リーヴァ 「白波」「星」「手首」 ふと温い風が頬を撫でる感覚で、類は目を覚ました。
ここは無人島。次の宣伝公演をするべく乗り込んだクルーザーで遭難した五人が漂着した、自然豊かな島だ。
「……うう……船……船が……」
「えへへぇ……もぉ食べられないよぉ……」
「……」
体を起こして右隣を見ると、昌介が魘されていた。更に向こうではえむが幸せそうな顔をしながら寝言を零していて、その横では寧々が穏やかに寝息を立てている。スマホが壊れてしまったためはっきりとした時間は分からなかったが、空を見る限りまだまだ朝は遠いようだった。
偶然目が覚めてしまったが、もうひと眠りするのが得策だろうか。そんなことを考えながらふと左隣を見て、類は目を瞬かせた。
「司くん……?」
そこには司がいるはずだった。寝相が悪いからと一人離れて寝ようとする彼を、自分は平気だからと説得して隣に寝かせたのだ。寝付きのいい彼が夢の世界へ旅立つところもちゃんと見守ったはずである。なのに、どこへ行ってしまったのだろうか。まさか寝相が悪すぎて遠くまで転がって行ってしまった……なんてことはないだろうし。
「……」
気になった類は周囲を見渡してみたが、砂浜に人影はないようだった。なら森だろうか。いや、夜の森の危険性は彼も知っているはずだ。迂闊に一人で向かうとは思えない。
「ということは、船かな……でも一体何のために……」
三人を起こさないようにそっと立ち上がり、漂着したそれに向かって歩き出す。夜の無人島はとても静かで、打ち付ける波の音だけが響くのがどこか不気味だった。
「波……強くなってきたな……」
朝になる頃は落ち着いてくれるだろうか。そう思って何気なく海を見た類は、驚きのあまり大きな声で叫んだ。
「司くん!?」
探し人はそこにいた。彼はざぶざぶと、白波の立つ海へ向かって歩みを進めている。
なぜ、どうして。色々なことが頭を過るが、考えるより先に体が動いた。
「司くんッ!」
進みにくい砂浜を走り、海へ入る。幸か不幸か、まだ股下が濡れるほどしか海に浸かっていなかった司は、簡単に捕まえることができた。
「司くん! 何をやっているんだい!」
手首を掴んでから、後ろ向きに抱き寄せる。そして顔を覗き込んで、類はまた驚愕した。
「……」
「司くん……?」
その目は酷く淀んでいて、どこか虚ろだった。いつもくるくると変わる表情には何もなく、まるで作りものかのように動かない。それが不気味で堪らなくて、寒気がした。
「司くん……司くんッ!」
慌てて肩を揺らし、必死に呼びかける。すると司は二度瞬きをした後、瞳にはっきりと類を映した。
「――あれ、類? なんで……」
「司くん! 司くんだよね!?」
「オレはオレだが……え!? 海!? なんでこんなところに……」
困惑はしているものの、司は完全に意識を取り戻したようだった。まずはそれに安堵して、類は深いため息を吐く。
「よかった……」
「よかったって、どういうことだ! というかなんでオレたちは海に入ってるんだ!?」
「……とりあえず、上がろう。話はそれからだよ……」
決して離さないようにしっかりと司の手首を握ってから、ざぶざぶと来た道を引き返す。そして砂浜に戻って来て地面を踏みしめた類は、張りつめた糸が切れるかのように崩れ落ちた。
「類! 大丈夫か!?」
手首を掴んだままだったので、つられて膝を折りながら司が心配してくれる。だから類は正面から彼を抱きしめて、その体温を全身で感じた。
「類……?」
「……びっくりしたんだよ。ふと目が覚めたら君がいなくて、かと思ったら海に入ってて……」
海水に濡れた足が冷たくてたまらない。体はさっきからずっと震えているし、頭も痛かった。それでも腕の中の大切な人を離すまいとしていると、司はゆっくりあやすように類の背中を撫でてくれながら聞く。
「……つまり、どうしてああいうことになっていたのかはお前にも分からないのだな」
「うん。むしろ僕が聞きたいぐらいなんだけど……司くん、さっきまで何をしていたんだい」
類の質問に、司は「うむ……」と呟きながら思案顔をした。そして一つずつ思い出すように語り始める。
「確か……誰かが泣いている気がして目が覚めたんだ。しかし類たちはみんな穏やかに眠っていたし、気のせいかと思ったんだが……どうにも目が冴えてしまってな。一人で星を眺めていたら、また誰かの泣き声が聞こえて……」
「それで?」
「……笑顔にしなくてはと、思ったんだ。だから声が聞こえる方へ歩いて行って……すまん、そこから記憶がない」
「……それ、良くない神様とか妖怪の類じゃないよね……?」
「……分からん」
きっと司は何かに魅入られていたのだ。類は本来オカルト的なものを信じる質ではないのだが、ついさっきざぶざぶと海に沈んでいく彼を見てしまったので信じざるを得ない。それに無人島という環境も、不思議な何かが起こる場所としての信ぴょう性を高めていた。
しかしだからといって、彼を渡してやる気は毛頭ない。
「どこの誰だか知らないけれど、僕の司くんに手を出そうとするなんていい度胸だよ」
「る、類……?」
声色から何かを感じ取ったのか、司がなんだか怯えたように呼ぶ。だから類は、安心させるようにちゃんと笑って答えた。
「大丈夫だよ、司くん。といっても不安なことに変わりはないから……そうだね。こうしようか」
類はポケットから大きめのハンカチを取り出すと、なるべく細長くなるように折りたたんだ。そして自分の手首と司の手首をまとめるように結んで、二人が離れないようにする。これで司がひとりでにどこかへ行くのは防げるだろう。
司はというと、自由に動かなくなった左手を見て複雑そうな顔をしながら、しかし文句を言うことはなかった。
「これで問題ないね。さて、僕らももうひと眠りするとしようか」
「そう……だな。こんな場所だし、なるべく休めるときに休んでおかなければ」
なら早く三人の元へ戻ろうと手を引いた類だったが、肝心の司は海を見つめたまま歩こうとしなかった。それがなんだか不安で、急かそうと口を開くと、彼は突然「あ!」と声を上げて遠くを指差す。
「今! 流れ星が落ちたぞ!」
「え? どこ?」
「あっちだ! ほら、また流れた!」
言われるがまま類は空を探したが、どこにも流れ星なんて見つからない。しかし司はしきりに「あっちも! ほら!」と繰り返している。
一体、彼には何が見えているのだろうか。まさかまだ得体の知れない「何か」の影響範囲にあるのではないか。嫌な想像が脳内を過り、冷や汗が垂れる。
すると司は見えない流れ星を目で追いながら、ぽつりと言った。
「……そうか。オレを呼んでいたのはきっとこいつらだったんだな」
「え?」
「言っただろう、誰かが泣いている気がしたと。きっとこいつらは海に落ちるのが悲しくて……オレに掬ってもらいたくて、呼んだんだろうな。……期待に沿えなくて、申し訳ないことをした」
司はそう言うと、一筋だけ涙を流した。
彼の言葉にどんな意味があるのか、何を理解したのか。正直な話、類にはその半分も理解することができなかった。しかし大切な人が泣いているのがどうにも耐え難くて、空いている左手で自分より少しだけ背の低い体を抱き寄せる。
「どんなに泣いていても、かわいそうでも……君をあげるわけにはいかないな」
「分かっている」
短く答えた司は、大人しく類の腕の中に納まっている。だからヒリヒリと痛む手首には気にしないふりをして、二人は違うように映る空を眺めた。