ガラクタ街の小部屋に『お前ここで死ぬつもりか?』
ザップ・レンフロという男がHLに入ったのは、崩落から間もなくだった。
彼はほぼ、崩落を見ていたと言っても過言ではない。彼は師と共に、崩落真っ最中に紐育に到着した。
崩落中はマンハッタン島へ入れなかった為、対岸から霧に覆われていく街を見ていたのだと言う。そして、HLが誕生した瞬間、混乱に乗じて海を渡った。はっきり言って馬鹿だ。こいつも、こいつの師匠も。
「なぁ、ライブラってここ?」
スティーブンが先日やっとオープンしたばかりのコンビニから帰ってくると、仮事務所の前にザップが立っていた。
顔は知っている。あと、噂も。その程度の関係だ。本部から、HLにいるらしいとの話を聞いたのが三週間ほど前だっただろうか。すぐにこちらと合流するよう指示が出たはずだが、今まで一体何をしていたのやら。
「鍵かかってて入れねぇんだけど」
かかってるに決まってんだろ、留守なんだから。
スティーブンはわかりやすくあからさまなため息を吐きながら、連日の徹夜でぼさぼさになった髪を掻き混ぜ、ポケットから出した鍵で扉を開けた。
古倉庫のような扉だ。セキュリティーは最悪。現在、術式制御のセキュリティーが利く事務所を用意しているところで、ここはあくまで仮でしかない。仮にしたって不安なレベルのポンコツ事務所だ。
「入れ」
ザップはポケットに手を入れ、ガニ股で歩を進めた。ちらりとスティーブンを見上げる目は、まるで野犬のようだ。そのひと目で、礼儀知らねぇな、このガキ、と思わせるには充分だった。
「ザップ・レンフロ」
ザップは返事もせず振り返った。一応反応するだけまだマシか。スティーブンはコンビニの袋を灰色のデスクの上に置いて、中から野菜ジュースを取り出した。最近野菜不足だと思って買ってきたものだ。
「本部からの指示で来たのか?」
「んなわけねぇだろ」
そりゃそうだ。こいつが命令違反の常習犯なのは、牙狩りでも超有名だ。現場での状況判断における命令違反に限らず、こいつは端から上の指示を聞くという事をしない。要するに、反抗期のクソガキなのだ。
「ほら、これ飲め」
「うっえ、野菜ジュースとかいらねぇよ」
「お前酒臭いぞ」
スティーブンが眉を顰めると、ザップはにやにやと笑った。
「異界産の酒ってやべーよな」
「まだ検査基準も出来てない、そもそも人類用のテストもされてない酒なんかよく飲むな。自殺志願者か?」
「あー、まぁ、死んだらそん時はそん時だし」
いらないと言いながら、ザップは野菜ジュースのパックにストローを刺した。貰えるものは貰っておくタイプなのだろう。
昔、スティーブンはこの馬鹿な男に会った事がある。牙狩りの中でも超がつく問題児で、御せない男だと有名だったザップは、どの部隊も受け入れを拒まれていた。才能はあっても暴れ馬では意味がない。
そうなると、必然的にひとりでやらされることが多くなる。単騎でいける現場に放り込まれ、死んだらその時はその時。ただ、こいつの才能なら最低限生きて帰ってくるだろう、と見込まれて。
こいつじゃなくてもグレるだろう。問題児の対応としてはあまりよろしくない。だが、いちいち構ってやって更生させている暇がないのも確かだ。実際、スティーブンもザップの入隊を何度も断ったぐらいだ。
その時は、ザップが単騎投入された現場がたまたまスティーブンがいた現場の近くで、たまたま帰り道で、たまたま気が向いただけだった。
立ち寄った現場は馬鹿でかい蛇が暴れた後で、ザップの姿はなかった。死体はなく、代わりに血の跡が点々と残っていた。スティーブンは、周辺住民を食い荒らして満腹の蛇を置いて生きているだろうザップを探しに行ったのだ。
『お前ここで死ぬつもりか?』
案の定、ザップ・レンフロは生きていた。暗い裏路地に身を潜め、大蛇にやられたらしい毒を血流操作で排毒しようとしていた。
ザップはただ黙って、スティーブンを睨み上げただけだった。それだけで、このクソガキがクソガキだとよく知れたものだ。こいつが、当時を覚えているかは知らないが。
『知ってるか?蛇は寒さに弱い。お前より俺のほうが向いてる』
ザップは何の返事もしなかった。だから、スティーブンもそれ以上の会話はしなかった。ただ黙って、ザップの代わりに蛇を片付け、メールで牙狩りに応援要請をしてその場を立ち去った。
驚いたのは、その後だ。あれは元々ザップの任務。つまり、報告書はザップが書くことになる。だから、スティーブンの存在など消して、氷漬けの蛇を人知れず焼き尽くせば、全てザップの手柄になるはずだった。
逆の立場なら、スティーブンはそうしたかもしれない。
だが、ザップはそうしなかった。蛇は燃やさず、スティーブンが関与した証拠を残したまま斬り刻み、本部にはスティーブンに助けられた、と報告したそうだ。実際は胡散臭い氷使い、と書いてあったらしいが。
スティーブンには多少のお小遣いが与えられ、ザップの教育を引き受けないか、という面倒極まりない打診が来た。冗談じゃない、と必死で断ったのもよく覚えている。
あの頃に比べれば、まだ愛想はよくなったほうだろうか。少なくとも、手負いの獣から元気な獣ぐらいにはなっている。
「ライブラってあんたひとりでやってんの?」
「ボスはクラウスだ」
「クラウス?誰そいつ。強ぇの?」
「お前、一応牙狩りにいてクラウス・V・ラインヘルツを知らないとか冗談が過ぎるだろ」
「知らね」
「ブレングリード流は?」
「血法の流派か?斗流以外は興味ねぇから」
「・・・そっからかよ」
究極的に興味がないのだろう。まさか、化け物退治経験者に人類の希望やら、ブレングリード流やら、密封やらから説明しなければならないとは。こいつの教育は先が思いやられる。
「本気でライブラやる気があるのか?」
スティーブンは、やれやれとデスクにもたれかかり、長い脚を組んだ。
愚問だろう。あるわけがない。師匠だか何だか知らないが、死地に放り込まれて置き去りにされた、いわば捨て犬だ。
捨て犬に今から夢を追う覚悟があるか、と聞いて、はいと帰ってくるわけがない。食うや食わずに必死で、夢なんか二の次、そういうものだ。まして、この犬が捨てられたのは温かい家庭じゃない。
必至で働いて、それでもまともな餌も雀の涙しか出ないような、発足したての底辺秘密結社だ。性に合う合わないは別にして、牙狩り本部に戻ったほうがまだまともに食っていけるだろう。
「舐めんなよ、おっさん」
だが、ザップは今日一番の、狂暴な目をスティーブンに向けた。この目を知っている。それは確かに、スティーブンの向こうに光を見る目だ。
「ここで生きてく気がなきゃ、誰がこんなクソボロの事務所になんか来るかよ」
「いい心がけだな。誰がおっさんだ、クソガキ」
確かに、舐め過ぎていたかもしれない。
スティーブンはコンビニの袋の中からサンドイッチを取り出した。ハムとレタスだけのシンプルかつド定番のサンドイッチだ。あまり好みの具ではないが、残念ながらランチ時のコンビニにはこれしか残っていなかった。
袋を開け薄いパンを齧りながら、スマホに指を滑らせる。同時にテレビの電源を入れると、ここしばらくでスティーブンにはすっかり見慣れてしまった顔がテレビにでかでかと映った。
『やぁ、衆愚ちゃんたち!今日も元気に空気を浪費しているかい?堕落王フェムトだよ!!』
「丁度いいな。仕事だぞ。お前の生きてく気とやらを見せてみろ」
スティーブンが親指でテレビ画面の変人を指すと、ザップはあからさまに嫌な顔を見せた。
HLPDにポリスーツが導入されたのが昨日。今日はその試験運行の日だった。
どんなシステムも、最初はたいてい綻ぶ。使いこなせないのではなく、使ってみて初めて欠点やバグが見えてくる、そういうものだ。だからこそ、今日試験運行をする予定だった。HLPDに非があるとは言い難い。
それでちょっとした暴走事故が起こったとしても、想定の範囲内だし、生後数か月のHLでも割と日常だ。
ところが、暴走は暴走でも事故ではなく事件だった。つまり、人為的だった。ごめんねぇ、今回はワザとじゃないんだよぉ、と猫なで声を出す仮面の男がザップの脳内にちらつく。
曰く、壊れた電子レンジを修理しようと思って、電気回路の中を行き来できる魔獣を錬成して、そいつが思ったより悪戯っ子で、うっかり逃げ出してしまったらしい。テヘペロ。そんなの新品買えよ。くっそ効率悪いだろ。
「これってどこの責任?だらくおう、とかいう奴、落とし前つけるタイプ?」
「無粋なこと言うなよ。失敗は成功の基だろ」
「うっわ、心にもねぇ顔して」
ふたりが到着した時、既に現場は大荒れの様相だった。ポリスーツは好き勝手動いているし、警察は現場の封鎖もしきれずおろおろしているし、ついでに信号機が暴走して交差点にはトラックが突っ込んでいた。
可哀そうに、巻き込まれたであろう警察官の悲鳴が聞こえる。偶然運悪く近くにいただけで死ぬなんて、もう既にこの街の常識だ。一般人が巻き込まれたよりマシだと思ってくれ。アーメン。
「あぁ、クラウスだ」
スティーブンが目を細めるのを、ザップは見逃さなかった。まるで眩しい朝日を見るかのように、ゆるく目を細めて、彼は笑った。この地獄のような交差点の真ん中で。
あれがボスか。ザップは煙草に火をつけながらその馬鹿でかい背中を見た。もっとでかいはずのポリスーツと並んでも、でかいと思えるサイズの人類。規格外もいいとこだ。
強い。ザップは瞬時にそう察した。あれは強い。図体だけのデカブツじゃないと、背中を見るだけでわかる。あいつにしてみれば、ヤクザの胸倉を掴むよりポリスーツを投げるほうが容易いのだろう。
それに、あの技は何だ。血を凝固させるにしても、斗流とは明らかに違う。それはもう、次元が違う。あれがブレングリード流、とかいう流派か?だとしたら、ライブラはとんでもなく、面白いところになる。
「やっべ・・・」
スティーブンはザップの顔を見てにやりと笑った。ポケットに両手を突っ込んだまま、飛んでくる瓦礫をひょいと避けたスマートな男は、何の迷いもなくデカブツの背中に向かって歩いていく。
「おい、お前ら!それ以上近寄るな!」
メガホン片手に叫んだ一度見たら忘れられそうにないヘアースタイルの刑事に、スティーブンは爽やかな笑顔を向けた。ザップには嫌味中の嫌味にしか見えなかった。
「大丈夫大丈夫。刑事さんこそ、避難したほうがいいんじゃないですか?生身の人間って意外と軽く死ねますよ?」
「ざっけんな!!」
口が悪くて短気で、責任感の強い男。真面目過ぎて損をするタイプ。取引しやすい相手だ。貸しとパイプは作っておいたほうがいいだろう。
スティーブンは特徴的な前髪の刑事を一瞥でそう判断し、ザップに密やかな声で指示を出した。
「あの刑事を死なせるな」
「あ?なんで俺が」
「いいから、見張ってろ。ああいうのは使える」
「腹黒っ」
「よく言われるよ」
ザップの如何にも不服そうな顔を見て、スティーブンは口元を歪めた。さて、こいつの躾はどうするのが正解だろうか。こういう手合いは、煽るのが一番効くだろう。
「俺はな、ザップ。お前を何度か振った事があるんだぜ」
「はぁ?」
何で俺がこのおっさんに振られるんだ、と言いたいのだろう。
「牙狩り本部に応援要請を出したらな、回せるのはお前しかいないと言われた。それで俺は、だったらいらないと答えた」
「あ!?なんでだよ!!」
自分で考えろ、と喉まで出かかった。そう言ってしまえば、教えるほうは楽だ。だが、教わる方は何も理解しないだろう。しかも、この野猿が相手では、1歩も進まないに決まっている。
「お前が使えない奴だからに決まってるだろ。命令ひとつ聞けない問題児に命を預けられるほど、俺たちは馬鹿じゃないんだよ。お前がまず身に着けるべきはな、敵をぶった斬る技術じゃない。協調性だ」
「なんでだよ!敵が死ねば仕事は終わんだろ!」
「お前ひとりで戦うならそうだろうな。だけどここは違う。見せてみろ。お前にライブラが務まるのか?」
瞬間、ザップの瞳孔がぐわ、と開いた。一気に頭に血が上ったような、沸点を超えたような顔だ。どうやら、上手く煽れたらしい。上等だとも。それでいい。
ザップの血が生み出したのは、すらりと長い剣だった。刀と剣の間を取ったような形状だ。実に見事な、血の塊。並の才能ではここまで美しい血の刀など生み出せないだろう。まごう事なき、天才の業だ。
「えらっそーに言うからには、勝算があるんだろうな!?」
「少なくともお前よりはな」
少なくとも、お前よりはえらいし、お前よりは勝算がある。
スティーブンは一体、また一体とポリスーツを潰していくクラウスに向かって駆け出した。殲滅槍で纏めて二体。しかし、今日お披露目されたポリスーツは合計30体。だけでなく、倍以上の数がまだ地下に格納されている。
「クラウス!」
氷の剣でポリスーツを一体地面に縫い留める。クラウスが放り投げたポリスーツが、前髪面白刑事の背後で再稼働した。まさか動くようには見えなかった、半分潰れたような機体が、だ。
「ザップ!!」
スティーブンが叫ぶのと、ザップが血糸を伸ばすのとは同時だった。更に、斗流の剣が大きく、禍々しい形へ変化する。速さも正確さも見事だ。流石は、あの血闘神が弟子にした男なだけの事はある。
「くそ、おいポリ公!お前もう帰れよ!」
「んなわけにいくか!」
両者の主張は尤もだ。ザップにとってあの刑事は邪魔だろうし、かと言って刑事とてHLPDのメンツ丸潰しなこの現場から逃げるわけにはいかない。
ザップの剣に胴体を貫かれて穴が開いたポリスーツは、電源回路を露出してバチバチと放電していた。
「スティーブン、情報は?」
「堕落王がやらかしたらしい。敵はあのポリスーツの電気回路の中に潜んでる、ミクロの魔獣だ。その辺で信号がバグってるのも、車が次々事故るのも、原因は同じだろう」
「ふむ、それは・・・厄介だ」
どうやって攻撃する?クラウスがポリスーツから回路を引きずり出したりしたら、感電するだろう。ザップの血も、電気は通すはずだ。
「おい、おっさん!!」
ザップがポリスーツと瓦礫を同時に斬り伏せ、血の糸でポリスーツが倒壊させたビルを支えていた。なかなか献身的な仕事ぶりだ。比較的安全な配置を見繕って刑事に指示を出すのも忘れない。
「ザップ、二度目だな?次はないぞ」
スティーブンはにっこりと最上の笑顔でザップを振り返り、氷でビルの倒壊を防いでやった。あいつがいい子に指示を聞いていなければ、多少凍らせているところだ。僕はまだギリッギリ20代だぞ!
上空をポリスーツが通過していく。そろそろクラウスがヒートアップしてきた頃だ。今のであからさまに、ザップと前髪が個性的な刑事は頬を引きつらせた。クラウスの力に慣れた者からすれば、何も驚くことはないのだが。
「クラウス、こいつらを一か所に固めたい」
「承知した」
クラウスの承知した、は力業だ。押し退けて投げ飛ばして整列を図る。廃品回収所のように、ポリスーツを積み上げていくつもりだ。
「片はつくんだろうな!」
お前何でそんな尊大なんだよ、とスティーブンは例の刑事に対して心の中で悪態をついた。こっちは協力してやってる側じゃないか?
潰しても潰しても、ポリスーツは復活する。こんな大事が、ちょっと家電を修理しようとしてうっかりミスした、で起こっただなんて冗談もいい加減にして欲しい。
「電気回路を通れるのは電気だけだろ」
スティーブンは携帯端末を取り出し、辺りをぐるりと見渡した。NYが原型になっているHLはビルが多い。その中で、都合が良さそうな建物は・・・。
「K・K!」
スティーブンが電話口に向かって口にした名前は、牙狩りでも有数のスナイパーの名だ。スナイパーはサポート派遣されることが多いので、ザップもその名は知っている。さくっと来てさくっと帰る連中だから、顔は知らないが。
「エスメラルダ式血凍道」
このおっさん、エスメラルダだったのか、とザップは思った。ブレングリードは知らないが、エスメラルダなら聞き覚えがある。美人揃いの流派だと聞いていなければ、忘れていただろう。美人は美人でも、ジャンルが違う。
「絶対零度の盾!」
どれだけ破壊しても動き続けるポリスーツをクラウスが積み上げ、スティーブンが冷凍する。これで一時的にではあるが、動きを封じられる。ようやく隙が出来た。ザップもこの邪魔な刑事から離れられそうだ。
「どうすんだよ、これ」
動きを封じたとはいえ、一時的だ。氷は永久ではない。
ザップが駆け寄った時、スティーブンは電話中だった。代わりにザップを見下ろしたのは、規格外なでかさを誇る、今後の上司(予定は未定)のクラウスだ。
「君は確か・・・」
クラウスは、ようやくザップの存在に気付いたと言わんばかりの態度で、顎に手を当てた。
「ザップ・レンフロ君だね。ようこそ、ライブラへ」
けっ。ザップはわかりやすく舌打ちした。何が、ようこそ、だ。今の今まで俺の存在に気付いてもいなかった癖に。
こいつがヤバいぐらい強いのはわかる。だが逆に言えば、こいつを倒せば俺の天下だ。俺の強さを知らしめるのに、これほど都合のいい標的もない。あのムカつくスカーフェイスにも吠え面かかせてやれる。
「なぁ・・・、」
あんたを倒したら、ザップがそう続けようとした時、スティーブンが通話を終えた。そして、スマホをポケットに仕舞いながらこう言い放ちやがったのだ。
「死にたくないなら伏せろ」
塩対応にもほどがあるほど、あっさりと。
「は?」
ザップはその意味がわからなかった。と言うより、あまりにも状況説明が不足しすぎていた。スティーブンが誰と電話をして、何を話して、これから何をするのか、何の説明もない。ただ、伏せろと言われただけだ。
そんな不明瞭な指示に従うほど、ザップは素直ないい子ではないし、この男も組織も信用していない。
しかし、案の定と言うべきか、クラウスは素直に従い身を低くした。当然だが、この巨人はスティーブンを大いに信用しているだろう。そこが、ザップとの最大の差だ。
「・・・っ!」
次の瞬間、ザップは息を呑み、顔を引きつらせた。目の前、鼻先すれすれの位置をライフルの弾丸が通過したのだ。紙一重、とはまさにこの事で、ザップが僅かでも動いていたら米神に穴が開いていただろう。
弾丸は積み上げたポリスーツの山に着弾し、青白い電流を走らせた。バチバチと響く回路がショートする音と眩しい光が辺り一帯を包む。鼻先を銃弾が掠めていなければ、何が起こったのか理解できなかったはずだ。
位置関係から言って、スティーブンは安全圏に立っていたし、クラウスは素直に屈んでいたので背中の上を銃弾は通って行った。ザップだけが、あの正確無比な神業のような軌道を目にしたのだ。
「だから言ったのに。生きてて良かったな」
スティーブンは事も無げにそう言った。ポリスーツの山は感電して、次々と機能を停止していく。
電気回路を通れるのは電気だけ、スティーブンは確かにそう言った。だから、電気を打ち込んだのだ。恐らくは、牙狩り屈指のスナイパー、K・Kが。
回路の中にいる魔獣は、サイズに比例した防御力しかないはずだから、ショックを与える事にさえ成功すれば倒せる、というわけだ。それには、回路に電気を通すしかない。それも無理やり、暴力的に。
ライブラ、俺が思ってたよりやべーのかも?とザップは思い至った。もう見た目からして強いブレングリードとやらに、エスメラルダのサポート。そしてあのK・Kまでいる。牙狩りの最強筋が揃っている。
今頃、外の本部は大荒れだろう。貴重な血法使いをこれだけ持っていかれたら上層部が黙っているのが不思議なぐらいだ。いや、実際は黙っていないのだろう。何もかも押し退けて、それでもここにいる覚悟がある連中なのだ。
電気系統を直に殴られたポリスーツは沈黙したきり動かなくなった。ついでに、付近の信号機も余波を食らったらしく、点灯したり消えたりを繰り返している。
「刑事さん、これ全部検査したほうがいいですよ」
「ったりまえだ!!」
「どっかに犯人がいると思いますけどね、見つからないかも」
「うるせぇ!見つけるんだよ!」
気が短いのか、癖なのか、怒ったような口調で刑事は叫んだ。ともあれ、これで刑事のお守りも終了。大手を振って自由に動ける。このデカブツとやれるわけだ。ザップは舌舐めずりをして、凶悪に歯を見せた。
覚悟しろよ。お前なんかより俺のほうが強い。ポリスーツ投げ飛ばそうが何だろうが、所詮は素手じゃねーか。斗流の獲物に勝てるわけがねぇ!
ザップは思い切り踏み込み、地面を蹴った。どんなに強かろうが、どんなにでかかろうが、人類である以上背中に目はない。卑怯とかそういう事は問題じゃねーんだ。勝てば官軍ってコトワザもある!
血刀がクラウスの背中に届こうかという、コンマ1秒の瞬間、ザップは動きを止めた。と言うより、止められた。
「何のつもりだ?」
ぞっとする冷たい声だ。同じ人物が発したとは思えないほど、氷のように冷たい。
スティーブンは白い息を吐きながら、射殺さんばかりの鋭さでザップを睨みつけていた。ザップの下半身と血刀は見事に凍り付き、しかもぎりぎり凍っていない腹部には反射であろうクラウスの拳がめり込みかけている。
マジで、生きてるだけでラッキーレベルの状況だ。前門のブレングリード、後門のエスメラルダ。
「えー・・・と」
流石のザップも冷や汗をかいた。クラウスはともかくとして、スティーブンのほうは殺気を剥き出しだ。これは、僅かでも敵となる可能性のある奴は容赦なく殺すタイプの男だ。
瞬間的に、情けも容赦も投げ捨てることの出来る、稀有な才能を持っている。こいつはヤバい。マジで逆らわないほうがいい相手だ。ボスより、こいつのほうが危ない。ザップの野生の勘が全力でそう告げていた。
「やだなぁ!冗談っすよ、冗談!旦那、マジで強そうだし?いっぺん手合わせしてみてーなって思っただけっすよ!さっきも俺だけ暇だったし!」
「へぇ、手合わせ。殊勝じゃないか」
「でっしょー!?」
「背後から?」
「・・・や、やっぱ今日はやめときます!だからこれ解いてくれません??」
反応速度は全くもって叶わなかった。才能よりも経験が上回る瞬間を、ザップは生まれて初めて見た。何せ、師匠は無限の才能と無限の経験を併せ持った化け物だったので、もう何の参考にもならなかったのだ。
ザップは先ほどから、氷なら火で溶けるはずだと、血刀に熱を集めようとしているが、全然駄目だ。それどころか、手も足も冷えていく一方で、どんどん感覚がなくなっていく。ぶっちゃけ言って、勝てる気がしない。
「スティーブン」
クラウスが助け舟を出すようにスティーブンの名を呼んだ。もう許してやってくれ、という事だ。
「クラウスに感謝しろよ、クズ」
スティーブンがパチン、と指を鳴らすと、ザップを縛り付けていた氷は粉々に砕け散った。ただし、膝から下を残して。
「ス、スティーブン・・・」
「大丈夫さ。あのぐらいなら夜には溶ける。あいつ体温高そうだし」
「それまで彼は、」
「頭でも冷やせばいいんじゃないか?これから世話になろうって組織のボスに斬りかかるなんて、躾がなってないにもほどがあるだろ」
その技以上に絶対零度な目つきと声に、ザップは息を呑んだ。残された氷の量はそう多くはないのに、力づくで何とかしようとしても足はびくとも動かない。冷凍されていたせいで痺れるような感覚もある。
これで夜まで・・・、かかるだろう。スティーブンの技はそれだけ熟練だ。上質なエスメラルダの氷は、透明で美しく、固く、溶けにくい。
「せいぜい自然解凍を楽しめ」
「や、マジすんませんっした!」
「お前、下手な敬語が使えたんだなぁ」
はっと嘲笑うような目でザップを一瞥して、スティーブンは背中を向けた。それはもう容赦なく、すたすたと遠ざかっていく。憎たらしいほど足の長いシルエットだ。
クラウスはおろおろとザップとスティーブンを見比べた後、ザップにひと言すまない、と謝罪をしてからスティーブンの背中を追った。恐らく、再び釈放を申し入れて断られているところだろう。
やっぱり、あのボスは馬鹿だ。何で謝る?何でお前が許しを請う?それが優しさのつもりか?物事の道理に沿っていない。お前がどんな正義を抱えているか知らないが、少なくとも、俺の軸とは違いすぎる。
だが・・・。ザップはじっと、広すぎるほどに広い背中を見つめた。
その正義が罷り通る世界があるのなら、それはそれで見てみたい。その正義で本当に天秤を傾かせることなく守れるのか、とてつもなく興味がある。
「ライブラ、か・・・」
クラウスはちらりと時計を見た。あれから2時間半。ザップが心配で、時間の流れが嫌に遅く感じる。ついでに胃が重い。
「ザップは帰ってくるだろうか・・・」
クラウスが呟くと、手元の書類に目を落としていたスティーブンが顔を上げた。きょとんと目を丸くしている。まるで、クラウスが物凄く不思議な事を言ったかのように。
「帰って来ないだろ」
当然のような返答は、クラウスにとっては大いに衝撃的だった。
「か、帰って来ないのかね!?」
「いや、そりゃ帰って来ないだろ。晴れて自由の身になった暁には清々して女のところへ転がり込んでるだろうさ」
「女性の?彼の恋人かね?」
「うーん、君はもう少し僕以外の人間の生態に詳しくなったほうがいいぞ」
「ザップ君とはまだまともに話も出来ていないので、それは難しいのだが・・・」
「そうだなぁ。君にはそうなんだろうなぁ」
見てわかんないもんだろうか、とスティーブンは頭を抱えた。あんなの、どう見たってクズだし、ヒモだし、ヤンキーじゃないか。女と言ったらセフレに決まってる。こいつの辞書にはセフレって言葉もないんだっけ?
言葉を交わすとか、説明を受けるとか、それ以前に、まず空気と外見で察してほしいものだ。尤も、それが無理だからこんな不思議な会話をする羽目になるのだが。
「わかりやすく言うとなぁ」
「うむ」
「今日は拗ねてるだろうから帰って来ない」
「・・・なるほど」
「君だって、お兄さんと喧嘩して温室に引き籠った事の一度や二度あるだろ?」
「兄とはないが、姉とならば一度ある」
「それと一緒だ」
家族と喧嘩して拗ねた経験が一度しかない幼少期と言うのも中々にびっくりだが、相手がクラウスなら然もありなんだ。
「つまり、だ」
スティーブンは万年筆のキャップを開け、さらさらと書類にサインを書いた。処理済みの山の上にその一枚を足して、万年筆をシャツの胸ポケットに入れる。
「僕らはこれで、心おきなく事務所を施錠して帰ってもいいってわけ。クラウス、ディナーでも一緒にどうだい?」
クラウスはうろうろと視線を彷徨わせた。まだザップが気がかりなのだろう。気にしなくったって、あいつはあいつでHLを楽しんでるだろうに。
「坊ちゃま、レンフロ氏のご様子でしたらこちらで軽く伺っておきますので、坊ちゃまはご安心頂いてお出かけください」
そこへ、ギルベルトが助け舟を出した。この狭苦しい仮住まいの事務所で、ふたりが連日連夜ロクな睡眠もとらずにいた事を彼はよく知っているのだ。立ち上げ以降怒涛の忙しさだし、事務所ももう少しマシなところを探したい。
K・Kが加入してくれたとはいえ、彼女はNYの頃からこの街に住む家族がいる。家族のもとに帰さないわけにはいかない。となると、ほとんどの仕事をふたりで熟さなければならないのは相変わらずだった。
「そろそろ、お休みが必要ですよ」
ギルベルトはにっこりと笑った。この老人とて、主に従って連日連勤だ。疲れていないわけがない。だが今日は、少しは休めるだろう。報告書を片付けて、牙狩り本部にザップを受け取ったと連絡して、帰ってもいい日だ。
「行こう、クラウス。お言葉に甘えようじゃないか」
クラウスが休めば、即ちギルベルトも休める。老執事を想うなら、クラウスはちょっと羽を伸ばしに行くべきなのだ。恐らくもうとっくに伸びきっているザップなど、気にしている暇はない。
スティーブンはさっさとジャケットを着て、丸めたネクタイをポケットに押し込んだ。今日はもう、ネクタイの窮屈さすら耐えがたい、という意思表示だ。
「いってらっしゃいませ」
丁寧なギルベルトのお辞儀に見送られて、クラウスは半ば引っ張られるようにスティーブンと共に外へ出た。一応空間編成術式は使っているが、まだまだ簡易でセキュリティも甘い事務所だ。物件探しは難航している。
「さて、どうしようか」
「何か希望があったのでは?」
「うーん、そうだなぁ」
「君から誘ったのだ。可能な限り叶えよう」
「ホテルとか高級店とか、そういうところには入りたくない。面倒だ」
「うむ」
「かと言って、自炊もしたくない。僕の仮住まいは狭すぎるし、鍋もないし」
「うむ。鍋は今度プレゼントしよう」
「いいよ、そんなの。でもまずいデリも嫌だし」
「ふむ」
「それから、君とのセックスは外せない」
「それは同意見だ」
「何かいいアイデアはないかな、ボス」
スティーブンは悪戯っ子のような目でクラウスを見上げた。雑踏に紛れたスーツ姿のサラリーマンのような人類の会話など、誰も気にしてはいない。伊達男の口から性行為の単語が出たって、誰の耳にも届かない。
ボスになったばかりのクラウスをボス、と呼ぶ声には、少しばかりのからかいが含まれていた。牙狩りにいた時は、スティーブンのほうが階級が上だった。逆転した関係にも、早く慣れなければ。
「私の家に来るのはどうだろう?」
「駄目だよ。ギルベルトさんが休めないだろ」
「ふむ・・・。では、あそこで食事を済ませるのはどうだろう?」
クラウスは目の前の店を指さした。確かに、高級店でもなければデリでもない。めちゃくちゃ美味いってわけでもないが、出来立てが出てくるし、たまに食べるとそこそこ美味い。
「ファーストフードか。君好きだよな」
「久しぶりだとは思わないかね?」
「確かに。撤退してたチェーン店も戻ってきはじめたしな」
今週オープンしたばかりのメキシカン料理のファーストフードチェーン店だ。タコスなんて、確かに長い事食べていない。スティーブンは、ついつい好みのサンドイッチ店にばかり行ってしまうので、たまにはいいだろう。
「いいね、ファーストフードで腹を満たしてからのセックス。最高じゃないか」
「ス、スティーブン・・・!」
「何赤くなってんだよ、今更だろ」
「それは、そうなのだが」
スティーブンは交差点の向こうにザップの姿を見つけた。グラマラスな金髪美女と腕を組んで歩いている奴に、こっそり中指を立ててやると、ザップのほうもスティーブンに気づいたらしく、げっとあからさまに顔を顰めた。
ほらな、だから心配するだけ損だって言ったろ。だが、クラウスはどうやらザップに気付いていない。そのほうがいいかもしれない。こいつは素直すぎるから。まさかザップも、こちらが同じくデート中だとは思うまい。
「スティーブン?」
「何でもない。早く行こうぜ」
新人の、しかもああいう躾のなってない奴の気まずい顔は記憶しておくに限る。偶然とはいえ僥倖だった。
スティーブンの仮住まいは狭い。はっきり言って安アパートだ。料理好きなスティーブンとしてはキッチンが狭すぎて不満だし、浴室がユニットバスなのも最悪だと思っている。
「あぁ、早くいい物件見つけないと」
第一ラウンド終了のキスを受け取りながら、スティーブンはため息を吐いた。
「私は嫌いではないが」
「君のそれは物珍しいって意味だろ」
「う、む・・・」
否定はしないだろう。実際、クラウスにとってこんなに小さな住居は物珍しいことこの上なかった。スティーブンが不満を持っているのは、よく知っていたが。
「この家じゃ、君とふたりで過ごすのにも狭すぎるよ」
寝室とダイニングとユニットバスしかない、学生が借りるようなアパートだ。間に合わせで事務所に近いと言う理由で借りた、とりあえず寝るための家だった。
スティーブンとしては、これからどんどん仕事が詰まってくれば家政婦も雇いたいと思っているし、休日にはホームパーティーもしたいし、クラウスとふたりで眠って寝返りが打てる大きなベッドも入れたい。
「君、わかってる?」
「む?」
「僕の家はさ、ギルベルトさんもメイドの目も気にせずにいちゃつける、絶好のデートスポットなんだぜ?」
「うむ。確かに」
「ふたりでゆっくり眠れるベッドとゆっくり入れるバスがないのは最悪だろ」
「つまり、私のためかね?」
「違うよ、馬鹿。僕のためだよ」
我慢できないのはこっちのほうだ。それに、この部屋はきっとクラウスの実家のウォークインクローゼットぐらいだろう。いっそ恥ずかしい。
「こうやってふたりで眠るにも、狭いじゃないか」
「もう眠ってしまうのかね?」
「ばーか。えっち」
この部屋に入れられるギリギリの大きさのベッドでも、クラウスが横になるともういっぱいで、スティーブンはクラウスの上で掛け布団になるしかない。そのうちこのベッドは大破するんじゃないだろうか。
クラウスはスティーブンの刺青をゆっくりと撫でた。首筋から背中へと流れる紅は、情事を経てますます深く色づいている。
「ん・・・、足りないのかい?」
「常に足りないが?」
「何を当然のように言ってんだよ」
「当然だ。君を愛しいと思えば思うほど、常に飢えている」
肌を擽る手に、スティーブンはくすくすと笑った。クラウスとのセックスは体力勝負だ。相当な手加減をして貰わないと、明日の仕事にならない。それでなくとも、明日は悪ガキ探しから幕を開ける予感がしているというのに。
クラウスは狭いベッドの上で身体を捻り、体勢を入れ替えようとした。それを、スティーブンはそっと制する。
「このままでいいだろ?それとも、組み敷くほうが好きか?」
「どちらも好きだが」
「はは、やらしー顔しやがって」
クラウスはそっとサイドボードの時計に目をやった。正確な体内時計は、やはり間違っていなかった。スティーブンと戯れるように会話していた間も、こっそり時間を計っていたのだ。
「スティーブン」
「うん?」
「誕生日おめでとう」
スティーブンはぱちぱちと瞬きをした。
「たん、じょうび・・・?」
狭すぎるベッドの上で、クラウスの上にぺったりと伏せた体勢で、まるで誕生日なんて単語初めて聞いたかのように瞬きをする。中々に滑稽な姿と言えるだろう。
「うむ。日付が変わった」
「日付が、変わった」
子供のような鸚鵡返しに、クラウスは思わず笑ってしまった。よっぽど思いもよらない言葉だったらしい。
「今日、何日だっけ?」
「6月9日になったところだ」
「あぁ、そうか。すっかり忘れてたよ」
「それだけ君に負担をかけてしまっているという事だろう。すまない」
「負担なんかじゃないさ」
実際、まだ雛に過ぎないライブラは育て甲斐がある。人類の希望たるこの男に、そんな大役を与えて貰えたのは、スティーブンにとって誇りだった。
「夜が明けたら贈り物を受け取って欲しい」
「贈り物?そんなの、もう充分に貰ったけど」
スティーブンはうっそりと笑って、クラウスの上に馬乗りに跨った。ぞわ、とクラウスの背筋を何かが走るような、そんな妖艶な笑みだった。
万年人不足のライブラに問題児とは言え構成員がひとり増えたし、仕事を早く終わらせて、クラウスとデートをして、ちょっと悪い子な夕食を摂って、好きなだけセックスをする。これ以上ない、最高の誕生日だ。
狭いベッドが悲鳴を上げた。クラウスの邸宅と違って、空調も安物しかついていないこの部屋は、情事で火照った身体の汗が滴り落ちる程度には暑い。
スティーブンの頬を伝った汗が、クラウスの見事な腹筋にぽたんと落ちて、見事な筋肉の上を滑り落ちていく。その様子すら官能的に思えて、思わず舌なめずりをした。この瞬間、両者ともが揃って捕食者だった。
「いい誕生日だよ。残業がないのは久しぶりだし、ザップも入ってくれたしな」
「スティーブン」
「うん?あいつさぁ、躾はなってないけど、上手く扱えればいい戦力になりそうだよな。なんせ腕は天才的だ。それに、思ったより根っこは悪くなさそうだぜ」
「スティーブン、ベッドで他の男の話をするのはよくないのでは?」
「おっ、よく知ってるじゃないか」
「からかうのはやめたまえ」
スティーブンはくすくすと笑った。いやらしく大腿を這う大きな手は、もうかわいいとしか言いようがない。
「お仕置きしたい?」
「今日は君の誕生日だ。大目に見るとしよう」
「あはは、どーせやることはやる癖に」
「それは勿論だ」
この姿勢はどう見てもこのまま騎乗位に突入するしかない。クラウスが隠す気もなく勃起していることなんか、スティーブンにはとっくにわかっている。こんな美味しそうな恋人を前に、頂かない手はない。
「今日は僕にさせてくれよ」
「君に?」
クラウスは目を丸くした。こんな体勢でやることはひとつだと言うのに、クラウスには思いもつかないらしい。今まで甘やかしすぎたか。
つい、と指先で腹筋をなぞると、クラウスは擽ったそうに眉を顰めた。
「君に愛されて、君を愛する以上に最高の誕生日なんて、他にないだろう?」
だから僕にも、ちゃんと君を愛させて。スティーブンは満面の笑みでクラウスに口づけた。
クラウスがこっそりマナーモードにしたスティーブンのスマホに、大量の誕生日メッセージが届いていることなど露とも知らずに。
翌朝、スティーブンがスマホの着信量にうんざりしている間に、オンボロの室内にはどこからともなく高級家具が現れていた。