空閑汐♂デイリー【Memories】20「アマネの事抱いたから」
酒を飲みながら思い出したようにそう口にしたフェルマーの言葉に、空閑は固まっていた。沈黙に満ちたテーブルの周囲で賑わう人々の喧騒が遠い。その沈黙を打ち破ったのは篠原だった。
「ヴィン! お前なぁ!」
固まったままの空閑を横目に、隣に座るフェルマーの頭を軽く叩き声を荒げた篠原は大きく一つ息を吐く。何を言い出すかと思ったら、あまりにも碌でもない言葉で辟易とする。汐見の考えが解らない訳ではなかったし、汐見がフェルマーに縋ればそうなる予感もしていたが――それを空閑に言うか? 普通。ようやく篠原がオーベルトへの赴任を決め久々に集まろうと顔を合わせたメンバーは篠原と空閑とフェルマーで。高師は先約があるとこの場所には居ない。恐らく告白されたからと適当に付き合っている相手とのデートだろう。高師は高師でどんな心境の変化があったのか、大学卒業後短いスパンで恋人が変わっている。そして、高師が居らず空閑が居る場所でそんな爆弾を落とすフェルマーはきっと確信犯だ。
「ボクは前にも言った筈だよ、縋られたら手を出すからねって」
固まっている空閑に、フェルマーは追い討ちをかけるように言葉を紡ぐ。その声色はどこか苛立たしげでもあった。
「そう、だったね……」
ようやく絞り出したといった空閑の声はひどく沈んでいた。けれど、空閑も空閑でそんなにショックを受ける権利はないだろう。薄情だとは思うが、そうなった理由は空閑にもあるのだから。
「ごめん、今日は帰るね。明日は仕事だし……」
アルコールの一滴も入れていないと言うのに、その足元は覚束ない空閑を見送った篠原は隣に座るフェルマーへと叱るように言葉を投げる。
「言う必要無かっただろ」
「ハッパ掛けようと思ったんだけど、うまく行かないね」
篠原の言葉もどこ吹く風といったように肩を竦めるフェルマーに、篠原は再び大きなため息を吐き出した。
「アイツら、拗れに拗れてんじゃねぇか。空閑は元気そうだから安心したのもぬか喜びだった」
「ヒロミもそうだけど、アマネもひどいもん。寂しいんだって縋られたら抱きしめちゃうじゃん? 抱いてくれって言われればそりゃ抱くよね」
「お前はその貞操観念をどうにかしろ」
「童貞はアマネで切ったけど、処女はまだシュンメの為に残してあるから大丈夫だよ!」
「どこが大丈夫なんだ!?」
思わず大声で突っ込みを入れてしまった篠原は、三度目のため息と共にビールを呷る。普段は美味く感じる黄金色のアルコールが、今日はひどく苦く感じた。
「これはもうアマネがこっちに来ないことには収まらないんだろうけど」
フェルマーも諦めたように息を吐き出して、ちびりとビールを流し込んで苦々しげに眉を寄せる。
「――逆を言えば、汐見がこっちにさえ来れば丸く収まるんだろうな、きっと」
早く来てくれよ。と心の中でだけで地球に残された男に願いながら、篠原はグラスに残されたアルコールを飲み干した。