おめえかよ テランの森の小屋はハドラーの急襲をダイが返り討ちにしてから、ようやく静かな夜を取り戻していた。
クロコダインは小屋の前で見張りに立っていた。もう敵襲はないだろうが、念のために警戒している。
小屋の扉が開く。見ればマトリフが小屋から出てきていた。
「寝てなくて良いのか」
ポップから聞いた話ではマトリフは体が悪いらしい。さらにハドラーの攻撃に対抗して呪文を使って吐血したらしく、ベッドを使って寝ていたはずだ。
「ベッドならあのバカに譲った」
マトリフは腕を組んで口を曲げている。あのバカが指すのがポップだとクロコダインはすぐに気付いた。二人は師弟関係にあり、親しくしているのを見ていた。ポップは大丈夫だと言っていたが、無理をしているのをマトリフは見抜いたのだろう。
「オレに何か用か?」
クロコダインはバルジの一件でマトリフとは会っているが、話したことはなかった。クロコダインは己の姿形から人間から避けられることには慣れている。ダイたちは親しく接してくれるが、ほかの人間にまで同じようにとは望んでいなかった。
マトリフは冷静な眼差しをクロコダインに向けてきた。それはまるでクロコダインを見定めるかのようだった。
「あんたはなんでダイたちと一緒に戦ってるんだ」
クロコダインは片方の眼でマトリフを見下ろす。なんと説明すればこの老魔道士にわかって貰えるかと頭を悩ませた。きっとマトリフは弟子たちのことを案じているのだろう。元魔王軍の魔物が仲間であることに不安を抱いても無理はない。
言い淀んでいるクロコダインを見て、マトリフは小さく笑い声を上げた。
「別に疑ってるわけじゃねえさ。ただ、なぜそっちを選んだのか気になったんだよ」
「そっち……とは?」
「勇者側、って意味さ」
マトリフは苦笑しながらクロコダインを見上げている。その眼はクロコダインを視界に入れているものの、見ているのは別の誰かのようだった。
「昔の魔王軍の連中と会ったことはあるか?」
急に話が変わったことにクロコダインは驚く。先ほどの話と何か関係があるのだろうか。
「ああ、一度だけ」
クロコダインはハドラーが凍れる時間の秘法を受けて凍りついているのを救出した。そのときに側近たちに会っている。
「そうか」
マトリフの顔が僅かにほころんだ。その表情に違和感を覚える。たしかマトリフは昔にハドラーと戦った勇者一行の一人だ。なぜ魔王軍のことを訊ねて笑みまで浮かべるのか。クロコダインが困惑していると、マトリフは苦笑してとぽつりと呟いた。
「悪いな。あんたを見てたら、つい聞いてみたくなった」
「なぜだ。魔王軍とは戦っていたのだろう?」
「まあ、あんたと一緒さ。敵にだって情が移ることもある」
ハドラーや昔の魔王軍は勇者たちに敗れている。ということは、その相手ももう生きてはいないだろう。
「どんな奴だったのだ」
「ハドラーの側近だった奴さ。ガンガディアっていってな」
マトリフの声音は敵について語るには穏やかだった。まるで友人について話すような口振りである。クロコダインはあのとき地底魔城にいた二人を思い出した。
「青いトロルのか?」
何故だかそう思った。凍りついたハドラーに駆け寄っていた彼を思い出す。鍛えられた肉体と、知的な眼差し。随分と珍しいトロルだと思った記憶がある。
「そうだ」
「彼になら会った」
「へえ、いつだ?」
「あれはハドラーが呪法で凍りついていたときだ。オレがハドラーを助け出して地底魔城まで連れていった。昔のハドラーはいい部下を持っていたな。あそこにいたガンガディアと、もう一人の骸骨の騎士も、どちらも真にハドラーを心配していたようだった」
あのときにヒュンケルとも出会ったのだと、クロコダインは昔を懐かしむ気持ちで喋っていたが、見ればマトリフが厳しい目で見上げていた。
「なんだって?」
「ハドラーは良い部下を持っていたと」
「そこじゃねえ」
ドスの効いた声にクロコダインは何かがマトリフの気に触ったらしいと気付いた。マトリフは腕を組むと睨みをきかせてくる。
「凍りついたハドラーを助け出したのはあんたなのか?」
「ああ、そうだが」
何やら雲行きが怪しくなっていると思いながらクロコダインは頷く。
「高熱のブレスで地中を進んで床をブチ破って?」
「そうだ、ヒートブレスで」
よくわかったな、という言葉をクロコダインは飲み込む。マトリフは口の端をニヤリと持ち上げた。
「あの凍ったハドラーを封印してたのはオレだ」
それを聞いてクロコダインは納得した。あの時の勇者一行からすれば、魔王を奪っていったクロコダインは憎い存在だろう。
「そうだったか」
クロコダインからすればそれ以上に言いようがない。あのときのクロコダインはハドラーを助けたいと思って行動したまでのことだ。
するとマトリフはクックと笑ってクロコダインの背を叩いた。
「ありゃ予想外だったぜ。すげえなあんた」
「そ、そうか」
どうやら機嫌を損ねたわけではなかったらしい。マトリフは懐に手を入れると一冊の本を取り出した。
「なあガンガディア」
言葉と同時に本が開かれる。すると青い煙が本から吹き出した。一瞬攻撃かと思って警戒したが、その煙はすぐに晴れた。そして煙だったものは青いトロルに変わっていた。
「やあ獣王、久しいな」
青いトロルは眼鏡に指をやって押し上げている。クロコダインは目を瞬かせてマトリフとガンガディアを見た。ガンガディアは呼び出すのが遅いとマトリフに文句を言い、それをマトリフはうるさそうに聞いている。その賑やかな様子にクロコダインは思わず笑ってしまった。