ぼくらのかみさま(仮) 2オレのかみさま、僕の神さま
「けん、ぱ、けん、ぱ、けんけん、ぱ……」
「ゴール、だ」
「わぁ、かみさますごい! 丸と丸がいっぱいはなれてるのに、できちゃうんだ!」
温かな日差しの差す境内に、幼い歓声が響きます。社務所の前の地面には「けんけんぱ」のための円がいくつも描かれており、そのゴールに立つ大きな人影は、心なしか誇らしげに胸を張りました。
ここは異空間に存在する、不思議な神社。忘れられたい者が行く果てへの案内所であるこの場所では、今日も大瀬と神様が一緒に仲良く遊んでいました。
「かみさま、どうやったらぼくもできるようになりますか?」
「貴様はまだ幼い。故に背が低く、足も短い。成長すれば自然と体も大きくなり、次の丸にも到達できるようになるだろう」
「でもぼく、今すぐできたくて……。あのね、中やすみにやってみろってげんくんが言って……やったんだけど上手くできなくて、笑われちゃったんです」
「話は理解した。が、ここでの出来事は現実世界に戻れば忘れてしまうだろう。仮に我が解決策を見出し、貴様に授けたとて無駄だ」
「……むだじゃないもん」
大瀬は不満げに口を尖らせますが、神様はほんの少し肩を竦めるだけでした。それがあしらわれているようにも思えて、幼い頬はぷくーっと風船のように膨らみ始めます。しかし二人は一瞬の間の後に、ぷはっと吹き出してくすくす笑いました。
神様と出会ってからまだひと月も経っていませんが、彼の難しい言葉の中から分かる言葉だけを抜き出して会話することにもだいぶ慣れてきました。それと同時に神様の方も、大瀬に聞き返された際にはなるべく分かりやすい言葉を選ぶ癖がついてきたように見えます。そうした無意識の歩み寄りがあって、何もかも違う二人は今日も仲良く遊んでいるのでした。
「じゃあ、どうしたら早く大きくなれますか?」
「十分な栄養と休息を取ること、だろうな」
「……えっと?」
「よく食べてよく寝なさい」
「むー……」
寝ることはともかく、食べるのは得意ではないので大瀬はまた不機嫌そうな顔をしました。別に好き嫌いが多いわけではありませんが、あまり食べることを楽しいと思えない質なのです。故に給食を食べるのも遅く、そのせいで怒られるからさらに食べるのが嫌いになり……という悪循環なのですが、大瀬本人も周囲の大人も、それに気付いてなどいないのでした。
「食べるののほかで、大きくなれませんか?」
「……そうだな。以前ここへ来た男は、高い物を目標として毎日飛び跳ねることで身長を伸ばしたと言っていた」
「えと、ってことは……」
「高い物に手が届くよう跳ねれば、貴様の背も伸びるやもしれぬ」
「……! ぼくもやります! でもどこがいいかな……」
「この神社では鳥居前の樹木だろうな」
「じゃあそこで!」
その男とやらがどういう話の流れでそんなことを言ったかは全くもって謎でしたが、自分でもできそうな解決法に大瀬は大喜びでした。ぴょんぴょん跳ねて神様を急かし、二人は揃って御神木へ向けて駆け出します。
しかし社務所を少し離れた瞬間、神様はハッと顔を上げました。
「かみさま?」
「……客人だ」
その言葉に、大瀬も自然と神様の視線の先を見つめます。すると鳥居や手水舎がある方から、二人の男の子が現れました。
「見た目は普通の神社だねぇ」
「イミわかんねー、どこだよここ……」
純粋に感心した表情をしている一人目の子は、紺色の髪に黒い瞳をしていました。背中にはキャラメル色のかわいいランドセルを背負っていて、清潔なポロシャツからどことなく真面目そうな印象を受けます。
もう一人の子はそれに反して、随分やんちゃな外見でした。ピンク色の髪には枯葉がくっついていて、体も赤いランドセルも傷だらけ。キッと吊り上がった灰色の瞳は鋭く、誰も寄せ付けない雰囲気を放ってます。
彼らは初め、神社の中をきょろきょろと見回していました。しかし紺色髪の子は大瀬たちに気付くと、駆け寄りながら話しかけてきます。
「あ! こんにちは! ここの人ですか?」
「ひぃ!」
「驚かせてごめんね? それから勝手に入ってごめんなさい。でも僕ら、山道を歩いてたら急に霧が出てきて、気が付いたらここにいたんです。だから話が聞きたくて……」
「……」
大瀬は神様の背後に隠れたまま、不安げに彼を見つめました。紺色の髪の子はお互い両手を伸ばしても触れられない程度の距離を保ったまま、二人が答えるのを待っています。しかし神様が口を開くより先に、ピンク髪の子が割って入ってきました。
「おいいお、あんま近寄んな」
「猿ちゃん、でも……」
「いーから。オレが話す。お前はさがってろ」
ピンク髪の子は紺色髪の子を押しのけるように前へ出ると、二人を睨みました。そして威嚇でもしているような声で尋ねます。
「おい、ここはどこだ。あの山に神社なんかなかったはずだろ」
「……ここは、全ての忘却を望む者が行きつく場所――の手前にある、案内所のような場所だ。ここへ来た人間は誰しも、享楽に満ちた停滞か苦難に満ちた前進かを選択することとなる」
「……? いお、分るか」
「えっと……ぼうきゃく? ってのをしたい人が行く場所へ、案内してくれるんだって。それで、えーっと……止まるか進むかを選ぶ……みたいな?」
「……ぜんぜんわかんねー」
ピンク髪の子は更に不機嫌そうに眉を顰めましたが、紺色髪の子も困っているようでした。それもそのはず、彼らはまだ小学校低学年ほどなのです。大瀬よりは若干背が高く見えますが、年齢を考えれば神様の言いたいことが分からないのも仕方ありません。
しかしピンク髪の子はよく理解もしないまま、自分より遥かに大きな神様を指差して啖呵を切りました。
「言っとくけどな! 選べってゆーんならオレはぜってー選ばねぇ!テメーの思い通りになんてなってたまるか!」
「ちょっと、猿ちゃん!」
「いおはだまってろ! 守ってやっから出てくんな!」
「も~、僕より年下なんだからムリしなくてもいいのに」
「うるせーバーカ!」
バカという言葉に大瀬は思わず体をびくっとさせましたが、紺色髪の子は慣れているのかヘラヘラしたままでした。ピンク髪の子もそれ以上何かすることもなく、またこちらを向くとぎゃんぎゃん吠えます。
「そんで! お前らはなんなんだよ! イミ分かんねー場所にいやがって! まッ、まさかゆーれいとか、そーゆー……」
「ち、ちちちちがうよう! ぼく、ゆーれいじゃないよ! かみさまも……」
「かみさま?」
とんでもない勘違いに大瀬が思わず口を開くと、幽霊と言った時だけ怯えているようにも聞こえたピンク髪の子の声が、また剣呑さを増しました。しかしそれには気付かないまま、神様は名乗ります。
「いかにも、我はこの場所を統べる神だ」
「かみ……」
「そうだよ! かみさま、いろんなことできてすごいんだ!」
「凄いかは知らぬ。ただ、この神社は我の領域。故にその内部で起きた事象に関しては、干渉が可能だ」
「へー、そうなんだ。よく分かんないけど、僕ら大変なとこに来ちゃったんですね。……ねぇ、猿ちゃん?」
紺色髪の子は信じているのか信じていないのかよく分からない声で言いつつ、ピンク髪の子に話を振りました。するとその子は今まで以上に険しい顔をして、神様と大瀬の言葉を真っ向から否定します。
「うそだ!」
「えっ」
「お前がかみさまなんてぜってーうそだ! ありえねぇ! かみさまなんているわけねーだろ! ……だって、だって、かみさまがいるなら、なんでオレのとーちゃんとかーちゃんは……」
ピンク髪の子はそこまで言うと、苦しそうに言葉を詰まらせました。そして血が出そうなほど唇を噛んで、勢いよく神社の奥の方へ走り去ってしまいます。
「あ、猿ちゃん!」
「え、えっと……?」
「……」
紺色髪の子は引き留めるように名前を呼びましたが、ピンク髪の子を追いかけることはしませんでした。彼は小さくため息を吐くと、あたふたしている大瀬と感情の見えない神様に向かって、ぺこりと頭を下げます。
「あの、猿ちゃんが失礼なことを言ってごめんなさい」
「え!? あ、ううん……ぼくは平気……だけど」
大瀬は混乱したまま、傍らに立つ神様の顔をちらりと見上げました。すると彼はいつもの難しい言葉で、淡々と答えます。
「その程度のことで気に病むようならば、ここで神などやってはいけぬ」
「……ありがとうございます」
呟くように言った紺色髪の子は、なんだか酷く大人びて見えました。年はそんなに変わらないのに、なんだか知っている世界が随分広いような感じです。その雰囲気に大瀬がすっかり飲まれていると、彼は静かな声のまま続けました。
「猿ちゃんね、実はお父さんお母さんと色々あって。今はぴかそ……えっと、事情があって家族と暮らせない子たちの家にいるんだけど、そのせいで神様とか信じられないみたいで。それであんなこと言っちゃったんだと思います」
「そ、そう……なんだ」
「……」
「……」
それっきり誰も話さなくなってしまって、大瀬は視線をうろうろと彷徨わせました。なんだかとても気まずい空気です。自分がもっと上手く話せたらよかったのでしょうか。とはいえ今更付け加えるようにコメントするのも、なんだか変な気がします。
もう誰でもいいから助けてくれと、大瀬が泣きそうになった時でした。長い沈黙を破り、神様が口を開きます。
「して、先程の問いに対する答えは何だ」
「先ほどの……って、あのよく分からない質問ですか? ごめんなさい、何を聞かれてるのか僕にはよく分からなくて……」
「……ここに来る者は皆、忘れられることを望んでいる。貴様はどうする? 誰の記憶からも自身の存在を消し去り、楽になることを選ぶか? それとも現状のまま、苦しみながらも進むことを選ぶか?」
「……」
紺色髪の子は、少しの間悩むように黙り込んでいました。真っ黒な瞳がぐちゃぐちゃと混ざり合い、なんだか思わずびくっとなってしまうようなオーラを放っています。
しかし、それも一瞬のことでした。彼はすぐに顔を上げると、お手本のような笑顔を浮かべて答えます。
「大丈夫です。猿ちゃんもいますから、もうちょっと頑張ってみます」
「……そうか」
神様はその決断に、それ以上のリアクションはしませんでした。それだけで二人は通じ合ってしまったみたいで、大瀬はなんだか取り残された気分になります。自分は果たしてここにいてもいいのかしらとまた脳内会議が始まりそうになった時、ふと紺色髪の子が尋ねました。
「あれ? でもここに来るのって、誰からも忘れられたい人なんですよね?」
「そうだが」
「でも僕、猿ちゃんに忘れられたいなんて思ってません」
「……」
紺色髪の子の言葉に、神様はふむと考えるように顎に手を当てました。そして珍しく憶測を重ねるように慎重に、答えを並べます。
「恐らくだが――貴様ら二人が互いを同一視している影響だろう」
「どういつし……って?」
「同じものと見なしているということだ。貴様ら二人はまだ幼く、距離が近い影響で互いの線引きが上手く出来ていない。「忘れられたくない相手」がいるにも関わらず、その相手を「他者」だと認識できていないのだ。つまりこれは我やこの場所の特異性ではなく――」
「僕ら二人が、変だってことですね」
「そうだ」
紺色髪の子はまたしばらく、口を閉じました。その様子はまるで、神様の告げた回答を噛みしめているようにも見えます。
「これで満足か」
「はい、納得しました。ありがとうございます」
それでも神様が確認すると、彼はちゃんとお礼を言いました。年の近い子だと思っていましたが、案外大瀬よりもずっとお兄さんなのかもしれません。
「じゃ、僕はそろそろ猿ちゃんを迎えに行きますね。多分そろそろ落ち着いて、後悔してる頃だと思うから」
「うむ」
「え? あの、どこに行ったか分かるの……?」
「うん」
ここには初めて来たはずなのに、紺色髪の子はやたらはっきり言い切りました。そしてそのままずんずん歩いて行くので、大瀬と神様は慌ててその後を追います。
「あ、あの子が走って行ったの、そっちじゃないよ……?」
「そうだね。でもこっちから行く方が早そうだから」
「我が案内すればすぐだぞ」
「ありがとうございます。でもこれは僕の仕事ですから」
紺色の髪の子は、大瀬の心配も神様の誘いもきっぱりと断りました。そのまま彼はまっすぐ進み、鳥居の見える入口辺りまでやってきます。しかしそこに、ピンク色の頭は見えません。
「あの、もう帰っちゃったんじゃないかな。かいだん下りたら、帰れるし……」
「大丈夫! 階段から来たから階段から帰るみたいな常識、猿ちゃんにはないから!」
「ないんだ……」
容赦ない言い回しに大瀬は驚き半分戸惑い半分でしたが、紺色の髪の子はぶれません。自信満々な口調のまま前を向いて、こう続けました。
「それに猿ちゃんはこういう時、いつも僕が迎えに行くのを待っててくれるから。大丈夫」
「……」
それはきっと、信頼というものでした。彼ら二人がいつから一緒にいて、普段どんな風に過ごしているかを大瀬は知りません。それでも紺色の髪の子はピンク髪の子を信じて探していましたし、きっとピンク髪の子も紺色の髪の子が迎えに来てくれることを知っているから初めて来た場所で一人になれるのでしょう。その言葉にしない繋がりが、大瀬には羨ましく感じられるのでした。
「さ~て、どこに隠れてるかなぁ~?」
紺色の髪の子はにやりと笑うと、木の陰やちょっとした隙間を次々覗いていきます。大瀬と神様は、それをただ見守っていました。
「こっちかな? ……うーん、違うかぁ」
「……」
「なら……ここ! あ」
「……」
「猿ちゃん」
名前を呼んでいるのを聞いて、大瀬と神様はひょこひょこと二人に近寄りました。そして紺色の髪の子の向こう側を覗き込みます。
ピンク髪の子は、手水舎の陰に隠れるようにして膝を抱えていました。その目には薄っすら涙が浮かんでいて、怒っているようにも拗ねているようにも見えます。他人と接するのが苦手な大瀬は当然それにどう反応していいか分からず戸惑いましたが、紺色の髪の子は違いました。そっと彼の近くに膝を付くと、どこか甘さすら感じる声色で話しかけます。
「猿ちゃん、みーつけた」
「……うるせぇ」
「はいはい。もぉ、しょうがないんだから」
「なんだよクソッ! 年上ヅラしやがって!」
「年上だも~ん」
紺色の髪の子は笑いながらそう言うと、おちょくるみたいに両手をひらひらさせます。不機嫌な相手をさらに怒らせるような言動に大瀬は肝を冷やしますが、予想に反してピンク髪の子がそれ以上噛みつくことはありませんでした。彼は腹に詰まっていた空気を吐き出すように深いため息を吐くと、立ち上がります。そして神様の方を向きながら、気まずそうに言いました。
「さっきは、その……ごめん」
「……」
「オレがかみさま信じられねぇのは変えらんねーけど……うそつきって決めつけたのは、その、よくないってちょっとは、思ったりしたから。だから……」
「……人の子よ」
ぼそぼそ声の謝罪を聞いた神様は、少しの間の後に口を開きました。彼はいつも通りの無表情のまま、それでいてどこか寂しそうに続けます。
「我はこの場所において神だ。それは貴様がどう思おうと、変わることはない。……が、同時に我が万能の神でないことも紛れもない事実だ」
「は……」
「我の力が及ぶのは、この異空間のみ。外の世界に干渉することは……どう足掻いても叶わぬ」
「……」
ただの事実の羅列を、ピンク髪の子は黙って聞いていました。俯いた瞳はゆらゆらと揺れていて、口はきゅっと結ばれています。それでもその子は最終的に「……おう」とだけ答えて、今度は大瀬の方を向きました。
「お前も、こわがらせてごめんな」
「いえ、ぼくはへいき、です……」
本当は怖かったけれど、思わず否定してしまいました。するとピンク髪の子は手を伸ばして、大瀬の水色の頭をわしゃっと撫でます。その手付きは優しくて、なんだか年下の子をかわいがり慣れているようでした。でも大瀬の方は普段褒められ慣れていないので、内心ドキドキでいっぱいです。緊張ですっかり固まっていると、珍しく気を回したのか神様がやんわりと止めに入ってくれました。
「人の子よ、人の子が困っている。止めぬか」
「やめろ? じゃあぜってーやめねぇ!」
「あ、え、わぁ……」
髪はどんどんぐしゃぐしゃになっていきますが、ピンク髪の子が楽しそうだったので大瀬は何も言えませんでした。というか別に撫でられること自体は嫌ではないのです。まぁごしごしされすぎて髪の毛がなくなっちゃいそうなのは、ちょっぴり嫌でしたが。
するとその時、ずっとにこにこ笑いながら見ていた紺色の髪の子が、横から口を挟みました。
「猿ちゃん、のど乾いてるでしょ。お茶出したげるね」
「おー」
その言葉に、ピンク髪の子は大瀬の頭から手を離します。そして紺色の髪の子が手渡した水筒を勢いよく傾けて、ぐびぐびと飲んでからふと思い出したように神様に言いました。
「てかお前! その人の子ってのやめろよ! オレには猿川慧って名前があんだけど!?」
「さるかわ、けい……」
ピンク髪の子改め、慧にぐしゃぐしゃにされた髪を直しながら、大瀬は彼の名前を繰り返しました。すると流れに乗じるように、紺色の髪の子も名乗ります。
「あ、そういえば僕もまだ名前言ってなかったね。本橋依央利、三年生でーす。猿ちゃんは二年生! よろしくね! そっちは?」
「え、あ、その、み、湊大瀬です。いちねんせい、です……」
「大瀬くんかー! 一年生ね、どおりでちっちゃいと思った!」
「あう……」
紺色の髪の子改め依央利の手が、優しく大瀬の後頭部を撫でます。きっとぐしゃぐしゃのままだったところを直してくれたのでしょう。なのに上手くお礼が言えなくてあうあうと困っていると、その間に慧が神様の方を向いて言いました。
「ほら、お前も呼んでみろよ!」
「……」
急かされた神様は、何度か目を瞬かせました。そしてどこかおっかなびっくりな様子で、全員の顔を順番に見ながら確認するように呼びます。
「ケイ」
「おう」
「イオリ」
「はい!」
「オオセ」
「は、はいっ……」
「……」
それから神様は、ちょっとだけ口をもにょもにょさせました。相変わらず表情は変わっていませんが、なんだか照れているみたいです。大瀬はそれにつられてなんだか恥ずかしくなってしまいましたが、他の二人は違う様でした。特に慧は大きく頷くと、突拍子もないことを言い始めます。
「よーし! じゃあ探検に行くぞ!」
「た、たんけん……?」
「そうだ! ここに来るとちゅう、いろんなのがあったからな! みんなで探検だ!」
「やったー探検だぁ! おーっ! ほら、二人も!」
「お、おーっ!」
「おー」
どうやら慣れているらしい依央利に促されて、大瀬と神様も右手を突き上げました。すると慧は満足そうな顔で宣言します。
「たいちょーはオレだ! ふくたいちょーは、いつもはいおだけど……」
「僕はいつもしてるから大丈夫だよ?」
「じゃあ、一番でかいからお前! 今日はふくたいちょーな!」
「副隊長……」
勝手に副隊長に任命された神様でしたが、その目は心なしか輝いて見えました。どうやら意外にも「副隊長」の肩書が気に入ったようです。
「よし! じゃあ『カミナリサンダー探検隊』! しゅっぱつしんこーだ!」
「カミナリとサンダーは同じ意味だが良いのか」
「いいのいいの! ほら、大瀬くんも行こ!」
「う、うん……!」
依央利が手を差し出してくれたので、大瀬は恐る恐る手を伸ばしました。すると躊躇っているのを悟ったのか、向こうからぎゅっと手を繋いでくれます。温かい、と思った瞬間、慧が「行くぞー!」と急かす声が聞こえました。
それから四人は、神社の中をたくさん探検しました。掛けられていた絵馬をカラカラ鳴らして遊んだり、御神木の大きさを確かめるために全員で手を繋いでぐるっと囲んでみたり。社務所の扉や引き出しも片っ端から開けましたし、今までなんとなく避けていた本殿の中にも行きました。大瀬は内心トロい自分が着いて行けるか不安だったのですが、意外にも慧は年下の子に優しく、依央利も他人に合わせることに慣れていました。そのお陰で喧嘩をすることもなく、カミナリサンダー探検隊は見慣れない神社の中を走り回ります。
「よし! 次はこっちだ!」
「おー」
「もぉ、猿ちゃんも神さまも勝手なんだから!」
「依央利くん、ぼくらも行こ……!」
順番はいつの間にか決まっていました。隊長の慧を先頭に副隊長の神様が続き、その後ろを依央利と大瀬が追いかけます。賑やかな隊列はあっちへ駆けこっちへ駆け、あっという間に『未知の神社』を『知ってる場所』に変えていきます。とはいえ神様はここの神様なので、勿論見慣れない場所などなかったのでしょうが、知らないふりをしてくれました。
そうやってたっぷり遊んだ後のこと。空が夕焼け色になった頃に、四人はまた鳥居の前へ戻ってきました。
そろそろお家に帰る時間です。
「はー、あそんだねぇ。楽しかった!」
「まーまーだったな」
「えぇ? あんなにはしゃいどいてまぁまぁはないでしょー」
「うるせー!」
ランドセルを背負って帰り支度を済ませた慧と依央利は、相変わらずきゃらきゃらと楽しそうにじゃれていました。しかしそんな二人の姿を見れば見るほど、大瀬は悲しい気持ちになってきます。
「え!? 大瀬くんどうしたの?」
「なんで泣いてんだよお前!」
「オオセ?」
ついに涙をぽろりと零すと、三人はすぐに気付いて顔を覗き込んできました。その心遣いが嬉しい反面、優しくされればされるほどこの時間が惜しくて堪らなくなります。
「だ、だって……もうおわかれ、さびしい……」
「なんだ、そんなことかよ」
「また一緒にあそべばいいじゃん。ここに集合してさ」
「……」
慧と依央利は明るく慰めてくれましたが、大瀬は首をふるふると横に振りました。だってこの神社で起きたことは、外に出れば忘れてしまうのです。そして基本的に一度帰る選択をすれば二度目はなく、何度も来れる自分がイレギュラーだということも、よく知っていました。
「ひっく……うっ……うぅ……」
もうお家に帰る時間だけど、まだ一緒にいたくて大瀬は目を擦りました。依央利がそっと手を握って代わりにハンカチをあててくれましたが、それでも涙は止まりません。
するとその時、神様が言いました。
「オオセ、心配することはない。ケイとイオリはまたここを訪れるだろうから」
「え……?」
それは、以前聞いたのとは全く違う話でした。しかし混乱する大瀬を他所に、神様は続けます。
「この数時間、行動を共にして理解した。お前たち三人には共通点がある」
「きょーつーてん……?」
「同じところがあるってことですよね。でも僕らの同じところって……?」
「年が近いとかか?」
依央利のざっくりとした翻訳に慧が憶測を重ねますが、神様は首を横に振りました。
「それが何なのか、お前たちが知る必要はない。――が、その共通点が故に、お前達はまたここで邂逅……いや、会うことができるだろう」
「じゃ、じゃあ……今日さよならしても、また依央利くんや慧くんもいっしょに三人であそべますか?」
「ああ」
「……!」
神様がはっきり断言したことにより、溢れんばかりの涙はようやく止まりました。依央利がティッシュを差し出してくれたので、ありがたく鼻をちんと噛みます。まだ目元は熱いし頬はカピカピして気持ち悪いけれど、もう悲しくありませんでした。
「よし! じゃあ帰ろっか!」
「はぁ!? オレはぜってー帰らねー!」
「ぴかその夕飯、唐揚げだって。朝におばさんが言ってたよ」
「帰る」
「あの、かみさまはごはん、なに食べますか?」
「我は食物がなくとも活動を維持できる存在だ。故にごはんは食べない」
「えー、そうなの!? 今度来る時おやつでも持ってこようかと思ってたのに……」
わいわいとどうでもいい話をしながら、四人は鳥居へ向かいます。神様とはここでお別れですし、慧や依央利とは霧の中で自然と離れてしまうのでしょう。それでも大瀬は、なんだか無敵な気分でした。
「神さま、大瀬くん、またねー」
「またな!次はべつのあそびしよーぜ!」
「う、うん! またね!」
「ああ、また」
次の約束をして、四人は手を振ります。その足取りは、いつになく軽いものでした。
お暇な午後
「あ~……ひまだ……」
「ねー……」
「……」
だらっとした時間が過ぎていく、休日の午後。不思議な神社の中にある社務所で、大瀬たち四人はぐでっと畳の上に寝っ転がっていました。というのも、やることがないのです。初めて会った日から幾度となくこの場所で会い、たくさん遊んできた彼らでしたが、残念ながらそろそろネタ切れでした。未知の場所だったこの神社が意外と狭いことも、道具なしにたった四人の固定メンバーで出来ることが大してないことも、知ってしまったのです。
「なにする?」
「あの、いっせーのーせは……」
「五万回ぐらいやったからもーいいだろ……つーかはらへった。いお~、なんかメシ……」
「持ってないよぉ……」
「依央利くん、おかし持ってくるってこのまえ言ってなかった……?」
「そう思ってたんだけどね……。ここから出たら全部忘れちゃうからさ、持ってこよう! って決めたことも忘れちゃって……」
「ああ……」
よく分からない呟きと一緒に大瀬が寝返りを打つと、同じタイミングで神様もこちらにころんと転がってきました。その表情はいつも通り平坦ですが、さっきまでうつぶせで体を投げ出していたせいでほっぺたには畳の跡がついています。それになんとなく興味をそそられて、ほとんど無意識に手を伸ばしかけた時でした。神様がふと、動かないままぼそりと呟きます。
「飽いた……」
「あいた?」
「かみさま、いたいの?」
動いていないのにどこにぶつけたのかと大瀬は首を傾げましたが、神様はちょっとだけしょもっとした顔をするだけでした。すると依央利が「そうだ!」と言って勢いよく起き上がり、端の方に寄せてあった自分の鞄の方へ駆けて行きます。
ぐでっとした体勢のまま、三人がなんだなんだと目線を向けると、彼は白くて四角い機械を持って戻ってきました。そして小さなパソコンのようなそれを開くと、何やら操作しながら教えてくれます。
「これはねー、電子辞書です!」
「でんしじしょ?」
「これでいろんな言葉の意味が調べられるんだよ。クリスマスに欲しい物がなかったからお手紙書かなかったら、おと……サンタさんがくれたの」
子供の夢をギリギリで守りつつ、依央利はキーボードを押しました。普段の会話からも頭が良いことが伺える彼ですが、どうやらローマ字も既に完璧なようです。淀みない手つきで調べると、興味深そうに見ていた低学年の二人に神様の言葉を翻訳してくれました。
「分かったよ。いたいんじゃなくて、『もうたくさんでいやになる』って意味だって」
「えっと、ってことは……」
「もうゴロゴロすんのもつまんねーってことか……」
はぁーと息を吐いた三人は、また揃って天井を眺めました。退屈です。でもその反面、やることがないからさようならというのは味気なくて寂しいので、誰もしようとはしませんでした。
「なぁ、お前かみさまなんだろ? なんかだせねぇの?」
「魔法使いじゃないんだから……」
ついに振る話題も無くなり、神様にダル絡みする慧を依央利が諫めます。しかし神様はよいしょと起き上がると、意外なことを言いました。
「できるぞ」
「え、マジ?」
「うそだぁ」
「試しに……そうだな」
半信半疑で自分を見る子供たちの前で、神様は両手を前に突き出しました。すると何もない空間にうにょうにょと、靄が集まり始めます。それは固まり、次第に形を成し、最終的に「ぽんっ」というコミカルな音と共に、将棋の駒と将棋盤へと姿を変えました。
途端に、三人の目が輝きます。
「えー! すっごい! どうやったの!?」
「まほうみたい……!」
「なーなー! ゲームとか出してくれよ!」
「それはできぬ」
「え?」
折角テンションの上がっていた三人でしたが、突然の否定に水を打ったように静かになりました。その中で神様だけがいつも通り淡々と、事実を述べます。
「我が出せるのは、我が構造を理解している物のみだ。将棋の駒は木を切り出して作ると知っているが、ゲームはどんな素材をどんな配置で接続すれば起動するのか分からぬ」
「……えっと、それって……?」
「いお!」
「はいな!」
慧に呼ばれた依央利は勇ましく敬礼すると、いくつかの単語を電子辞書で調べました。それから少しだけ考えて、幼い二人にも分かるように説明してくれます。
「将棋の駒は、木があれば作れるでしょ? でもゲームはいーっぱいパーツがあって、作りが複雑だから出せないんだって」
「そっか……ありがとう依央利くん」
「……我が理解すれば作れる」
「でも今すぐは作れねーんだろ? じゃあイミねーじゃんか」
改めて「出せない」と他人に言われたのが癪だったのか、神様は拗ねたように呟きましたが、それも慧にばっさりと切って捨てられてしまいました。さて、これで話は振り出しです。
「で? なにする?」
「しょーぎのルール、分るやつ~」
「ごめんなさい、わかんないです……」
「我は分かる」
「神さまだけが分かってても遊べないじゃないですか。ちなみに猿ちゃんは多分ルール覚えらんないですよ」
「はぁ!? おぼえられるし!」
「あのう、ぼくもたぶんできないです……トロいので……」
「僕はがんばれば覚えれるかもだけど……神さまの説明、いっつも難しい言葉だからなぁ……」
「つーかいおとこいつだけヒマじゃなくなってもしょーがねーだろ……みんなたいくつなのに……」
またすっかり気の抜けてしまった四人は、ぐでーっと寝転がりながらぽつぽつと会話をします。基本的に大瀬以外ははっきり喋ることが多いのですが、今日ばかりは全員声がとろとろしていて、それがまた間延びした空気に拍車をかけていました。でも何も思いついていないのに、しゃきっとなんてする気になれません。
このままだと暇すぎて、畳にくっついてしまいそうだと思った時でした。ふと慧が「あ!」と呟き、神様に向けて尋ねます。
「お前さ、ボールとか出せるか?」
「鞠なら」
「転がせりゃなんでもいい!」
その言葉に答えた神さまは、すぐに鞠を作りました。すると慧は将棋の駒を持ってぱたぱたと小走りで社務所の廊下へ向かい、板張りの床に立たせ始めます。大瀬は何をしているんだろうと不思議に思いましたが、依央利は「なるほどね!」と訳知り顔で彼に駆け寄り、一緒に並べるのを手伝いました。
「これは何のつもりだ」
「新しいあそびだよ! これをこう……的みたいに並べて、そんでそれ……貸せ! これを転がして、倒す! いっぱい倒したやつが勝ちな!」
自慢げな慧は神様から鞠を受け取ると、手本を見せるように転がします。すると小さなそれは、案外いい感じに将棋の駒を倒しました。つまり慧は、ありあわせの物でボーリングを作ったのです。
「さっすが猿ちゃん! 僕と二人で遊ぶ時も、いっつもすること提案してくれるもんね~!」
「それはお前がぜんぜんやりたいこと言わねーからだろ!」
「でも、慧くんすごい……! 楽しそう!」
「へへ、そーだろ!」
相変わらず依央利には容赦がない慧でしたが、大瀬が目をキラキラさせて褒めるとまんざらでもなさそうな顔をしました。年下の子にはかっこつけたいお年頃なのです。
「じゃあ順番に転がしていこっか。んー、でもみんな同じ場所からやったら神さまが絶対勝っちゃうから……大瀬くんは一番近くからにする?」
「オレも大瀬と一緒のとこからやる」
「キミは大瀬くんより力強いでしょ!? ってかこの前の体力テスト、僕より点取ってたじゃん!」
「うるせー! オレが考えたんだから、オレがルールだ!」
「横暴だぞ、ケイ。それに将棋の駒も鞠も、作ったのは我だ。故に我も近くから転がす」
「神さままで!? それじゃあハンデになんないよ!」
「ふふ……」
わいわいと賑やかさを取り戻した三人を見て、大瀬は微笑みました。ゴロゴロだらだらするのだって嫌いじゃないけれど、やっぱりこうじゃなきゃ始まりません。慧が騒いで、神様がしれっと子供っぽいワガママを言って、依央利が振り回されて。そして大瀬はそんな彼らを見ながら笑っているのが、一等好きでした。
「もー、大瀬くん! 黙ってないでなにか言わなきゃ! このままだと絶対勝てないルールになっちゃうよ!」
「うるせー、関係ねー。どんなルールでもオレが勝つ!」
「面倒だ。皆同じ場所から転がせば良いな?」
「あ、まって! 慧くんもかみさまもずるいよう!」
呼ばれた大瀬は、慌てて彼らの輪の中に飛び込みます。しかし遅れてきた彼を三人は拒絶することなく、当たり前のように仲間に入れてくれたのでした。