分の何倍も大きい奴にのしかかられて、力で押さえつけられる。怖くないわけがなかった。
     だが、それを絶対にガンガディアに悟られないように、わざと強がって煽ってみせた。オレはお前が怖くないのだと、態度で示したのだ。
     それには理由があった。マトリフがももんじゃの姿で地底魔城に潜入してた頃に、ガンガディアに過去の出来事を聞いたことがあったからだ。
     あれはまだ潜入して間もない頃。その夜のガンガディアはなかなか寝付けないでいた。どうしたのかとマトリフが尋ねると、ガンガディアは少し迷ってからぽつりぽつりと昔のことを話した。
     ガンガディは幼かった頃、まだ自分の種族や、その中でも自分が希少種であることをよくわかっていなかったという。それでも周りのトロルと一緒に生活して生きていた。
     だがある日、ある魔物がガンガディアを珍しがって声をかけてきた。ガンガディアはよくわからないまま魔物の話を聞いていたが、褒められているような気がして嬉しかったという。だがその魔物は最後にガンガディアに向かって言った。いくら珍しくても所詮トロルは劣った生き物だと。
     それ以来、ガンガディアはトロルである自分に対して酷い劣等感を持つようになったという。言葉が呪いになってしまったからだ。そしてガンガディアは自分だけではなく、同種である全てのトロルを嫌悪するまでになっていった。
    「トロルは愚かで醜い生き物だ」
     ガンガディアのその言葉に、マトリフは思わず首を振った。ガンガディアの口からそんな言葉が出るのが悲しかったからだ。マトリフは幼いガンガディアを傷付けたその言葉を、それを言った魔物ごと消し去ってやりたかった。
    「オレはあいつをそのまま愛してやりてえんだ。あいつが嫌いなあいつ自身も、オレが好きでいたら、いつか……」
     いつか、ガンガディアにかけられた呪いの言葉も解けるかもしれない。


     ***
     
    〜すけべするまであと2日〜

     マトリフはこっそりと帰ってきた地底魔城の通路であたりを見渡した。
     ガンガディアがどうしているか気になって部屋に見に行ったが姿はなく、どういうわけか魔物たちもいなくて、地底魔城はしんと静まっていた。
    「どこ行きやがったんだ」
     マトリフは大きな欠伸をしながら通路を進む。寝不足の頭はぼんやりとしていた。
     昨夜はマァムの寝かしつけをしたせいで寝不足だった。マトリフは里にいるときに何回か赤ん坊の世話もしたことがあるが、マァムほど手を焼く赤ん坊は初めてだった。抱っこしても泣き止まず、ミルクもおしめも違うという。なんとか抱っこして歩き回っていると、ようやく眠りかけるが、そこでベッドに下ろすとまた起きて泣き出す。それを一時間おきに繰り返されて、マトリフは精根尽き果てた。
     朝陽が昇ってマァムの世話をロカと交代したが、げっそりしたマトリフを見てロカは苦笑した。
     そのままマトリフは逃げるように地底魔城へ帰ってきたが、城の様子がどうもおかしかった。
    「おや?」
     その声に振り返るとブロキーナが手を上げて立っていた。
    「来てたのか」
    「うん、また言葉を教えにきた」
     地底魔城の魔物に言葉を教える講師はブロキーナが買って出ていた。マトリフも手伝ったことがあるが、ブロキーナのほうが教えるのが上手だ。根気強く魔物たちに教えているから、魔物たちもブロキーナを慕っている。
    「で、成果はどうなんだ。ロカはからっきしだったぞ」
    「まあ気長にやるよ」
     その口ぶりから、魔物たちが言葉を覚えるのも順調ではなさそうだった。どこも同じだとマトリフは思う。
    「やっぱり無理なんじゃねえか?」
     マトリフは独り言のように呟く。
    「お互いの言葉を覚える作戦がかい?」
    「大将は上手くいくと思うのか」
     元々この案はアバンとブロキーナの発案だった。マトリフはこの方法には懐疑的だったが、反対はしなかった。
     するとブロキーナは飄々とした笑みを浮かべて言った。
    「わしは君たちを見ていたら出来るんじゃないかと思ったんだけどね」
    「オレたち?」
    「君とガンガディア」
     思わぬところでガンガディアの名が出てきてマトリフは顔を歪める。決まりが悪くて首筋を撫でるマトリフに、ブロキーナは気付かないふりをした。
     ブロキーナは懐から折り畳まれた紙を出す。そしてそれを広げた。そこにはお世辞にも綺麗とは言い難い文字が並んでいる。おそらく魔物たちが書いたものだろう。
    「希望を感じるんだよね」
     ブロキーナはその文字を嬉しそうに見つめた。
    「言葉が通じれば、対話ができる。対話ができれば分かり合える。分かり合えれば、争いは減る」
     まるで歌うように軽やかにブロキーナは言う。その声音は朗らかで、本当にそんなことが出来てしまうのではないかと思えるほどだった。
     だがマトリフは目を伏せて首を横に振った。
    「そんな簡単じゃねえだろ。人間同士でだって争うんだ。言葉が通じたくらいで解決しねえ」
     現にマトリフとガンガディアは思いがすれ違っている。言葉が通じてもだ。言葉が交わせるからこそ生まれる争いもある。
    「ガンガディアと上手くいってないって?」
    「まあな」
    「彼とは話してみたのかい?」
    「話すって、何を話せばいいんだよ」
    「全部だよ。君が思ってること全部。そして、彼の思いも全部聞いてごらんよ」
     簡単に言ってくれるとマトリフは思った。そんなことをしたら、それこそ喧嘩してしまいそうだ。
    「それで解決すると思うか?」
    「どうしていいかわからないのなら、ジタバタすればいいんじゃない?」
     その言葉に聞き覚えがあった。マトリフは記憶を引っ張り出す。確かカールの姫さんから聞いたのだ。言ったのはアバンだ。おそらく、ブロキーナもアバンから聞いたのだろう。
    「ジタバタか……」
     恥も外聞も捨ててがむしゃらに行動するなんて冷静じゃない。だがもしかすると、いま必要なのはそれかもしれない。

     ***

    〜すけべするまであと1日〜

    「ええい! 鬱陶しいわ!」
     ハドラーは怒鳴り飛ばしたが、部屋の隅で膝を抱えているガンガディアは微動だにしなかった。
     数日前、マトリフを押し倒したガンガディアをハドラーは止めた。ハドラーには全く関係がないし、好きにヤればいいだろうと思っていたのだが、アバンに止めろと言われたから仕方なく止めた。そしてそのままガンガディアを押さえつけること二日。ついにガンガディアはハドラーを振り切って部屋を飛び出した。ハドラーとガンガディアの寝技を見物していた魔物たちも蹴散らして、ガンガディアは一目散にマトリフを探しに行った。
     しかし、ガンガディアはすぐに戻ってきた。さっきまでの勢いを全て失って、まるで恋人を寝取られたような顔をしていた。
     ガンガディアはそのまま部屋の隅で膝を抱えて動かない。ハドラーはふつふつと怒りが込み上げてきた。
    「ここはオレの部屋だ。出ていけ!」
     ただでさえハドラーは数日間もガンガディアを押さえつけていた。もう暫くはこいつらに巻き込まれたくない。しかもここはハドラーの部屋だ。その部屋の隅で図体がでかい部下がいじけていたら鬱陶しくてかなわない。
    「大魔道士は……私以外の者と……」
     ガンガディアは唇を噛んで声を震わせている。それを見てハドラーは重いため息をついた。
     どうやら面倒くさいことになったらしい。
     ハドラーがいくら帰れと言ってもガンガディアは自室へ戻らず、部屋の隅でメソメソしながら夜を明かした。ハドラーにとっては大迷惑な夜だった。
     朝が来て、このままでは身が持たないと思ったハドラーは、城の中を闊歩してマトリフを探した。
    「ここにいたのか、老ぼれ」
     マトリフがいたのはバルトスの部屋だった。マトリフはヒュンケルに絵本を読んでやっていた。いつもならそれはガンガディアがしていることだが、いないから代わりに読んでいるのだろう。
    「なんだよ」
     マトリフは舌打ちをしてから心底嫌そうに言った。その時点でぶん殴りたくなったのだが、そうするとガンガディアに何を言われるかわからないので必死に堪えた。
    「来い」
     それだけ言ってハドラーはマトリフの首根っこをつかんだ。喚くマトリフを引き摺っていく。
    「おい、ガンガディア!」
     ハドラーは部屋を開けて‪怒鳴る。ガンガディアはまだ膝を抱えていた。
    「ほれ、好きにしろ」
     言ってハドラーはマトリフを部屋に投げ入れる。マトリフの罵詈雑言が聞こえたが無視した。
    「これで清々した」
     ハドラーは呪文で部屋を封印すると、いい匂いがする調理室へと足を向けた。

     ***

    「クソ魔王! ここ開けろ!」
     マトリフは重厚な扉を拳で叩く。しかしそれは呪文で厳重に封じられていた。それを解除するには相当に時間と根気が要るだろう。
    「ったく、面倒なことしやがって」
     マトリフは文句を言いながら振り返る。
    「おい、ガンガディア。これ開けるの手伝ってくれ」
     一人での解除は面倒だが、二人いればそう時間もかからないだろう。ガンガディアならハドラーが使った封印の呪文の検討がつくかもしれない。
     だがガンガディアは部屋の隅で膝を抱えたまま動こうとしなかった。こちらを見ようともしないガンガディアに、マトリフは首を傾げた。
    「どうしたんだよ」
     マトリフは言いながらガンガディアに歩み寄る。ガンガディアはあからさまにマトリフから逃げるように顔を背けた。
    「なんだよ、ハドラーにこてんぱんにやられたのか?」
    「……違う」
    「だったらどうした。言わねえとわかんねえぞ」
    「君こそ……私に言うことがあるのでは」
     ようやくガンガディアがマトリフを見た。眼鏡越しに悲しみに染まった瞳が見える。
    「……こんな場所だけどよ、ヤるか?」
     ハドラーの部屋でなんて嫌だけどよ、とマトリフは笑ってみせる。だが、ガンガディアはいつものように呆れてはくれなかった。
    「君はそればかりだな。やはり私と一緒では不満だったのだろう」
     含みのある言い方にマトリフは眉間に皺を寄せる。
    「なんだよ、はっきり言えよ」
    「君には他にセックスする相手がいるのだろう!」
    「いねえよ」
    「しかし君は昨日ネイル村に行っていたと」
    「おう。マァムの夜泣きに付き合って大変だったぜ。寝不足だし腰は痛ぇし」
    「……夜泣き?」
    「お前はオレがお前以外のやつに抱かれてきたとでも思ったのか?」
     図星だったのかガンガディアは口を閉ざした。マトリフは膝を抱えていたガンガディアの手を取る。
    「オレはお前とだからやりてえんだよ」
    「私とだから?」
    「お前が好きだから、一緒に気持ちいいことだってやりてえんだ」
     ガンガディアはようやくマトリフと目を合わせた。しかしすぐに顔を伏せてしまう。
    「私のこの手は君を傷付けてしまう。君の身体はこんなにも……」
     ガンガディアはマトリフの身体を掴む。その大きな手でマトリフの身体はすっぽりと包まれてしまった。ガンガディアなら少しの力でマトリフの骨を簡単に砕けるだろう。
     ガンガディアが恐れていたことはマトリフの想像通りだった。マトリフは笑みを浮かべてみせる。
    「お前が惚れた相手はそんなに弱かったか?」
     ガンガディアは驚いたように目を見開く。
    「いや……」
    「だったら何を心配してやがる」
    「私がずっと冷静でいられる保証などない」
    「お前がオレを腹上死させそうになったら、オレが止めてやるよ。オレだってそんな死に方は嫌だしな」
    「君にそんな危険なことはさせられない」
    「お前が本当に嫌なら、やらなくてもいい。それ以上に楽しいことだってある。でもよ」
     マトリフは言い淀んで言葉を途切れさせた。顔に熱が集まるのを感じる。嘘はったりならいくらでも平気で吐けるが、いざ本音を出そうと思うと、口は途端に重くなった。だが一心にこちらを見つめるガンガディアに、偽りのない言葉をかけたかった。似合わぬ羞恥心も育てすぎたプライドも、こいつのためになら捨てられる。
     マトリフはガンガディアの顔を両手で挟んだ。視線がぶつかる。これで逃げられないし、逃がさない。
    「抱いてくれ」
    「大魔道士……」
    「だめか?」
     ガンガディアはマトリフを見つめた。ふっと何かが解けたように、ガンガディアは肩の力を抜いた。ガンガディアはマトリフを抱き寄せる。
    「わたしも君とセックスがしたい」
     その言葉にマトリフは頷く。二人はきつく抱きしめ合ったあとに身体を離して、少し照れたように見つめ合った。
    「じゃあ……」
     マトリフは言いながら法衣の留め具に手を伸ばす。だがその手が留め具を外すより早くに、ガンガディアは言った。
    「ではセックスは明日にしよう」
    「は?」
     マトリフは気の抜けた声を上げる。今この流れで何故に明日なんだと頭に疑問が飛び交う。
     しかしガンガディアはいたって真面目な顔で言った。
    「君も寝不足で疲れいるだろうし、私もここ数日寝ていない。お互いに体調を整えるために今日はよく休んでからでどうだろうか」
    「ああ……まあ……」
    「仕事に支障が出ない時間となると、やはり夜だが、君の都合は良いだろうか?」
    「いいけどよ」
    「では決まりだ」
     ガンガディアのあまりの淡々とした事務的な言い方にマトリフは釈然としない気持ちになった。盛り上がっていた気分の行き場がなくなってしまう。
    「そういや部屋の封印が」
     マトリフはそわそわと扉を指差す。どうせ出られないのだし、と言い訳のように言うと、問題ないとガンガディアは立ち上がった。
    「ハドラー様の封印なら解き方を知っている」
     ガンガディアは扉まで行くと呪文を唱えてあっという間に扉を開けてしまった。あまりの呆気なさにマトリフは頬を膨らませる。開かないことを少しでも期待していた自分が恥ずかしくなってきた。
    「なんだよ……ヤるまで開かねえ部屋じゃねえのかよ」
    「何か言ったかね」
    「なんでもねえよ」
     こんな部屋とっとと出てやる、とマトリフはずんずんと歩く。するとガンガディアに手を掴まれた。まだ何かあるのかと見上げようとしたら、突然に唇を塞がれた。
    「……明日まで待っていてくれ」
     ガンガディアは情欲を抑えるような熱っぽい声で囁いた。その響きだけでマトリフの身体がじんと熱を持つ。今すぐにキスをして足腰立たなくなるまでヤりたくなる。
    「では明日の夜に」
     ガンガディアはそう言ってまた扉を閉めてしまった。
     こんな状態で明日まで待てって言うのかよ。

     ***

    〜すけべ当日〜

     朝陽が眩しい。地底魔城に窓なんてないからわからないが、きっと今日も朝陽が昇ったのだろう。
     マトリフはベッドで目を覚ました。いつもは中々目覚めないのだが、今日はやけにしゃっきりと目が覚めた。時刻はわからないが、まだ早朝だろう。
     マトリフは目を閉じて寝返りをうつ。二度寝だと決め込んだが、眠気はすっかり消え失せていた。
     仕方なくマトリフは起きて部屋を出た。隣のガンガディアの部屋が気になったが、そのまま通り過ぎる。昨夜は遅くに部屋に戻ってきた音がしたからまだ寝ているのだろう。
     マトリフはなんとなく調理室へと足を向ける。早朝にも関わらずそこには人の気配があった。
    「やっぱりお前か」
    「珍しいですね。マトリフが早起きなんて」
     アバンが大きな鍋の前に立っていた。
    「いま火をつけたばかりなので出来上がるまで時間がありますよ。昨日のタルトならありますが」
     アバンは言いながら大皿を持ってきた。数切れのタルトが乗っている。マトリフはそれを素手で掴むと近くにあった椅子に座った。
    「お、美味え」
    「あとでガンガディアにも持っていってあげてください。昨日は忙しかったようなので」
    「んぐッ」
    「大丈夫ですか?」
     アバンはコップに水を入れてマトリフに手渡す。マトリフはそれを受け取って飲み干した。
    「……オレは忙しい」
    「何か急な用事が?」
    「ま、まあな」
     マトリフはタルトを口に押し込むとそそくさと立ち上がる。勘が鋭いアバンに気付かれる前に退散してしまおう。
     するとアバンがこちらをじっと見てきた。
    「……今夜は楽しみですね」
    「なんのことだ」
    「いえ、なんとなく。そうかなって」
     アバンはにっこりと笑って手を振る。これだから勘のいいガキは、とマトリフは口を歪めた。
     マトリフは調理室を出ると上階を目指す。落ち着かないから外に出ようと思ったのだ。
     マトリフがトベルーラで通路を飛んでいたら、ちょうど向こうからハドラーが来た。ハドラーはマトリフを見て嫌そうに顔を歪める。
    「貴様らいい加減にしろ」
     ハドラーは苛立ちを露わにして言う。ハドラーはあの後ガンガディアからセックスの相談を受けた。ガンガディアの真面目さと執念のこもった相談は夜遅くまで続き、ハドラーは心底うんざりした。
    「煩ぇな」
    「せっかくお膳立てしてやったものを」
    「余計なお世話なんだよ」
     ハドラーからベギラマが飛んできたのでマトリフはそれを相殺する。すると消しきれずに飛んだ火の粉が前髪を少し焼いた。仕返しにマトリフはベタンを唱える。だがそれも避けられてしまった。どうも今日は呪文のキレが悪い。
    「てめえに構ってる暇はねえんだよ」
     マトリフは言いながらトベルーラで外を目指す。ハドラーが何か喚いていたが無視した。
     空が見えるとこまで来るとマトリフはルーラを唱える。とにかくここではない場所にと思って唱えたせいか、ルーラは妙な軌道を描きながら海辺へとマトリフを連れていった。
     そこはマトリフが呪文の修行のために使っていた洞窟の前だった。一人になるにはちょうどいい場所だ。マトリフは呪文で閉ざしていた岩戸を開ける。この洞窟に入ったのは久しぶりだった。
     マトリフは真っ直ぐにベッドまで行くと寝転がった。
    「……はぁ」
     マトリフは溜息をついて天井を見上げる。ぼんやりとしようと思うのに、気持ちが落ち着かなかった。じっとしていることができなくて部屋を見渡す。
    「そういやこの本は……」
     マトリフは本棚から一冊の本を取り出す。それはいつかガンガディアに借りた本だった。まだこの洞窟と地底魔城を行き来していた頃に借りて、この洞窟に置いたまま忘れていたものだ。
    「あいつも言ってくれりゃいいのに」
     使い込まれている割に綺麗な状態のその本は魔族の言葉の辞書だった。全部に目を通したので大体は覚えている。マトリフは暇つぶしにと思ってページをめくっていった。
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    「師匠ぉ〜ガンガディアのおっさん〜お邪魔するぜ」
     呼びかけながら入り口をくぐる。しかしいつもなら返ってくる返事がなかった。人の気配はするのに返事が無いとは、来るタイミングが悪かったのだろうか。ポップはそろりと奥を覗く。
    「えっと、これどういう状況?」
     ポップは目の前の光景に頭にハテナをいくつも浮かべながら訊ねた。
     まずガンガディアがマトリフの肩を抱いている。優しく、というより、まるで取られまいとするようにきつく掴んでいた。ガンガディアは額に血管を浮かべてガチギレ五秒前といった雰囲気だ。そのガンガディアに肩を抱かれたマトリフは諦念の表情で遠くを見ている。そしてその二人と向かい合うように老人が座っていた。ポップが驚いたのはその姿だ。その老人はマトリフと同じ法衣を着ている。かなりやんちゃな髭を生やしており、片目は布で覆われていた。その老人がポップへと視線をやると立ち上がった。
    2209