ガンガディアは甚く立腹していた。
祈りの間に籠ったまま出てこなくなった魔王に代わり全軍の総指揮を担うことになっていたガンガディアはさすがに心身ともに疲労を感じていた。信頼されているからこそと思えば名誉も感じるが度が過ぎればそれも憤りを感じてしまうようになってくるというものだ。尤も本音を言えば仕事が忙しすぎて地底魔城から出られず勇者一行を自ら追いかけるわけにはいかなくなってしまったことにより、つまるところ大魔道士に会えなくなって凹んでしまっているのである。意外と繊細なのだ。
そんな矢先。久方ぶりに魔王が姿を現した。祈りの間は悲惨な有様になっていたが不思議と死の大地から持ち帰っていた不気味な置物だけは傷一つ無かった。
魔から生まれ魔に生きる者たちは人間とは異なり数週間食事を抜いたとしても死ぬことはない。しかし断食し続けることができるわけでもない。空腹を感じることはある。適度な食事は必要になる。今回魔王が祈りの間から出てきたのは食事と、あとは単純に気分転換、そして現状報告を受けるためだった。さすがに石だけを食べ続けるわけにもいかないのだろう。集中力を保つにも疲労が蓄積されればそれも上手くいかなくなる。ガンガディアに丸投げしたとはいえ軍のことをそれなりに気にかけてはいたらしい。
それは良い。問題は、以前に比べ地底魔城の食事の質が落ちていたこと、部屋や通路など至る箇所の汚れが目立つようになったこと、それらを魔王が指摘してきたことだ。ガンガディアに。
「申し開きもありません。実は、悪魔の目玉の報告によれば専属の食事係、及び清掃係だった魔物が外に出た際に勇者一行と鉢合わせ、止めておけばいいものを奴らを仕留めようと攻撃を仕掛けたところ、返り討ちに合ったようです」
「たわけどもめ!!」
「急遽代わりの者たちを手配しようとしたのですが、あいにくとまだ知能の低い者たちの方が多く、諸々手こずっているのが現状です」
「勇者一行……足取りはまだ掴めぬのか?」
「大魔道士のルーラで尽く空振りが続いております」
「大魔道士……お前が言っていた新たに勇者一行に加わったとかいうヤツか。腹立たしい! そやつさえさっさと殺してしまえば済む話ではないか! オレが祈りの間に入っている間、いったい何をしていたのだガンガディア!!」
ビキリ、と青色の後頭部に血管が浮かんだ。ガンガディアは一つ深呼吸をするとズレてもいない眼鏡を中指の鋭利な爪の先で軽く押し込む。
「……お言葉ですがハドラー様。大魔道士は仮にもあの勇者の仲間、一筋縄ではいきません。それにキギロがデルムリン島から発った後、音沙汰がありません。バルトスは地底魔城の守備の要、ここから離れるわけにもいかない。ハドラー様、祈りの間での修行は一旦中断して王の間にお戻りいただけませんか」
暗にただでさえ人手不足なのに魔王が引き籠もっていたせいでガンガディアは地底魔城から出るに出られなかったのだと言いたかった。しかし哀しいかな、魔王には通じない。
「ええい! やかましい! オレの知ったことか! オレは祈りの間に戻る。次に出てくる時までにはなんとかしておけ。分かったなガンガディア」
漆黒のローブを翻して魔王は言葉通りに祈りの間へと向かい歩き出していった。後に残されたガンガディアはというと。
「おお。ガンガディアどの。ここにおられたか。先程なにやらハドラー様の怒気が地底魔城内に広がって他のモンスターたちが怯えてしまっていたので何事かと…………どうなされた? ガンガディアどの。貴公もまた随分と苛立っているようだが……?」
「……苛立ちもするさ。魔王が仕事を放棄した魔王軍とは笑い話にもならない」
ガンガディアの全身には青筋が幾つも浮き上がりビギビキと音まで聞こえてくるようだ。さほど力のない魔物ならばあまりの恐怖で逃げ去ってしまうか動けずに震えて立ち尽くしてしまっていたことだろう。さすが地底魔城最強の剣士バルトスは、そんなガンガディアにまったく臆することなく話しかけあまつさえ心配そうな気配を骨だけの顔に纏わせた。
「ハドラー様にも困ったものだ。貴公までいなくなってしまったら魔王軍はもはや立ち回らなくなってしまう。どうか無理だけはしないでくれガンガディアどの」
「……善処しよう」
このやりとりを経て、七日間、バルトスはガンガディアの姿を見ることはなかった。
地底魔城の地下深くにはガンガディアが特別に作った工場施設がある。ガンガディアの私室には幾冊もの書物が並ぶ本棚が壁一面を埋め尽くしている。大量の書物はガンガディアの知識への欲求そのものだ。その中には魔導に関するものだけでなく、機械に精通する事柄が記述されたものも含まれていた。それらを読み込むことによりガンガディアは自らの知識と技術を高め、環境を得て整えることによって、自身の手によって製作することができる段階にまで上り詰めたのである。デストロールのガンガディア――まさに努力の鑑である。
最近の自信作はキラーマシンと名付けた戦闘機械だ。まだ試作段階とはいえあらゆる攻撃呪文が効かないように設計することができたことには満足していた。これで大魔道士の強力な攻撃呪文は完封できたも同然。相対した大魔道士がいったいどのような反応をするのか、どのような対策をとってくるのか、考えただけでもガンガディアは楽しくて仕方なくなってきていた。
勇者一行の足取りを掴めないまま地底魔城で面倒な仕事に追われ、まだその活躍の場が訪れず日の目を見ないキラーマシンはそのままに、苛立つガンガディアは一心不乱に別の機械を弄り続けていた。
七日七晩、飲まず食わずでひとり休むことなく作業を続けていたガンガディアは、完成したその自分の半分以下ほどの小さなマシンを見下ろして、ニッと不敵な笑みを浮かべたのだった。
――その日、地底魔城には異様な空気が流れていた。そのことにハドラーが気付いたのは祈りの間から出てきてすぐのことだ。まさか勇者一行が攻め込んで来たのかとも思ったが何の報告も無いのはおかしい。いつもと違うとはいえ襲撃が起こったような騒がしさがあるわけでもない。むしろ、そう、逆だ。静かすぎる。
「何事だ? ……おい! 誰か! いないのか! ガンガディア!!」
石の補給のために一時的に祈りの間から出てきただけのはずが、前回に引き続きまたしても自分の城に異変が起こっていることへの憤りでハドラーは苛立ちを隠すことなく大声を張り上げた。
ガンガディアの名を呼べばすぐさま本人が姿を現して現状報告をしてくれるものだと信じて疑っていなかったハドラーはガンガディアを待つ。しかしいくら待っても来ない。さすがに本当におかしいとハドラーは殊更に顔を顰めた。
「ガンガディアッ!!」
再び呼ぶハドラーの声が岩肌の壁を伝って地底魔城内に響き渡る。しかしガンガディアの声すら返ってこない。
痺れを切らしたハドラーがガンガディアの私室へと向かい歩き出す。ガンガディアは読書を趣味としておりとくに集中して読み込みたい時には防音の呪法を使用することがある。そのせいかと思い至ったハドラーは怒りのまま足音を響かせてガンガディアの私室へと早足で向かっていたが、その途中で不思議な物体と遭遇した。思わずハドラーの足が止まった。
「…………なんだこれは?」
それはハドラーの身長の半分ほどの高さの円柱の機械だった。機械だと判別できたのは布ですっぽりと覆われている全体から僅かに露出している部分を視認したからだ。その露出している二本の細い機械の先端にはそれぞれなぜか箒と塵取りが取り付けられていた。
白と黒を基調とした法衣と思われる衣装を纏い、その上に色濃い緑のマントを羽織っている。円柱の最上部は布でできた楕円形の大きな帽子と思われるものが被せられている。一見キノコの類を連想させるような全体図だが、その格好はあきらかに人型を模しているのだろうということが窺える。
「なんだこれは?」
ハドラーは再度呟く。返る答えはない。
しばし立ち尽くしていたハドラーだったが、機械ということはガンガディアがなにか知っていると思い至りこの場は放って先ずはすぐそこにまで迫ったガンガディアの私室へと向かおうと足を踏み出した時だ。
「オオゴエダシヤガッタノハテメエカ。」
「あ?」
突然キノコの機械がしゃべりだした。
これにはハドラーも面食らってまたしても足を止めてしまった。というよりはキノコの機械がハドラーの進行方向へと先回りして立ち塞がったがために進むに進めなくなってしまったのだ。
「貴様、しゃべれるのか!?」
「ウルセエヨ。シズカニシナ。」
大きな帽子が僅かに上に傾く。どうやら上を向いた動作を行ったらしく、淡い銀色をした円柱の表面には顔と思われる三つの模様が描かれていた。どことなく年老いた様な表情だ。性別までは不明だがそもそもが機械である。
「貴様に用はない。どけ」
「ドクノハテメエノホウダ。ココカラサキハトオセネエナ。」
「なんだと? ハッ、いい度胸だ。たかが機械の分際でこのオレに楯突こうというのか。消し炭にしてくれるわ!!」
これで十分とばかりにハドラーは人差し指にだけ火炎の魔法力を集中させるとメラを唱えた。至近距離にいるキノコの機械には回避する術もなく地獄の業火に包まれた。
「くだらん。余計な手間をかけさせおって」
鼻で笑ってハドラーは燃えさかる炎の横を素通りしようとしたその時、思いがけない反撃を受けた。
「なにっ!?」
キノコの機械が持っていた箒と塵取りに炎が燃え移る前に機械部を振りかざし炎を掻き消し、そのままの勢いでハドラーへと向かい箒と塵取りを振り回した。ブンブンと音がなるほどに掃除道具を振り回されてハドラーは舌打ちをして後方へと飛び退った。
「貴様ァ……ッ、いったい何様のつもりだァ!!」
歯軋りをするハドラーの怒号に、対するキノコの機械は円柱の底に取り付けられている方向転換自在型キャスターをキュルキュルと回しハドラーの目の前でキキッと音を立てて停止させると、箒の先端をビシリとハドラーへと突きつけた。
「オレハダイマドウシマトリフ。」
「だいまどうし? ……大魔道士だとォ!?」
その時、すぐ近くの部屋の扉が開いた。そこから姿を現したのは部屋の主、ガンガディアだ。
「随分と騒がしい。どうしたね? ダイマドウシ」
「ガンガディア!? 貴様ァ! これはいったい何なのだ!?」
如何にも寝起きだという形相で頭を手で押さえていたガンガディアはその声を聞いてようやく目が覚めてきたらしく数回瞬きを繰り返した後にハドラーとキノコの機械を交互に見て「ああ」と納得した。
「ハドラー様。ご紹介します。こちらダイマドウシです」
「そんなわけあるかあ!! ふざけているのか貴様ァ!!」
「オレハダイマドウシマトリフ。」
「やかましいわ!!」
ハドラーが足を叩きつけたことにより地面に大きな亀裂が走った。
それに反応したのかダイマドウシの目がキラーンと光ったかと思った矢先、光線が放たれた。
紙一重で避けたハドラー。その背後の通路を一直線に駆け抜けた熱線は直後に爆音を轟かせる。
壁が崩壊していく派手な音を聞きながらハドラーはわなわなと震えた。
「な、な、なんだこれはァッ!?」
「オレハダイマドウシマトリフ。」
「ええい! だまれ!!」
「ダイマドウシにはキラーマシンと同様に攻撃呪文無効化及び熱線攻撃を搭載させております。すみやかに業務を遂行できるように邪魔なものを排除する機能は当然必要かと」
「業務? コイツはどう見ても掃除するだけの機械にしか見えんではないか」
「いえ。掃除だけでなく料理や洗濯など、一般的な家事全般がこなせるように設計して作りました。実に優秀です。さすがはダイマドウシ」
ドヤッと不敵に笑うガンガディアに、しかしハドラーの頭の中の糸がブチ切れた。
「今更だがやはり貴様が作ったのか!肝心のキラーマシンはどうした! 待て、家事をするための機械がなぜそんな即戦力化されておるのだ!?そこらのモンスターどもよりもよほど強いではないか!!いや、それよりも、なによりも、コイツの名前はいったいどういうつもりだガンガディア!!!」
「オレハダイマドウシマトリフ。」
「うざいわ! キラーマシンよりもタチが悪い!!」
いちいち切り返すハドラーも律儀だが、それよりも、本来ならば全てを任せても安心していられるほどに有能なはずの参謀をギッと睨みつけた。
ガンガディアはいつもの動作で眼鏡をクイッと押し上げると淡々と言葉を紡ぐ。
「先日ハドラー様が申された通り、食事と清掃をなんとかしようと私なりに熟考した結果、そもそもの原因である勇者一行に責任を取ってもらおうと思いまして。しかしこの地底魔城に大魔道士本人を連れてくるわけにもいかず、それならばと彼を模したマシンを私自らの手で製作することにより、これらの問題を解決に導こうと」
「待て。さすがにそれはおかしいぞガンガディア」
お前はいったい何を言っているんだ?とハドラーは思わず真顔になる。
そこへ先の熱線による衝撃と轟音を聞きつけてバルトスが駆けて来た。
「先程の凄まじい音はいったい…………」
バルトスは言いかけた言葉と同時に足を止めると瞬時に悟った。これは修羅場だ。まだ幼い我が子を連れてこなくて良かったと心底思ったバルトスである。
ハドラーとガンガディアとダイマドウシをそれぞれ見遣ってバルトスは頭を抱えたくなった。
先日、無理をするなと言った矢先にガンガディアは七徹してあの命名ダイマドウシを作り上げ、起動させた後に私室で眠りについた。心身ともに疲労してしまっていたのだろう。バルトスはガンガディアの眠りを妨げるようなことはせずに、彼の安眠を守ろうと奮闘するダイマドウシのこともそっとしておいた。たまに好奇心旺盛な我が子が遊びに行っていたが大声で騒いだりしない限りはダイマドウシも大人しく相手をしてくれていた。娯楽の少ない地底魔城においてそれは我が子の良い遊び相手になってくれており、バルトスにとって喜ばしいことであった。
しかし、まさかハドラーの不興を買ってしまったとなると、バルトスとしてはどうすることもできない。
(許せヒュンケル……)
ダイマドウシと遊んで満面の笑顔を浮かべていた愛しい我が子の泣き顔を想像してバルトスは奥歯を噛み締めた。
そんなバルトスの思いを知ってか知らずか、十中八九知る由は無いのだが、三者三様の言い合いは続いていた。
「とにかくこの機械はすぐさま廃棄処分……いや性能自体は申し分ない。実に惜しい。攻撃呪文無効化と熱線攻撃以外を設定し直せ。とくにこのオレに対する無礼な口の聞き方は許し難い」
「敬語を使う大魔道士など想像もつかないが……」
「その大魔道士モデル自体をやめろと言っておるのだ!!」
「サッキカラウルセエヨテメエ。ガンガディアガネレネエジャネエカ。」
「ダイマドウシ……私のことはいい。ここは危険だ。下がっていたまえ」
「ココハキケン。キケン。ココハオレニマカセテサキニイケ。ガンガディア。」
「!! ダイマドウシ……君は……っ」
「ガンガディアハオレガマモル。」
「ダイマドウシ……馬鹿なことを言わないでくれ……」
「ガンガディア……オレハ――」
刹那、ブツリ、と何かが切れる音がした。
キュイーン、と甲高い音を立ててダイマドウシは突如として動きを止めた。うっすらと点灯していた目の部分がただの透明なレンズになった。緩く持ち上げられていた手の部分は下へとだらりと垂れ下がった。白銀の色をしていた機械の表面がその色合いすらも鳴りを潜め、一言も喋りだすことなく、完全に無機質な金属の塊がそこにあった。
「大魔道士は私にそのようなことは言わない」
無機質な金属よりも冷えた眼差しでダイマドウシだったものを見下ろすガンガディア。
主電源を切って停止させたガンガディアはハドラーへと向き直り軽く頭を垂れた。
「申し訳ありませんでしたハドラー様。私が間違っていたようです。戦闘機能以外は確かに改良の余地有りと私も判断しました」
「お、おお。そうか、それならば良いのだ」
「つきましてはさらなる改良版製作のために現物を再確認してこようと思いますので私はこれより勇者一行の大魔道士捕獲に出向きます」
それでは失礼、と善は急げとばかりにガンガディアはその場から立ち去ってしまった。
後に残されたハドラーとバルトスはしばらく呆然と立ち尽くしていた。
そしてダイマドウシと名付けられていた無機質な金属の塊はその日を境に永遠に喋りだすことはなかった。