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    はるち

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    はるち

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    引用:離騒/屈原
    龍門のお祭りを楽しむ二人のお話。
    「龍の季節/辻村七子」のオマージュとなります。リクエストありがとうございました!

    #鯉博
    leiBo

    龍船節 紛総総其離合兮
     斑陸離其上下
     吾令帝閽開関兮
     倚閶闔而望予

    「それは――炎国の詩?」
     眼前の光景に、詩を口ずさんでいたのは、無意識のことだった。祭日に浮かれる街の、香辛料のような喧騒が、澱粉でとろみを付けたような大気と混ざって肌に纏わり付く。人々でごった返す道路を歩くと、アスファルトと油が靴底でべたついた。空気は熟しすぎた果実のように、腐臭と芳香がないまぜになっており、けれど隣にいるドクターの笑い声が、快も不快も押し流していく。途中の屋台で買ったちまきをあぐあぐと食べていたドクターは、返答を求めてこちらを見ていた。
    「昔の政治家が詠んだ詩ですよ」
     何を詠ったものなのか――という問いかけを、街中に響くような轟音がかき消す。それは、この街を何日も前から浮足立たせているレースの開始を告げる音だった。川辺りに用意された観客席にいた人々が一斉に身を乗り出し、固唾を飲んで運河を駆けて行くボートを見守っていた。
     龍舟競漕。
     この時期に龍門で開催される祭りである。龍を模した舟に漕手が乗り、その年で一番早い龍舟を決める。川沿いも大通りも人で溢れかえり、街全体がお祭り騒ぎに包まれていた。屋台から漂う揚げ物と香辛料の匂いは食欲をそそり、空にかかる色鮮やかな三角旗が風にはためいていた。屋台の合間を縫って行きかう人々のざわめきは空に浮かぶ太陽のように活気を与えてくれるけれど、いかんせんそれに呑まれてドクターとはぐれるわけにもいかない。
     ドクターの関心は、詩から舟へと移っていた。そちらの方がずっと良い。今日のお目当てはこっちなのだから。漕手たちは一糸乱れぬ動きで一心不乱に櫂を操っており、舟の造形も相まってひとつの生き物のように見えた。リー自身は勝敗にはさほど興味はなかったが、一生懸命な姿と言うのは見ているだけで応援したくなるものであり、けれど勝負である以上そこには優劣が発生する。ゴールテープを切ったのは赤い舟だった。街中を歓声とわずかばかりの溜息が満たし、ドクターもすごかったねと選手たちに拍手を送っていた。リーもまた拍手を送りながら、けれど頭の中には川のせせらぎのようにあの詩が流れている。
     紛として総総として其れ離合し、斑として陸離として其れ上下す。
     吾帝閽をして関を開かしむるに、閶闔に倚つて予を望む。
     それは国を追われた一人の政治家が詠んだ詩だ。
     空想の中で、彼は幻獣たちと空を飛ぶ。
     幻獣達はじゃれ合いながら飛び廻り、やがて彼らは天帝の門へと辿り着く。宮殿へと繋がる門を開けてもらおうとするも、門番は門に寄りかかったまま彼を眺めるだけだった。紋が開かれることも、彼が宮殿へと招かれることもない。
     その政治家も、かつては朝廷で働いていた。しかし中央を追われて僻地へと左遷され、最期には自らの境遇に絶望して川へと身を投げた。往々にして、頭の良すぎる人間は、自ら死を選ぶ。自分に残された未来がどんなものであるかを、理解してしまうから。よくある昔話の一つである。しかし、この話には続きがある。
     それが龍舟である。
     地元の住民は皆、教養もあり温厚な彼のことを慕っていた。だから、最早彼らに何も言わなくなってしまった彼の遺体が魚に食われないよう、大きな音を立てて魚を追い払いながら、舟を漕いで彼の元へと向かった。それが龍舟競漕の機嫌とされる。
     真偽の程は明らかではなく――はっきり言ってしまうと、後世の脚色とする説のほうが主流だ。
     けれど。
     それがただの御伽噺であったとしても、確かに存在したのだ。辺境へと追放された彼、哀れな政治家にして偉大な詩人の最後に、せめてもの救いを願った人々がいることは。
    「ドクターも乗ってみますか?」
    「龍舟に?いいよ、あの櫂を見ただろう。私には持ち上げることもできないよ」
     そういうのは君に任せるよ、とドクターが悪戯っぽく笑った。冗談のつもりだったのだろう。繋いだ手に籠った力に、少しだけ驚いたようだった。けれども力を緩めることはしない。この人はまだ生きていて、自分の隣にいるのだから。
    「そうですね」
     けれど。もし、あなたが掲げた理想に足を取られて溺れたとしても。課せられた責任があなたの喉を塞いで窒息させてしまったとしても。
    「そのときはおれが、ちゃんと迎えに行きますから」


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