不滅の愛 マトリフは花になんて興味はなかった。それなのに洞窟には花が飾られている。
この洞窟に花を持って訪れるのはガンガディアだ。ガンガディアは訪れる度に花を持ってきては、せっせと花瓶に入れて飾っていた。おかげで殺風景だった洞窟は華やかになり、空気さえ澄んでいるように思える。
マトリフはその花を指先で触れた。ベッドのすぐそばに置かれたのは昨日持ってきたばかりのもので、微かに甘いような匂いもする。紫色の花だが、マトリフの故郷に咲いていた花とは形が違った。ガンガディアが持って来るのは決まってこの紫の花だった。
マトリフはこの花の名前すら知らない。花に興味なんてないからだ。薬効があるわけでもない植物を、その見た目の美しさだけで側に置きたいと思ったことはない。
ガンガディアは何を思って花なんて持ってくるのだろうか。そう問えばいいものの、毎度毎度律儀に花を携えて来るガンガディアを見ると、どうも理由を訊ねる気が失せてしまうのだ。
今日は来ないだろうかとマトリフは寝室のドアを見る。昨日来たばかりだから、あと数日は来ないだろう。ガンガディアは花を土産にして訪れては、マトリフと魔法に関する意見交換をする。それは実りある結果に終わる時もあれば、白熱し過ぎて語気も荒く意見が決裂することもある。だがどちらにせよ、また数日経てばガンガディアは花を持ってこの洞窟を訪れるのだ。だがその数日を、いつからかマトリフは待ち侘びるようになっていた。
花瓶はとっくに足らなくなっている。いつからか空いた酒瓶に花を入れるようになったが、こちらはまだ数があるから暫く困らないだろう。花はいずれ枯れるが、ガンガディアが足繁く訪れるならその酒瓶も使い果たすだろう。酒瓶に入れられて酔っ払う花は良い香りがしそうだった。
「……アバンなら花の図鑑も持ってんだろうな」
マトリフはこの花の名前を知りたいと思った。それはガンガディアへの思いがそうさせるのだろう。今さら愛だ恋だと煩わされたくないが、心に空いた席には既にガンガディアがいる。
「図鑑なら私も持っているが」
ガンガディアの声にマトリフは驚いて手が花瓶にぶつかった。揺れる花瓶はマトリフの手をすり抜けて床へと落ち、音を立てて割れた。水が飛び散って床を濡らしている。マトリフは慌ててベッドから降りると花を拾おうとした。
「っ!」
マトリフの指を赤い血が伝う。花瓶の破片が指先に触れたらしく、小さな切り傷ができていた。
「大丈夫かね!?」
慌てたガンガディアが寝室に飛び込んできた。ガンガディアは床で砕けた花瓶とマトリフを見て状況を悟ったようだ。だがマトリフの指先から血が滴っているのを見て顔色を変えた。
ガンガディアはすぐさまマトリフの手を取ると回復呪文を唱えた。これくらい放っておいても平気だろうに、ガンガディアは真剣な面持ちで傷の様子を見ている。それがどうにもくすぐったいような気持ちにさせた。
「もう平気だ」
マトリフは手をガンガディアから取り返して振ってみせる。ガンガディアに触れられていた場所が熱を持ったように感じられた。
「来てたなら声をかけろよ」
「すまない。寝てるかもしれないと思って」
ガンガディアは大きな体を丸めて割れた花瓶を拾い集めている。マトリフも屈むと花を拾い上げた。どうやら折れたりはしなかったようだ。
「……さっき言ってたのは本当か?」
「さっき?」
「花の図鑑を持ってるって」
破片同士が触れ合う硬い音が続く。ガンガディアは大きな手に全ての破片を乗せると立ち上がった。
「何冊か持っている。よかったら見に来るかね?」
ガンガディアは詠唱もなく手の中で呪文を発動させる。破片はそれぞれが引き合い、元の姿へと戻っていった。そんな呪文はマトリフも知らない。きっとまたどこかの古い遺跡で探し出してきたのだろう。
ガンガディアは寝室を出て水を汲んでくると、その花瓶を元の場所へと置いた。マトリフは手に持っていた花をその花瓶へとさす。
「……お前のとこに行ってもいいのか」
マトリフはガンガディアが住む場所を知らない。この洞窟の近くだと聞いていたが、訪れたことはなかった。
「もちろん構わない。むさ苦しい所だが歓迎するよ」
マトリフはガンガディアの住む館でその花について調べた。そしてふと目についた花言葉に驚いて思わずガンガディアを見る。ガンガディアは別の本を読んでいるらしく、マトリフの視線には気付かないようだった。
マトリフは本の文字を指でなぞる。ガンガディアがそこまで知ってこの花を選んだわけではあるまいと思い直すが、その鮮烈な言葉がマトリフの胸に刻まれてしまった。
不滅の愛