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    あびこ

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    あびこ

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    3年目4月に御影先生が退職してしまった世界線のマリィの話。
    ※マリィ=小波美奈子設定

    (前に生き霊というタイトルでツイートしてたネタを書き直したものです。)

    #みかマリ
    unmarried

    幻影と残像 四月四日。春休み明け初めての登校日、美奈子は学年が一つあがり、とうとうはばたき学園の最高学年となった。始業式を終えぞろぞろと講堂から出てきた生徒たちはエントランスホールに貼り出されたクラス発表の掲示を見て、想い人と同じクラスであることに内心ガッツポーズをしてみたり、親友とクラスが離れてしまったことを嘆いてみたり……とさまざまな反応を見せながら、各々新しい教室へと向かっていく。
     出席番号順に定められた自席に座った美奈子は、まだ馴染みの薄い教室内をぐるりと見渡した。今や自信を持って親友と呼べるみちるやひかるほどではないものの、昨年同じクラスで時折お昼を共にしたこともある仲の女子が数名クラスメイトに含まれていることが視認でき、美奈子は昨晩からずっと強張っていた気持ちがようやっとほどけていくのを感じた。小学校からカウントすれば、クラス替えなんてもう9度目のことなのに、毎度緊張してしまう。環境の変化は高揚感とセットで不安もいっしょに連れてくるからだ。その後、幼馴染が話しかけてくれたことですっかりいつもの調子を取り戻した美奈子は、もう間もなく聞こえてくるだろう元気な挨拶を期待してソワソワとその時を待っていた。

     しかし、そんな美奈子と新しくクラスメイトとなった生徒たち29名の前に現れたのは、毎度お馴染み特徴的な長髪を持つ生物教師……ではなかった。ざわつく生徒たちと声に出しはしないものの戸惑いの表情を浮かべる美奈子に向かって「静かにしろ~」と今しがた入室してきた世界史担当の教師が言う。そうして教室内に広がっていたざわめきが徐々に落ち着くのを待ち、そろそろ中年に差し掛かるといった年頃の男性教師は口を開いた。

    「えー元々は御影先生がこのクラスを受け持つ予定だったんですが、ご家庭の事情で急遽先生は退職されました」


    「嘘……」
     無意識のうちに美奈子の唇からは驚愕を示す呟きがこぼれ落ちていた。同時に一度はおさまったクラス内のどよめきも先程より数段階大きな音となり再開された。
    「御影っちが担任じゃないの⁉」
    「家庭の事情ってなに?」
     口々に疑問、質問をぶつけてくる生徒たちの声を煙たがるようにしながら「詳しい事情はワシも知らん」と新しい担任がすげなく切り捨てるのを耳にしながら、美奈子は呆然としたままぼんやりと黒板を見つめていた。自分の斜め前に座る幼馴染が心配そうな視線をこちらに向けているのが視界の端に映ってはいるけれど、生憎それに応える余裕が今の美奈子にはなかった。

     何も、知らなかった。

     根拠もなく、残り一年間この学園で一緒に高校生活を送れるものと思い込んでいた。春休みに入って最初の日曜日、共に訪れた牧場ですっかり美奈子とも親しい仲となった馬のモモちゃんをあやしている時も、特に変わった様子はないように見えた。ただ、その帰り道、海岸で聞かされた『恋愛について』の回答は——今思えば、そういうことだったのかもしれない。

     誰にも話しかけられないように、下校や寄り道に誘われないように、一番に教室を飛び出して早足で学校から帰宅した美奈子は、自室のベッドに腰掛けひとつ深呼吸をしてから、スマートフォンのロックを解除した。待ち受け画面でははばたきファームオリジナルキャラクターである丸くて愛らしいフォルムの子牛がにっこりと微笑みかけている。その待ち受け画面の上部に被るようにして、数件の通知バナーが表示されていた。春休みに会った中学時代の友人からまたゴールデンウイークにでも集まろうよというメッセージ、行きつけのアパレルショップから春物セール開催のお知らせ、部活仲間に勧められてインストールしたゲームアプリの緊急メンテナンスの通知……。
     美奈子が期待していた元担任からの連絡は一件も入っていなかった。通知バナーが全て消え綺麗になった待ち受けを眺めながら、美奈子は力無く仰向けに倒れこんだ。きっと午前中に母が布団乾燥機をかけてくれたのだろう、未だブレザーに身を包んだままの背中を受け止めてくれる布団のあたたかさがただただ虚しい。

     着信履歴を呼び出して、先日おでかけの誘いを受けた時の記録が確かに存在していることを確認して、ほっとすると同時に美奈子は泣き出したい気持ちになった。

    「……どうして?」

     いっそこちらから連絡してみようか。今までスマートフォンにこの11桁の番号が表示されるのは決まって着信を知らせる時で、美奈子が自らこの番号に電話を掛けたことはなかった。SMSを送ったことなら一度だけ。それだって、体調不良で園芸部の課外活動を急遽欠席することを詫びるために送ったただの欠席連絡だ。先生の番号に私用で連絡をするのは、御影先生の言う『真面目ちゃん』の範疇を逸脱すると分かっていた。そして、それはきっと先生を困らせるであろうことも。だから、いつも、いつも。先生の方から声をかけてくれるのを、電話をかけてくれるのを、美奈子は待っていた。でも、詳しい事情も分からないまま本人がいなくなってしまった今の状況下では、そんな悠長なことを言ってもいられない。利き手の人差し指を発信ボタンの上まで持っていった美奈子はあと数ミリで画面に触れるというところで動きを止めた。

     もし、勇気を出して電話をかけて、聞こえてきたのが「おかけになった番号は現在使用されておりません」のアナウンスだったら——もう立ち直れる気がしない。シュレディンガーの猫ではないけれど、この番号だってかけなければ、この先もずっと先生と繋がっているという証拠になりうる。本人の口から事情を確かめたい気持ちと、唯一のつながりを御守りとして保持していたい気持ち。そのふたつを天秤にかけて、結局は後者を選んだ美奈子は強く握りしめていたスマートフォンをシーツの上に解放した。

     どんなにショックでも、どんなに悲しくても、朝は来るし、おなかは空く。学生は学校に行かなければならない。受験生であるなら尚更だ。こんな時でも学校を休むという発想が存在しないという点ではたしかに自分は御影先生の言う『真面目ちゃん』の基準を満たしているのかもしれないな、とようやく腫れのひいた目蓋を洗面所の鏡で確認しながら美奈子は自嘲した。
     そんな風にして、美奈子の三年目の高校生活は波乱の幕開けを迎えたのだった。 



     美奈子がソレを初めて見たのは第一校舎へと続く渡り廊下だった。体育の授業後、トイレに寄っていたためひとり遅れて少し早足で教室へと戻っていた美奈子は、廊下で見慣れた後ろ姿を見かけた。癖のあるマスタードカラーの長髪を無造作に束ねている、背の高い、スーツ姿の男の人。この学校でそんな特徴を持っている人間を美奈子はひとりしか知らなかった。
    「御影先生……⁈」

     慌ててその背中を追ったが、美奈子が校舎のガラス扉をくぐったときにはもうその姿は見えなくなっていた。(もしかしたら、残っていた私物を取りに来たのかも。もしくは業務の引継ぎで職員室に?)と考えを巡らせ、予鈴が聞こえるギリギリまで美奈子は校舎内で彼の姿を探し回ったが、とうとうその日再会することは叶わなかった。

     ガッカリしていた美奈子を笑い飛ばすかのように、一週間も経たぬうちに彼の人は再び現れた。月曜日の朝礼集会で、辞めた筈の元担任がなんでもない顔をして他の教職員と並んで前に立っているのを見つけたとき、美奈子は自分の目を疑った。そして、なによりも美奈子を困惑させたのは周りが彼の存在に一切触れないことであった。試しに隣に立つクラスメイトに小声で「あそこにいるのって……」と話しかけてみたものの、案の定「え? 林先生? あぁ、美奈子ちゃん芸術選択美術とってるから知らないんだ。音楽担当だよ」と見当違いな答えを返されて、美奈子は確信した。誰も気付いていないのだ、御影先生がここにいるということに。いや、むしろいないというのが現実で、わたし一人が恋しさのあまり幻覚を見るほどおかしくなってしまったのもしれない。
     はじめの頃こそ、御影小次郎の姿をしたなにかが目の前に現れる度に、真剣に心療内科の受診を考えた美奈子だったが、その目撃回数が十回を超える頃、これはただの幻とは違うのかもしれないという考えに思い至った。


     二年生の教室で、理科準備室付近で、園芸部の畑で見かける御影先生。それらはまるで御影小次郎の心残りを体現しているようだった。はじめてボウリングに連れて行ってくれたあの日、垣間見た過去と教師になった動機から察するに今自分が見ているのは御影先生の生霊的な何か……なのだろうか。
     自身の推測を確かめるため、美奈子はその週の日曜日、御影との外出予定がなくなって以来ご無沙汰していた繁華街へと繰り出すことにした。ボウリング場、牧場、遊園地、ショッピングモール……。どこも二人で訪れた思い出の場所だけれど、まずはその中でも一等思い入れが強いボウリング場を訪ねてみることにする。
     受付で会員証を見せ、シューズレンタルを申し込む。かつて、ここで御影先生の足のサイズを知って驚いたときのことを思い出しながら、美奈子はあの日と同じ、白地にグリーンの模様が入った23センチの専用シューズに履き替えた。続けて色とりどりのボールが並んでいる棚から、ピンク色のものを一つ選び、レーンへと向かう。久しぶりに抱えた9ポンドの玉はいつもよりずっと重く感じられた。先生の選ぶ14ポンドと比べればこんなの全然軽いはずなのに。よく磨かれてツヤリと照明を跳ね返している桃色の球体に三本の指を遠し、スタンスドットの手前で構える。一歩、二歩、三歩……徐々に加速するステップを踏み、五歩目で右手からボールを解き放った。ガタン、ゴロゴロとボウリング場以外ではあまり耳にすることのない特徴的な音を立てながら、重みのあるボールは板の上を滑るように進んでいく。そしてゴール地点に並べられた10本のピンのうち右寄りの7本を薙ぎ倒すと、その勢いのままに暗い穴の向こうへと吸い込まれていった。一投目としてはまずまずの成績だ。
     二投目に備え、ボールリターンの前に移動しようと振り向いた美奈子は、その奥の椅子に腰掛ける人物を見て思わず息を吞んだ。
     髪型はいつもと変わりないけれど、服装はスーツじゃなくて、私服だ。ジーンズに黒い長袖のTシャツをラフに合わせて、腕まくりをしている。
    「せんせぇ……」
     
     どうやら、あちらもマリィを認識しているようで何かを訴えるような、寂しげな笑みを浮かべて美奈子を見つめている。たまに、美奈子の前で御影が見せることのある顔だった。

    (わたしに対しても、なにか、伝えそびれたことがあるって……思っていいのかな)

     見ることはできても意思疎通はできないことにもどかしさを感じながら、美奈子は行く先々に現れる御影小次郎の影をただただじっと見つめ、今は実家の牧場にいるであろう本物の彼のことを想った。


     二〇二四年一月。卒業時期が近づいてきた美奈子は、ランチタイムを共にしている別クラスのみちるひかると共に卒業旅行の計画を立てていた。食べ終えた食器を片づけて、飲み物だけを残したテーブルの上にひかるが持ってきたガイドブックや、おすすめスポットのまとめサイトを表示したみちるのスマートフォンなどを並べて、三人はあれこれと旅先選びを楽しんでいる。

    「あたたかいところがいいかしら」
    「温泉もいいよねぇ♪ あと食べ物がおいしいとこ!」
    「いっそ海外は? あ、マリィはパスポート持ってないかしら」
    「そうだよお姉ちゃん。マリィの希望も聞かないと!」

     はじめての友人との旅行を前にテンション高く盛り上がっている仲良し姉妹を前に、マリィはそっと小さく手をあげておずおずと口を開いた。
    「あの……わたしも行きたいところがあるんだけど……言ってみてもいいかな?」
    「もちろん。聞かせてマリィ」
    「うんうん! マリィが行きたいところはどこなの?」


    ***

     
     その日は御影にとって特に代り映えのない、通常の勤務日であるはずだった。大腿骨骨折により外仕事が難しくなってしまった父に代わり、広い牧場内で各エリアのリーダー達の報告を聞き、動物たちに異常があれば自分の目で確認し、お客様とのトラブルがあれば責任者として頭を下げにいき、従業員たちの士気があがるようできるだけ声掛けもする。それに加え、夜には父から経営についてのノウハウを叩き込まれていた。生まれ故郷である土と草の香りに満ちたこの場所に、御影が戻ってきてからもうそろそろ一年になる。突然、親父という一番大きな柱を失い、崩れかけていた家業をなんとか支えなければと必死だった。若いうちから海外で学んできたというのにその知識を生かさず、跡を継がずに実家を出て行った御影牧場の一人息子。そんな彼の突然の帰還に一部の従業員ははじめこそ冷めた目で見ていたが、彼が朝早くから夜遅くまでガムシャラに働いている姿を受け、間もなく態度を軟化させた。いまや従業員との関係は良好と言える。

     忙殺という言葉で表すのがふさわしい、慌ただしい毎日の中でも、ふとした瞬間……たとえば、眠りにつく前布団で思索にふけるとき、牧場内でも特に関わりが深いモーリィ親子の姿を眺めているとき、クローゼットを開いて隅に追いやられたクリーニングのカバーがかかったままのスーツが目に入ったとき——御影はある一人の女子生徒のことを思い出していた。
     あれだけ世話になったのに彼女に何も告げぬまま学園を去ってしまったことが、御影の心にしこりを残していた。実家から事故の知らせを受けて、それから職場に連絡をして慌てて帰省して……父の具合が思っていたより悪かったこともあり、これはもう覚悟を決めるしかないな、とやむを得ず、そのままはばたき学園を去ることとなった。とはいえ、何も電話も通じない僻地に向かうわけでも、地球を飛び出て異星に行くというわけでもない。御影が美奈子に電話一本かけられなかったのは、ただ怖かったからだ。元来人の悲しむ顔や落ち込む姿を見ること、自分がその原因になることが苦手だった。美奈子と出会い、彼女の見せる無垢な笑顔に幾度となく救われてからは、特にその傾向は強くなった。だから、電話越しに彼女が見せる悲しみ、失望、またはそれらを誤魔化すために彼女に嘘を吐かせてしまうかもしれないことが、御影には耐えられなかった。そうして、仕事が忙しいことを言い訳にあとまわしにしているうち、一年が経とうとしている。三月中旬の今、かつての御影学級生たちは既に高校を卒業し、輝かしい未来の第一歩を歩み始めていることだろう。

    「真面目ちゃんは……なんでも一生懸命やる子だったからなぁ。この春から一流大学に通うと聞いても驚かねぇぞ。もしくは園芸の才能もあったようだから凄腕のガーデナーになったりしてな。おまえはどう思う?」

     すっかり大きくなったモーリィの子どもがプルプルと身体を揺らし、それに合せて首元のベルがカランカランと音を立てた。そのベルは、昨年の今頃チョコレートのお返しにと、御影が美奈子にに渡したキーホルダーによく似ていた。

    「小次郎さぁん! 休憩中のところすみません、お客様がお見えになってます~!」

     事務スタッフのアルバイトが御影に向かって手を振っている。

    「分かった! 今向かう~!」

     スタッフに負けない声量で返事を返した御影は、地面から腰を上げると母親譲りの黒い綺麗な瞳を持つ牛の両眼を見つめながら首を傾げた。

    「今日なんかアポ入れてたかな俺……。飛び込み取材か?」
    「モォ〜」


     
     客を待たせるべきではないと小走りで案内所へと向かった御影を待っていたのはひとりの女性だった。白いワンピースの裾をはためかせて、帽子の下から鮮やかな桃色の髪もまた風に吹かれて揺れている。御影のよく知る髪色だった。

     
    「真面目ちゃん……?」

     
     御影が半信半疑で馴染み深いニックネームを口に出すと、それを聞いた女性がゆっくりと振り返った。帽子のつばによって隠されていた顔が、彼女が御影の方を見上げると同時に顕になっていく。モーリィによく似た、黒目がちな綺麗な瞳。間違いなく、かつての教え子、小波美奈子その人であった。

    「お久しぶりです。御影先生」
    「美奈子……おまえ、どうして」
    「卒業旅行で遊びに来てるんです。みちるとひかると一緒に」

     その回答にあぁ、なるほどなと御影は頷いた。たしかに寒さが和らいできた今の時期なら、ここら一帯も旅行先の候補としては悪くはないだろう。

    「卒業旅行……もうそんな時期か」
    「はい。御影学級の皆も元気そうですよ」
    「そうか。……よかった」

     近くの牛舎から餌やり中の牛達がのんびりとした声をあげては、マイペースに草を食んでいる様子が窺える。リラックスした様子でランチタイムを楽しんでいる動物たちとは裏腹に、再会した二人の間に流れる空気はどこかぎこちないものだった。

    「……よくここが分かったな」
    「御影先生が部室に残していった段ボール箱にここの名前が書いていたので」
    「あ……そうか。さすが名探偵だなぁ~」
    「ふふ、それほどでも。想像していた何倍も大きいところで……びっくりしちゃいました」
    「はは。だろ? あっちと違って土地だけは山ほどあんだよこの辺は」

     柵を背にもたれかかった御影の髪を、まだ寒さの残る春初めの風が揺らす。最後に会った日曜日のあの日から、いくらか髪が伸びているようだった。忙しくて散髪に行く暇もないのかもしれないと美奈子はこの一年間彼がどうして過ごしてきたのだろうかと思いを馳せた。
     多くの時間を共にした園芸部の畑よりもずっと濃い、緑と土の匂い。薄く溶け残る雪と長い冬の終わりの気配。この地で先生は生まれ育ってきたのだと思うと、美奈子は感慨深い気持ちになった。


    「あの、さ……」
    「謝るつもりならやめてくださいね」
    「えっ」
    「わたし、怒ってませんから。そりゃあ突然辞めたって聞かされた日はショックでしたけど、先生にもいろいろと事情があるってことは分かってるつもりです」
    「あぁ……うん。……ありがとう」

     先回りで謝罪を封じられた御影はマリィの言葉に何と返すべきか少しの間迷う素振りを見せたのち、小さくお礼の言葉を口にした。事実、御影が急遽実家へ戻ることになったのは父が怪我をしたことが理由の大半で、決して御影自身が望んだタイミングでの帰省ではなかったため、マリィの推測は間違ってはいないのだが……。ただ、連絡を入れなかったことに関しては、自分の意気地の無さが理由だっただけに御影は気まずげに頬を掻いた。

    「わたし、この前卒業式だったんですよ。はば学の」
    「そうだよな。……卒業、おめでとう。俺もおまえらの卒業式一緒に出たかったなあ」
    「ふふ。安心してください。今日が——わたしのセカンド卒業式です」
    「え?」

     セカンド卒業式などという聞き慣れぬ単語を耳にして、きょとんとした顔でいまいち理解できていない様子の御影を見上げて、美奈子は意味ありげに微笑んだ。

    「はば学からは卒業できても、わたし、まだ卒業できてないです。……御影先生から」
    「真面目ちゃん……」
    「最後に会った日、海岸で話したこと覚えてます?」
    「……あぁ、よく覚えてるよ」
    「この一年御影先生に言われた言葉の意味をずっと考えていました。いくら真面目に受け止め過ぎるなと言われたところで……わたしには真面目に考えることくらいしか取り柄がないんです」

     そんなことはないとすかさず己を卑下する美奈子の言葉を否定しようとした御影を手で制し、彼女は言葉を続けた。

    「言葉通りに受け取れば、あれはこれ以上踏み込むなという拒絶と牽制の意味だと思ったんですけど、そこに小次郎さんの本心はあるのかなって」

     聡い子だ。いや、『子』なんていうのは失礼か。入学から二年の終わりまでの間もめきめきと成長しては、さまざまな面で嬉しい驚きを与えてくれた彼女は、会わなかった一年のうちにまたひとつ大人になっていた。

    「わたしは、恩師として顧問として、身近な大人として、御影先生を尊敬しています。それと同時に課外授業や……その他のお出かけの時にあなたが見せてくれたいつもと違う表情に兄のような……年の離れた友人のような……親しみやすさを感じました」

     一度そこで言葉を区切った彼女は、目を閉じて深く息を吸い込んだ。取り込んだ空気をゆっくり吐き出すその顔はたしかに緊張をはらんでいたが、深呼吸を終えて目を開いた彼女の瞳からは決意が感じられた。

    「わたし、どうしても恋愛感情だけが独立した感情だとは思えないんです。学校にいるときの御影先生も、外で会う小次郎さんもどちらもひとりの人間で……。優しいところや明るいところも、弱さやずるさがあるところも、わたしは、全部ひっくるめてあなたという存在が好きだと思いました。だから、損とか特とか……そういう理性的な思考は今必要としていないんです。これまでわたしの中で沸き上がった感情や、あなたから受け取った想い、ふたりの経験を繋げたその延長線上に今のあなたがいて——そんなあなたのことが大切なんです、小次郎さん」

     真剣な眼差しを真っ直ぐに向けていた美奈子の瞳が細まり、ただただ純粋な笑顔を浮かべ、彼女は言った。

    「だから——好きにならせてくれて、ありがとう。小次郎さん」

     こんなことがあっていいのだろうかと、御影は先程から目の前で起きていることを信じきれぬ気持ちで、それでも彼女の告白は一言一句聞き漏らさぬよう、記憶に焼き付けていた。

    「……いいのか? こんな俺でいいのか」
    「はい、小次郎さんがいいんです」
    「散々振り回した挙句、おまえに一言も連絡入れずにいなくなってさ……」
    「わたしも連絡先は知っていたのに自分から連絡できなかったんです。だから、おあいこです」
    「……今のでおまえ、卒業できたのか?」
    「はい。お陰様でやっと言いたかったことが言えました」

     その言葉は嘘ではないようで、美奈子の顔は彼女の背後に広がる青空と同じように、どこまでも晴れやかだった。言うだけ言って満足してしまったようで、御影から返事をもらおうという発想には至らないあたり、彼女らしい。
     会えない間に変化した彼女の成長と、逆に会った時から変わらない根っこにある彼女の長所を同時に確認し、御影はフッと表情を和らげた。

    「なぁ、時間とって悪いけどさ。……今度は俺の卒業式、させてもらってもいいか?」


     その晩、乙女の庭のトークルームはかつてない盛り上がりを見せたという。

     かの日の幻影が現れることはもうないだろう。
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    あびこ

    DONE3年目4月に御影先生が退職してしまった世界線のマリィの話。
    ※マリィ=小波美奈子設定

    (前に生き霊というタイトルでツイートしてたネタを書き直したものです。)
    幻影と残像 四月四日。春休み明け初めての登校日、美奈子は学年が一つあがり、とうとうはばたき学園の最高学年となった。始業式を終えぞろぞろと講堂から出てきた生徒たちはエントランスホールに貼り出されたクラス発表の掲示を見て、想い人と同じクラスであることに内心ガッツポーズをしてみたり、親友とクラスが離れてしまったことを嘆いてみたり……とさまざまな反応を見せながら、各々新しい教室へと向かっていく。
     出席番号順に定められた自席に座った美奈子は、まだ馴染みの薄い教室内をぐるりと見渡した。今や自信を持って親友と呼べるみちるやひかるほどではないものの、昨年同じクラスで時折お昼を共にしたこともある仲の女子が数名クラスメイトに含まれていることが視認でき、美奈子は昨晩からずっと強張っていた気持ちがようやっとほどけていくのを感じた。小学校からカウントすれば、クラス替えなんてもう9度目のことなのに、毎度緊張してしまう。環境の変化は高揚感とセットで不安もいっしょに連れてくるからだ。その後、幼馴染が話しかけてくれたことですっかりいつもの調子を取り戻した美奈子は、もう間もなく聞こえてくるだろう元気な挨拶を期待してソワソワとその時を待っていた。
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    あびこ

    DOODLE好感度普通の御影先生と、別の教師の葬式で再会するマリィの話。
    最終的にみかマリに着地する予定ですが、美術部マリィが美術教師に片想いしていたという特殊設定なので注意。
    ※マリィ=小波美奈子
    夏橙1 ミーンミンと夏を象徴する鳴き声をBGMに、脳天からジリジリと強い日差しが容赦無く降り注ぐ。降水確率0%最高気温38度と予報された本日のはばたき市は夏真っ盛りといった気候だ。そんな真夏日に上下黒のスーツを着込み、あまり使用機会に恵まれない同色の革靴を履き、焼けた鉄板のように熱されたアスファルトの上を御影小次郎は歩いていた。駅から続くゆるやかな坂道を登っていく途中で、つきあたりに白地に黒の筆文字で書かれたシンプルな立て看板が見えてくる。看板には「橘家式場」とある。そう、今日は彼の同僚の告別式なのだ。


     御影がその知らせを受けとったのはその日の受け持ち授業を全て終え、畑の様子でも見に行くかと早速理科準備室でスーツからいつものツナギ姿に着替え終えた頃だった。デスクの上、採点中の期末テストが扇風機の風で飛ばないよう重し代わりに置いていたスマートフォンがブブッと震えた。適当な本を代わりに置いてスマートフォンを持ち上げた御影は、通知画面に表示された送信者の名を見て首を傾げた。
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