高二と中二「ビッチなんだってさ」
その単語が月島の耳に飛び込んできたのは、唐突だった。あまりにとんでもない響きだったので、思わず振り返ってすれ違った二人組の背中を見た。月島は体育館倉庫に行く途中で、校舎一階から体育館に続く渡り廊下に出るところだった。
「頼めばしゃぶってくれるんだって」
「でも男なんだろ?」
「綺麗な顔してんだよ。んで、めちゃくちゃ上手い。男だからこっちも遠慮しなくていいし……ほら、女と違って後腐れないわけ」
「なるほど……」
「だから放っておこうぜ。妙に助け舟出しても余計なことかもしれないし」
話しているのは、陸上部の三年生だ。名前は知らないが、ジャージの背中には大きく「帝国大学第七付属高校陸上部」と縫い取りがある。
中高大と一貫教育の「帝国大学」は、中高だけは男子校だ。男だけの所帯では、噂話はえげつない。特に下の話はブレーキが利かないらしく、針小棒大もいいところの話は溢れかえっている。曰、どこそこのカラオケ屋でひとりで歌っている女子はナンパオーケーのサインだの、なになに女子高の誰それは金さえ積めばヤらせてくれるだの、さすがは頭がエロでパンパンになっている年頃だ。ただ、一応はエリート校と呼ばれている自覚はあるらしく、あまり表にだしてはいけないということだけは分かっている。
しかしビッチとまで呼ばれる生徒がいるというのは、尋常ではない。誰が言いだしたか知らないが、罪作りだなと、目的の倉庫へと歩き出した。
体育館の裏手にある倉庫は、奥まった陰の方にあるので皆行きたがらない。行きたがらないということは、好んでたむろする連中がいる、ということだ。どんなに良い学校にも、一定数存在する『不良』である。
月島は高等部二年生だ。そもそもなら倉庫に備品を取りに行くというのは一年生の仕事だが、怖がるので仕方ない。今時は学生間でもパワハラモラハラなど言われ、面倒くさい。ならいい俺が行ってくるわと、月島はさっさと道場から出てきた。僕も行きますと声を上げてくれる一年もいるが、誰か一人を連れて行くのもまた面倒なのだ。
倉庫の引き戸に手を掛けると、中からくぐもった争い声が聞こえた。
——マジか。
倉庫に下級生を連れ込む連中がいるという話は本当だった。そこで、さっきの二人組のセリフが思い当たった。これに遭遇し、首を突っ込むのを回避して引き返したのだろう。
——足抑えろバカ、いてっ、このやろう! 待て待て、見えるとこ叩くのやべぇよ、いでっ、蹴られた、大人しくしろって!
複数の男の声に混じって激しい打擲音がする。聞くに堪えない。月島も決して聖人君子ではないが、やりすぎだ。思いっきり大きな音をたてて、引き戸を開けた。かなり重いが、月島は片手で開けられる。
白く漂う埃のカーテンに照らされて、紺の道着と袴姿の三人の男が、驚愕の表情でこちらを振り返っていた。まさか戸を開ける人間がいるとは思ってもみなかったといったところか。
体操マットの上でコトに及ぼうとしていた。ひとりはこちらに背中を向け、袴を下ろして半分尻を出している。右肩に褐色のふくらはぎから先が突き出ていた。まだ子供っぽく細くて、すね毛さえ薄い。白い靴下が汚れていて、やたらと生々しい。
もうひとりは足の持ち主を背中から羽交い締めにして、肌蹴られた白いシャツの胸元に手を突っ込んでいる。残るひとりは獲物の右の太腿を一本抱えて、押さえつけている。人間の身体をそんなに開かせられるものなのかと、妙な感心をした。
「お前ら剣道部か。インハイ行けなくなっても大丈夫なのか? 例え一回戦負けでも、行くのと暴行で自粛じゃあ、これから先の人生、天と地じゃねえの?」
「はあ? 三年に向かってどういう口だ」
「いやいや……立場考えろよ。俺、大声には自信あるし、一人でここに来ているんじゃねえよ?」
完全にハッタリだったが、三人は動揺して顔を見合わせた。やべえよ、空手部のツキシマだと太腿を抱えている男がこそこそ囁いた。思わず手が緩んだのだろう、今まさに喰われようとしていた獲物の右足がバネのように鋭く伸びて、半ケツを出している男の顔面に踵が入った。仰け反った鼻から、噴水のように血が空中に飛ぶ。後ろにどうと倒れ、顔を押さえて右へ左へごろごろ転がる。あっと声をあげた背中の男の顎の下から、勢いよく頭が激突した。がちっと嫌な音がした。素早く立ち上がった獲物は、既に戦意喪失している残りひとりの頬に、正面から体重の乗った蹴りを放った。
月島は無言で暴れている裸のウェストに腕を巻いて抱き上げ、蹴りのスピードを殺すように、ぐるっとターンした。残党の頭ぎりぎりを、固く尖らせた爪先が風を切って掠めた。
「そこまで。そいつには二人とも担いでいってもらわないと」
背中から抱かれたまま、振り返った彼は、強烈な殺意をもって月島を睨みつけた。
「邪魔すっな! こいつら全員殺す!」
ぎらぎらした切れ長の目と、月島の目が絡み合う。褐色の肌は頬の線がまだふんわりと丸く、可愛らしい幼さを残していた。叩かれたのか、唇の端から出血している。凛々しい眉頭は特徴的で、見覚えがあった。
「あ……鯉登の弟?」
彼はハッとして、思わずというように自分を抱いている月島の手を掴んだ。
「……お前、兄さを知っちょるの?」
「同級生だったよ」
見開いた目は、月島の顔をその表面に取り込もうとするかのように、見つめてきた。
そろそろと逃げ出そうとする気配に、月島はそちらも見ずに「おい」と声を掛けた。
「友達甲斐がねえな。そいつら担いで連れてってやれよ」
「ひ、ひとりじゃ無理だ。誰か助けを」
「じゃあせめて、そいつのちんぽ隠してやれ。可哀想だろ?」
顔を押さえて呻いている半ケツ男の股間には、しょんぼりと元気をなくしたモノが出ていた。
「お、俺たちが悪いんじゃないぞ」
事ここに至っての言い訳に、月島は非難の意味を込めて「はあ?」と言った。
「お前も聞いたことあるだろ? そいつ、ビッチなんだよ。フェラしてくれるんだって。だからさ、どうせだったら一緒に気持ち良くなろうぜって誘っただけなんだよ」
月島が、はあ……と、深いため息をつくと、腕の中の身体の方が、ぴくっと震えた。
「それにしちゃあ乱暴だろ。殴るのはダメだ。さてはお前ら、童貞だな? セックス下手だと、相手が可哀想だ」
図星だったのか、ぐうと喉の奥で何か言い、床でのたうち回っている男たちに手を貸して、倉庫から逃げて行った。
そこでやっと、月島は彼の背中から離れた。ゆっくり振り向いた彼の目に、涙が溜まっていた。さっきの闘気からはかけ離れた表情で、どきりとする。
——綺麗な顔してんだよ。さっきすれ違った陸上部の言葉が蘇る。
ぽろぽろ溢れてきた涙に動揺しながら、なるべく優しく抱き寄せた。しがみついて声を殺している彼は、制服の白いシャツと靴下しか身に着けていない。体操マットの上に学生ズボンや下着が散乱していた。丸まったティッシュやタオルも落ちている。生々しい。
——ビッチ。
なるほど、男とわかっていても、気が狂うかもしれない。月島は自分のジャージの上着に涙を吸わせている彼の肩をぽんぽん叩いた。自分とさほど身長が変わらない。
「まず服着よう。な?」
ひっくひっくとしゃくりあげている様子は、まだ子供そのものだ。鯉登の弟ならば、おそらく中等部。なんで高等部の、こんな倉庫にいるんだろう。言えばフェラしてくれるというのは本当のことなのか……。
下着を履くと「気持ちわる……」と顔を歪めた。
「自業自得では?」
きっと睨まれた。
「多勢に無勢だった」
「そりゃあ一対三じゃあな。でも、そういう状況を作ったのは自分だろう?」
無言で服を着ているのは、図星でもあったからだろう。
倉庫の入り口が、そっと開いた。
「月島くん?」
同じ空手部の前山だった。
「遅いから様子見に来たよ。大丈夫?」
前山は当惑した表情で、体操マットと散乱しているものと、二人を見ている。これでは誤解も已む無しだ。
「前山、この子、鯉登の弟だ」
「えっ」
空手部の割にはぽちゃぽちゃした風貌の前山は、両手で口に手をやった。
「どうしたの? 大丈夫?」
心配げな前山に、弟は突然自分の置かれている立場を理解したのか、さあっと赤面した。
「あっ……大丈夫です……」
「なんで前山には敬語なんだ?」
月島の不満げな指摘に、むっとして唇を突き出した弟は「だってお前ムカツク」と悪態をついた。
「助けてやったろ」
「おい一人でもやっつけた!」
「はあそうですか。そりゃすみませんでしたね」
腹立ちまぎれに、月島は体操マットを蹴り、自分が今ここに来た目的のものを探し始めた。積まれている段ボールを開けて、中を検める。
「ねえぞ。ほんとにここに持ってきたのか?」
前山も一緒になって段ボールの口をぴらっと捲っては中を覗き、次の箱へと移動する。
「うーん、プロテクターなんて結構大きいからね、すぐ見つかると思ったんだけどな。年度末の大掃除の時に、もうボロボロだからって顧問が片付けさせたんだよね。月島くんがいたら、もっとちゃんとしたんだろうけど」
はあ、と小さくため息をついて、月島は振り返った。鯉登はまだそこにいて、所在なさげにしている。
「帰ったらいかがですか」
わざと慇懃無礼に敬語を使うと、弟は自分のシャツをぎゅうと握った。唇を噛みしめて、涙を湛えてじっと月島を見つめている。
——意外に泣き虫。つん、と前山が月島の背中を突いた。
「送って行ってあげなよ」
「はあ?」
「中等部の子がここから出ていくの、一人だと勇気いるよ。何があったか知らないけどさ」
鯉登に聞こえないように、さっきすれ違ったよと囁いてきた。剣道部の三年が素行が悪い連中だというのは知れた話だった。前山が月島と同じルートでここに来たのなら、タイミング的には合っている。
「……あ、そうだった」
前山は鯉登に向きなおると、丁寧に頭を下げた。
「この度はまことにご愁傷さまでした。僕は葬儀には出られなかったので、失礼ながらここで挨拶させてください」
鯉登平之丞は、昨年、学内での爆発事故に巻き込まれて、亡くなった。大きな事故だったが、ただ一人の犠牲者だった。
「あっ……はい、ありがとうございます」
鯉登も慌てて頭を下げた。
「ほら、月島くんも」
促されても、しなくてはいけないという気持ちと、今の今までのこととが、月島の中でぶつかっていた。それを飲みこむだけの度量が自分にないことを突きつけられて、月島は口ごもる。
「月島くんね、あの事故で怪我した人のひとりなんだ」
鯉登は、驚いて月島の顔を見た。
「お兄さんとは同級生で、結構仲良かったんだ。だから一緒にいて……大変な怪我をして、半年入院してんだ。この四月から、もう一回二年生してるんだよ」
続かねえw
ここまでで止まっちゃった😭設定年齢が近い月鯉、私は書きにくいかもという気づき…
兄さあの事故は誰かの差金だ!と思った音之進が高等部の不良たちに近づいて真相を暴こうとしている話にするつもりだったんだけど、なんかな〜ショタ之進は清くあってほしいんだよな〜っていう気持ちがあってだな…例えフェ…らだけでもモブ鯉必至だし。咥えるくらいだったらいいかなって思った音之進は世間知らずですね!😊
事故に巻き込まれてスポーツ特待生がおじゃんになってやさぐれてる月島に、同様に心が傷ついている音之進が寄り添って、互いに「生きてりゃよか」って思えるようになったらいいかな〜って。
書かない気がするので出しちゃうね♡