恩讐 賑やかな宴の席で、マトリフは久しぶりに酒を飲んでいた。魔王の侵攻のせいで酒も手に入りづらくなっており、しかもタダ酒とあって遠慮なく飲んでいた。
助かったパプニカの姫と、小さな勇者の感動の再会を遠目に見ながらグラスに口をつける。二度と関わるまいと思っていたパプニカ王室に、タダ酒欲しさに宴会に乗り込んだ自分の軽薄さに笑えもしない。十数年前のいざこざを今も忘れていないが、即物的で低俗だと罵られた言葉通りの行いをしていた。
マトリフはふと目についた青年に目を向ける。戦いから帰ってきたポップたちと一緒にいた青年だ。銀髪で見栄えのする顔立ちで、鍛えられた体に、腰には剣があった。
その顔に見覚えがあったが、青年が名乗ったことで確信に変わった。あの地底魔城にいた人間の子ども。アバンに引き取られて、そして行方知れずになっていたはずだ。どうやら魔王軍に身を置いていたらしい。
そしてパプニカを滅ぼしたという。この瓦礫と化した城に、それでも後悔が浮かぶ。最後に見たパプニカ国王の顔が思い出された。
ヒュンケルはレオナの裁量によって罪の代わりに、未来永劫の戦いを命じられた。もしこの戦いが終わっても、ヒュンケルは戦い続けるだろう。それは一生消えない己の罪を正義によって償っていくことだった。
そしてマトリフは己の罪を見つめた。ちょうどヒュンケルと目が合う。するとポップがヒュンケルを引き連れてこちらへとやってきた。
「この人が師匠の大魔道士マトリフ」
ポップの言葉にヒュンケルが表情を強張らせた。聡い子だと思う。あれほど小さかったのに、そのわずかな出会いを覚えていたのだろう。
「どうしたんだよ」
ヒュンケルとマトリフの間にある緊迫した空気にポップが戸惑いの声をあげる。
マトリフは持っていた酒瓶を置いた。
「久しぶりだな、ぼうず」
「大魔道士。あなたは健在だったか」
「ああ。こんな国を見捨てたおかげで生き延びてたってわけよ」
もしあのままパプニカに残って、ヒュンケルの襲撃を受けていたら死んでいただろうとマトリフは思う。
「え、知り合い?」
ポップは言ってから、マトリフがアバンと一緒に旅をした仲間だったと思い出したようだ。ヒュンケルの事情をよく知っているのだろう、ポップは急に慌てたようにマトリフとヒュンケルの間に入ってきた。
「ま、ま、過去のことはさ、あれだ……水に流してさ」
「そう簡単じゃねえよ。そうだろうヒュンケル」
マトリフは立ち上がるとポップの肩を掴んで押しのけた。ヒュンケルを見上げる。少し見ない間に随分と成長した青年は、その眼差しに憎しみの色を帯びていた。あの地底魔城にいた魔物たちは、ヒュンケルにとっては家族だったと後から聞かされた。その魔物を、ガンガディアを、マトリフは殺した。
「オレもここでお前に斬り捨てられたって構わねえんだ」
「師匠っ!」
「オレはお前の家族を殺した。その事実は変えられねえ」
自分が信じる正義のために、誰かの大事な家族を奪った。その報いを受けねばならなかった。
しかしヒュンケルは小さく首を横に振った。
「オレはアバンの使徒として生きることを命じられた。あなたのことは憎いが、殺さない」
「ガンガディアはお前に優しかったか?」
ヒュンケルの顔が歪む。噴き上がる怒りが見てとれた。だがその怒りは制御されて、落ち着いていく。
「ガンガディアは優しかった。オレに文字を教えてくれたのは彼だ」
あいつらしい、とマトリフは思う。ヒュンケルに比べれば、マトリフはガンガディアのことはよく知らない。それでも幼い人間の子供に分厚い本を開いて見せている様子がありありと思い浮かんだ。
「そうかい。じゃあお前がお前の罪を償い終わったら、オレを殺しに来いよ」
「そのときまであなたを憎いと思い続けていたら、そうする」
ヒュンケルはそう言うと背を向けて去っていった。
ポップがその後ろ姿を見ながら、不満そうにマトリフを肘で突く。
「なんであんなこと言うんだよ。あいつはそんなことしねえって」
小声で言われてマトリフはつい笑みが浮かぶ。まだ知り合って間も無いだろうに、この弟子は随分とヒュンケルを慕っているらしい。
「お前は正義を見失うなよ」
「あん?」
「誰も傷付けない正義なんてねえってことだ」